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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(196)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(195)





 ピッチを取り囲むかのようにトラックに並んで、選手紹介に華を添える。それで晴明のこの日の活動は終了だ。

 バックスタンドの真ん中くらいの位置に立って、選手の名前が呼ばれるたびに小さく手を叩いてみせる。

 スタンドに観客が入った国立競技場の空気は集合写真を撮ったときとは別物で、全ての方向から立ち上ってくる熱気に、晴明の感情も自然と引き上げられた。川崎と広島、両チームのゴール裏から聞こえてくる声援の大きさに、身震いがする。

 ざっと見渡してみても、現時点でスタンドにいる観客は四万人はくだらない。フカスタでは物理的に不可能な動員数に、晴明は軽く圧倒されてもいた。全ての視線が自分一人に向いているわけではないが、どきりと心臓が跳ねる感覚は止まない。

 それでも、晴明はこの舞台に立てている喜びも感じていたから、自覚を持って最後までライリスを務めあげた。こんなに大勢の観客の前に出るのも貴重な経験だと、プラスに考えることができていた。

 選手紹介が終わると、今日対戦する両チームのマスコット、そしてハーフタイムに結果発表を控えるマスコット総選挙の上位三人以外のマスコットは、この日の全ての出番を終えた。つまり晴明を含む多くのスーツアクターたちは、もう会議室にいる必要はない、帰ってもいいということだ。

 それにもかかわらず、さっさと帰る者は少なかった。まだ今日の余韻を味わっていたいと思っていたのかもしれない。

 会議室には天井近くに大きなテレビが設置されていて、晴明たちは地上波で中継されている試合の様子を眺めることができた。試合は前半から両チームが点を取り合う展開で、ゴールが決まったときにはあちこちから歓声が漏れて、妙な一体感が生まれたりもした。

 晴明も疲れて少しウトウトしながらも、中継を眺める。ハーフタイムにマスコット総選挙の結果が発表されたときには、一位を獲得したエイジャくんに自然と拍手が送られていて、暖かな雰囲気に晴明の心も和らいでいた。

 試合は、川崎が三対二で勝った。新しいシーズンの幕開けを告げるにふさわしい白熱した試合に、スタジアムの盛り上がりが会議室にいても伝わってきて、晴明は今日国立競技場に来られてよかったと改めて感じる。

 表彰式が始まるにつれて、徐々に帰っていくスーツアクターたち。少しずつ人が減っていく会議室は、祭りの終わりを感じさせる。

 晴明も残っていたスーツアクターに挨拶をして、筒井とともに会議室を後にした。人がどんどんと帰っていくスタジアムの充足した雰囲気を肌で感じる。少し寂しくもあったけれど、それでも嫌いではない雰囲気だ。

 スタジアムを出ると、出口では桜子と芽吹、植田が待ってくれていた。三人とも口々に、今日の活動を労ってくれて、晴明は嬉しさで胸がいっぱいになる。いい気分で千葉まで帰れそうだ。

 とはいえ、桜子の言うところによると、今最寄り駅の千駄ヶ谷駅や国立競技場駅には人がごった返していて、入場規制がかけられているらしい。帰りの電車に乗れるのは、何本も後のことになるだろう。だから、晴明たちは筒井が運転するハニファンド千葉のワゴン車で、千葉駅まで送ってもらえることになっていた。

