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【小説】ロックバンドが止まらない(79)



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 一組目のバンドは演奏自体は悪くなかったものの、それでもフロアを盛り上げることはできないまま、一〇分ほどの持ち時間を終えていた。拍手は起こっているものの、そこに心がこもっているとは神原にはあまり感じられない。今日のライブはあくまでも顔見せにすぎないのだと思い知らされる。

 それでも、一組目のバンドの出番が終わるのと同時に、神原たちは舞台袖にスタンバイに向かう。ステージで楽器の転換作業が行われているのを見ながら、ぽつぽつとフロアから聞こえてくる話し声に緊張は高まっていく。

 転換作業が終わってスタッフからライブを始めるよう促されると、神原たちはお互いの顔を見て、一つ頷き合ってからステージに向かった。

 今日の顔見せライブは、客入れのBGMも出演者が登場する際のSEも流されない。神原たちが自分たちのタイミングでステージに登場すると、それに気づいた人間から小さな拍手が起こった。拍手をしてくれる人間は決して少なくはなかったが、神原はやはりふさわしい内実が伴っていないと感じてしまう。

 準備をして、神原たちは今一度視線を合わせて意思を確認し合う。三人の表情を今一度見てから、神原はマイクに向き直った。

「はじめまして。Chip Chop Camelです。今日はよろしくお願いします」

 マイクを通して、フロア中に呼びかける。発生した拍手が、神原たちの緊張をさらに高めていく。プレッシャーをかけられているかのようだ。

 それでも、神原は視線を下げない。マイクに向かって再び口を開く。

「じゃあ、演奏します。聴いてください。『WHITE SEA』」

 そう神原が曲名を告げると、久倉が発するカウントに合わせて、神原たちは一斉に演奏を始めた。

 メジャーデビューするミニアルバムのために作った曲で、ライブで演奏するのは初めてだったけれど、それでも何度もスタジオで練習を繰り返したおかげで演奏の出だしはぴったりと合った。そのことが演奏をする神原たちに、小さくても確かな勇気を与える。緊張感も、ほんの少しずつでも軽くなっていく。

 演奏もミスなくしっかりと一つのバンドとしての形を成していて、神原の歌の調子も良好だ。インディーズで積んできた経験がいい方向に作用していると、神原たちには感じられる。

 でも、神原が演奏しながら垣間見たフロアは、やはり大きな盛り上がりを見せているとは言い難かった。今日初めて神原たちの曲を聴く人間も多いのだろう。曲に乗っている人間も少なくて、見定めようという空気は音楽を楽しむものではなかった。

 手元の書類に、目を落としている者もいる。今日出演する七組のプロフィールと演奏する曲が記載された書類だ。いくらインディーズで活動してきたとはいえ、自分たちのライブを見るのは初めての人もいるから、ある程度は仕方ないことではあったが、それでも神原は書類よりも演奏している自分たちを見てくれと思う。

 それが演奏に影響することはなかったが、それでも神原は人数だけはいるフロアに、少しやりにくさを感じていた。

 神原たちは二曲目も、五月に発売されるミニアルバムに収録予定の新曲を演奏した。曲に乗って小さくても身体を揺らしてくれる人間は少し増えていたものの、それでも審査するかのような雰囲気は、神原たちを諸手を挙げて歓迎しているとは言い難かった。

 ここにやってきた音楽業界の人間に、自分たちはどう見られているのだろう。

 そう思うと神原は少し不安に感じたが、それでも演奏に集中することで懸命に封じこめる。

 幸い今の自分たちは練習通りの演奏ができていて、少なくともバンドとしての演奏で減点されることはないだろう。神原は演奏しながら、そう思いこんだ。

 最後の三曲目に、インディーズ時代からの代表曲「FIRST FRIEND」を演奏して、神原たちはライブの時間を終えた。

「FIRST FRIEND」ではより多くの人間が曲に乗ってくれていて、全員が顔を上げてくれていたが、それでも普段のライブのような盛り上がりは最後まで起きなかった。

 一般的なライブではサビで腕を振り上げてくれる観客もいるのだが、この日は誰も腕を上げるまでは曲に乗ってくれず、やはり今日のライブは顔見せ、お試しでしかないことを神原たちは思い知らされる。

 手ごたえもなかったわけではないが、それでも一つ前のインディーズ最後のライブと比べると明らかに小さく、今日来てくれた人間の眼鏡に適うようなライブができたかどうかは、神原には心許ない。

 これもメジャーデビューするためには避けて通れない道なのだと、自分に言い聞かせるほかなかった。

 神原たちがステージを降りてフロアに戻ったとき、次のミュージシャンの出番まで、何人かの人間が神原たちに声をかけてきていた。名刺を渡されたり、今しがたのライブの感想を伝えられたりする。

 言葉だけなら悪いことは神原たちは言われなかったし、名刺を渡したということは、少なからず自分たちのことを認めてくれたのかなと神原は思う。自分たちのライブは悪くなかったと改めて感じられる。

 もちろんこれで満足はできないが、少なくとも今日のライブは失敗ではないことは、確からしかった。

 神原たちの出番が終わってからも、顔見せライブは独特な、ある種異質とも言える空気の中で続けられた。

 三組目のバンドも、四組目のヒップホップグループも、五組目のシンガーソングライターも彼ら彼女らなりに、精いっぱいのライブをしていたことが、神原には分かる。実際、目を覆いたくなるほど悪いパフォーマンスをしている者は、誰一人としていなかった。

