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【小説】ロックバンドが止まらない(101)


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 ライブが終わって機材を機材車に積みこむと、神原たちはまっすぐこの日宿泊するホテルに向かっていた。自分の部屋に入って荷物を置いた神原は、ベッドに座り込んで深く息を吐く。

 今日のライブも、またライブイベント全体も客観的に見れば、成功したと言えるだろう。神原たちの演奏も破綻とは無縁だったし、観客にも曲が受け入れられていたから、手ごたえは確かに得ている。

 それでも、神原は満足はいっていなかった。今日のライブはショートランチが一番盛り上がっていて、きっと多くの観客がどのバンドのライブが一番印象に残ったかと訊かれれば、ショートランチの名を挙げるだろう。最後にライブをしたのは自分たちだというのに、その現実が神原にとっては屈辱的にさえ思える。

 明日こそは、観客の印象に一番残るようなライブをしなければならない。たとえそれが最も難しいトップバッターでも、神原には元よりやる以外の選択肢はなかった。

 ミネラルウォーターを飲んで一息ついてから、神原はベッドを立って部屋から出た。夜の一〇時を過ぎて、腹が空いていた。

 市街地にあるホテルを出ると、目の前の通りにはまだ人が盛んに行き交っていた。酔っているのか上機嫌で話している人もいて、その姿は神原に夜が深まっている最中だと思い起こさせた。

 昼食同様に、せっかく来たのなら名古屋の名物料理を食べたい。そう思い、神原は居酒屋に入る。名古屋のローカル居酒屋チェーンであるこの店は、名古屋の名物料理である手羽先を一番の売りとしていた。

 地域住民なのか、観光客なのかは分からずとも、店内は夜の一〇時を過ぎてもほとんど満員で、テーブル席は全て埋まっており、神原が座れるとしたらカウンター席しかなかった。

 腰を下ろすやいなや、神原は中ジョッキの生ビールを頼み、お通しの浅漬けと一緒に口にする。喉を通る心地いい苦味に、今日という一日が報われていく実感がした。

 名古屋名物の手羽先を頼み、提供されるのを待っている間、神原は時折携帯電話を見ながら一人で呑んだ。店内は人々の声で騒がしくとも、神原はそこまで寂しさは感じない。

 自分たちは明日もライブがある。移動もあり疲れているメンバーもいるだろうから、誰かを自分の夕食に付き合わせることは、神原には気が進まなかった。

 そのまま一人で呑んでいると、入り口が開いて新たな客が入ってきた。その人物に、神原は一瞬目を丸くする。やってきたのは、ショートランチのドラマーである辻堂だった。

 ほとんど満席の店内で、空いているのは神原の隣席くらいだったから、辻堂は必然的に神原の隣に座ることになる。

「お疲れ」「ああ、お疲れ」そんな短い言葉を交わすと、辻堂は店員を呼んでウーロン茶を注文していた。神原が「ウーロン茶なんだ」と尋ねると「うん、お酒呑めなくてね」という答えが返ってくる。

 神原が何となく納得すると、店員がウーロン茶を持って辻堂のもとに戻ってきた。ウーロン茶が辻堂の手に渡ると、どちらからともなく乾杯をする流れとなる。

「今日はお疲れ様」と、グラスをつき合わせる。軽い音は、すぐに店内の喧騒にかき消されていた。

「どう? 神原君、その手羽先美味しい?」

 そう辻堂が尋ねてきたのは、二人で乾杯をしてすぐにやってきた手羽先の最初の一つを、神原が口に運んでからだった。

 実際、手羽先は胡椒をはじめとしたスパイスが利いていて、ビールが進む味だった。口の中に残る香辛料の香りに神原も、名古屋に来た実感が再び湧く。

「ああ、美味ぇよ。スパイスがいい感じに利いてて。やっぱ有名なだけあるよ」

「そっかぁ。美味しいかぁ。ねぇ、よかったら私にも一つくれないかな。ね? 一〇〇円あげるから」

「いや、お前さっき自分でも手羽先頼んでただろ。それ来るまで待てよ」

「じゃあ、二〇〇円!」

「いや、いくら積まれてもやんねぇよ。あと一〇分もすれば来ると思うから、それまで待てよ。もう大人だろ」

 辻堂はかすかに口を尖らせていて、神原に「ケチだなぁ」と思っているかのようだ。

 でも、神原はそれほど気にしない。辻堂の分の手羽先も、遅かれ早かれ来る。どうしてそれくらい待てないのだろうと、かえって疑問に思うくらいだった。

「いやー、今日のライブも良かったねぇ」

 ウーロン茶をまた一口飲んだ辻堂が、まるで酔っているかのように口にする。神原も「そうだな」と相槌を打ちつつ、内心では少し鼻持ちならない思いを感じていた。

 今日も一番観客のウケが良かったのは、ショートランチのライブだ。そのメンバーに「良かった」と言われても、神原には上から目線にしか感じられない。

「私たち自身も、今日はめっちゃ良いライブができたと思うし、神原君たちもスノーモービルも、それぞれ昨日よりも冴えたライブをしてた。三組ともが自分たちの力を尽くせて、掛け値なしに良いライブだったと思うよ。まあ唯一ケチつけるとしたら、もっと大きなキャパでやりたかったことかな。チケットは売り切れて、買おうとしても買えなかった人もいたらしいし。もっと大きいキャパの会場取って、来たい人全員が来れるようなライブにできたらよかったのにね」

