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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(149)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(148)





 ピッチではゴールキーパーのウォーミングアップが始まっている。両チームのサポータが歌う応援歌が、スタジアムを駆け巡る。

 それぞれリズムの異なる応援歌を両耳で聞きながら、晴明と桜子はメインスタンドに出た。上総台の運動着の上から黄色いビブスを羽織れば、試合運営のボランティアで来ているという理屈が通る。

 向かう場所は一点しかなかった。

「由香里さん、莉菜さん。今日もフカスタに来てくださってありがとうございます」

 桜子が声をかけると、莉菜は曖昧に頷き、由香里は立ち上がった。二人ともお揃いの一二番のユニフォームを着用していて、莉菜の膝元にはコンコースで販売されているカレーライスが乗っかっている。シーズン最終戦だからといって、二人の過ごし方に特別変化は見られなかった。

「文月さんと似鳥さんは今日もボランティアですか? こちらこそいつもありがとうございます」

「いえいえ、私たちももう二週に一度の楽しみなようなものになっていますから。由香里さんたちと一緒ですよ」

 謙遜する桜子の横で晴明も頷いた。晴明だってライリスに入ってファンやサポーターと触れ合うことに、楽しみを見出している。

「あの、どうですか?」

「どうって何がですか?」

 アバウトな質問だったから、訊き返されるのは当然だった。晴明は莉菜に目を向ける。目が合ったけれど、瞳の奥にはまだどんよりとした雲がかかっているように見えた。

「莉菜さん。体調の方は大丈夫なんですか?」

 晴明が尋ねると、莉菜はわずかに目を伏せた。些細なリアクションだけで、莉菜の状態を晴明には何となく察してしまう。

「ぼちぼちって感じです。あっ、でも最近はフカスタ以外にも、少しずつ外出できるようになってきたんですよ」

 由香里がせめてもの思いで語尾を弾ませたのが晴明には分かったから、胸がより締めつけられる。こちらを見上げている莉菜は、顔を上げるのにも大きなエネルギーを使っているみたいだった。

 晴明には「それはよかったです」という言葉しか思い浮かばなかったが、桜子はそれより多くの言葉を用いて、由香里や莉菜と会話を続けている。

 スタジアムのスピーカーから勇壮な音楽が流れる。それに伴ってフィールドプレイヤーがピッチに登場してきた。スタンドは手を叩いて選手たちを迎える。一礼をした後の選手の顔たちは、いい具合に引き締まっている。

 ゴール裏では大きな旗が振られている。何本もの旗がかわるがわる上下動する様子は、晴明にはいつでも新鮮だ。

「今さらですけど、今日でリーグ戦終わっちゃうんですよね」

 ウォーミングアップを始めた選手たちを見ながら、由香里が呟いた。小さな声がサポーターの応援歌にかき消されずに、晴明の耳に届く。

 途中参加の晴明だって、少し感慨深い気持ちになっているのだ。一年間見守ってきた由香里ならなおさらだろう。

「序盤戦はなかなか勝てなくて。でも、自分たちのスタイルを信じて貫いているうちに、少しずつ結果もついてくるようになって。簡単ではないけど、最終節まで自動昇格を狙える位置にいるんですもんね。シーズンが始まった頃には想像できませんでした」

 由香里が抱いている感傷が言葉に乗って、晴明にも伝わる。莉菜も目を細めている。

 ハニファンド千葉はここ数年、昇格プレーオフにすら進出できていない。数年ぶりに巡ってきた千載一遇のチャンスに、二人だけでなくスタジアム全体が応援しようという意志を固めているようだった。

「そうですね。私たちがボランティアに参加するようになってからでも、今年は色々ありましたから。でも、由香里さん。まだ終わりじゃないですよ。たとえ数字上は厳しくても、まだ自動昇格の可能性は残されてるんですから。試合が終わるその瞬間まで、ハニファンド千葉が勝つように祈っていてください。きっと選手にも伝わるはずですから」

