「いいね」がいいねすぎる
Twitter(X), Instagram, YouTube…
昨今の我々の生活にはSNSが当然のものとして浸透しているわけだが、そこには基本的にいいね機能というものがある。一般的な概念だと思うので説明は省くが、私はふと思ったのである。
「いいね」がいいねすぎる。
「素晴らしい」でも「評価に値する」とかでもなく「いいね」
それは非常にシンプルで、カジュアルで、感覚的な心の動きのことなのだと思う。
たとえば、全く有名でもない、ただ自分が好きなFFさんが「明日は〇〇に行く!」とか「〜しようかな」みたいなことを呟いていても、我々は普通にいいねを押すはずである。
そういった投稿って、正直すごくどうでもいい。(もっと言えば、SNSの投稿の9割はどうでもいい情報だと思う)
実際に、自分がフォローしていない人のそういった内容の投稿が流れてきたとしても、いいねせずにスクロールして流すだろう。
ではなぜいいねするかと言ったら「好きな人だから」だ。
どうでもいい人間の日常なんて知ったところで そうですか、としかならない。自分の好きな人だからこそ「いいね」と、小さく心が動くのである。
なにが言いたいかというと、
普通の投稿をしていれば普通にいいねはつく
ということ。
※もちろん平日の夜中3時に投稿したり、音楽の界隈でめちゃくちゃマイナーなゲームの話をしたりしたら、そりゃいいねはつかないよ
その瞬間の感情に任せて病みツイを連投したり、強い言葉を使って怒りをぶつけたり。
そういった類の投稿はいいね数が少ないことが多いように感じる。(〜で悩んでる とか 〜がしんどいな などの落ち着いた客観的な投稿は別物というか、むしろ他人が共感したり励ましたりできる余白があるから)
やっぱりマイナスなものって、他人はできるだけ触れたくないんだ。幸せで穏やかに過ごせている日々の中で、そういった情報に触れるのはあまり気分がよくない。
「SNSでくらい何でも言わせてくれよ」みたいな反論が飛んできそうだが、いやダメだろって思っちゃうな自分は。
現実においてもインターネットにおいても、あまねく思考を言葉に置換することは、精神衛生的にも人として生きていく上でも危険だと思う。
自分の感情や思考 と 自分の言葉 がうまく対応しているとも限らない。言葉にしたときに、そこに自分の思いもよらぬ意味や力が含まれていて、自分自身の言葉によって自分がよからぬ方へと導かれたり、自己解釈を誤ってしまう可能性がある。
形も名前も持たないからこそよいもの というのはあると思う。
↑これはまったく論拠のない持論なので気に食わなかったら無視してくれ
まあ色々述べてきたが、せっかくSNSを使うならほんの少しでも見てくれた人の心を動かしたいよね ってのが言いたい。
別に いいねこそが全てだ!!とか、いいねされない投稿に価値はない!!とか言いたいわけではないのでそこのところご承知を。
以上。いいね押してね。
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