スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(29)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(28)
「おっ、今日ジャンプ出てんじゃん。明後日、祝日でもないのに珍しっ」
「なんか印刷所が休みみたいだから、今日出てるらしいぜ。2ちゃんにそう書いてあった」
「なぁ、HUNTER×HUNTER載ってる?」
「いんや、今週も載ってない。つーか、先々週から休載に入ったばっかだろ。そんな早く載るわけねぇって」
「そりゃそっか」
駅から少し離れたコンビニエンスストアは、いつ来ても店員が少ない。レジから三人の姿は見えていないので、有賀たちは、思う存分立ち読みをすることができた。
卸されてから半日経った週刊少年ジャンプは、背表紙が手に取った者の汗で皴が寄っている。三人とも買う気にはなれなかった。
「なんかさ最近面白い連載なくね? 頑張ってるのはベテランばっかじゃん」
有賀がそう言うと、小松がジャンプを突き出してきた。
全作品に目を通す小松には、有賀の発言が看過できなかったのだろう。
「あのな、最近だって面白い連載はあるんだぞ。『僕のヒーローアカデミア』とか『ワールドトリガー』とか。俺はどっちもアニメ化まで行くと思ってる。今のうちに読んどけば、話題になったとき通ぶれるかもしんねぇぞ」
言われたまま、目の前に出されたジャンプを有賀は受け取ってみる。目次から小松が挙げた漫画を探し出して、ページを開く。知らないキャラクターが、知らない敵を倒していた。
「バスケ終わっちゃったな」
ジャンプに目を落としたまま、生田が発した。
「『SLAM DUNK』や『黒子のバスケ』みたいにはいきませんでしたな」
「まあ俺たちには、才能も必殺技もねぇからな。現実はこんなもんだよ」
「そうだな。市中大会最下位。ピラミッドの底の辺が、俺たちの居場所ですよ」
「つーかさ、俺らが下でピラミッドを支えてなければ、上にいる奴らもいないわけじゃん。むしろ感謝してほしいくらいだよな」
「言えてる。成績だって、俺たち下位がいなけりゃ上位もいないわけだしな」
「お前はもうちょっとがんばれよ。この前の中間テストも追試だったんだろ?」
有賀が注意すると、小松はバツが悪そうに笑った。笑っている場合ではないと思う有賀も、呆れている生田も平均点には達していないが。
「これから受験かー。すげぇ嫌だな」
「俺思うんだけどさ、学校のテストじゃ、勉強ができるかできないかぐらいしか分かんねぇだろ。だからもっと人間性を見るために、面接をどんどんしていったらいいんじゃねぇかなって」
「それ、単にお前が勉強したくないだけだろ」
気づけば生田もジャンプを棚に戻している。三人は肩をつつき合い、外からでも分かるようにふざけてみせた。
「勉強めんどいわ。俺、一日何時間も机に座ってる自信ねぇよ」
「でもさ、いざとなったらさ、俺たちでも入れる大学行けばいいじゃん。加東大なんて、名前を書けば入れるって噂だぜ」
「それは最終手段な。就職のためにはもっといい大学行っといたほうがいいだろ」
「となると、やっぱ勉強するしかねぇのかー。あぁしんどい」
「でもさ、バスケのしんどさに比べたらマシじゃね?」
店内に流れるラジオを遮るように、有賀が呟くと、二人は大げさにも思えるくらい同調した。
外は暗くなりはじめ、室内の明かりがシルバーの車を照らしている。
「マジしんどかったよな。夏はまだしも、冬は延々と走らされて」
「一〇〇メートルを三〇本、二〇メートルを五〇本だろ。それも毎日。アイツここ、イカレてんだよ」
「で、結果に結びつくわけでもねぇし。『他の学校はもっと練習してるんだぞ』って言われても、『それが何?』って感じだよな」
「結局アイツはさ、俺たちがヘトヘトになってるのを見て満足したいだけなんだよ。こんなに指導してるって、自分を納得させたいだけなんだよ」
「Sだな」
「つーか、鬼畜だよ。鬼畜。とんだド畜生だよ」
三人は大きく口を開けて笑った。駅から距離がある分、長居をしてもいいと間違った認識をしていた。
だから、入店のチャイムが鳴ったことにも、誰一人として気づかなかった。
生田が入り口を見て、一瞬で表情を曇らせる。有賀と小松が振り向くと、そこには植田が立っていた。
いや、立ちつくしていた。
着替えていないジャージ姿はヨレヨレで、眼鏡の奥の目は絶望を映している。