 桜子の力強い言葉に、晴明も頷いて加勢する。ハニファンド千葉が勝つためにはゴール裏だけでなく、スタジアム全体が一体となって勝利を願うことが不可欠だと感じていた。

「はい。たとえどんな苦しい展開になろうとも、最後まで勝利を信じて見ていたいと思います。私たちが諦めちゃったら、選手たちにも伝わっちゃいますから。ねぇ、莉菜」

 声をかけられて、莉菜はわずかに口角を持ち上げた。心配をかけさせまいと、明るい表情を作ろうとしていた。

 正直晴明には少し無理をしているように見えるものの、莉菜の心情を考えたら、指摘することはできない。

「うん。今日こそは絶対に勝ってくれる。私たちはそう信じてスタジアムにやってきたんだから、きっと選手もやってくれるよ」

 言葉に今持てるありったけの力を、莉菜は込めていた。心からそう思っていることが伝わり、ファンやサポーターの鑑だと晴明は感じる。

 きっと莉菜の体調はまだ万全ではない。にもかかわらず、決して近くはないスタジアムにやってきてくれたのだ。

 晴明はウォーミングアップをしている選手たちを垣間見た。心底勝利を願っている莉菜をはじめとしたファンやサポーターに、何としても応えてほしい。

 そう思うとピッチ上の選手たちが、心なしかいつも以上に集中しているように晴明には見えた。



 こだまする応援歌が、スタジアムを揺らしている。ゴール裏のファンやサポーターが一人残らず声を張り上げているように思えて、ライリスを着ていながら、晴明は思わず拳を握った。

 ピッチ上では、両チームの意地がぶつかり合っている。だけれど、優勢なのはハニファンド千葉の方で、先ほどからEC岐阜を一方的に押し込んでいる。シュートも何本も打っているものの、どうしてもゴールが奪えない。

 既に試合は後半のアディショナルタイムに突入していて、スタジアムはこの日一番の盛り上がりを見せていた。晴明も祈るような思いで見つめる。もう自動昇格はほとんど不可能だけれど、それでも最後は勝って終わってほしいと、心から願っていた。

 一対一。それが今のスコアだ。

 ハニファンド千葉は前半一点を先制されたものの、後半に追いついて、今は試合を決定づける逆転ゴールを狙っている。アディショナルタイムに入ると大型ビジョンから試合時間の表示が消えるから、晴明にはどれくらいの時間が経ったか分からない。

 それでも試合が終わろうかというところで、ハニファンド千葉はコーナーキックを得ていた。ゴールキーパーも上がり、ゴール裏のサポーターがよりいっそう声を張り上げる。ラストチャンスを決めきろうと、アウェイゴール裏の岐阜の応援も飲み込んで、スタジアムは一体となっていた。

 だけれど、思いを込めたコーナーキックは決まることなく、逆に相手選手にボールを大きく蹴りだされて、試合は終わってしまった。

 試合終了の笛を聞いた瞬間、ピッチでは何人もの選手が座りこんでいて、晴明は選手たちが文字通り死に物狂いで戦っていたことを知った。勝てなかった残念さに覆われて、スタジアム全体がため息をついているようだ。

 だけれど、そんな中でもゴール裏のサポーターは応援歌を歌い続けていた。まだシーズンは終わっていない。プレーオフに進むことになったものの、昇格の可能性が潰えたわけではない。

 再び選手たちが前を向いて戦えるよう、サポーターの後押しは試合が終わってもしばらく続いていた健気で一生懸命な姿に、晴明は感動を覚えずにはいられなかった。

 試合が終わった後は、各スタンドへの挨拶が行われる。ひとまずベンチに戻ってきた選手たちに、ライリスたちマスコットも合流した。

 選手たちは無念そうだったり、悔しがる表情を見せていたから、晴明たちはおいそれと絡めなかった。ベンチの空気の重さは負けてしまったのと大差がない。

 だけれど、キャプテンの新垣を筆頭に声をかけあって、まずはバックスタンドへと挨拶に向かっていく。どんなに悔しくても、足を止めるわけにはいかない。サッカー選手というのは大変な仕事だと、晴明は改めて感じた。

 引き分けて足取りが重い選手たちを迎えたのは、暖かな拍手だった。感動的な舞台を見たときのように、立ち上がって手を叩いているファンやサポーターさえいた。客席に残っている全ての人が選手たちの健闘を心から称えているようで、ここまで暖かく迎えてくれていることに、晴明でさえもこれは簡単に裏切れないなと思う。

