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【小説】ロックバンドが止まらない(5)



前回:【小説】ロックバンドが止まらない(4)




 二時間の練習を終えて貸しスタジオを後にすると、新座は大紀とともに帰っていった。敦賀も昼食を食べてから帰るらしく、神原と与木は二人で家路につくことになった。本当はカラオケにでも行って、与木の歓迎会をできればよかったのだが、中学生の懐事情は厳しい。

 二人の家は学校を挟んで反対方向にあったが、途中までは帰り道が同じことが判明して、二人は大通りを駅から離れるようにして歩いた。空にかかった雲はまだ日差しを和らげてくれていて、神原たちは汗をかかずにいられる。

 与木はただ前を向いていて、神原のことを見ていない。だから、会話を切り出すのはやはり自分の役目なのだと、神原は直感した。

「なあ、スタジオではああ言ってたけどさ、本当に俺たちのバンドに入ってくれんのか?」

 練習中ずっと気になっていた疑問を、ふとぶつけてみる。

 与木は小さく頷いていて、それが神原にはどうにかこの場をやり過ごそうとしているように感じられてしまった。

「いや、これは俺の思い過ごしならいいんだけどさ、お前俺たちに押されて仕方なく頷いたんじゃないのかなって。いや、実際俺たちとしても圧かけすぎたなって、思う部分はあるからさ」

 神原は声に申し訳なさを込める。実際、あれだけ言われたら与木でなくても断ることは難しいだろう。もしかしたら自分たちは、与木の意志を二の次にしていたのではないか。

 そう思う神原の横で、与木は表情の薄い顔をしている。その横顔から何らかの思いを感じ取ることは、神原にはできなかった。

「いや、別に」

 与木は首を横に振ることも、神原と目を合わせることもなく、ただ淡々と口にしていた。短い言葉に裏表は感じられなかったけれど、神原は思わず「本当にか?」という返事をしてしまう。

「本当だよ。俺も一度でいいからバンド組んでみたいって思ってたから」

 その言葉は与木が発するには長く、だからこそ嘘ではないことが神原には窺えた。これ以上突っ込んで訊く必要はないだろう。

 神原は与木に向けて微笑んだ。与木の視界に自分が入っていることを願って。

「そっか。じゃあ、改めてよろしくな」

 与木ははっきりと頷く。声には出していなかったが、その口元がかすかに緩んだように神原には見えた。

 その日は朝から、雲一つない青空が広がっていた。日差しも燦々と降り注いでいる。それでも、神原はTシャツの上に薄手のカーディガンを羽織っていた。貸しスタジオに入れば、暑いからTシャツ姿になるものの、それでも吹く風も涼しくなってきたこの頃は、Tシャツだけで出歩くのは現実的ではない。

 与木が神原たちのバンドを見学してから、既に一ヶ月近くの月日が経っていた。

 神原と与木は前回同様、駅の南口で落ち合う。一回行っただけでは、貸しスタジオに時間通り着けるかは心許ないと、与木が言ってきたためだ。

 神原を見つけるやいなや、与木は荒涼とした砂漠でオアシスを見つけたような表情をしていて、神原は奮い立つ。背負われたギターは、もう顔見せで弾くためのものではなかった。

 神原たちが歩く間、会話はさほど弾まなかった。神原にとっては「練習してきた?」以外訊きたいことはなかったし、与木も頷く以上の反応はしなかった。だけれど、貸しスタジオは南口から三分も歩けば辿り着くので、二人はそれほど気まずい思いをせずに済む。

 ビルの前では、既に新座と大紀が待っていた。合流した四人は、また少し話す。新座や大紀の話にも、与木は小さな反応しか返せていなくて、やはり緊張しているようだった。

 少しして敦賀がやってきて、五人はビルの中に入る。大紀が貸しスタジオの鍵を開けて「じゃあ、俺は外で待ってるから」と出ていくと、四人の二時間の練習時間がスタートする。