「お前が謝れよ」「いや、お前が謝れよ」と、三人が責任のなすりつけ合いをしていると、植田がゆっくりと近づいてくる。
思わず棚の方に避ける三人。植田は何も言うことなく、前を向いたまま三人の横を通り過ぎていった。
有賀には、植田の横顔が仮面をかぶっているようだと感じられた。肌に根を張って、離れない仮面。被せたのは他でもない有賀たちだ。
すぐに棚に隠れて植田の姿は見えなくなる。その代わり、冷蔵庫の扉が開けられたのが見えた。ミネラルウォーターを買ったわけではないなと、有賀は考えた。
植田がコンビニエンスストアを出るまで、三人は誰も声をかけることはせず、ただ後ろ姿を見送ることしかできなかった。
***
有賀が話を終えると、四人の周りには鉛色をした空気が垂れこめた。
目の前にいる人間の想像以上の身勝手さに、晴明は肌が粟立つのを感じた。
だけれど、話を聞く限りでは、有賀たちにすべての原因があるとも言い切れない。植田の罵倒にも似た指導が、反発心を生んだことは否定できない。
「ひっどいですね」
口を開いたのは桜子だった。吐き捨てる声は俯く有賀に向けられていて、容赦がない。
桜子は生徒を罵倒しない今の植田しか知らないのだから、その態度は当然とさえ言える。
隣では五十鈴がじっと有賀を見つめている。
「ていうか、最低です。指導の仕方に問題はあったのかもしれませんけど、有賀さんたちのために練習メニューを組んで、土日も欠かさず引率したウエケン先生を裏切るような態度をとるなんて。ウエケン先生がいなかったら、有賀さんたちは、何一つできてなかったんじゃないですか?」
蘇我駅で受けたストレスもあったのか、桜子の声は鋭く尖る。
床に目を落として、顔を上げられない有賀をいい気味だとは、晴明には思えなかった。
「それに……」と桜子は追及を止めようとはしない。
だが、五十鈴が肩に手を置いて、桜子を制する。黙って首を横に振っていて、教師には教師の苦労があるのだと、晴明は察した。
「……返す言葉もありません」
俯いたまま有賀が口を開く。駅や道中での快活さは一つもなかった。
丁寧語も使うことができたのかと、晴明は筋違いな驚きを抱く。
「俺、大学に行ってバンドサークルに入ったんですけど、そこの顧問がかなりの放任主義で。ライブハウスとの打ち合わせから、スポンサー集め。機材の購入まで、全部自分たちでやらなきゃいけなかったんです。それが本当に大変で。植田先生がいかに俺たちのために骨を折ってくれたか、身に染みて分かりました」
歯切れの悪い植田の言葉にも、三人は口を挟むことはなかった。
成と筒井は打ち合わせなのか、先ほど部屋を出ていってしまった。
室内にスタジアムのざわめきが流れ込む。まるで有賀を責めるブーイングのように。
「思えば、あのときの俺はクソガキだったんだと思います。今も中身はあまり成長していませんけど、それでもあのときの植田先生の年齢に近づくにつれて、ままならないことも増えて、少しずつ植田先生の気持ちが分かるようになったと勝手に思ってます。できるなら、陰口を叩いてばかりだった自分に、もっと話し合う機会を作って、お互いのことを理解すべきだと、言ってやりたいくらいです」
「まあ、それももう叶いませんけどね」。自嘲気味にこぼされた有賀の呟きに、晴明は彼が必死に隠してきた影のようなものを垣間見る。
踏みつけても離れていく影。捕まえることは誰にもできない。
そこから四人は何も言えずに、黙りこくってしまう。
成と筒井が帰ってきても、空気は少しも和らぐことはない。目をぱちくりさせる成の横で、筒井が「あと五分後にピッチへの登場です。そろそろ支度しましょう」と表情を変えずに言う。
晴明たちはそれを合図に席を立った。
手伝えることが一つもない有賀は座ったままで、晴明にはその姿が、どこか病気にかかって枯れていく老木のように見えた。
次の日も活動日だったため、自然と月曜日は、部活は休みとなった。
だが、晴明と桜子はまっすぐ家に帰らなかった。
ホームルームが終わると、すぐに晴明は教室を出て、西校舎へと向かう。二日間の筋肉痛をこさえた体を、帰る人波に逆行するように動かす。
桜子に追いつかれないように、早足を心掛けた。
西校舎の一階は、まるまる半分が職員室となっている。晴明は入り口の前、邪魔にならない位置に立ち、やってくる人物を待った。
職員室前は、放課後になってすぐの時間でもがらんとしていて、照明が塩化ビニールの床に淡く広がっている。桜子が色々と話しかけてきたけれど、晴明はその全てに、判を押したような返事で答えた。
