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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(150)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(149)






「三者面談にはお父さんが行くことになったから」

 淡々と告げた冬樹に、晴明も大きくは驚かなかった。似鳥家では学校行事への参加は特に分担されておらず、冬樹と奈津美、行ける者が行くことになっている。

「そう」と言葉では端的に答えたけれど、晴明の頭には少しだけ嫌だという思いがあった。冬樹はきっと勉強や大学進学についてしか話さないだろう。

「晴明は入学したときには補欠合格だったけど、だんだんと成績を上げて、今じゃ平均点は確実に取れるようになってるからな。植田先生も一定の評価はしてくれるはずだ。もちろんまだまだ満足はできないけどな」

 やはり冬樹は勉強のことしか頭にないようだ。学校は勉強だけをするところと思っているみたいで、晴明にはそれが息苦しい。間違っていると声高に言えなくて、胸が詰まる思いがした。

「それと進路は調査票に書いた通り、大学進学でいいよな?」

 迫ってくるような冬樹の口調に、晴明は頷くしかない。もとより今の晴明には、大学進学以上にやりたいこともなかった。

「どこか行きたい大学はあるのか?」

 別に行ければどこでもいいが晴明の本音だった。まだ大学間の違いはよく分かっていない。だけれど、そんな適当なことは冬樹の前では言えるはずもなかった。

「晴明、大学はちゃんと考えて決めなきゃダメだぞ。どの大学に行くかで、人生は大きく変わるんだからな。名前を書けば入れるような大学には、行く意味がない。最低でも千葉弥生大レベルの大学にしないとな」

 淡々と釘をさしてくる冬樹に、晴明は内心慄いた。現時点での晴明の偏差値では、とても千葉弥生大学に行くことはできない。

 それに冬樹の発言はレベルの高くない大学を見下すどころか、差別しているようにすら感じられる。そういった大学に通う学生を根こそぎ否定しているようで、晴明は話す気を失いかけた。

 それでも、両親の前で無視はできなかったから、晴明は頷いてこの場をやり過ごそうとした。

「そのためには部活は今年で引退して、早いとこ勉強に集中しなきゃな」

 容赦のない言葉は、刃物のように晴明を傷つけた。聞くまでもなかった。やはり冬樹は、夏から態度を変えてはいなかった。

 肩を落とす晴明を見て、奈津美が「ちょっとお父さん、せめて部活ぐらいは晴明の好きにさせてあげようよ」と反論していたが、それも「じゃあ、晴明が今の調子で、良い大学に合格できると思ってるのか?」と、冬樹にねじ伏せられていた。

 確かに今までは部活と勉強を何とか両立できていたものの、二年生になってからも同じようにできる保証はない。

 不安を感じているから、反抗したくても晴明は強く出ることはできなかった。

「なあ、晴明。お前だって勉強も部活もしなきゃならない今の状況は大変だろ。二年生になったら内容もより難しくなるし、今以上に勉強しないとついていけないぞ」

「……アクター部を続けるっていう選択肢はないの……?」

「ああ。もし続けたいっていうなら、勉強する時間も増やさないとお父さんは認めない。今だって結構ギリギリだろ? これ以上勉強する時間をお前は作れるのか?」

 冬樹の言う通り、晴明は起きている多くの時間を部活か勉強関連のことにしか使っていなかった。頭の中では難しいと思っていても、それを認めたくなくて、明確には答えない。

 だけれど、伏せがちな目は認めているに等しかった。

「晴明。お父さんはお前のためを思って言ってるんだぞ。お前の将来のためには、今勉強することが大切だから言ってるんだ。そろそろ分かってくれてもいいんじゃないか?」

 ここで頷けば、話を終わらせて食事に戻れるのだろう。

 だけれど、不満を抱えたままで食事を楽しめるとは晴明には思えなかったし、心では到底納得がいっていなかった。せっかくアクター部に入って手に入れた部員や顧問、自分たちを温かく見守ってくれる大人たちとの関係を手放したくない。

 晴明が目を伏せたまま答えに迷っていると、奈津美が「ほら、お父さんも晴明もそのくらいにして。ご飯食べよ、ご飯」と、無理やり収拾をつけようとする。「そうだな」と何事もなかったかのように食事に戻った冬樹が、晴明には信じられない。

 それでも二人の視線を受け続けるのが辛かったので、晴明は再びエビフライに箸を伸ばした。さっきまで美味しかったエビフライはすっかり冷めてしまって、身がボソボソしているようにさえ感じられた。



