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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(189)


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 翌日。晴明は顔を撫でる暖房の風に目を覚ました。スマートフォンのカレンダーは、きっかり二月の一三日を指している。

 普段だったらすぐに起き上がって、朝食を食べに向かっているところだが、この日の晴明はなかなか布団から出られずにいた。それは寒波が近づいているせいではなく、昨日発表されたマスコット総選挙の結果に起因するものだった。

 去年と同じ二五位という順位に終わったライリスを、ファンやサポーターは笑顔で受け入れてくれるのだろうか。

 おそらく優しく接してくれるだろうことは分かっていても、晴明は後ろめたさを感じていた。顔向けができないとすら思えてしまう。

 そんなことを感じているのは世界に自分だけと分かっていても、すっぱり切り替えて前向きになることは、晴明にはまだ難しかった。

 それでも意を決して布団から起き上がり、朝食を食べ、準備をしてドアを開けると、玄関の前には桜子が立っていた。昨日の結果発表を気にしていないかのような爽やかな顔で、「ハル、おはよ」と言ってくる。寒空のもと待たせてしまった申し訳なさも手伝って、晴明は短い言葉しか返せなかった。

 千葉駅へと向かう間も、二人の会話はあまり弾まない。桜子から振られた話題を、晴明はうまく広げられなかった。昨日の今日でまだそこまで頭は回っていなかったし、桜子がマスコット総選挙の話題を避けていたことも、晴明には気になった。気を遣われているようで、どことなくきまりが悪い。

 晴明の調子を桜子は深く問題視していなかったが、晴明には本当に今日の出番を全うできるか、少し不安がのぞいていた。

 晴明と桜子が蘇我駅に着いたのは、キックオフの四時間前だったけれど、すでに改札前には他の部員や顧問の二人が到着して、晴明たちを待ってくれていた。

 まだハニファンド千葉の赤いユニフォームや、柏サリエンテの青いユニフォームを着た人の姿は見られなかったけれど、ハニファンド千葉のエンブレムを背にしている五人を見ると、晴明はずいぶんと久しぶりだと感じる。

 去年、昇格プレーオフ決勝を戦ってから、フカスタで試合が行われるのは実に二か月ぶりだ。シーズンオフの期間も毎週のようにライリスの出番はあったけれど、こうしていざ蘇我駅に集まると、どことなく胸が高鳴る。ハニファンド千葉のホームゲームが、すっかり晴明には日常のものとなっていた。

 同時に緊張も大きくなる。何度ライリスに入ってみても、フカスタでの出番はやはり特別で、晴明は新鮮にドキドキしていることを感じていた。

 フカスタが近づいてくるにつれて緊張は、晴明の中で強く存在を主張する。まだ散歩している人ぐらいしかおらず、キッチンカーの姿も見えないスタジアム前の広場が、晴明の気を引き締めていく。

 賑わいを想像しながら、関係者入り口からスタジアムに入り、晴明たちは去年と同じ第二会議室に通された。風通しのいい挨拶をしてくれる筒井や市村に、同じく明るく声を揃えて返す。

 まもなくして、晴明はブルーシートにライリスたちの着ぐるみが乗っているのを見つける。今まで幾度となく見てきた顔が、スタジアムという特別な舞台だからか、いつもより精悍に晴明には見える。まるで何を気を落としているんだと語りかけてくるようで、晴明は息を呑んだ。

 不安でも、自分はライリスのスーツアクターなのだ。顔向けできないなんて、悠長なことは言っていられない。

 晴明は椅子に座る前に、もう一度ライリスやピオニン、カァイブの顔を眺めた。大きな瞳は自分たちが入るときを、今か今かと待ち構えているようだった。

 樺沢が、アテンドだろう、柏サリエンテのピステスーツを着た男性と第二会議室にやってきたのは、晴明たちが到着しておよそ一〇分後のことだった。男性が持つ布袋は大きく膨らんでいて、中にエイジャくんの着ぐるみが入っていることが分かる。