 関係者用駐車場まで歩いて、車に乗る晴明たち。道は少し混んではいたけれど、それでも駅の混雑に比べれば大したことはなかった。

 車は高速道路を通って、千葉に戻っていく。渋滞にも巻き込まれずに、一時間と少しをかけて晴明たちは千葉駅の前に到着していた。

 藍色に染まる空のもと、晴明たちは筒井に感謝を告げる。筒井も「来週もまたよろしくお願いします」と言ってくれて、必要とされていることを晴明は光栄に思った。

 筒井と別れると、四人もほどなくして解散する。駅へ向かっていく芽吹と植田を見送ってから、晴明と桜子も自分たちの家へと歩き出す。

 昼間動き続けたおかげで、晴明の身体は少し重たかったけれど、それも誉れに違いなかった。

 雑談をしながらしばらく歩くと、二人はY字路に辿り着く。晴明と桜子の家へは、ここを境に道が分かれる。

 いつの間にか黒く変わった空の下で、立ち止まる二人。暖かかった日中とは打って変わって、今は吐く息が白くなるほど寒い。

「じゃあ、また明日な」

 何の気なしに晴明は言う。桜子の返事は、当然「うん、また明日」だろう。もう数えきれないくらい繰り返しているから、そこに特別なものを晴明は感じない。

 だけれど、桜子はすぐに答えはしなかった。少し迷うような素振りを見せてから、晴明が思ってもみなかったことを言う。

「ねぇ、今日はハルの家までついていっていい?」

 予想だにしなかった提案に、晴明は戸惑う。でも、少し考えてみても断る理由は見当たらなかったので、「ああ、いいぜ」と同意する。

 一緒になって似鳥家へと向かう二人。意味のない会話をして、時間を潰す。

 晴明はどうしてついてくるのか、桜子に尋ねることはしなかった。単に今日の活動を労いたいからだろうと考えていた。

 三分ほど緩やかな上り坂を上って、二人は似鳥家の前に辿り着く。リビングの照明がついていて、暗がりの中で眩く光っている。

「じゃあな、サク。また明日」

 身体を震わせるような寒さもあって、晴明はシンプルに口にした。

 でも、桜子は「ちょっと待って」と、すぐ晴明を家に帰そうとはしなかった。やはりついてきたのには理由があるのだと、晴明は感じる。寒さはあるけれど、まだ少しはここにいられそうだ。

「ハル、改めてだけど今日はお疲れ様」

「ああ。あんな人多いの初めてだったから、本当疲れたよ」

「でも、ハル立派に活動してたじゃん。ちゃんとライリスだった。思えば私、よくライリスの近くにいるけど、触れ合ったことはあまりないもんね。だから今日握手と、一緒に写真撮れてすごく嬉しかった。すごく元気もらえたよ」

「そっか。そう言われると、スーツアクター冥利につきるな。サクが喜んでくれて、俺も嬉しいよ」

 寒さなんて感じていないみたいに桜子が微笑んだから、晴明も気分よく答えることができた。こうして直に触れ合った感想を伝えられることはそうそうないから、どこかくすぐったくもなる。おかげでまた前向きな気持ちで、来週のSJリーグ二部の開幕戦に臨めそうだ。

 晴明が改めて「ありがとな」と言うと、桜子は少し頬を赤らめていた。何気ないやり取りのはずなのに、どうしてだろう。

 晴明が少し不思議に思っていると、桜子は小さく息を吐いた。何か決心をつけるかのように。

「あのさ、今日はハルに渡したいものがあるんだよね」

「渡したいもの?」。そう晴明が聞き返すと、桜子は一つ頷いてスクールバッグの口を開けた。

 中から取り出されたのは、赤い平たい箱だった。表面には金色のリボンが結ばれている。

 一目見ただけで、晴明はそれが特別なものであることを察する。そして、桜子からそれを貰える心当たりも、確かにあった。

「これを俺に?」

「そう。何も言わずに受け取って。選ぶのけっこう大変だったんだから」

 桜子から受け取った箱は、見た目ほどには重くなかった。少し拍子抜けする感覚もあったけれど、それでも晴明には嬉しいことには変わりない。

「ありがと。めっちゃ嬉しい。ちなみになんだけど、これ何?」

「全部言わないと分かんない? ハルだって、今日が何の日かぐらい知ってるでしょ」

 少し恥ずかしそうに答えている桜子に、晴明はそれ以上深く尋ねなかった。桜子がプレゼントをくれたという事実だけで、心が温められる。中身は家に帰ればすぐに分かることだから、そこまで気にする必要もないと思えた。

