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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(28)



前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(27)



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 体育館では、バスケットシューズが擦れて、小気味の良い音を立てている。部員たちは息を切らしながら、他校との練習試合に取り組んでいた。

 もうすっかり外は暗くなって、七時の終業時間が近い。

 有賀が所属しているAチームは、これで今日五試合目だ。すでに疲労困憊で、立っているだけで、若干ふらついてすらいる。

 きっと家に帰ったら、すぐ寝てしまうだろうと、有賀は考えていた。集中力はもう欠片もなかった。

「生田! ヘイ、パス!」

 途切れ途切れの息で、最後の力を振り絞って、有賀はパスを受ける。そして、そのままスリーポイントラインの外側からシュートを放った。

 試合終了を告げるブザーが鳴る。

 有賀の放ったシュートは綺麗な弧を描いて、リングをかすめることもなく、床にボトリと落ちた。美浜第一は六六対六七で負けた。

「有賀ー! 中で小松が空いてたろー! どうしてパスしなかったー!」

 整列している間にも、顧問である植田の指示が飛んでくる。疲れている有賀の耳には、まともに入ってこなかったが。

 相手校のベンチにも挨拶を終え、試合を終えた部員がベンチに引き上げていく。有賀たちを待っていたのは、拍手ではなく、植田による「たられば」のオンパレードだった。

 植田は学生時代、バスケットボールで全国大会まで行ったことがあるらしいが、経験者の目線でなされる指導は、有賀たちの意気を少しずつ削いでいく。

 確かに、自分たちの欠点を指摘してくれるのはありがたいが、もっとできたところを褒めてほしいと有賀は、思ってしまう。半端な学生のわがままだろうか。

 有賀たち一八人の部員はクールダウンを済ませ、ユニフォームから運動着に着替えて、再び植田のもとに集まった。

「今日の成績はAチームが五試合やって一勝四敗。Bチームは三試合やって一試合も勝てなかった。お前らこの結果どう思う?」

 相手の鴻ノ木は、県でも上位レベルの強豪だからしょうがないだろう。およそ全員がそう思っているのが有賀には手に取るように分かった。誰もが目線を下げていたとしても。

「俺は悔しいよ。いくら相手は強いとはいえ、同じ高校生だからな。正直、俺はお前たちはもっとできると思ってるから」

 だとしたら、試合中にあんなに叱咤しないでほしい。自分が受けた指導を、俺たちに押し付けないでほしい。

 有賀はそう思ったが、植田の潤むような目を見ていると、反論は封じ込められる。

 学生のことを思っているというポーズが、卑怯にすら感じられた。

「こんなこと言いたくないけど、このままじゃ市中大会も勝ち進めるかどうか、かなりギリギリだと思う」

 植田は言葉を濁していたが、自分たちの実力ぐらい、言われなくても全員が分かっていた。よほどうまくいかない限りは、県大会に進めないであろうことも。

「だから、来週はもっと練習の負荷を上げたいと思う。時間には限りがあるから、一秒たりとも集中を切らさずに、ちゃんと考えながら行うこと」

 「はい!」という大きな返事が一斉に部員の口から出たものの、心から納得している部員は一人もいないだろうと有賀は感じていた。

 部の練習メニューは全て植田が決めていて、そこに部員の自主性はない。言われたことを淡々とこなす。単純作業にも似た練習を部員はこなしていた。

 有賀は植田が、学生が精一杯練習に取り組む姿を見て、満足したいだけなのではないかと睨んでいる。

 だけれど、職員室の植田の机には何冊もコーチングの本が置かれていることを知っているから、意地悪く指摘することもしにくい。

「明日はオフだからしっかり体を休めろよ。火曜日からはビシバシやっていくから、そのつもりでな。じゃあ、今日は解散。気をつけて帰れよ」

 部長である生田が音頭を取って、「ありがとうございました」という挨拶が一斉に発せられる。

 植田が満足そうに頷いたことを見届けると、エナメルバッグを持った部員は散り散りになっていく。

 有賀は生田や小松とともに、自転車に乗って国道を変える。五月の夜風が、一年で吹く風の中で有賀は一番好きだった。





 家に帰ると有賀はエナメルバッグを床に放り投げて、すぐソファに横になった。汗の臭いが、運動着からふかふかの生地に移っていく。

 母親の「早くシャワー浴びちゃいなさい」という言葉には生返事。ぼんやり見たテレビはトークバラエティを流している。有名人の私服に、有賀はそこまで興味を抱けなかった。

「あー腹減ったー。母ちゃん、今日の飯何ー?」

「生姜焼き。今温めてるところだから、もうちょっと待ってて」

 有賀は重たい腰を上げ、すたすたと台所に向かって、椅子に座った。味噌汁をかき混ぜる母親の後ろ姿は、何も語りかけてこない。

 椅子は二つしか用意されておらず、それは何も有賀家が母子家庭というわけではなく、父親がフランチャイズの居酒屋で店長をしているので、この時間帯には帰ってこられないという、ただそれだけのことを意味していた。

