スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(195)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(194)
「こんにちは! ライリス! 昨日ぶりだね!」
千葉から離れたこの地でも、いつもの調子で声をかけてきたのは由香里だ。隣には莉菜もいる。晴明も手を掲げて、二人に応じた。
少し遅くなったのは、他のマスコットが登場する際の写真を撮っていたからだろう。フカスタではアウェイチームのマスコットとも、積極的に触れ合っている二人だ。
だから、晴明は気を悪くすることはなかった。二人が今日という日を楽しんでいることが、嬉しかった。
「ライリス! 私たちもうシーズンチケット買ったよ! 毎試合、ライリスのことを見に行く!」
由香里のテンションは、フカスタのときと少しも変わらない。そのことが、晴明を懐かしい気持ちにさせた。フカスタと環境は大きく異なるけれど、それでも心を落ち着けてグリーティングを行うことができる。
手を握ったり、芽吹にスマートフォンを預けて三人で写真を撮ったり。由香里だけでなく莉菜も輝くような表情をしていて、晴明の胸は弾んだ。
新しい学校に馴染めているかは、分からない。でも、こうして一時間以上かけて千葉からやってきたということは、精神状態は悪くはないのだろう。それが晴明には、自分のことのように嬉しい。応対する動きにもハリが出る。
ライリスを好きでいてくれてありがとうと、心の底から感謝を伝えたかった。
「じゃあ、ライリス。また来週、フカスタでね!」
一通り触れ合い終わった後にそう言うと、由香里と莉菜はライリスの元から離れ、すぐ隣にいる他のマスコットのもとへと向かっていった。分け隔てなくそのマスコットにも愛情を注いでいる二人を見ると、晴明は微笑ましくなる。
それでも、晴明は動きを止めることなく、次にやってきた来場者にグリーティングをした。人前に出ている以上は、自分はライリスを演じ続けなければならない。
途切れることなく自分の前に人がやって来ている状況は、晴明にはありがたい以外の何物でもなかった。求められていることに、誇りを持ってライリスを演じることができていた。
由香里や莉菜と離れてから、少しして自分の前に現れた集団に晴明は飛び上がりたくなるほどの喜びと、少しの緊張を覚えた。
ライリスの前にやってきたのは、アクター部の面々だった。写真係を務めている芽吹以外の全部員、桜子、渡、成がそこにいた。
いや、それだけではない。五十鈴や植田、勝呂といった顧問・外部指導者に加えて、もう引退した佐貫や泊までいる。
まっすぐ自分たちのもとに向かってきた八人に、晴明は感動を禁じ得ない。芽吹も入れた全員が揃っているのは、なかなか壮観な光景だった。
一度、芽吹も入れた全員で集合写真を撮ってから、晴明とアクター部の面々一人一人とのグリーティングに臨む。とは言っても握手やグータッチなどの軽度なスキンシップだったが、晴明は一人一人にできうる限りの心を込めて接した。
卒業していく佐貫や泊には、もう自分は大丈夫だと伝える意味もある。二人とも溢れんばかりの笑顔を見せていて、とっくに自分は認められているのだと晴明は知る。
三年生はもうあまり学校には来なくなっているから、晴明たちが会える機会は意外と少ない。だから、今までの感謝も込めて、晴明はフェルト越しにじっと二人の目を見た。
見つめ返してくれる二人の目はどこまでも優しく、晴明の未来を無条件で応援してくれているようだった。
ライリスとのグリーティングを終えた八人が散り散りになって、それぞれ好きなマスコットのもとへ向かっていった後も、マスコットたちの場外グリーティングは続いていた。活気は少しも損なわれることなく、国立競技場を場外から盛り上げていく。
晴明のもとにも、引き続き多くの来場者がやってくる。
そのなかには、晴明の見知った顔も少なくなかった。それはいつもフカスタにやって来てくれるハニファンド千葉のファンやサポーターだったり、水谷や有賀、田鍋といった日頃から交流のある人物だったりした。
桜子の母親である菊枝は夫婦で来てくれたし、勝呂の父親である五郎も仕事関係なしにやって来てくれていて、ライリスを着た晴明と触れ合ってくれる。成の友人である手塚や根岸、アクター部のOBである片桐も、わざわざ東京まで足を運んでくれていた。
普段の晴明を知っている人物とのグリーティングには晴明は緊張もするが、それでも来てくれて嬉しいという喜びが上回る。おかげで肩ひじ張らずにライリスを演じることができた。
時には近くにいるマスコットに仕草で呼びかけられ、軽くジャスチャーで会話をしてみたり、一緒に写真に収まってみたり。
晴明たちの一挙手一投足に反応するように、周囲の来場者たちもスマートフォンを構えたり、表情を緩めたりしてくれる。視界は前方の限られた部分しか見えないけれど、スタジアム前の広場全体に同じ空気が広がっているのを、晴明は肌で感じた。