「ああ、来週の日曜は俺の誕生日だから、一足早い誕生日プレゼントをくれたんだよな。ありがとな。大事にとっとくよ」

「いや、とっとく類のものじゃないし、それもあるんだけど……。ねぇ、ハル。本当に分かんないの? ああやってイベントにも出たのに?」

 頬が赤く染まっている桜子にそう言われて、晴明は考えを巡らす。それは、一〇秒もしないうちに分かることだった。どうして忘れていたのだろう。アサヒデラックスカップに集中していたせいか。

 自覚すると、晴明も少し恥ずかしくなる。最後にそれを贈られた日は、晴明が覚えていないほど昔のことだった。

「ああ、そっか。そうだよな。うん、ありがと。大事にいただくよ」

「うん、そうして。けっこういいとこのだから」

 そう桜子が言って、晴明が頷いたところでいったん会話は終わった。珍しく桜子はなんて言えばいいか、迷っているようだったけれど、それは晴明も同じだ。このまま帰っていいのか、判断に迷う。

 少しして晴明は「あのさ」と発する。でも、それは桜子が口を開いたのと、本当に同時だった。

 晴明は、桜子に順番を譲る。桜子は一つ小さく咳をしてから言った。

「ハル、これからもスーツアクターの活動頑張ってね。みんなハルのことを待ってるから」

「ああ、ありがとな。また明後日から練習頑張るよ」

「うん、その意気でね。じゃあ、私そろそろ行くから。また明日ね」

「ああ、また明日」。そう言葉を交わして、桜子は晴明の前から去っていった。その後ろ姿を、晴明は角を曲がって見えなくなるまで見送る。

 晴明が訊きたかったことは、このプレゼントにどんな意味があるのかだったが、今はそれを訊くのは野暮だなと思う。

 意味なんて関係ない。桜子がこれをくれたことが全てだ。

 晴明も玄関へと歩き出す。ドアを開けると、冬樹と奈津美の「おかえり」と言う声が聞こえて、晴明はようやく今日の活動が終わったと達成感に包まれた。

 学校での練習や試合前日の告知活動に励んでいるとあっという間に時間は過ぎて、晴明が気がついたときにはもう二月二一日、ハニファンド千葉のホーム開幕戦の日を迎えていた。空は先週のデラックス以上に晴れ渡って、気温も天気予報では四月上旬並と言っていたから、朝起きても今までよりは晴明は肌寒さを感じない。

 準備を整えて家から出ると、玄関の前には桜子が待っていた。「おはよう」の後に立て続けに「誕生日おめでとう」と言われて、晴明も素直にはにかむ。一度しかない一六歳の誕生日に、好きな部活の活動ができる自分は幸せ者だと思った。

 千葉駅から電車に乗って、フカスタの最寄り駅である蘇我駅に向かう二人。電車の中には、まだキックオフまで四時間以上もあるというのに、既にハニファンド千葉の赤いユニフォームを着ている人がいて、晴明はバレないように口元をほころばせた。

 グラデーションの赤色がストライプ柄となったそれは、間違いなく今シーズンのユニフォームで晴明は嬉しくなる。きっと他にも同じユニフォームを着た人は、大勢やってくるだろう。

 それにライリスとして応えなければと、晴明は決意を新たにした。

 蘇我駅に着くと、いつものように先輩たちや顧問の二人が待ってくれていた。渡に成、芽吹に五十鈴に植田。勝呂は別の場所で自分の活動があるから来られないが、それでもアクター部が全員勢ぞろいしている様は、晴明に計り知れないほどの心の安定をもたらす。

 当然渡たちも晴明の誕生日は知っていたから、自然な流れで晴明は口々に誕生日を祝われた。その全てを、晴明は心の中で両手を広げて受け入れる。五十鈴や植田も「おめでとう」と言ってくれて、ここまで多くの人間に祝われたのは久しぶりだったから、少し泣きそうにさえなってしまう。

「ありがとうございます」という返事に、精いっぱい心を込める。桜子も含めて今ここにいる六人は、晴明の中ではとっくにかけがえのない存在になっていた。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(197)


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