 それぞれ準備を行う四人。普段は使っているのだろうが、この日の与木はエフェクターを持参していなくて、涼しい足元に神原はまだ自分たちに対する遠慮を感じた。今日が初めての四人揃っての練習だから、仕方ないけれど。

「よし、じゃあやるか」と全員が顔を上げたのを確認してから、神原は切り出した。「つってもできるの、二つしかないけどな」と付け加える新座に、小さく笑う。

 四人体制になっていきなり何曲も合わせることは、神原たちには難しかった。

「どっちやる? ブルーシーツかハイスピか」

 敦賀がそう訊いても、答えはすぐには出なかった。誰かが決める必要があるだろう。

 そして、それにふさわしい人物は、神原には一人しか思い浮かばなかった。

「なぁ、与木。お前、どっちやりたい?」

 そう名指されて、与木はかすかに戸惑ったような表情を見せた。でも、少し迷った後に小さな声で「……ハイスピで」と言うから、四人が演奏する曲は決まる。

 お互いの表情を確認し合ってから、「じゃあいくぞ」と敦賀が言って、カウントを発する。それを合図に、四人は一斉に演奏を始めた。

 だけれど、イントロから音がズレていることを、神原ははっきりと感じてしまう。与木が少し走っているのだ。

 ちゃんと練習は積んできているのだろう。譜面通り弾けてはいるものの、演奏を合わせるまでには至らない。

 もちろん与木はバンドで演奏するのが初めてだから、こういった事態も神原は少なからず想定していた。

 だけれど、違和感はどんどんと高まっていき、神原たちの演奏にも乱れを生じさせてしまう。

 なんとか一番のサビまでは演奏したものの、神原たちがバンドの体を成していないことは、誰の目にも明らかだった。

 どうにか我慢してサビを演奏し終わると、誰からともなく演奏は萎んでいき、やがては完全に止まった。貸しスタジオに流れる空気は、いたたまれないの一言に尽きる。

 神原たちは、お互い困ったように顔を見合わせる。犯人探しをしたいわけではなかったが、とっさに取れる行動はそれくらいしかなかった。

「ご、ごめん」

 気まずい空気が充満するなか、与木が謝った。その視線は床に向いていて、勇気を出して口を開いたことが神原には分かる。

 消え入りそうな声に、神原には与木を責める気は起こらなかった。初めての合奏で、完璧に揃う方が奇跡的だろう。

「いや、いいよ。謝んなくて。俺たち合わせるのは初めてなんだから、最初はこんなもんだろ」

 神原がフォローを入れても、与木は申し訳なさそうに縮こまるばかりだった。「でも、俺のせいで……」と必要以上に自分を責めようとしている。

 ここには、与木だけのせいにする人間は一人もいないのに。

「いや、お前だのせいじゃねぇよ。俺も敦賀も神原もそれぞれ反省するところはあったし。誰か一人のせいじゃねぇのが、バンドってもんだろ」

「そうだよ。実際、お前ギター自体はミスしてなかったじゃんか。家で練習してきたことが伝わってきたよ。だから、これから回数を重ねていけば絶対によくなるって。そんな落ちこむなよ」

 すっかりしょげている様子の与木に、新座と敦賀も暖かい言葉をかけていた。

 まだ練習は始まったばかりなのだ。この程度のことで、くよくよしてほしくない。

 そんな三人の思いが伝わったのか、与木は少しだけ顔を上げていた。「本当ごめん。次はちゃんと合わせるから」という言葉は、まだ申し訳なさを引きずっていたものの、与木が多少なりとも前向きになってくれたことに、神原は安堵する。