 電子レンジが音を立て、有賀は中から生姜焼きを取り出す。ラップをはがすと、むわっとした湯気と生姜の香りが一気に昇ってきた。

「で、どうだった? 今日のバスケの試合。勝てた?」

 食事が始まるやいなや、何かを食べるよりも先に、母親は聞いてくる。その問いは純粋なだけに、余計有賀の胸を刺した。

 茶碗には白米が山盛りに盛られている。今の有賀の食欲では、食べきれないほどだ。

「勝ったよ。五試合やって一試合だけだったけど」

 口にした生姜焼きは、かすかに酸っぱい味がした。冷蔵庫には粉末のクエン酸が常備されていて、母親がよく隠し味に投入するのを有賀は知っている。

「すごいじゃない。今日の相手って、県でもベスト4に入るくらい強いとこなんでしょ」

「別にすごくねぇよ。Aチームは県外に遠征に行っていて、俺たちが当たったのはBチームCチームだったし。それでも一回しか勝ててないんだから、お里が知れるよ」

 自嘲気味に言うと、母親は少しだけ眉をひそめる。味噌汁をすする音がやけに静かだ。

「そんなこと言わないの。まだ市中大会まで二週間もあるんだし、やってみなきゃ分からないでしょ。それに、植田先生だって熱心に見てくれてるじゃない」

 母親は試合を見に来たことはないし、植田にも一回しか会っていない。にもかかわらず、植田の全国大会出場という肩書きに全幅の信頼を置いていた。

 一回でも植田が指導しているところを見たら、印象は変わるのにと有賀は思う。もちろん、悪い方にだ。

「植田先生、毎晩遅くまで練習に付き合ってくれてるんだって。休日も返上して。それってなかなかできることじゃないのよ。もっと感謝しなさい」

 前言撤回。母親の植田に対する態度は、信頼というよりも陶酔と言った方が適切だ。去年、会ったときに何を言われたのかは知らないが、母親は満足げな表情をしていたことを、有賀は今でも寒気とともに思い出す。

 植田の熱心な姿勢が、応援したいという欲求を駆り立てているのだろう。

 「分かってるよ」と身の入らない返事。母親は口を尖らせたままだが、有賀は気にせず食事を進めた。

 向かい合うだけの夕食には、もう何も感じなくなっていた。





 月曜日はあいにくの雨だった。だけれど、室内で過ごす分にはなんら関係がない。

 有賀は生田や小松とともに、駅前のカラオケボックスに来ていた。生田が歌い終わると機械は自動的に採点を始める。

 結果は六七点。ちょっとやそっとではお目にかかれない数字に、有賀と小松は手を叩いて笑った。生田は「やめろよー」と言っていたが、その口ぶりを見るに心底嫌ではないらしかった。

 おちゃらけて笑う生田に、一番バスケが上手くなければ、絶対部長になっていないなと有賀は感じる。

「あー、学校マジだりぃ」

 次の曲は誰も入れていなかった。小松がソファにもたれかかりながら、スマートフォンをいじっている。後で見たらツイッターに生田の六七点を晒していた。

「授業はつまんねぇし、部活はきついし、歌わねぇとやってらんねぇよな。高校生って本来もっと自由なもんだろ。あー、自由なりてー。フリー、フリー、フリーダム」

 制服のままフライドポテトをつまむ小松も有賀の目からすれば十分自由に見えるが、きっと本人は満足していないのだろう。

「じゃあさ、お化けにでもなるか。学校も試験も何にもないらしいじゃん」

「朝は寝床でグーグーグーってか。いいな、それ。俺ももっと寝てたい」

 有賀は小松の目を覗き込む。全く充血しておらず、綺麗な白目がそこにはあった。

「お前さ、普通に深夜三時とかにライン送ってくるけど、いつ寝てんの?」

「だってさ、夜って楽しいじゃん。外は暗いのに、部屋ん中は明るくてさ。自然の摂理に抗ってると思うとゾクゾクしねぇ? 逆に朝はすんごいつまんねぇ。寝ぼけ眼で見る自分の顔ほどブッサイクなもんってねぇじゃん。駅に吸いこまれる人の顔は死人みてぇだし。夜更けとともに寝て、昼過ぎに起きるっていう生活が、俺的には理想なんだけどなー」