 選手たちも相当期するものがあるのだろう。一礼してゴール裏に向かうときに垣間見た表情は、次こそは勝たないとという使命感を帯びていた。

 ゴール裏からは選手たちが到着する前から、拍手とともにいくつもの激励の声が飛んでいた。

「まだ終わってねぇぞ!」「次は勝とうぜ!」「一緒に昇格しようぜ!」

 九〇分間声を張り上げ続けて疲れているはずなのに、それでも心のままをぶつけてくれて、晴明でさえもこみ上げるものを感じてしまう。

 一列に並んで選手たちと一礼するライリスたち。団結した拍手は、ハニファンド千葉がプレーオフを勝ち抜くことを信じて疑っていなかった。

 ふと、ゴール裏の前中央に立っていたサポーター、コールリーダーというらしい、が自らが手に持っていたメガホンをピッチに向けて差し出してくる。

 代表して受け取った新垣は、スイッチを入れると一人一人の顔を確認するように、ゴール裏を見回した。サポーターも新垣の言葉を待っていて、わずかな時間でも両者のつながりの深さを晴明は感じた。

 息を吸って新垣が話し出す。

「皆さん。今日は皆さんに思うような結果をお見せできなくてすみませんでした」

「そんなことないよー!」とか「次こそ勝とうぜ!」といった言葉が新垣に、選手たちにかけられる。それらを全て受け止めてから、新垣は「でも」と言葉を繋いだ。

「まだ、まだ二試合残っています。このメンバーで一部昇格のために戦える試合が、二試合残っています。僕たちは必ず勝てるように全力を尽くすので、皆さんも一緒になって戦ってください! 最後に笑えるように、残り二試合、今日に負けないくらいの応援をよろしくお願いします!」

 新垣が言葉を強めて言い切ると、ゴール裏からは再び拍手が飛んだ。そのままハニファンドコールへ流れ込む。

 試合中に負けないくらい大きく熱い応援は、選手たちを勇気づけるのに十分だった。晴明も両手を大きく挙げて応える。

 ハニファンドコールを受けながら、選手たちはメインスタンドの前へと向かっていく。強烈な後押しを受けた選手たちの背中から「やってやる」という強い意志を晴明は感じた。

 スタジアムに生まれた熱はまだ冷めていない。こんなに力のある空間にいられる自分は幸せ者だと、晴明はふと考えた。



 月曜日から、上総台高校は半日授業となっていた。理由はもちろん、三者面談が始まったためだ。

 三時間目の授業が終わって放課後となったとき、教室には大きな解放感とほんのわずかな戸惑いが発生する。

 早く帰れることは当然嬉しい。だけれど、月曜日は部活が休みの学生も多いため、ぽっかり空いた時間をどう使えばいいのかは迷いどころだ。

 少なくとも晴明は素直に喜べなかった。勉強をしようにも、与えられた時間が長すぎて、いまいちやる気が起きない。再来週には期末テストが控えているというのに。

 それでも他にすることも思い浮かばなかったので、晴明はまっすぐ帰ると、まずゆっくりと昼寝をしてから、課題を始めた。外がまだ明るいこの時間帯に机に向かっているのは、なんだか慣れなくて、完全には身が入らない。

 だけれど、なんとか机にかじりつく。その甲斐あってか、冬樹と奈津美が帰ってくる頃には、今日出された課題を全て終わらせることができていた。

 二人が帰ってきて、夕食になるまでの時間を、晴明はリビングで過ごした。スマートフォンを見ながらニュースを聞き流し、二人とぽつりぽつりと話をする。

 冬樹は相変わらず勉強のことしか聞いてこなかったけれど、それでも課題は既に終わっているという余裕からか、晴明は嫌な顔をせずに答えられた。

 キッチンからは油が跳ねる音が聞こえてくる。近寄ってみると、黄金色に輝くエビフライがトレイの上に載せられていた。

「晴明、三者面談のことなんだけどさ」

 三人が夕食を半分ほど食べ進めた頃、冬樹が切り出した。既にビールを一缶開けているから、かすかに頬が赤くなっている。

 でも、眼差しは真剣そのもので、晴明は思わず姿勢を正した。

「三者面談にはお父さんが行くことになったから」


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(150)


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