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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(142)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(141)





 昼時になると、コンコースを行き交う人は目に見えて増えていた。二回目の出番を迎えたにぎり丸とこいさくんも、ほとんど休まず動いて、自分たちの県に関心を持ってもらえるようアピールしている。

 そのおかげか、イベントスペースに足を止める人は着々と増えていて、晴明はキャラクターの持つ力を再認識していた。可愛らしく、ときにダイナミックに振る舞うにぎり丸とこいさくん。その姿は駅の風景に溶け込んでいない分、異彩を放っていて、晴明には格好よく見えていた。

 だけれど、そんなにぎり丸とこいさくんも三〇分ほど経つと、二度目の休憩を迎える。それぞれのアテンドに手を引かれ、二人がバックヤードに去っていくと、途端に駅は通常の光景を取り戻していた。

「じゃあ、私たちもそろそろ行こうか」

 バックヤードに戻っていった二人を見送ると、桜子が口を開いた。晴明も考えるよりも先に頷く。まだ「ライリスが行く!」の取材の集合時間には少し早い。だけれど午後の出番のためにも、まずは昼食を摂っておきたかった。

 晴明たちが中央改札の手前まで来ると、ちょうど電車が止まったのか、大勢の人が吐き出されてきた。なので、晴明たちは一番奥の改札をくぐらなければならなかった。

 そんななか、晴明は改札から出てくる人に、見知った顔を見つけた。五郎が千葉駅までやってきていたのだ。晴明たちに気づいて、わずかに目を見開く五郎。

 以前病室で見たときよりもさらに痩せていて、心配になった晴明たちは人の流れも気にせず、五郎に近づいていた。

「五郎さん。どうしたんですか? こんなところまで」

「ちょっとウチの役者の様子を見にね。ちゃんとやってるかなって」

 五郎の視線は晴明たちの向こう、イベントスペースに向いていた。だけれど、今は二人は休憩中で表に出てきていない。

 五郎は少し不審がっていたけれど、そう説明されて「そっか。もうちょっと早く出てくればよかったかな」と、腑に落ちたような表情をしていた。

「ところで五郎さん、お身体の具合はどうなんですか?」

 通行人の邪魔になるからと壁際に寄ってから、晴明は尋ねた。かすかに微笑んだ五郎が、晴明には少し無理をしているように見えた。

「一人で外出もできてるし、なんてことないよ。って言いたいとこなんだけど、退院してから明らかに食が細くなっちゃってね。でも、薬も飲んでるし、足りない栄養はサプリで補ってるから、そこまで心配する必要はないよ」

 そう五郎は笑顔で言っていたが、ハリに欠けた肌を見ていると、晴明には心配するなという方が無理なように思える。

 だけれど、五郎もまだ老人扱いはされたくないだろう。桜子と一緒に「お元気そうでよかったです」と返す。五郎も機嫌よさそうに頷いていて、ひとまず世間話は無事にできているようだった。

「ところで、にぎり丸とこいさくんだったっけ? 次、何時ごろに出てくるか分かる?」

「たった今、戻っていたばかりなのであと三〇分くらいかかると思います」

「そう。じゃあ、駅ナカのカフェで時間でも潰してよっかな」

 何気なく言う五郎に、桜子も「そうですね」と同調していたから、話が終わる気配を晴明は感じてしまう。今日会えたのはただの偶然だから、次いつ話ができるかは分からない。

 植田から話を聞いてから、晴明には勝呂の姿を見るたびに思うところがあった。だから、五郎の顔を見据えて、思い切って尋ねる。

「今って、勝呂さんは五郎さんのもとにいるんですか?」

「ううん、いないよ。こまめに様子は見にきてくれるけど、今は別々に暮らしてる。それがどうかしたの?」

「いや、最近。勝呂さんアクター部に来てくれる日が減ってるなと思いまして。今週も二日しか来てくれてなかったですし、何かあったのかなと……」

 晴明は本当はその理由を知っていたが、それでも隣にいる桜子にはまだ悟られたくなかったので、何も知らないふりをした。おそらく勝呂は、五郎ともう話しているのだろう。

 一瞬口を塞いだ五郎は、事情を伝えるかどうか迷っている様子だった。

 間を置かずに改札を行き来する人々。雑踏が三人の間に漂い始めた不自然な空気を強調する。

「あのさ、似鳥くん。こういう言い方もなんだけど、和己だって和己なりに忙しいんだよ。今はたまたま今日みたいに出番が続く時期だから。もう少しすれば、また元のペースでアクター部に来るようになるよ」

