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【小説】ロックバンドが止まらない(20)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(19)





 出番当日。神原たちは九時には学校に着いていればよかったのだが、それでも神原は居ても立っても居られず、空がほの暗いうちから目を覚ましてしまう。

 両親がまだ寝ている中では、ギターを弾くことは当然できない。そのまま布団に潜って、どうにか二度寝をしようと試みる。

 だけれど、頭はばっちり覚めてしまっていて、神原を眠りには落とさなかった。まだ本番までは何時間もある。だけれど、神原の心身は既に本番モードに入ってしまっていた。

 家にいても気持ちは落ち着かず、神原は一刻も早く学校に行ってしまいたい気分だったが、校門が開くのは午前八時からだから、神原はまだしばらくは家にいるしかない。どうにか好きなCDを聴いたりして時間をやり過ごし、朝食を食べると、神原はすぐにギターを持って家を出た。

 学校に着くのは八時よりも前になるし、学校に行ってもリハーサルの時間までは特にすることもなかったのだが、家でじっとやきもきとした時間を過ごすことも神原にはできなかった。

「楽しみにしてる」と言ってくれた両親に、満足いくような反応ができなかったのはバツが悪かったけれど、それでも親だから、自分の緊張は分かってくれるだろう。そう神原は思いたかった。

 神原が学校に着いたときには時刻はまだ八時を回っておらず、校門は開いていなかった。

 昨日の盛り上がりが嘘のようにしんと静まり返り、それでも垣間見える展示が祭りの予感を漂わせている校舎の前で、神原はじりじりと校門が開く瞬間を待つ。

 あまり面識のない教師が鍵を持ってきて校門を開けると、神原はいの一番に校内へと入った。

 でも、体育館の鍵はまだ開けられていなかったから、また待つ必要が神原にはあって、人の少ない校舎に流れる冷たい朝の空気が、神原の緊張をより掻き立てていた。

 しばらくして鍵が開けられて、神原は体育館の中に入る。三人がやってくるまでの間、神原は確認するようにギターを弾いて、時間を潰した。

 でも、実行委員会の生徒が椅子を並べたり、近くのライブハウスから借りたアンプやドラムセットを準備している中で、手伝わずに一人ギターを弾いているのは、神原には居心地が悪い。早く三人に来てほしいと、思わずにはいられなかった。

 三人は九時頃になって、続けざまにやってきた。三人の顔は完全にリラックスしているとは言い難かったけれど、それでも顔を見られたことに、神原はひとまず安堵する。軽く言葉を交わしたりもする。

 なんてことのないように振る舞おうとしていても、三人も緊張しているのは、言葉の節々から神原にも分かった。ごまかすように話していても、緊張が和らぐことはない。

 吞まれないように気をつけよう。そう神原は思ったけれど、それは緊張から逃げきれていない証拠でもあった。

 実行委員の男子生徒に声をかけられて、四人はリハーサルのため壇上に向かう。

 普段貸しスタジオで使わせてもらっているものとは違うアンプに、ギターを繋ぐ。軽く鳴らしてみると、やはり音は聴き慣れていたものとは少し違って、神原はかすかにためらいを覚えてしまう。

 準備が整うと、実行委員に声をかけられるまま、神原たちは本番で演奏する曲のうち二曲を演奏した。

 演奏自体に不備はなかったものの、それでも神原は初めてのステージ上での演奏に、どこかやりにくさを感じずにはいられない。貸しスタジオとは違う広い体育館で演奏しているからか、音の聴こえ方も全然違って感じられてしまう。

 与木たちも演奏自体にミスはなかったものの、初めて立つステージの感触に内心戸惑っていそうだ。

 だから、神原はリハーサルとはいえ、ステージに立つ機会があってよかったと思う。

 もちろん、本番とリハーサルはまったくの別物だ。今はぽつりぽつりとしか人がいない客席に何十人もの観客が入ったとき、自分たちがどう感じるかは分からない。

 でも、ステージでの演奏を体験できたことは、神原たちにとってはありがたかった。気持ちの問題だけれど、少しは慣れられるように感じる。

 今の神原たちには技術的な問題よりも、その気持ちの問題の方がずっと大きかった。

 一五分間のリハーサルを終えて、神原たちはステージから下がる。

 ステージの上では交代するように、同じように四人組のバンドがリハーサルを進めていたが、それを聴いている余裕は神原たちにはあまりなかった。まだ開場しておらず展示を回ることもできなかったから、神原たちは体育館にいるしかない。

 でも、そのバンドの演奏は耳に入ってはきても、神原たちの脳の深くにまでは届かない。ただ、壁によりかかって時間が過ぎるのを待つしか、神原たちに与えられた選択肢はなかった。