 天井から暖房の風がささやかに吹きつけてくる。静まり返った校舎では、隣の教室から話す声さえ聞こえてこない。

 見下ろすように瞬く蛍光灯のもとで、晴明たちは椅子に座って向き合っていた。机の上に置かれた自分の成績表と進路調査票に、思わず晴明の視線は向いてしまう。整然とした文字と、手書きで少し崩れている文字のコントラストがどことなく奇妙だった。

「お父さん、本日はお忙しいなか、似鳥くんのために時間を作っていただいてありがとうございます」

 植田が切り出すと、冬樹の横顔が綻んだのを晴明は見る。自分とは違って、緊張はしていないようだ。

「いえ、親として当然のことをしているまでです。それでどうですか、先生。学校での晴明は。迷惑などかけていませんか?」

「はい。授業も集中して受けていますし、成績も入学したときから、確実に上がっています。いたって真面目に勉強に取り組む姿勢は、他の生徒にも見習ってほしいです」

「いえいえ、もちろん本人の努力もあるのでしょうが、先生方の教え方もいいからですよ。勉強に集中できる環境が整っている上総台高校に晴明を預けて、本当によかったと私は感じています」

 冬樹の改まった「私」という一人称に、晴明は収まりの悪さを味わった。自分の関与しないところで、自分の人生が決められてしまっている。そんな居心地の悪さがあった。

「ありがとうございます。私どもとしても、教師冥利に尽きます。引き続き似鳥くんには、がんばってほしいと思っています。ただ」

 そう植田が言葉を繋げたから、晴明は身構えてしまう。よくないことを言われることは、文脈上分かりきっていた。

「これは私が見ている範囲での話なのですが、似鳥くんがクラスメイトと話しているところを、あまり見たことがないんです。文月さんしか話し相手がいないというか。もっと似鳥くんは、クラスメイトに対して心を開いてもいいと思うのですが」

「何ですか? 息子に原因があるというんですか?」

「いえ、そういう話ではなく、私は似鳥くんを心配しているんです。もちろん私の力が足りないこともありますが、まだお互いがお互いに対して距離を掴みかねているというか。だから、似鳥くんにももう少し話せるようになってほしいのですが……」

 植田の言うことは、晴明にも痛いほど分かっていた。このままクラスメイトと冷ややかな関係を続けていくのは、いいとは言えない。植田が話題に出すのも当然だろう。

 だけれど、似鳥はそこには触れてほしくはないと感じていた。自分だってどうすればいいのか、未だに分からないのだ。日を追うごとに話しかけるハードルは上がってしまっていて、飛び越えるだけの勇気は晴明にはなかった。

 隣に座る冬樹は、横顔だけでも眉を吊り上げているのが分かる。

「先生。学校は友達を作りに行く場所なんでしょうか?」

「それは……」

「違いますよね。学校は勉強をしに行く場所のはずです。友達や話し相手の多い少ないは、本来関係ないはずです」

 力強く言い切る冬樹。植田もあいまいな態度を見せているが、認めざるを得ないようだ。だけれど、晴明は冬樹の見解に一〇〇パーセント頷くことはできなかった。

 確かに一理あるが、冬樹は晴明が教室で抱いている孤独感を知らないから、そういうことが言えるのだ。自分の父親は、いったいどんな高校時代を過ごしたのだろう。

 晴明は冬樹が学生だったときの話を、あまり聞いたことがなかった。

「上総台高校では二年生に進級する際にクラス替えがあるんですよね。だったらたったの一年、もしまた同じクラスになっても、たかが三年一緒にいるだけじゃないですか。卒業したら、同窓会でもない限りはもう二度と会わない人が大多数ですし。無理して友達を作る必要は私はないと考えています」

 冬樹の態度は頑なだった。まるで勉強以外は全て無駄だと言うように。

 だけれど、高校の勉強だって内容自体は、卒業してしまえばほとんど使うことはない。

 もちろん勉強が大切なことは頭では理解している。だけれど、学校に行き続けることは、何か行きがいというか、楽しみがないと不可能だ。もしアクター部に入っていなかったらと、晴明は背筋が凍る思いがした。

「冬樹さん。確かに学校の一番の目的は勉強です。ですが、学校は人との関わりや集団生活の仕方を学ぶ場でもあります。人は誰しも一人で生きていくことはできない。だから、学校で人間関係の大切さを学ぶことは、将来社会を生き抜いていくためには不可欠です。そうは思いませんか?」