 そのもう少し先の未来が、このままでは永遠に来ない。だけれど、今はまだ誰かに言う気にはなれなかったから、晴明は顔には出さなかった。五郎も諭すような目を向けていたから、晴明はその言葉を受け入れざるを得ない。

 だけれど、何も知らない桜子は「もう少しってあとどれくらいですか?」と、五郎に訊いていた。「一二月になるくらいかな」と答える五郎の口調があまりに自然で、一聴すると嘘を言っているようには晴明には聞こえなかった。

「まあ、でも安心してよ。君たちへの指導が嫌になったわけじゃないから。この前も話したけど、この先もアクター部には来続けたいって言ってたし。不安な部分もあると思うけど、もうちょっとの辛抱だから」

 何も心配はいらないという風に、晴明たちに言い聞かせる五郎。だけれど、隣で納得した様子を見せている桜子とは違って、晴明はすんなりとその言葉を飲みなかった。どうしても五郎の言葉よりも、植田の話を信じてしまう。

 取り繕われた言葉では、胸に立ちこめる雲は晴れなかった。

「本当ですか……? 信じても大丈夫ですか……?」

 不安が弱々しい疑問となって表出してしまう。五郎はすぐに返事ができていない。

 桜子に「ちょっと、ハル。五郎さんもこう言ってることだし信じようよ」とたしなめられても、晴明は一〇〇パーセントの信頼を寄せることは、五郎にも勝呂にもできなかった。

 それでも、五郎は何かを決めたかのように、目に力を入れていた。訴えかけるような視線だった。

「大丈夫だよ。来週も指導の予定は入ってるんでしょ? 和己は途中で投げ出すような奴じゃないからさ。心配なのは分かるけど、信じてあげてよ」

 念を押すように言われると、晴明はそれ以上追及できない。食い下がって、事情を知られていると五郎に思われたくもない。

 頷くと、五郎の目元はふっと緩む。晴明たちを説得できたことに安心したように。

「じゃあ、またね」と言って去っていく五郎を、晴明は複雑な思いで見送る。「またね」と言われながら、ふともう会う機会はないように感じてしまう。

「……やっぱ勝呂さんも大変だね。事務所の社長であり、アクターの先輩であり、さらには父親でもある五郎さんが見ている前で、演じなくちゃいけないんだから」

 イベントスペースを見ながら桜子が言った。晴明も同感だったので、ひとまず「そうだな」と頷く。プロだからプレッシャーは自分たちとは段違いなのだろう。

 だけれど、晴明は勝呂に対して、それ以上の思いを抱いていた。勝呂がアクター部に来なくなるかもしれないことは、部員では今自分しか知らない。

 そう思うと「大変」という言葉では片づけられない何かが、晴明の中で大きさを増す。無視はできなかった。

「なあ、サク」

「何?」

「ちょっと先行っててくれねぇ?」

 そう言った晴明に、桜子はわかりやすく目を丸くした。言葉にしなくても、不審に思っているのが晴明には伝わる。

「俺さ、ちょっと用事思い出しちゃってさ。まあ集合時間には間に合うと思うんだけど、俺の用事にお前をつきあわせるわけにはいかないから、先行っててくれると嬉しいなって」

 さすがに晴明がたった今思いついた嘘であることを桜子も見抜いたのか、疑うような目をやめてはいない。だけれど、桜子に余計な心配をかけたくないという一心で、晴明は「なあ、頼むよ」と頼みこむ。

