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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(141)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(140)






 晴明と桜子が到着したとき、千葉駅は相変わらずひっきりなしに人が行き交っていた。大きな荷物を持った人が多く見られることが、晴明に今は土曜の朝だということを感じさせる。

 コンコース。思い思いに進む人で混雑する中央改札前。

 だけれど、二人は改札には向かわずに、エスカレーターを降りたときから見えていた一団のもとへと向かっていた。

 改札から離れた壁際には、いくつものパネルが立てられているスペースがあった。両端に立てられた幟の文字が、この一画が宮城・山形観光推進キャンペーンの会場なのだと晴明たちに伝える。

 黄色と黄緑。それぞれ色の異なった法被を着ているのは、県や観光協会の職員だろうか。立ち止まってもらえるように、ニコニコと愛嬌を振りまいているが、ほとんどの人は軽く目をやるだけで通り過ぎている。

 やはり人に何かを伝えるのは難しいことなのだと、晴明は見ているだけで少し切なくなった。

 それでも、二人は一直線にイベントスペースへと向かっていく。前まで来ると、法被を着た職員が笑顔で方言らしき挨拶をしてくれた。このままパネルに映った観光名所を見てもよかったが、晴明たちが千葉駅にやってきた理由はそうではない。

 二人は軽く挨拶を返すと、職員に囲まれて活発に動いている、二体のキャラクターに近づいていった。

 キャラクターたちも晴明たちに気がついたのか、くるりと体の向きを変える。

 右側のキャラクターは、三日月型の装飾が施された兜をかぶっていて、顔が滑らかな三角形をしている。着ぐるみも人型でなかなかに動きやすそうなそのキャラクターは、名前をにぎり丸といった。宮城県観光協会に所属していて、県外にも高い知名度を誇っているとは、昨日晴明がネットで調べた評判だ。

 着ぐるみの中に入っているのは、勝呂の先輩のスーツアクターだという。明確で温かみのある動きが、積んできた経験を晴明に思わせた。

 一方で、左側にいるキャラクターは、晴明にはなかなかのインパクトがあった。一頭身どころか、着ぐるみは顔しかなく胴体がないのだ。横から見れば山形県の形をしているらしいが、正面を向かれると、晴明にはモアイ像のように見えてしまう。

 山形県観光協会のキャラクター、こいさくんはその独特なフォルムが異彩を放っている。だけれど、中に入っている勝呂の努力で、気持ち悪いだとか不気味だとかいう印象はなかった。桜子が率先して、その短い手を握っている。ぴょんぴょんと小さく跳ねるこいさくんは、出会えた喜びを享受しているかのようだった。

 晴明は大量に行きかう人の目もあって、キャラクターと触れ合うことは少し気恥しく感じたが、桜子はそんなことお構いなしに、二人の手を握ったり、一緒に写真を撮ったりしている。持参していた自撮り棒を手に、みんなで一緒に撮ろうよと言われれば、晴明は従わざるを得ない。

 桜子とこいさくんに挟まれて、同じフレームに収まっていると、独特の緊張感を晴明は覚えてしまう。自分がこの場にいていいのかどうか、疑問も湧いてくる。

 だけれど、晴明はこれもよりよいスーツアクターになるには必要なステップだと考えて、写真が撮り終わったタイミングで意を決して、二人のキャラクターと触れ合った。

 とはいっても、握手をするだけの簡単なスキンシップだったが、それでもにぎり丸は大きくうなずいて親指を立ててくれていたし、こいさくんは手をばたつかせて喜びを表現していた。

 大したことはしていないのに、大げさに喜ばれると晴明の胸には自己効力感が生まれる。湧き上がってくるほほえましい気持ちは、二人から元気をもらっていることの証明に他ならなかった。

 二人のキャラクターとの触れ合いを終えた晴明たちは、申し訳程度に両県の観光地のパネル展示を見てから、イベントスペースを離れた。

 とはいっても、このまま次の目的地には向かわない。斜め前のキャンペーンの様子が見える壁際に立ち、二人のキャラクターが引き続き、どんな応対をするのかを観察する。

 じっと見ているとバツが悪かったので、時折スマートフォンに目を落としながら、キャンペーンの行方を見守った。通行人の多さは劇的に変わることはなく、にぎり丸とこいさくんに足を止める人も、目を見張るほどには増えていない。