二人が廊下の先、曲がり角を見つめていると、五分ほど経ってから、植田が現れた。植田は二人に気づくと、一瞬立ち止まったが、すぐに何事もなかったかのように歩き出す。
近づきながらかけられる「おお、どうした」という声は、何の衒いもないものだった。
「珍しいな。似鳥と文月が職員室に来るなんて。誰か話したい先生でもいるのか」
当然、晴明は首を横に振る。もしそうだとしたら、桜子は躊躇なく職員室の扉を開けるに決まっている。
植田も分かっているのか、その言葉は一応聞いてみた以上の意味を持たなかった。
「今日は植田先生に用があって来たんです」
立ち止まっている三人の様子は壁にさえぎられて、外からは見えていない。
だけれど、はびこるようなざわめきと、笑っていない植田の目に、晴明は少し身震いがした。桜子が口を挟んでこないことだけが救いである。
「そうか。ここで話すのもなんだから、とりあえず職員室に入ろうか」
ドアの向こう、異世界みたいな職員室に二人は、二か月ぶりに足を踏み入れた。相変わらず、綺麗な机と汚い机との差が激しく、窓際に飾られた観葉植物がつつましく葉をつけている。
「で、どうしたんだ。今日は。さっきの数学で分からないところでもあったのか?」
晴明は黙って、自分に嘘をつく。本当は、最後の問題が理解できていない。
だけれど、今はそれよりも優先すべきことがある。
「じゃあ、クラスでの過ごし方についてか? 大丈夫だよ。みんなお前を嫌ってるわけじゃないから」
入学して三ヶ月が過ぎようとしているこの時期に、いきなり態度を変えるのはおかしいだろう。
晴明は再び首を横に振った。後ろに立つ桜子の気配が、なんだか物々しい。
「じゃあ、部活についてか」
小さく頷く。ある意味では正解だし、ある意味では不正解。
植田は頷くことはせず、ただ晴明のジェスチャーを受け止めるのみだ。
「別に先輩たちは、みんな良い奴だし、誰もお前にきつく当たってないだろ? もしかして練習がキツいとかか?」
確かに練習は大変だが、それでも耐えきれないほどではない。植田の心配は、晴明の耳をすり抜けていく。
黙っている自分が不誠実に感じられて、晴明は意を決して口を開いた。
「あの、植田先生。有賀彩っていう人、ご存知ですよね?」
瞬きにも満たない短い間だったが、それでも晴明は植田の目が険しくなったのを見逃さなかった。刺すような視線。
だが、学生を睨みつけてはいけないと思ったのか、すぐに目元は元に戻り、何の色も見せなくなった。
しかし、口元には小さい皴が寄っている。
「ちょっと、話す場所を変えようか」
その返答を、晴明はYESと受け取った。
二ヶ月ぶりに通された生徒指導室は、だるまの位置からカーテンの柄、棚の本まで何一つ変わっていなかった。テーブルを挟んで二席ずつある椅子に、三人は座った。澱みがちな空気は、桜子の仕草さえ小さくさせる。
堅い椅子の心地に、ここは何度来ても慣れないだろうなと晴明は感じた。
「似鳥、お前はどこまで知ってるんだ?」
先手を打ったのは植田だった。晴明から芯を食う質問をされる前に、認めてダメージを軽減させようとしている。
心理戦に持ち込まれれば、不利な状況に置かれるだけなので、晴明は単刀直入に聞いた。
「大体のところは、本人から聞きました。長時間、バスケ部の指導をしていたこと。なのに、市中大会で負けたこと。貶すような指導に部員は反感を抱いていて、負けたときもあまり悔しくなかったと、有賀さんは言ってました」
自分でも引くほどスラスラと言葉が出てきた。大人をここまで意地悪く詰められるのかと、晴明は生まれ持った酷薄さに気がつく。
植田は膝の上に手を置いたまま、弁解さえしようとしない。
膠着状態に最初に音を上げたのは、桜子だった。
「でも、そんな訳ないですよね。ウエケン先生優しいですし。きっとその有賀っていう人が、一方的にウエケン先生を恨んでるだけなんですよ。そうですよね?」
その言動は桜子からしてみれば、至極当然のことだろう。本当は晴明だってそう思いたいのだ。あんな迷惑を絵にかいたような人間のいうことなど、信じるに値しない。
二人は有賀の嘘を決定づける言葉が、植田から出てくるのを待った。
だけれど、発せられたのは小さいため息だった。
「有賀なぁ。アイツには大分迷惑をかけたなぁ」
十字架の前に立ったような口ぶりで、植田は二人の願望を砕いた。