 請願する晴明に桜子も折れたのか、表情を変えないまま「分かった。でも、遅れないでよ」と言い残して、改札の中へと向かっていった。

 桜子が階段を下りてホームに消えていくのを見届けてから、晴明は踵を返す。

 一刻も早く、このもやもやを解消したい。晴明にはその一心しかなかった。



「どうしたんですか? 似鳥さん。もう次の活動場所へ向かったのではなかったのですか?」

 バックヤードの廊下で、勝呂は首をかしげていた。表とは違って人通りの少ない廊下は、どことなくうら寂しい雰囲気がある。

「すいません。勝呂さん。休憩中なのに、わざわざ来てくれて」

「いえいえ、大丈夫ですよ。それで何ですか? 私に話したいこととは?」

 改めて訊かれると、自分から呼び出したのに晴明は躊躇してしまう。だけれど、勝呂も短い休憩時間を削って、晴明のために時間を作っているのだ。

 一秒も無駄にできないと、晴明は顔を上げて単刀直入に訊いた。

「勝呂さん。五郎さんからゴロープロダクションの経営を引き継ぐって本当ですか?」

 何ら恥ずかしいことを訊いているわけではないのに、信じたくないという気持ちが尋ねる声を小さくさせた。目を伏せたくもなったけれど、どうにか堪える。

 さすがの勝呂も想定外だったのか、目を少し見開いていた。初めて見るような表情に、晴明は申し訳ないとしか思えない。

「それは誰に聞いたんですか?」

「植田先生からです。勝呂さん、一昨日部室に来るの遅かったじゃないですか。それで何かあったのかなって、思わず訊いてしまいました」

「そうですか……」と、勝呂は顎に手を当てて考えこむそぶりを見せる。時間が晴明には何倍にも引き伸ばされて、いたたまれなく感じてしまう。

「ごまかしてもしょうがないですね」と勝呂が言ったから、晴明はそのあとに続く言葉を聞きたくないとすら思ってしまった。

「確かに父から経営を引き継ぐことも、この先の選択肢の一つには入っています。まだ何も決まってはいないんですけどね」

 勝呂の口から直に聞かされたことで、晴明には視界が揺らぐような錯覚さえした。考えたくもない未来が、にわかに現実味を帯びてくる。

「ゴロープロダクションの経営を継ぐってことは、スーツアクターの活動はどうするんですか……?」

「もしそうなったら、きっぱりと引退することになるでしょうね。どちらも両立させることは、私には難しいですから」

「そうなるとアクター部への指導も……」

 勝呂はそれ以上答えなかった。だけれど、わずかに目を伏せていて、それが何よりのメッセージになってしまう。

 相変わらず廊下には二人の他には誰もいない。すぐ前が突き当たりになっていて、自分たちの行く末を暗示しているように晴明には思えた。

「僕は勝呂さんにやめてほしくないです」

 呟かれた声を、晴明は確かに自分のものだと認識した。紛れもない本心であることを自覚した。

 勝呂の目は晴明に向くことなく、床に落とされたままだ。だけれど、一度口に出したら、晴明は胸に宿る思いを抑えられなかった。

「僕たちは、スーツアクターとしてまだまだ未熟です。だから、これからも勝呂さんには指導をしていただきたいんです。どんなにハードな練習でも構いません。僕はまだ勝呂さんと関わっていたいです」