今ここにいる人たちで、この状況を楽しんでいない人は一人もいないと思えるほどだ。日々の嫌なことや面倒くさいことが、一切ない空間。
もちろんサッカー観戦のメインは試合だ。ピッチでプレーする選手たちだ。
でも、マスコットはそんなサッカー観戦に、彩りを加える以上の働きができる。かけがえのない楽しい思い出を人々に与えることができる。
広場に集まっている人々の輝かしい顔がそれを証明しているようで、晴明も大変だけれど、自ずと笑顔になってしまう。場外グリーティングがたった三〇分に限定されているのが、口惜しく感じられた。
フカスタで何回もグリーティングをしてきているから、晴明には三〇分がどれくらいなのかという感覚が染みついていた。次々とやってくる来場者に、明るく元気に心を込めて応対していると、あっという間に時間は過ぎ、そろそろ戻る時間だということが何となく分かる。
確かに、ひっきりなしのグリーティングで身体は疲れてきている。あと一〇分だって続けられそうにない。まだこの場にいたい気持ちはあるけれど、それが現実だ。
だから、晴明は残りの力を振り絞って、周囲の人の気持ちを和らげるライリスでいることに徹する。フカスタにはなかなか来られない人だって、今日の来場者の中には大勢いるのだ。だから、最後の一人まで手を抜くことはとてもじゃないけれどできない。
ひたむきにグリーティングを続ける。その二人が晴明のもとにやってきたのは、そんなときだった。
人混みのなかに、晴明は冬樹と奈津美の姿を見つけた。初めて来たと思しき国立競技場のスケールの大きさに、少しキョロキョロと目を動かしているのが見える。
でも、二人はライリスに気がつくと、他のマスコットは関係なく、まっすぐ向かってくる。
二人に前に立たれた時、晴明は一瞬息が詰まりそうになるほどの緊張を感じた。去年のフカスタでは、メインスタンドから見るだけだったから、ライリスに入っている状態の晴明とは初めて触れ合うことになる。特に長い間アクター部での活動に反対していた冬樹を目の当たりにすると、晴明の心臓はきゅっと縮むようだ。
だけれど、そんな葛藤も晴明は一瞬で終わらせて、元気よく手を振った。冬樹も奈津美も国立競技場にやってきた観客には違いない。そして、マスコットの中の人たる自分には、観客を楽しませる役割がある。
奈津美が手を振り返していて、晴明に残り少ない場外グリーティングを乗り切るだけのパワーを与えた。
芽吹にスマートフォンを預けて、三人で記念写真を撮る。ただでさえ三人で写真を撮る機会は意外と多くないから、二人に両脇に立たれると晴明は少しこそばゆい。
二人、特に冬樹がどんな表情をしているのか気になる。笑ってくれているのだろうか。帰ってからしか写真が確認できないことに、晴明にはどこかもどかしさを感じた。
写真撮影が終わると、そのままグリーティングの開始だ。自然な流れで奈津美が右手を差し出してきたから、晴明は両手を使って握った。清々しい奈津美の表情に、心が落ち着く。
でも、手を離したら次はすぐ冬樹との触れ合いが待っている。もちろん緊張はする。
でも、奈津美の手を離して顔を向けると、冬樹は自分から右手を差し出してくれていた。晴明もすんなりと同じように両手で握ることができた。応えるように冬樹も左手を出して、晴明の左手を両手で包んでくれる。
晴明は一言では言い表せない思いを、両手に込めた。慣れていないのだろう、冬樹は少し恥ずかしそうな表情をしていたけれど、厚いフェルト越しでもしっかりと手のぬくもりを感じる。
入部した頃には考えられなかった状況に、晴明は万感の思いさえ抱いていた。油断したら、「来てくれてありがとう」と、声を漏らしてしまいそうなほどに。
マスコットやキャラクターと触れ合う経験があまりないから、どうすればいいか分からなかったのだろう。二人は晴明と写真撮影と握手以上のやり取りをすることなく、「ありがとね」と手を振りながら、離れていってしまった。
時間にしたら、一分にも満たない短いやり取り。でも、それだけで晴明の心は満たされていた。手を振って見送りながら、これからもアクター部で活動を続けることができると、強く思った。
気がつけば近くにいるマスコットの中には、もう場外グリーティングを終えて戻り始めているマスコットもいる。筒井も晴明の背中を優しく二回叩いて、グリーティングの終了時間を伝える。
厳密に言えばまだ出番はあるものの、冬樹や奈津美と触れ合ったことで、やりきった感覚も晴明にはあったので、素直にそのサインに従った。
筒井に手を引かれ、出入り口に戻りながらも最後まで晴明はライリスでいることをやめない。スマートフォンを向けてくる人やハイタッチを求めてくる人に、疲れなんてないように元気に応じる。
そうして少しずつ進んで、晴明は再びスタジアムの中に入った。廊下を歩いていても、まだ外にいるかのようにしばらく興奮した感じは抜けなかった。
多くの来場者と触れ合えて楽しかった。そう心から言うことができた。
(続く)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?