 だけれど、二人はただ通り過ぎるだけの人にも、精一杯自分たちの存在をアピールし、立ち止まってくれた人には欣喜雀躍を地で行くような喜びようを見せ、相手の表情を笑顔に変えていた。

 二人はほとんど止まることなく動き続けていて、晴明は尊敬の念を抱く。子供に叩かれても嫌な仕草一つ見せずに接していて、自分だったらこんな風に振る舞えているだろうかと思わずにはいられなかった。



 最初の出番を終えた勝呂と晴明たちが合流したのは、二人のキャラクターがバックヤードに戻ってから、およそ一〇分が経ったころだった。額にはまだうっすら汗が滲んでいて、休憩もそこそこにやってきてくれたのだと思うと、晴明はありがたく感じる。

 触れ合ってみた感想もそこそこに、晴明たちは勝呂に案内されて、職員入り口から駅のバックヤードに入った。毎日利用している駅の裏側は無機質なつくりだったけれど、それでも晴明はひそかに興奮していた。小学生の頃の、工場見学を思い出すようだった。

 勝呂が休憩室のドアを開けて、晴明たちは中に入る。整然と並べられた机とパイプ椅子。

 晴明はその中に、一人の男性が座っているのを見つけた。ごつごつとした輪郭に、引き締まった大胸筋が服の上からでも分かる。

 スマートフォンから顔を上げたその男性は、鋭い目を晴明たちに向けた。

「なんだ。やっぱりお前らか。まだ部活続けてたんだな」

 男性は少しぶっきらぼうに言っていて、晴明は少し怯んでしまう。再会するとは思っていなかったから、緊張で身が引き締まった。

「お、お久しぶりです。代橋さん。以前はありがとうございました」

 晴明が少し上ずった挨拶をしても、代橋は目元を緩めることはない。まだ完全には自分たちを認めてはいないようで、晴明は身が縮こまるのを感じた。

「えっ、もしかしてお知り合いだったんですか?」と疑問を呈する勝呂に、桜子がハニファンド千葉対東京ヴァルロスの試合で共演したんですと、説明している。あまり得意とは言えない代橋との再会に、晴明の喉は渇く。これならまったく知らない人の方がよかったと思ったけれど、当然声や表情には出さない。