 それは晴明には、誠心誠意を込めた嘆願だった。まだ勝呂から学ぶことがあると、心の底から信じていた。

 少しだけ顔を上げた勝呂。その目は困っているとも笑っているとも似つかない、一言では表現できない目だった。

「似鳥さん、私はまだスーツアクターやアクター部の指導をやめると、完全に決めたわけじゃないんですよ。全てはまだ話している段階です」

「でも、先生たちには……」

「似鳥さん」。勝呂はもう一度、逡巡している晴明に呼びかけた。改まった口調で名前を呼ばれて、晴明はそれ以上言葉を重ねられなくなる。

 勝呂は表情を優しいものに変えた。気を遣わせまいとしているかのように。

「一日しかないですけど、また来週。元気でお会いしましょう」

 そう言って会話を終わらそうとする勝呂に、晴明は切なくなった。深入りしてほしくないと、晴明を拒んでいるようだ。

 やはり勝呂はもう決意を固めているのだろうか。だけれど、聞き出すことは晴明には怖くてできない。

「はい」と頷くことしかできない晴明を、勝呂は余計な言葉を挟まず見守る。外は相変わらず騒がしく、さきほどまであそこにいたのが嘘みたいだとすら、晴明は思った。



 晴明がホームに降りると、そこに桜子の姿はなかった。本当に先に行ってしまったらしい。

 自分から言ったことなのに、一人で電車を待っていると、晴明は心細さを覚えた。周囲の話し声が全て自分に向いているように感じられる。電車がやってくるまでには、まだ五分以上もある。

 晴明は他の多くの人と同じように、スマートフォンを見て時間を潰した。だけれど、頭の中では勝呂が自分たちのもとから去ってしまう想像が止まらず、晴明の胸を締めつけていた。

「あっ、似鳥くんじゃん」

 そう声がしたのは、晴明が悪いイメージに苛まれている最中だった。

 声のした方向を見ると、有賀が立っていた。コートを羽織って暖かそうにしている。

 晴明が「こ、こんにちは」と返すと柔らかな笑みを見せて、晴明の横に並ぶ。普段なかなか二人きりになることがないから、晴明は緊張を抱かずにはいられなかった。

「今日はあの子はいないの? ほら、いつも一緒にいる子」

「文月なら先に行ってもらいました。ちょっと僕の方に用事があったので」

 あまり相性がよくない桜子がいなくて、ひとまずは安心しているのか、有賀は軽い返事をしていた。晴明が抱いている緊張なんて、まったく気にしていないように。

 早く電車に乗りたいと晴明は思ったが、まだホームに電車が訪れる気配はなかった。

「今日は稲毛にあるカフェの取材だったよね。似鳥くんはカフェとかよく行くの?」

「ま、まあ千葉中央駅の隣にあるチェーン店にはたまに」

「そっか。何飲むの?」

「カ、カフェオレですね。コーヒーは苦くてまだちょっと……」

「そっか。そうだよね。でもいつかコーヒーが美味しいって思えるときが、似鳥くんにもやってくると思うから。楽しみにしてなよ」

「は、はあ……」

 軽く雑談をしてみても、晴明が感じる息苦しさは変わらない。早くこの場を逃れたい。

 だけれど、電車が来るまでにはあと三分もあったので、晴明は自分を感情のないロボットだと思いこむことで、なんとかやり過ごそうとした。しかし、有賀はどうでもいい雑談の延長線上みたいに、あっさりと口を開く。

「そうそう。今日取材が終わったあとにさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、時間って取れる?」

 その言葉を聞いた瞬間、晴明は固まった。心がかき乱されて、感情のないロボットではいられなくなる。

 有賀が聞いてくるであろうことは、晴明にもぼんやりとだが分かる。今まで先延ばしにされていたけれど、とうとうそのときが来たのかと感じる。

「もちろんあの子は抜きにしてさ、二人だけで話すことってできるかな? ちょっと見せたいものがあるんだけど」

「……それなら今見せてくださいよ」

「いや、さすがに今この場で見せるわけにはねぇ。他の人の目もあるし。似鳥くんにとっても嫌でしょ」

 やはり有賀は、自分の過去の話を聞こうとしている。

 確かに晴明としても、あまり人がいるところでしたい話ではない。有賀の連絡先も知らないから、別れた後でと言うわけにもいかないだろう。

 晴明は不本意ながらも頷いた。「ありがと。絶対にあの子には言わないで来てね」と重ね重ね言う有賀に、晴明は鬱陶しく思ったが、それでも「はい」と首を縦に振るしかない。

 電車が入ってくる時間が近づくにつれて、人が増えるホーム。自分たちのことを見られている気がして、晴明は肩身が狭くなっていた。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(143)


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