 それは世間一般ではダメ人間と呼ばれるのでは。大学に進学して、小松が親から離れたときのことを思えば少し恐ろしくもなる。

 だが、有賀の中では、共感が疑念を上回った。

「まぁ、分かんなくもねぇけど」

「だろ? 夜ってのは自由な時間なんだよ。何も考えねぇで済む。学校や受験やあとバスケのことも」

 小松の認識を有賀は笑わない。高校三年生にしては甘いと、大人は思うかもしれないが、有賀たちにとっては紛れもない現実だ。

「つーかさ、有賀はさ、大学行ってもバスケ続けたいと思ってる?」

「いや、全然。ストリートでさえやりたくない」

「だよな。あんなに走って筋トレして。でも試合じゃ全く勝てねぇ。全然楽しくねぇよな」

 これも同感だ。小さく頷く。スポーツが楽しいなんて、勝っている奴にしか言えない戯言だと、有賀は一八年の人生で理解していた。

「俺さ、ウエケンが悪ぃと思うんだよな。だって俺らって、全部ウエケンの言う通りに練習も試合もしてるわけじゃん。それで勝てねぇんだからウエケンの指導に問題があんだよ」

 小松の言葉が有賀の考えていることと一致するのは、おそらく部員全員がそう考えているからだろう。やらされる部活なんて楽しくもなんともない。

「分かる。アイツ熱血ぶっててうぜぇよな。そのうち『夢にときめけ、明日にきらめけ』なんて真顔で言いだすんじゃね?」

「確かに、アイツなら言いかねねぇな。情に訴えれば、俺たちがついてくるとでも思ってんだよ。大学で何学んできたんだよって」

 欠席裁判よろしく、いない人間の悪口で盛り上がる。

 自分たちで練習メニューも考えて、自発的に部活に取り組む。それかいっそ部活を辞める。そのどちらもできず、易きに流される。有賀たちは自分たちの未熟さを悪口で隠す、まったくの臆病者だった。

 隣の部屋から、女性がバラードを歌う声が聞こえている。「こういうのって美人じゃなきゃ成立しねぇよな」と言う小松に有賀は笑って同調した。

 二人が悪口で盛り上がっていると、生田が戻ってきた。手に持つグラスには、ドブみたいな色をした液体が満ちていた。

「お前、何だよそれ」

 当然小松が聞くと、生田は悪魔みたいに微笑む。

「ミックスジュース。コーラとメロンソーダとジンジャーエールと野菜ジュースとアイスコーヒーと緑茶を混ぜ合わせて作った。なぁ今からゲームしねぇ? これから全員が一曲ずつ歌って、一番点数が低かった奴がこれ飲むの」

 三分前の出来事を生田はもう忘れてしまったらしい。果敢というか、バカというか。だが、カラオケボックスの薄っぺらい空気が三人の背中を押す。

 有賀は機械をいじって曲を入れた。生田に教えてもらった曲だ。

「おっ、エルレじゃん。英詞あるけど大丈夫かよ」

 生田の言葉を有賀はへらつきながら受け流す。マイクを握って歌い出すと、日常のストレスを忘れられそうな気がした。





 有賀は考える。今自分が何をしているのかを。市中大会最後の試合。第四クォーターは残り三〇秒を切った。それなのに相手からは一五点ほど離されている。逆転はどうあがいても無理だ。

 それはそのまま有賀たち三年の部活の終わりを意味している。おそらく有賀は一生バスケットボールに触れることもないだろう。

 このまま二点か三点を返せたとして、それが何になる。最後まで諦めませんでしたって美談めいた終わり方で、自分たちを慰めるのか。

 有賀の自意識は、それをみっともないことだと決めつけた。ベンチからは植田が「早くパスしろ」と檄を飛ばしている。もちろんその言葉が有賀を動かすことはないし、他の部員も積極的にパスコースを作ろうとはしていない。

