人間になる(自殺する)

最も執着していたものに気づいた。それは道理や優しさ、人としての正しさだ。

21年間人として、正しく生きようとか筋を通せる人間でいようとか人には優しくしようと思っていた。

正確には、何か一つでも間違いを犯すとモラハラ気質の親にキレられる環境の中で、親という絶対権力者の前で生き残るために正しさを追求しなければならなかった。

家を出たのが19歳。新しい環境でいろんな人と出会い、病んだ。

恵まれた人を見て、それまでの自分が全て否定された気になったからだ。

でも今日、ある人のおかげで優しさとか人としての正しさとかそういう類のものは全部ゴミだと気づいた。

他人に優しくする人は往々にして、他人のためにといって自分の時間を切り売りしてしまうため人生はうまくいかない。

正しく生きようとする人は道中で考え事をして、寄り道を繰り返すので結果的にゴールに遅れて辿り着く。

そもそも優しさとか正しさなんて、その人のエゴに過ぎない。

他人に迷惑をかけるなんて当然で迷惑をかけるから人間だ。クソな家庭に生まれたせいで気づかなかった。

21年間、人より努力して生きてたつもりでいた。人より正しく生きようとした。

曲がっていた。全てがねじ曲がっていた。どいつもこいつも表向きは他人のためという顔をしているが、自分さえ良ければ良い。今生きてる世界は、そんな掃き溜めの中であると改めて思った。

病んだとき、助けてくれる人なんていない。可哀想だと見かねて手を差し伸べる人なんていない。他人なんて何の役にも立たない。それならとことん他人を踏みつけ蹴落とすしかない。

どんなに高邁な精神を持って何かに取り組もうが、結果にならなきゃただのゴミだ。

精神性を大事にしろという意見も分からなくはないが、そんなのある程度自分の人生に納得した後で良い。

クズでいい。グズ野郎でいい。

どんな聖人も死ねばただのゴミだ。

今生きてる奴の勝ちである。

自分のためだけに生きればいい。

他人はゴミだ。他人なんて自分の人生をより良くするための踏み台でしかない。俺にとってもお前にとっても。

優しさなんて必要ない。情けなんていらない。

他人のために生きる必要はない。

他人が納得する人生なんて薄っぺらい。

人生を比べる必要はない。

人生なんてみんな良くてみんなゴミだ。

自殺する覚悟がない限り、掃き溜めの中で生きれるだけ生きるしかない。

だからこそ今日をもって俺は、正しさや優しさを捨てて自分らしく生きようと思う。掃き溜めにいる1クズ野郎として今日を生きようと思う。

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