 リハーサルを終えてから、出番の二〇分前に再び集合するまでの時間は、神原たちにとっては手持ち無沙汰の一言に尽きる。

 文化祭が開場する一〇時になるやいなや、神原は気を紛らわせるかのように体育館の外に出た。まだ開場したばかりで、武蔵野第三高校の生徒しかいない校舎の中を神原は歩く。

 でも、昨日多くの展示を見て回ったから、神原にとってはさらに見るべき展示は少なくて、比較的校舎が空いていることもあって、一時間もしないうちにその全てを回り終えてしまう。

 出番の一時間前には、神原は再び暇になってしまった。クラスメイトと話していてもよかったが、何をしていても緊張が膨らんでいきそうで、神原の足はもう一度体育館に向いた。

 何をするでもなく、ダンスグループのリハーサルや慌ただしく動いている実行委員を眺める。神原たちの出番は正午過ぎだったけれど、その前に何か腹に入れておきたい気分でもなかった。

 そして、そばに与木たちはいない。集合時間までは自由時間になっていたし、三人の行動を神原が縛っていい理由もなかった。

 何度もステージと壁にはめ込まれた時計を交互に見ていると、ゆっくりとだが着実に時間は過ぎていき、出番まであと三〇分を切った。

 客席にも少しずつ人が入ってきた中、神原は舞台袖に向かう。そのまま少し待っていると、与木たちもちゃんと集合時間に間に合うように、舞台袖にやってきた。

 相変わらず強張っているか、自然に振る舞おうと努力しているかのような三人の表情に、リハーサルが終わってから何をしていたのか、神原はあえて訊かなかった。

 もともと訊いても意味のないことだったし、それよりも今は十数分後に控えた本番のことを考えていたい。

 舞台袖の外では観客が増えてきたのか、聞こえてくるざわめきが少しずつ大きくなっている。その中で四人は声を潜めるように、少し言葉を交わした。

 でも、意味のない会話は時計の針を前に進める以外の役割を果たさず、神原は心臓の鼓動がより強く波打っていることを感じていた。

 時間を追うにつれて、観客が確実に増えてきているのが舞台袖にいる神原たちにも分かる中、学校にはようやく正午を知らせるチャイムが鳴り渡った。

 神原にとっては待ちわびたものであったのと同時に、とうとうこの瞬間が来てしまったかとも思う。他の三人も輪をかけてソワソワしだし、舞台袖の空気はより切羽詰まったものへと変わっていく。

 チャイムが鳴り終わると、体育館に備え付けられたスピーカーから海外の有名なパンクロックバンドの曲が流れ、神原たちの前にいた二人の男子生徒が、いち早くステージに出ていった。今日のステージの司会を務める、三年生の生徒である。

 二人とも調子の良い性格らしく、冗談を言って場を和ませようとしていたが、その冗談があまりにも身内ネタすぎたため、神原たちには笑い声はおろか、観客が微笑んだ様子さえ感じられない。体育館の雰囲気はまだまだ硬いままで、この中でステージに出ていくのは、何かの罰なのではないかと神原には思えるほどだ。

 自分たちの冗談がウケていないことを、自覚したのだろう。司会の二人はトークを早めに切り上げていた。

「では、まずは二年生の四人組バンド、Chip Chop Camelからです! どうぞー!」

 司会の二人が高らかに神原たちを呼びこんで、素早く舞台袖に戻ってくる。アンプやドラムセットが置かれているだけのステージを見て、神原は覚悟を決めなければならないと改めて思う。

 ライブハウスでのライブだったら、メンバーが登場する際には軽く音楽が流されるのだが、今回の文化祭にはそれがない。あまり時間をかけてもかえって出づらくなるだけなので、神原たちは一つ息を吸って吐くと、思い切りよくステージに登場した。

 神原を先頭にして園田、久倉、与木と続いていく。最初の神原が登場したのを見るやいなや、観客は温かな拍手で神原たちを迎え入れてくれた。

 それでも神原の緊張は、和らぐどころか最高潮に達してしまう。自分たちに向けられた拍手がまるで期待の裏返しみたいで、その期待に応えられるかどうか、不安に感じるなという方が無理な話だ。

 自分たちが人前でのライブの経験がないことを、神原は再度突きつけられていた。

 ギターをアンプに繋いで、エフェクターを準備し、何も抑えずに軽く弾いてみて、音を確認する。

 そんないつも練習前に行っている作業さえ、人の目がある場所でやると、神原にはじわりじわりと追い詰められているようにしか感じられない。

 それでも、神原はどうにか準備を終えて、与木たちを確認した。与木たちも準備を終えていたけれど、まだ面持ちに緊張の色が走っている。

 それでも、四人はお互いの顔を見て頷きあうと、改めて観客席に向き直った。


(続く)


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