「よし、じゃあ次はちょっとテンポ落としてやってみるか。敦賀、電子メトロノーム持ってるよな」

「ああ」

「じゃあ、とりあえずBPMを一〇〇にしよう。で、合ってきたらそこから少しずつ原曲通りのテンポに戻していく感じで」

「分かった」

 そう頷くと、敦賀はスクールバッグから電子メトロノームを取り出して、電源を入れた。カチカチとゆっくりめのテンポで電子音が鳴る。

 敦賀はそれを自分の足元に置くと、「よし、じゃあもう一回やろうぜ」と言う。三人も頷き、神原たちは敦賀のカウントの後に、再び演奏を始めた。

 練習してきたテンポとは違うから、少しやりづらさはある。他の三人もそう感じているのか、演奏はお互いが遠慮しているようで、迫力を欠いていた。

 でも、これは必要な過程なのだと、神原は自分に言い聞かせる。一歩一歩ステップを踏んでいくことでしか、演奏を上達させる道はなかった。

 四人揃っての初めての練習は、たった一曲を重点的に合わせただけで終わった。原曲から落としたテンポは最後まで元に戻ることはなく、与木の演奏も終始どこか窮屈そうに神原には感じられた。

 当然、与木にバンドとしての経験はなく、神原たちだって結成して一年も経っていないばかりか、貸しスタジオに集まって練習できるのは月に一回ほどだから、誇れるほどの経験値はない。

 自分たちはまだまだこれからだし、神原は与木にもそう思ってほしかった。

 だけれど、与木の表情はずっと冴えなくて、神原は不安を抱かずにはいられない。バンドがうまくいかないことばかりでつまらないものだとは、思ってほしくなかった。

 二時間の練習時間を終えて、新座と大紀は貸しスタジオの使用料金を払うと、この日もまっすぐ自分たちの車へと向かっていっていた。敦賀も今日は家族で予定があるからと、すぐに神原のもとを離れていく。

 そして、神原と与木は二人きりで残された。少し先の大通りでは盛んに人が行き交っていて、その足は止まるところを知らない。

 ままならなかった練習を引きずっているのだろう。与木は帰ることを自分から言い出せなくて、それが神原が話しかける隙間を作った。

「なぁ、お前この後時間ある?」

 この悪い印象のまま、与木を家に帰したくはない。そんな思いが神原の口を開かせた。

 頷く与木はまるで断ったらいけないと思っているようで、神原にとっては少しきまりが悪い。でも、そんなことは気にせずに神原は言葉を続けた。

「じゃあさ、テラレコ行こうぜ。どんな曲が出てるのか、試聴するだけでもさ」

 神原が口にしたのは、CDショップの名前だった。駅を挟んで北口方面の電器店の一角にある、神原もよく訪れる店だ。

 与木も頷いている。たとえそれが仕方なしだとしても、神原はどうにかして与木の気分を回復させたかった。

 CDショップへは、一〇分もせずに辿り着いた。エレベーターを降りると、目の前に店内への入り口はあった。

 中に入った二人は邦楽洋楽問わず、棚に陳列されたCDを見て回る。与木も何度か訪れたことがあるのだろう。戸惑っている様子は見られない。

 だけれど、中学生の小遣いはたかが知れている。二人はアルバムももちろん、シングルを一枚買えるかどうかぐらいの値段しか持ち合わせていなかった。

 だから、二人には新盤を試聴するしかできることがない。休日ともあって、店内にはなかなかに人がいたから、試聴機も多くが使われていたけれど、空いている試聴機を見つけ、二人はヘッドフォンを耳につけて再生ボタンを押した。

 流れてきたのは、二人がまだ知らないバンドの曲だった。すぐそばに置かれたCDには、デビューアルバムと注釈がついている。

 その曲はシンプルなエイトビートに疾走感があって、神原には耳ざわりがよく聴こえる。意味よりも歌ったときの語感を重視した歌詞も新鮮だ。

 横目で見ると、与木もわずかに頭を小さく揺らしていて、この曲を快く思っていることが伝わった。

 同じ学校に通って時折話してはいるものの、自分はまだ与木のことをあまりよく知らない。だから、与木がどんな音楽が好きかをより深く知れることが、神原には嬉しかった。


(続く)


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