【小説】ロックバンドが止まらない(57)
神原たちが「FIGHT TERROR RHYMES」を発売してから三週間が経った。
現時点での売り上げは四〇枚で、前作よりは売れているものの、それでもまだノルマである五〇枚には達していない。プロモーションも前作よりも積極的に打っているのに、それでもまだノルマを超えられていないことが神原には歯がゆい。このままでは契約が終了してしまう。そう思うとにわかに焦り出す。
でも、だからといって今の神原たちにできることは、それほど多くない。一番すべきことは、貸しスタジオに入ってのバンド練習だ。
神原たちは翌週、ライブイベントへの出演を控えている。発売から一ヶ月という期間の中で、最初で最後のライブであり、CDを直接販売できる唯一の機会だ。だから、この先もECNレコードとの契約を続けるために、優れたライブを披露して一人でも多くの観客に、CDでも聴きたいと思ってもらわなければならない。
神原たちの練習にも熱が入る。お互いの演奏について少しヒートアップする場面もあったが、大事には至らず、むしろ神原は自分たちが同じ必死さを共有できていると好意的に捉えていた。
ライブ当日は、高く昇った太陽が照りつけるとても暑い日だった。いくら九月になったとはいえ、そうすぐに涼しくなるわけはなく、神原たちは最寄り駅からライブハウスに向かうまでにもじっとりと汗をかいてしまう。
今日の会場は神原たちが何度もライブをしているCLUB ANSWERで、一番やりやすい会場でライブができることは、神原たちを前向きにする。順番も四組中三組目と悪くない。
フロアに入って黒島に挨拶をすると、神原は改めて身が引き締まる心地がした。
前のバンドが終わるのを待って、リハーサルに臨む。楽器をセッティングすると、神原たちは音量のチェックがてら軽く演奏を始めた。
新譜の中でもリード曲と言える曲はテンポも速めで曲調も明るく、作ったときからライブでの盛り上がりが神原には想像できるような曲だった。
しかし、神原は自分たちの演奏に、どこか力が入りすぎていると感じていた。今日は確かに大事なライブだ。今日の出来次第で、これから契約を続けられるかが決まってしまう。
でも、神原は自分も含めて全員が意気込みすぎているように思えた。もちろん意気込むのは大事だが、それも程度の問題だ。本番では意気込みと緊張のあまり演奏が固くなってしまわないか。神原は気が気でなかった。
リハーサルを終えて楽屋に戻ると、神原はひとまず外に出る前に三人に話しかけていた。リハーサルをしていて思ったことを口にする。力みすぎていないかという指摘は、三人も感じていたようで誰からも反論は出なかった。もっと肩の力を抜いて楽しもうと、神原は声をかける。
でも、それが簡単にできたら苦労はしない。そう意識することでかえって力が入ってしまう可能性すらある。何しろ今日は今まででも一番の大一番、正念場なのだ。
だけれど、そうだとしても神原は声をかけずにはいられなかった。力みすぎてせっかくのチャンスをふいにしてしまったら元も子もない。
三人も頷いている。きっと本番は大丈夫だろう。今の神原にできることは、そう信じることしかなかった。
それから四人は再集合時間まで思い思いの時間を過ごし、開場時間になる前には楽屋に戻っていた。楽屋にいる他のバンドメンバーは一組だけが神原たちと一度共演したことがあるけれど、後は神原にとってはまったく知らない人たちだった。
それでも園田や久倉は、あまり面識がない人とも気兼ねなく話していた。それはリラックスしているというよりも、緊張を紛らわそうとしているように神原には見えていたけれど、力みすぎてろくに話せないよりはいいとも思う。神原だって、話しかけられれば自然に答えられる。
一人で集中力を高めている様子の与木も含めて、神原たちは開演までの時間を悪くない状態で過ごせていた。
開演時間通りにフロアに流れていた客入れのBGMは止み、一組目のバンドの登場SEと思しき曲が流れる。
一組目のバンドが披露していた曲はハードロック寄りだったけれど、それでもポップさも併せ持っていて、とっつきにくい印象は神原にはなかった。フロアも少しずつ盛り上がり始めていることを、楽屋にいながら感じる。トップバッターの役割を、十分果たしてくれているように思えた。
一組目に続いて、二組目のバンドの演奏も終わる。二組目のバンドの曲は一組目もポップさを増していて、観客にも問題なく受け入れられたらしい。フロアに漂う確かな熱を、神原は舞台袖にいても感じる。
いい形でバトンを繋げてくれたことは神原たちにとって、ありがたいの言葉に尽きる。もちろんいいライブをすることが先決だが、神原もいい形で最後のバンドにバトンを渡さなければと自然と思えていた。