「あ、あの。にぎり丸くんよかったです。可愛さの中にも凛々しさがあって。等身大って感じがしました」

「ああ。褒め言葉はいいからさ、とりあえずこっち来て座れよ。そこにいると、入ってくる人の邪魔になるだろ」

 言われて初めて、晴明は自分が緊張で動けなくなっていることに気づいた。確かにこのままずっと立っているわけにもいかない。

 晴明たちはいそいそと休憩室の中に進んでいく。代橋と向かい合って座ると、初めて会ったときと少しも変わらない迫力に圧倒されそうになる。前回いた瀬名は、今日はいない。

 場の空気を和ませてくれる存在がほしくて、晴明は勝呂を見たが、勝呂でさえも目に少し緊張の色が見えていて、頼りきることはできなさそうだった。

「で、なんだ? 今日は俺に訊きたいことがあるんだろ?」

 代橋の方から話を切り出されて、晴明は思わず背筋を伸ばした。今さらこんなことを訊くなんてとも思ったが、ここに来た目的を果たすために、意を決して口を開く。

「は、はい。あの、代橋さんは『ナカニヒトナドイナイ』って言葉をご存知ですか?」

「ああ、知ってるよ。ただのつまらない常套句だろ」

「で、でも自分の存在がないものにされてるって、寂しくないですか? いないって言われて、悲しくならないですか?」

 おそるおそるという様子で晴明が尋ねると、代橋は一つ吹き出すように笑ってみせた。何がおかしいのか晴明には分からず、恐縮することしかできない。

 そんな中でも、隣に座る桜子は「代橋さん、笑わずに聞いてください」と言っているから、怖いもの知らずだ。

「何だよ。じゃあお客さんの前で着ぐるみを脱いで、『自分はここにいます!』とでも言いたいのか? とんだ愚行だな」

「いえ、そういうつもりでは……。ただ、着ぐるみを着ているときに、いつも少し切なくなってしまうだけで……」

「じゃあ、スーツアクターなんてやめちまえばいいじゃねぇか。顔出しでYoutuberでもやりゃいいだろ。そんなに認められたいんならさ」

 容赦のない代橋の言葉は、晴明の心を抉った。意識していないのに頭がうなだれてしまう。

 勝呂に「ちょっと、代橋さん」とたしなめられて、代橋は「なんてな、冗談だよ」と笑っていたが、たとえ冗談でも言ってはいけないことがあると晴明は思った。

 いざ口に出されると、考えもしなかった選択肢が急に頭の中で大きさを増してしまう。

「でもよ、キャラクターに徹することができなければ、スーツアクターは務まんないと思うぜ。自分のことはひとまず後ろにおいて、キャラクターを前面に出す。いないものにされてるとか、四の五の言ってる場合じゃねぇだろ」

 図星を指されて、晴明は「そうですね……」としか答えられなかった。キャラクターを最優先する代橋の姿勢にはプロフェッショナルさを感じて、甘えたことを言っている自分との違いに、ぐうの音も出なかった。

 代橋はずっと晴明をねめつけている。まるで試しているかのように。

「お前さ、もう着ぐるみに入って半年ぐらい経つんだろ? それくらいのこと、とっくに分かってると思ったんだけどな」

「す、すみません……」

 あたかも説教を受けているようで、晴明は縮こまるしかない。勝呂や桜子も口を挟まなかった。

 代橋の言葉は、全て自分のために言われている。分かっていても、晴明はのしかかってくる現実の重さに、胸が詰まりそうだった。

「言っとくけどな、俺は着ぐるみに入っていて寂しい思いなんてしたことねぇ。キャラクターになりきって、お客さんが喜んでくれればそれでいいと思ってる。だから、正直お前の気持ちは完全には分からねぇ」

 そう語る代橋に、晴明はかすかに絶望的な思いを抱いてしまう。代橋はスーツアクターに向いていて、自分は向いていない。その事実を突きつけられて、声が出なかった。

「でもよ、お前みたいに悩む奴らがいるのは知ってる。俺からアドバイスできることは少ねぇけど、一つ言えるとしたら、やる気があんなら、グチグチ言わずにスーツアクターを続けることだな。経験を積まなきゃ、見えてこねぇこともあるし。お前はよ、これからも着ぐるみを着る気があんだよな?」

 晴明は頷く。声に出して返事ができない自分に情けなさを感じながらも。

「だったらベチャクチャ言わずに、やり続けろよ。まだ今シーズンのライリスの出番は終わってねぇんだろ? だったら余計なこと考えずに、最後までやりきれよ。それが責任ってもんだろ? たとえ部活でも、クラブの大事なマスコットにならせてもらってる以上はさ」

 代橋は、晴明の抱えている寂しさや切なさを、何ら解決しなかった。

 だけれど、今の自分はライリスでもあるのだ。いつまでも弱音を吐いているわけにはいかないと、晴明は思う。

 とりあえず今シーズンが終わるまでは、ライリスをはじめとしたキャラクターになることを、無我夢中でがんばろう。晴明は心を決めた。後のことを考えるのは、そのときでいい。

「そうですね。代橋さん、ありがとうございます。大事な休憩中に、わざわざ時間を割いてくださって」

「ああ、本当だよ。こっちは休みたいのにさ。でも、せっかく言ったからには、ちゃんとライリスを演じろよ。観客の期待に応えられるマスコットであり続けろよ」

「はい」と、今度は晴明は声に出して答えることができた。代橋の言い方は厳しかったが、かえってやるしかないという覚悟が湧いた。

 もう一度礼を言って、晴明たちは休憩室を後にする。三人で歩く廊下が、来たときよりも広く感じられていた。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(142)


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