見出し画像

子供の頃に貧乏を経験して大人になったら、毎日が幸せの連続だったことに気づいた

子供の頃、いわゆる貧乏だった。

もちろん、貧乏というのは相対的比較から生まれる感情なので、「自分は他人と比較して貧乏じゃない!」と思えれば違うのかもしれない。


だが大人になって改めて冷静に考えたが、僕の家は貧乏だった。

子供の頃、貧乏で辛い思いをしたかといえば、おそらく辛い思いをした。


喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのと同じで、いまは辛さを感じない。


大人になったいま、あの子供の頃の暮らしを色々と思い起こした。

きっと、何か得るものがあるんじゃないかと願って。


***

僕の家は6人家族だ。

父、母、兄2人に僕、妹の6人家族だった。

この家族が住む家は、友達から”廃墟”と呼ばれた1DKの小屋である。

画像1

※イメージ写真


台風で2度、屋根が飛んだ。漫画のような家である。

1DKとはこのような間取りである。

画像2


これに6人が日々生活するわけだ。

画像3


狭い。非常に狭い。

家なのに肩と肩がぶつかるなんて日常茶飯事。

母に「コラッー」と追いかけられては3秒で捕まる狭さ。


ちなみに、1部屋に6人が集結して食事をすると床がぶっ壊れるため、全員揃っての食事は生まれてこの方、1度もない。


お金がなかったので家族全員での旅行はもちろん、外食も一度もない。

文明の力もほとんど存在しておらず、電子レンジにエアコン、車すら乗ったことがなかった。


おそらく、昭和のまま時が止まってしまったような、そんな家だった。


そんな家で育った僕が大人になった。

20歳で1人暮らしを始めた。

驚きの連続だった。


食べ物を1分で温めることが可能な電子レンジに感動した。

今まではガス火で10分くらい温め直していたから。


住んでいる家を冷やしたり暖めたりすることに感動した。

今までは暑かったら近所のスーパーに涼みに行き、寒かったら毛布にくるまっていたから。


車という移動手段のハイテクさに感動した。

今まで20km圏内は自転車で移動していたから。


子供の時に貧乏だったおかげで、大人になったら、感動の連続だった。

他にもいくつも感動をしているのだが、特に感動していることがある。


親に対して感動した。

ウチの親は子供4人を成人まで育てあげた。

子供1人を成人させるのに必要な費用は、およそ2000万。


ウチの親は8000万もの大金を注ぎ込んで、僕ら子供に投資した。

8000万あれば、人生のやりたいことはかなり実現できる。

電子レンジ、エアコン、車なんて何十個でも買える。


それなのに、僕ら子供のために稼いだ有り金を全て注ぎ込んでくれた。


ウチの父と母は、人生でやりたいことができたのかな?

いつも僕ら子供のために働いていた。

自分の趣味とかあったのかな?

自分の時間なんてあったのかな?


父は休みの日にボロボロのグローブでキャッチボールをしてくれた。

僕にとってそれは幸せだった。


母は毎日のように甘い卵焼きと炊きたてのご飯を用意してくれた。

僕にとってそれは幸せだった。


兄貴二人は自転車でどこまでも遊びに連れて行ってくれた。

僕にとってそれは幸せだった。


妹は僕のくだらない話にいつも付き合ってくれた。

僕にとってそれは幸せだった。


子供の頃、周りから見たら貧乏だったかもしれない。

不幸そうに見えたかもしれない。

だけど、間違いなくいまの僕は幸せだし、子供の頃も幸せだったに違いない。


僕たち家族は、最強の家族だ。

幸せはなるものじゃなくて、気づくものだと教えてくれた家族だった。


貧乏。だからなんだ?

お金がない。だからなんだ?


そんなこと、僕らの家族の前では何の意味もなさないよ。

世間という杓子定規に僕らを当てはめないでほしい。


子供の頃に貧乏を経験して大人になったら、毎日が幸せの連続だったことに気づいた。


そして、明日は母の日だ。

まずは、自分を産んでくれた母に、渾身の「ありがとう」を伝えようと思う。


母に面と向かっていきなり「ありがとう」は正直かなり恥ずかしい。

だからまず、練習としてあなたに伝えたい。


最後まで読んでくれて「ありがとう」。

***

サラリーマンのキャリアを応援するwebメディアも更新中!


記事を読んでよかったら、サポート頂けると励みになります! 応援のほど、よろしくお願いしますー!