 ただ、ボールが弾む音を有賀はまるで他人事みたいに聞いていた。

 だが、相手選手の手が伸びてきて、スティールをされてしまう。有賀の後ろには今、誰もいない。

 その気になれば、一気にシュートを決められるはずだ。だが、相手はそうはしなかった。ゆっくりとドリブルで進んでいき、条件反射で懸命に戻る有賀を嘲笑う。

 そして、二四秒という時間をゆっくりと使い、最後にとどめを刺すようにブザービーターを決めた。

 有賀たちは市中大会を最下位で終えた。この惨状で県大会出場を目標にしていたのだから、全くのお笑い草である。

 試合の後には整列が待っている。漫画の主人公みたいに、悔しくて涙が込み上げてくる、なんてことは少しもなかった。有賀は疲れてはいたが、実に平然とした足取りで列に並び、礼を済ませた。

 勝った相手も同じく市中大会で敗退だ。握手をする部員たちは滂沱の涙を流していて、たかだか高校の部活ごときに、よくそんなに入り込めるなと、有賀は冷たく考えた。

 ベンチに戻ると、後輩たちから労いの言葉が飛んでくる。しかしそれば、他に当てはまる言葉がないから言っているに過ぎない。

 正直、後輩たちもあまりバスケットボールが上手くない。最底辺の自分たちからレギュラーを奪えないレベルなのだ。よほどの変化がない限り、彼らも市中大会で敗退するだろう。

 当然すぎて残酷ですらない未来を目の当たりにした後輩たちの声は、とても弱々しいものだった。

 そんな中、一人拳を握り締めて悔しそうにしている植田の姿は、有賀の目にはとても場違いに映った。

 帰り支度を整えてから、体育館の外で美浜第一高校バスケットボール部は集まった。

 これが有賀たち三年生にとっては、最後のミーティングだ。

 体育館を背にした植田が話し出す。六月にしては乾いた風が吹いていた。

「今日はよく頑張ったな。結果は残念だったけれど、お前たちは精一杯やったと思う。必死に部活に打ち込んだ三年間は、これから社会に出て苦しいときにお前たちを支えてくれるから、今日の結果を何ら恥じることはない。胸を張って帰ってくれ」

 今まできつく当たってきたことへの罪滅ぼしか。「頑張った子供たちには、労いの言葉をかけましょう」とコーチングの本に書いてあるのか。

 有賀には、植田の言葉が嘘くさく思えてならなかった。

 こんなキツいわりに、大した喜びもなかった、二年と少しなんて思い出したくもない。

「これは絶対に言えるけれど、お前たちは何も悪くないんだ。お前たちは俺を信じてついてきてくれた。お前たちを勝たせてあげられなかったのは、俺の責任なんだ」

 自責の念を示す植田に、有賀は心の中で便乗した。もっと自分の罪を償えとすら考えていた。

 おそらく全員が感じているだろうが、植田についてきたつもりなど毛頭ない。ただ植田が与えた練習メニューを消化していただけだ。

 もっと実績のあるコーチならと思ってしまうのは、幼さゆえのないものねだりだろうか。

 植田が流す涙も、同情を誘う道具にしか見えない。

「お前たちは本当に、本当によくやってくれた。お前たちは俺の誇りだ。だからこそ、勝たせてあげられなかったことを心から申し訳なく思う。本当にすまなかった」

 謝罪も有賀の胸には届かない。

 どうせ植田は来年も同じことを言うだろうから。あの気色の悪い人型ロボットみたいに、何度も何度も。

「だけれど、二年や一年にはまだ来年があるから、この悔しさをバネに、来年こそは先輩たちが果たせなかった県大会出場という夢を叶えてくれ」

 一、二年は一応「はい」と返事をするものの、その二文字は水素よりも軽い。心の底ではそう思っていないのがまるわかりだ。

 美浜第一は部活動は全員加入制だ。入部した時には少しはいた情熱あるバスケ経験者も、一学期も過ぎるとだらけてしまう。

 今の美浜第一バスケ部は素人の集まり。部にはなあなあなムードが漂い、夢にときめき、明日にきらめく青春なんてどこにもない。

「俺から言えることはこれで終わりだ。あとは、生田。何かあるか?」

 指名された生田は連絡事項を伝えるのみで、勝ちたかっただの、悔しいだのなんて一言も言わなかった。涙をこらえていれば、それでも様になるのだろうが、淡々と話す生田は、テレビドラマならNGを出されるであろう有様だった。

「じゃあ、今日は解散。気をつけて帰れよ」

 涙声の植田に「お前がな」と有賀は言いたくなったが、さすがに声には出さなかった。

 夏至が近づく空はまだまだ驚くほど明るい。

 有賀は足早に自転車へと向かっていった。ふくらはぎに走る痛みは、耐えきれないほどではなかった。



続く


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(29)

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