 でも、いくらライブが進んでもライブハウスに漂う緊張感は少しも軽くなることはなく、空気はまだどこか固いままだった。

 もちろん、今日ライブハウスに来た人は、これからメジャーデビューする者たちの完全な敵ではない。しかし、完全な味方でもない。それぞれにそれぞれの事情や基準がある。

 それを乗り越えて、言い方を変えればねじ伏せて全員を味方につけることは、未だ誰にもできていないように神原には感じられていた。

 顔見せライブは終盤に入り、六組目はショートランチの出番となる。

 三人が登場する前から、フロアに漂う空気が期待の色を濃くしているように、神原には思える。きっとあの雑誌の、持ち上げられていた記事が理由だろう。

 そこまで褒められるショートランチというバンドは、いかなるものなのか。フロアには期待と、それ以上のプレッシャーが渦巻く。

 そんななかで準備が整って、ステージに出てきた三人は少し強張ったような面持ちを浮かべていた。流されるように小さく手を叩きながらも神原は、間違いなく三人が緊張していることが分かる。

 おそらく徳島から出てきたばかりで、東京でのライブ経験も少ないのだろう。そんななかでの顔見せライブ。神原には、三人に不利な条件が課されているように思えてしまう。

 準備を整えて「ショートランチです。今日はよろしくお願いします」と言ったギターボーカルの声にも、緊張の色が滲んでいる。期待とそれ以上の厳しい目線と。ライブハウスの雰囲気は、この日一番異様だと言ってもいい。

 そのなかでギターボーカルが、「じゃあ、聴いてください。『シャンデリア』」と口にする。そして、ドラムの演奏から始まったその曲は、神原がリハーサルで聴いたまさにその曲だった。

 バスドラムの最初の一音が鳴らされた瞬間、神原はライブハウスの雰囲気が変わったような感覚がした。このバンドは自分たちの期待を裏切らないのではないか、そんな雰囲気だ。

 ベースが弾くリフが合流すると、フロアの期待はより高まっていく。

 そして、それはギターも入って三人としての演奏が始まった瞬間に、一気に弾けた。誰かが腕を振り上げたり、目に見える盛り上がり方をしたのではない。

 でも、今までの緊張した空気がまるで目いっぱい膨らんだ風船を割ったときのように、瞬時に弾けていくことを神原は感じる。

 三人はイントロだけでライブハウスの空気を塗り替えていて、演奏された曲はそれだけ特別な曲だった。神原も身体を貫かれるような衝撃を受けながら、それでも曲を楽しむ感覚が出てきている。

 リハーサルで聴いたときよりも三人の演奏は躍動感や爽快感を増していて、自分たちも含めて今までの全員のライブの印象を、自分たちのものに上書きするようなエネルギーを帯びていた。

 ショートランチの三人は、二曲目にも神原がまったく聴いたことのないような曲を演奏していた。

 でも、それは複雑で理解が難しいことをしているわけではなくて、どこまでもシンプルでキャッチーで、そのことが神原によりいっそうの危機感を抱かせる。

 ある程度作曲術や音楽理論を知っていれば、込み入った曲はいくらでも作れる。本当に難しいのは、シンプルながら誰も聴いたことのない曲を作ることだ。

 それをステージの三人はこれ以上ないほどの形で実現していて、本当の才能というものを神原は感じざるを得ない。親しみやすさと訴求力がある曲が、瑞々しい演奏によって披露されていて、今日来た全員の心を掴んでいることが手に取るように分かる。自分たちの出番のときは感じなかった感覚だ。

 ショートランチの三人は明らかに自分たちよりも際立ったライブをしていて、きっとメジャーデビューしてから人気が出るまでに、さほど時間はかからないだろう。

 翻って自分たちはこのままでいいのか、今のままで音楽的にも商業的にも成功するバンドになれるのか。そんな危機意識を神原はひしひしと感じる。

 しかし、ステージの上で溌溂とした演奏をしている三人に惹かれる気持ちも確かにあって、それはどうしても抗いがたいものだった。

 三曲目にもシリアスさと軽やかさを併せ持つ、神原にとっては癪だったが良い曲だと思える曲を演奏して、ショートランチの三人は自分たちの出番を終えていた。

 ライブが終わったときの拍手は間違いなくこれまででも一番大きく、多くの人間が心からの拍手をしているように神原には聴こえる。それくらいショートランチの三人は大きな爪跡を残していて、この後に演奏する男性のシンガーソングライターが少し気の毒にさえ感じられるほどだ。

 ライブを終えてショートランチの三人がフロアに戻ってくると、聴いていた業界関係者は我先にと、それこそ群がるように三人のもとへと集まっていた。その光景はまさに殺到するという言葉がふさわしく、他のどの出演者のときにも現れなかったもので、それだけで三人が傑出したライブをしたことが、神原には分かってしまう。

 業界関係者に囲まれる三人に、神原は明確な嫉妬を覚えた。

 今日のところは自分たちよりも三人の方が良いライブをしたことは認めざるを得ないが、それでもこれから先は分からない。確かに衝撃は受けたけれど、それでも完全に負けたとは思っていない。

 打ちのめされた部分も正直あったが、そんな反骨精神を抱けていることが、神原の何よりのプライドの現れだった。


(続く)


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