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「お母さん」の神格化の話

「お母さん」のいうことは聞きなさい。「お母さん」がそんなに色気づいてどうするの。「お母さん」は分かってくれる。

色んな人が色んな目線で「お母さん」に物をいう。当たり前のことかもしれないが、ここでいう「お母さん」は誰か一人を指す固有名詞ではなく、母という役割を担う人を集団化した呼称。

だれかが作った「お母さん」が守るべき規範みたいなものを、その人個人の意思とは無関係に律したり褒めたたえたりする。

私はそれが恐ろしくて、おぞましくて、いたたまれない気持ちになることがある。自分でも分からない、無意識の部分でも「お母さん」という言葉に反応してしまっている。

私の母はかつて専業主婦だった。私が生まれた時にはもう仕事をしていなかったし、何の仕事してたの?と聞いてもあまり明確には答えてくれない。そこそこいい大学の出だから勉強はできるのに、なんてからっぽな人なんだろうと幼心に私は思った。でもそれを面と向かって言っていいわけはないから、「お母さん」はすごいという神話を信じ、「お母さん」が好きという動きをしてみることにした。

何故仕事をしないのかは中学高校と過ごしていくうちにわかった。私の父がさせなかったのだ。一方的にさせなかったわけではなく、専業主婦がメジャーだった時代に父が楽をさせたいと思って決めた役割分担を母が了承していたという方が正確かもしれない。母の本心は知らない。何度も何度も聞いたけれど、教えてくれることはなく、私たち兄弟が成人した時に母は再び仕事を始めた。今がまあまあ楽しそうに仕事をするから、私が口を出す問題ではなくなってしまい、実のところどうだったのかは知る由もない。

母は本当にすごい。それは社会に出てみると分かる。料理をしたり、勉強を教えたり、訳の分からないような私の話を聞いたり、命を預かってくれていた。それが事実であることは変わらない。

それでも再び社会に出始めた母の価値観のステレオタイプに私は日々戸惑っている。私よりも若い女の子がそこにいて、なんの論理もなしに自分の価値観をさらけ出している。昔はそんな「お母さん」じゃなかったのになあと思いながら、父と三人で会話をしていると、「付き合っている頃の〇〇ちゃんはそうだったよ」と一言。思い付いたことを脈絡なしに言うのは母譲りだと私も思っているところがあったが、元々がそういう人だったのだ。と個体としての本名の○○である母のことを初めて知ったような気がした。雷に打たれたような衝撃があった。

母は私たち兄弟の前で「お母さん」であろうとしてくれたのかもしれない。

母が私の話を分かるまで何度も聞いてくれていたのも、今は言葉すらも全く分からないというのも全部そう。「お母さん」であろうという心によるものなのだ。父だけがその存在をずっと無視して「〇〇ちゃん」と呼んでいた。そうして「お母さん」から引きづり下ろそうとする要素の前にも母は「お母さん」であり続けた。自分の中に長い間「自我」だけでない「お母さん」の規範を無意識に飼っていたに違いないのだ。ちなみに父は自我の方が大きいうえで父親がサブみたいな感じを受ける。別にこれを責めるつもりはない。正解がないのだから。

そのことに気が付いてから私は母の誕生日とクリスマスに化粧品を贈るようになった。我が家には母の日も父の日も文化が存在しなかったので、子供から何かを貰うというのは幼い頃を除けばほぼはじめてに近いんじゃないだろうか。やっと「お母さん」から解放してあげられた私から長年ありがとうという気持ちを込めて母にだけ贈っている。それから母のことを本名をもじったあだ名で呼ぶようになった。勿論こうやって対外的に表現する時には母なのだけれど、家の中の私の気持ちの問題。色んな変化に父が恨めしそうな眼をしているのを私は放置することにしている。私の意図に父が気づくことはないだろう。

子育てを終えた母に十分に感謝した上で、感謝とかそういったプラスの感情だけで片付けられないものがあるのだと分かってしまった。だから、私は「お母さん」という存在とその存在にまつわるものを畏怖しているに違いないのだ。

幼い頃から一人で生きていたいと思っていたのは、もしかしたら根底にこの「お母さん」となるかもしれないことへの拒絶があるからなのだ。私には到底出来ない。そうやって考えるのをやめてしまうのも許してほしい。何十年もそうやって見てきたものを変えるのは中々難しい。

グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。