 樺沢は室内に入るとすぐに、筒井や市村に挨拶をしていた。丁寧ながらも両者とも物腰は柔らかで、同じ県に居を構えるライバルとはいえ、良好な関係を築いているようだった。

 座っていた晴明たちも、一か所に集まる。続けて晴明たちのもとへとやってきた樺沢と男性は、少し笑みも見えるようなリラックスした表情をしていて、緊張している自分とは大違いだと晴明は思う。

 少し話してみても、言葉の節々から今日に対する期待が感じられて、ここが自分のホームではないことも、樺沢はものともしていないようだった。

「ようやくシーズン開幕が近づいてきたよな。一二月ぶりだもんな。たった二ヶ月とはいえ、めっちゃ長く感じたよ」

 樺沢は挨拶を終えてもなお、手持ち無沙汰なのか晴明のもとに近づいて話しかけてきていた。着ぐるみに入っている年数も、キャラクターの人気も全てが上の樺沢に、晴明は余裕めいたものを感じる。今日もいい日になると、信じて疑っていないかのようだ。

 久しぶりに会った樺沢がどことなく眩しく見えて、晴明は「ま、まあ」と曖昧な返事しかできなかった。

 だから、隣に座る桜子が「そうですね。すごい長かったです」と相槌を打ってくれたことには助けられた。

「俺もさ、毎週エイジャくんに入ってどっかに出かけてたんだけど、やっぱスタジアムでの出番は、他となかなか比べることができない特別なもんじゃんか。だから俺、今日をずっと楽しみにしてたんだよね。たとえそれがフラスタじゃなくても」

 にこりと笑いかけた樺沢に、晴明はおずおずといった態度しかできずにいた。エイジャくんにより人気が集まってしまうかもしれないという、恐れが再燃する。「確かにサッカークラブのマスコットですから、スタジアムでの出番は活動のメインと言ってもいいですもんね」と答えた桜子の声も、耳を滑っていく。

 晴明はあと三〇分後に迫った、最初の場外グリーティングのことさえ考えられずにいた。

「それにさ、俺今日似鳥たちアクター部のみんなと共演するのが本当に楽しみでさ。だって、前ライリスと一緒に出たのって去年の一〇月とかだろ。そのときから似鳥がどれだけライリスに馴染んできたかも楽しみだし、南風原や渡っていったっけ? 他の部員と一緒に出ることも初めてだから、とにかくワクワクしてさ。早くちばしんカップの日にならないかなって、シーズンが終わった後からずっと心待ちにしてたんだ」

 樺沢は、さりげなくハードルを上げてくる。晴明には苦笑するだけの余裕はなかった。樺沢の期待する気持ちは、きっと自分やエイジャくんが応援されている、愛されているという確信から来るものだろうとも思ってしまう。

 でも、ライリスにも同じように関心を持ってくれる人や、好いてくれる人はいる。エイジャくんに人数では及ばないとはいえ、ないがしろにすることはその人たちにとって失礼極まりない。

 晴明は努めて視線を上げたまま保つ。口元は笑えなかったけれど、何とか頬を緩めようと意識する。

「そ、そうですね。僕も今日を楽しみにしてました。スタジアムでの出番は今年初めてですから」

「そうだな。やっぱサッカークラブのマスコットはスタジアムに出てなんぼだもんな。俺も今日が待ち遠しかったし、早く来週になって、フラスタに登場したいと思うよ」

「ところでさ」。そう樺沢が言葉をつないだから、晴明の胸はどきりと跳ねる。次の言葉が出てくるわずかな時間でも、晴明は気が気でない。

「似鳥さ、緊張してる? なんか表情硬いんだけど」

 胸のうちをズバリ言いあてられて、晴明は返事に詰まってしまう。自分では自然にふるまっていたつもりだけれど、そう意識している時点で自然ではなかったのだろう。

「ハル、今朝会った時からこんな感じなんです。そんなにこわばらなくてもいいのにって思うんですけど」と言う桜子の声が、耳を右から左へとすり抜けていく。

 一時間もしないうちに訪れる出番が、晴明にとってはずっと先のように感じられた。

「そっか。まあでもそんな気を張らなくてもいいと思うけどな。だって似鳥は去年、何度もライリスとしてフカスタに出てきたわけじゃん。そのときのことを思い出しながらやれば、大丈夫だと思うよ。何もまったく新しいことをする必要はないし」