 そう言う辻堂に、神原は内心では目を瞬かせる思いだった。これまで一〇〇人程度のキャパシティのライブハウスでのライブが多かった神原たちだし、それもワンマンで埋められるようになったのは、メジャーデビューしてからのことだ。

 初めて訪れる街のライブにしては、神原は若干キャパシティが大きいとも感じていたのだが、辻堂は逆に物足りない思いを抱いていたとは。認めたくはないけれど、千人規模のライブを成功させたバンドだなと神原は思う。

 スプリットツアーとして一緒に東名阪を周っていても、自分たちの間にはまだまだ大きな差があることを、その言葉だけで思い知らされた気分だ。

「いやー、でもやっぱ名古屋はいいよねぇ。お客さんの反応は良いし、ライブハウスも充実してるし、おまけにご飯は美味しいしで。神原君もそう思うでしょ?」

「ま、まあそうだな」と答えながらも、神原は反感を抱かずにはいられなかった。神原たちは今までツアーはおろか、東京以外でライブをしたことがない。そんなことも知らないのかと思うと、神原には辻堂が少しずつ嫌味な人間に思えてしまう。

 ショートランチは東名阪だけでなく、既に一〇都市以上を周る全国ツアーの経験がある。ほとんどのライブハウスでチケットが完売したことは、神原も園田から聞かされて知っていた。

「でも私、本当に今日の神原君たちのライブ良かったと思ってるよ。曲が良いのは言わずもがな、演奏もがっちりと噛み合っていて、見てるだけで心が躍ったもん。フロアも盛り上がってたし、Chip Chop Camelは素敵なバンドだなって、今日で改めて思ったから」

 そう辻堂が言ったタイミングで、店員が辻堂の分の手羽先を持ってカウンター席にやってくる。「ありがとうございます」と言いながら受け取った辻堂は、次の瞬間には手羽先に手を伸ばしていて、「やっぱ美味しいね、これ」と緩んだ表情を見せた。

 だけれど、その一部始終が確かに神原の気に障ってしまう。

 辻堂に悪気がないことは分かっている。それでも、神原は反感を胸のうちに留めておくことはできなかった。

「お前さ、それマジで言ってる?」

「えっ、神原君は今日のライブに手ごたえないの? 演奏もまとまってたし、お客さんの反応も良かったのに?」

 かすかに目を丸くしていた辻堂は、自分の立場に心当たりがないらしい。その様子が、神原の神経をより逆撫でさせて、言わなくてもいいことまで口にさせてしまう。

「いや、手ごたえはねぇわけじゃなかったけど、でも正直俺たちよりもお前らのライブの方が盛り上がってたじゃんか。トップバッターにも関わらず」

「えー、そうかな。私はどのバンドも、同じように盛り上がってたと思うけど」

「それ、本気で言ってんのか? 謙遜じゃなくて、もはや嫌味だぞ。こんなこと言いたくないけど、誰に訊いてもショートランチのライブが一番盛り上がったって答えると思う。今日はそういうライブだったんだよ。いや、昨日も含めて」

 自分がもはや辻堂たちへの嫉妬を隠しきれていないことは、神原も自覚していた。だけれど、それ以上に辻堂の態度が気に障るという思いが今は大きい。

 少し売れているからなんだ。少し人気があるからなんだ。そんな風に思ってしまう。

 現時点で辻堂たちの方が良いバンドだということは、昨日と今日のライブが何より物語っているというのに。

「うーん、私は必ずしもそうは思ってないんだけど、でもそう言ったら神原君、もっとイライラしちゃうよね。私たちは私たち、神原君たちは神原君たちだと思うんだけど、それも今の神原君を見るに、あまり適した考え方じゃなさそうだし」

 辻堂は手羽先を食べる手を止めて、少し考える様子を見せた。

「そうだね……。こんなこと言っても逆効果になるだけだと思うけど、神原君はもっと自分たちのライブを楽しむべきだと私は思うな。神原君だって、ギターを弾きながら歌うのは楽しいでしょ? その気持ちをちょっとでもいいから思い出してほしいなって思う」

「何言ってんだよ。俺は今でも十分楽しんでるっつうの」

「そう? ならいいけど。まあいずれにせよ、明日の大阪も一緒に頑張ろうね。たった三日間だけど、このツアー最後のライブになるわけだし。どうせなら、このツアーで一番盛り上がったライブにしたいよね」

 辻堂の表情には衒いがなく、本心からそう思っていることが神原には窺えた。

 言っていることは頷ける部分もあったので、神原は完全に納得はいっていなくても「そうだな」と相槌を打てる。

 今回のスプリットツアーの一番の目的は、自分たちがライブを楽しむことではない。観客を楽しませて、自分たちのファンを一人でも増やして、セールスの拡大につなげることだ。

 だから、辻堂の言うことは少し甘いと、神原は感じざるを得ない。それでも、胸にむずむずする感覚を抱えてしまった神原は、紛らわすように手羽先を食べ、ビールを流し込んだ。

 辻堂は相変わらず親しげに話しかけてくる。その姿は今回のツアーに充実感を抱いていると神原に感じさせるには十分で、内心で軽く唾を吐きつつも、羨ましいと感じる気持ちも、神原には完全に否定できなかった。


(続く)

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