「有賀だけじゃなくて、あのときのバスケ部員には、全員嫌な思いをさせたなぁ。無理な練習メニューを組んで、精神論で押し切って。試合では赤ん坊に言うみたいにああしろこうしろ。俺の言う通りにすれば勝てるなんて思い上がってた。でも、結果は惨敗だ」
植田の懺悔をあざ笑うかのように、ドアの向こうからの喧騒は鳴りやまない。
うなだれ始めた目の前の相手に、優しい言葉をかけたかったが、晴明には何も思いつかなかった。
「植田先生は、そのときのことを後悔してるんですか?」
「ああ、すごく後悔してるよ。絶対もっと良い指導法があったのに、本当に未熟すぎた。言いなりになるしかない部活が楽しいわけない。あいつらのかけがえのない高校時代を汚してしまって、本当に申し訳ないと思ってる」
言葉が再び途切れて、生徒指導室に息苦しい静寂が降りる。桜子もこの状況を受け入れてしまったようで、壁にかけられた時計の音だけが、唯一室内で鳴っている音だった。
そのまま誰も口を開かないまま、どれだけの時間が経っただろうか。植田が腕時計を見てから口にする。
「すまん。生徒指導室の使用は一回当たり三〇分までって決まってるんだ。もうそろそろ出なきゃいけない。二人とも最後に何か聞いておきたいことはあるか?」
二人は首を横に振った。植田も「そうか」と言ったが最後、肩を落とす。
三人が生徒指導室を出たのは、規定の三〇分を二分オーバーした時間だった。
気づけば外の喧騒は収まっていて、中庭には誰一人としていなかった。
日中から空は厚い雲に覆われていたが、晴明と桜子が校門を出ると、とうとう本格的に雨が降り出した。小雨の時間はなく、いきなり降りしきるような雨だった。
二人はそれぞれの折り畳み傘を持って、駅までの道を歩く。道路に跳ね返る水滴が二人の足元を濡らす。
「植田先生さ、悲しそうな顔してたよな」
「うん、してた。昔のことなんだから、そんなに気にする必要ないのにね」
「自分を責めてる感じあったよな」
「うん、あった。誰にでも失敗はあるのに、今でも引きずってたよね」
二人の声は、雨にかき消されそうなほど小さい。電灯は、もう明かりをつけていて、雨の粒を照らしている。
晴明は視線を前に保ったまま、呟いた。
「なんとかしてあげたいよな」
傘の上から桜子の声が、雨に乗せて降ってくる。かすかに困惑を含んでいた。
「なんとかって?」
「植田先生と有賀さんを引き合わせて、二人が納得するまで話させる」
二人の目の前で信号は赤に変わった。立ち止まると、濡れた靴下と袖口が寒気を伝えてくる。
「それってさ、私たちがしなきゃいけないこと?」
傘に隠れて晴明には桜子の顔が見えない。それでも、少し傘を傾けてみると、雨に濡れる代わりに、桜子の表情が分かった。辟易している顔だった。
「そりゃあ、ウエケン先生のことは可哀想だなとは思うよ。でもさ、私たちが有賀さんのために動く理由なんて一つもないじゃん。会うことで余計話がこじれる場合もあるし、そのままにしといた方がいいんだよ、きっと」
「そっか。俺はサクがもっと人情で動く人間だと思ってたんだけどなぁ」
「ハル、私そんな簡単な人間じゃないよ。有賀さんってあまりいい人じゃないじゃん。そんな人のために労力を使いたいとは、私はあまり思えない」
「でも、悪い人でもないと思うぜ」
どうして有賀の肩を持っているのか、晴明は自分でも分からなかった。もしかしたら、一昨日のぞかせた影のせいなのかもしれない。
思索を邪魔するように、雨は降り続いている。頭上で鳴る音に、晴明は隠していた本音を混ぜた。
「会って話せるときに、話しておいた方がいいんだって。絶対に」
晴明の絞り出すような言葉に、桜子は沈黙してしまう。
信号が青に変わって二人は歩き出した。桜子は歩幅を合わせてはくれず、晴明よりも早く横断歩道を渡り切る。
歩くのが早くなることは、桜子が考え事をしているときの癖だ。
晴明は走って横に並ぶ。桜子が立ち止まってしゃがむと、一五分ぶりに二人の視線が合った。
「分かったよ。ハルがそうしたいんなら、私もそうする。その代わり、有賀さんを連れてくるのはハルがやってね。私はウエケン先生に頼んでみるから」
桜子の目はまだ納得していない様子だったが、一度した約束を破るような人間でないことは、これまで付き合いで証明済みだ。
一つ前進したことに、晴明の心は落ち着きを取り戻す。
頷いて、再び歩き出す二人。段取りを考えるのは、お互いの家に着いてからにした。
続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?