「本当ですか……? 去年のようにやって大丈夫なんでしょうか……?」

「全然大丈夫だよ。ていうかファンやサポーターの人には、変わらないライリスの姿が嬉しいんだし。ほら、選手は毎年変わるじゃん。だからこそ、変わらないことに価値があるんだよ。だからさ、そんな肩ひじ張ってないで、もっと楽しむ気持ちを持った方がいいと思うよ。暑くて暗い中では難しいかもしれないけど、自分が楽しんでたら、それは動きに現れるし、ファンやサポーターの人たちにも絶対伝わるから」

 樺沢の励ましは理想を並べたものだったが、それでも不思議と素直に晴明に届いた。今までやってきたことを肯定された気分になって、後ろめたい気持ちもいくらか軽減される。アクター部に入ってから、ライリスを着るようになってからの自分の経験を信じてもいいのだと、前向きな気持ちにもなれた。

 マスコット総選挙の結果が何位だろうと、ライリスに会えるのを楽しみにしてくれる人がいる。その期待に応えたいと、晴明は以前にも増して思えた。

「ありがとうございます。少し気分も持ち直せました。今日一日なんとかがんばれそうです」

「ああ。お互い無理のない範囲で、今日のちばしんカップを楽しもう。試合以外にも、ファンやサポーターの人に来てよかったって思ってもらえるように」

 一点の曇りもない樺沢の表情を見ると、晴明の心に垂れこめる雲も晴れていくようだった。今日一日を乗り切れそうなエネルギーが湧いてくる。

 席を外していた筒井が戻ってきて、自分のもとに集まるように言う。晴明たちはうなずき合うと、筒井のもとに向かった。

 配られる今日のスケジュールを記したプリント。丁寧な筒井の声に、晴明の胸はいよいよだと高鳴り始めていた。

 入場開始時間が近づくにつれて、スタジアムの外には人の気配が漂い始める。予定ではもうスタジアム前広場にはキッチンカーが到着して、スタジアムグルメの販売を始めている頃だ。きっと入場口付近には、何人かの熱心な両チームのサポーターが列をなしているのだろう。

 今日のちばしんカップはSJリーグ主催の公式戦ではない。だから、入場開始は誰でも同じキックオフの二時間前、一二時からとなっている。

 ライリスやエイジャくんたちの最初の出番、スタジアム外でのグリーティングは、さらにその一時間前の一一時を目途に開始される。

 フカスタに到着した時には、まだ先のことだと思っていた出番が着実に近づいてきて、晴明の心臓は少しずつ鼓動を速めていた。樺沢と話したことで、恐怖心や後ろめたさは軽減されたが、それでも期待に応えなければという使命感は、晴明に新鮮な緊張をもたらしていた。

 部員たちや樺沢と話していると、あっという間に準備の時間はやってきて、晴明は気持ちを新たにライリスを着た。今まで幾度となく入ってきた着ぐるみの中が、なんだか特別な感覚がした。自分を包む暗闇の色が、今までとは違うような。やはりスタジアムでの出番は違う。

 会議室を出て外へ向かう晴明たち。一歩一歩歩くたびに、晴明の肌には神聖な空気が染みこんでいくようだった。

 筒井に手を引かれてスタジアムの外に出ると、視界が一気に開けて、気温は上がっていないけれどそれでも爽やかな空気が、晴明には目に見えるようだった。

 スタジアム南側のグリーティングスペースへ向かう間も、そばにいた何人ものファンやサポーターが、スマートフォンを向けたり、驚いたようなリアクションを示してくれた。

 晴明も手を振ったり、そばに来てくれた人にガッツポーズをしたりして応える。喜んでくれる姿は、晴明のマインドをあっという間にシーズン中に巻き戻し、歩くにつれて緊張も軽くなっていく。

 先頭を歩いているから、後ろは振り返られないけれど、ピオニンやカァイブ、エイジャくんにも同じように反応が集まっているのが雰囲気で分かる。自分たちに向けられた好意的な反応に、晴明は一気に誇らしくなった。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(190)


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