転換作業が終わり、フロアの照明は三度落とされる。流れる自分たちの登場SEに、白いライトで照らされたステージ。
四人は神原を先頭にステージに登場する。歓声はやはり上がらなかったものの、ざっと見たフロアに神原たちを拒絶している雰囲気はない。五〇人ほどの観客の中には、神原たちが今まで一度見たことがある顔も混ざっていて、自分たちのライブも目当てに来てくれたのだろうと思うと、神原には心強い。
楽器を構えて、神原は右手を挙げて登場SEを止める。そして、息を呑むような一瞬の静寂の後、久倉が発するカウントに合わせて、神原たちは演奏を始めた。
跳ねるようなシャッフルビートがフロアに響き渡る。この日の神原たちの一曲目は発売されたばかりの「FIGHT TERROR RHYMES」の一曲目を飾る曲だった。
CDを聴いてきた人も何人かいたのだろう。フロアにはかすかに「来た!」というような雰囲気が生まれていて、それは神原の心をも弾ませた。自分たちの音楽がほんの少しずつでも着実に広まっているという実感に、感じていたプレッシャーの一部分が勢いに変わっていくようだ。
ギターを弾く手は軽やかに、口から出る歌は伸びやかに。ほんの些細な変化が、CDを売れるようなライブをしなければという呪縛から、神原を解き放っていく。
与木たちもやりやすさを感じているのだろう。練習のときよりも、演奏に前向きなエネルギーが増している。何度も練習したからテンポもばっちり合って、神原はいい感触を得る。
それは観客にも伝わり、一曲目から何人かの観客がリズムに乗って身体を揺らしてくれていた。その数は半分にも達していなかったが、それでもいくつもの盛り上がらなかったライブを経験している神原からすれば、上出来に思える。
そこには前の二組のバンドがいい雰囲気を作ってくれたことも間違いなくあって、演奏しながら神原は感謝の念を抱かずにはいられなかった。
「FIGHT TERROR RHYMES」に収録されている二曲目も、「日暮れのイミテーション」に収録されている三曲目も、神原たちは冴えた演奏ができていた。どちらの曲も観客の反応はすこぶる良く、早くも手を挙げてくれる人さえいて、神原たちに大きな力を与える。
フロアの盛り上がりは上々で、それはまるで今までの盛り上がらなかったライブの反動のようだった。
きっと自分たちの演奏の調子がいいことの証だろう。与木たちの演奏もミスはないのはもちろん、一音一音が粒だって神原には聴こえる。乗せられるように自分の歌やギターにも熱が増していっていて、ここまでの演奏は神原にとっては満足ができるとすら言っていい出来だ。
もちろん油断は禁物だが、この調子で最後まで駆け抜けられれば、今までの自分たちの中でも指折りのいいライブになる。神原はそんな予感を抱いていた。
短いライブMCを挟んで、神原たちのライブは後半戦に突入する。
四曲目は、「FIGHT TERROR RHYMES」に収録されている「波になりたい」だった。神原たちにとっては再レコーディングをしてまで、いい曲を作ることにこだわり続けた、とりわけ思い入れの強い曲である。
そして、時間をかけて最終的に行き着いた跳ねるような演奏は、観客にも大いに受け入れられていた。リズムに合わせて身体を揺らしてくれる人も増えてきていたし、口の動きから歌詞を口ずさんでいる人さえ見受けられる。CDを何度も聴いてきてくれたのだろう。
その光景を見ただけで、神原の胸には感慨がじわりと押し寄せてくる。自分たちがあれだけ繰り返した試行錯誤は間違いではなかった。なかなか演奏が決まらなくて苦しかった時間にも意味があったのだと、神原には感じられていた。
同じく「FIGHT TERROR RHYMES」に収録されている五曲目を経て、神原たちが最後に演奏したのは「FIRST FRIEND」だった。
最初に作ったこのオリジナル曲を、神原たちはほとんどのライブで演奏してきている。だから、既に神原たちのライブを見たことがある観客には、何の支障もなく乗れる曲だ。
実際、サビになると手を突き上げてくれる観客も何人かいる。その観客たちの熱が伝播しているのか、フロアはもはや全員が自分たちの曲を楽しんでいるように神原には見えた。誰も退屈そうにはしておらず、神原たちは演奏しながら今までにないほどの手ごたえを得る。
演奏もより盛り上がって、ライブハウスには前向きな循環、相互作用が生まれていた。
気がつけばCDを売るためにいいライブをしなければという思いは、神原からは吹き飛んでいた。
ただ、今行っているライブが楽しい。そういった気持ちしか、今の神原にはなかった。
(続く)
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