 植田の問いかけに、晴明は内心頷いた。もし勉強一辺倒でいいのなら、それこそ塾で事足りてしまう。同じ年代の学生が一緒くたにまとめられる学校にしかない機能があると、晴明は信じたかった。

 隣をちらりと見る。納得してくれることを望んだが、冬樹はまだ怪訝な表情を浮かべていた。

「植田先生、上総台高校は仮にも進学校ですよね。進学校の教師がそんなことを言いますか?」

「進学校だからこそです。ずっと勉強だけでは、頭も疲れてしまいます。時には休むことも必要です。だから、よりよい成績を収めるためには、勉強以外の時間も大切にすべきだと私は考えています。もちろん、何も考えずに遊んだりするのはよくないですが」

「それが部活ですか。部活に熱中するあまり勉強の時間が取れなかったら、本末転倒ではないですか?」

「冬樹さん、先ほどおっしゃったように、似鳥くんの成績は上がってるんですよ。部活もやりながら、きちんと勉強できている証拠ではないですか」

 植田が視線を晴明に向けたので、自然と冬樹の目も晴明に向いた。

 晴明は冬樹の目を見つめる。自分は大丈夫だ。このまま部活を続けたいということを、目で訴えかけようとした。

「それに冬樹さん、部活をしているときの似鳥くんはとても生き生きしているんですよ。着ぐるみの中で元気に動いていて、大勢の人を笑顔にしているんですよ。それは素晴らしいことだとは思いませんか?」

 植田がここまで自分の肩を持ってくれるとは思わなかったから、晴明は嬉しさと同時に驚きも覚えてしまう。事前に話していなかったから、心から感じていることなのだろう。

 植田が部活を続けたい自分の味方であることが分かって、晴明は今度こそ冬樹の態度が変わることを期待する。

 だけれど冬樹の横顔は冷たく、まったくなびいていないようだった。

「それが何ですか? 着ぐるみを着た経験は、晴明の将来に役に立つんですか? 晴明には本来生涯にわたって、もっと多くの人の心を動かすことができる可能性があったんですよ。着ぐるみよりもっと有用な方法で」

「冬樹さん、お気持ちは分かりますが、部活動の大きな目的は活動自体にはありません。確かにアクター部を引退したら、似鳥くんはもう着ぐるみを着ることはないのかもしれません。でも、全国の野球部の子が全員プロ野球選手になれるわけではないでしょう? だから、部活動の大きな目的は活動内容そのものよりも、人と協力し合うことの大切さを身をもって知ることにあると、私は思うんです。その意味では、似鳥くんは上級生とも良好な関係性を築けていますし、非常にいい経験をしているんです」

「植田先生、お言葉ですけどその上級生の生徒たちとも、卒業すれば疎遠になりますよね。一時の交流よりも、一生を通じて役に立つ知識を身につける勉強の方が、大切ではないですか?」

 自分の視線も、植田の言葉も冬樹には全く通じていないようで、晴明は嫌悪感を抱いた。冬樹は全てを、人生の役に立つか立たないかという物差しで判断している。

 確かにそれは大切なことではあるけれど、いけ好かない物の見方だと晴明は思う。何より、中学まで晴明がやっていたピアノは、聴いているだけなら人生の役に立つことは少ないというのに。

「では、お聞きしますけど、冬樹さんはなぜ似鳥くんをアクター部に入れているのですか? そんなに勉強が大切なら、最初から部活を始めさせなければよかったのでは?」

「それは晴明がやりたがっているからに決まっているじゃないですか。私も全てを捨てて勉強に集中しろというほど、鬼ではないですから。ただ、今年度限りで終わりにはさせますけど。そろそろ勉強との両立が困難になってくる頃ですから」

「それは似鳥くんも了承しているんですか?」

「はい、ちゃんと本人と話し合って決めました」

 冬樹の口調は頑なで、植田を寄せ付けなかった。部外者が口を挟むなとも言っているように、晴明には思えてしまう。

 植田が「似鳥くん、本当ですか?」と聞いてきたけれど、晴明は隣からの圧を感じて頷くしかなかった。本当は二年生になっても部活を続けたいと目で訴えたけれど、植田に通じているかどうかは分からなかった。

「そうなんですか。似鳥くん、がんばっているし、成果も出ているので私としては続けてほしいんですけどね」

「植田先生、どうしてそんなに晴明の肩を持つんですか? 顧問に部員を縛る権利なんてないはずですよね?」

「確かにそうです。でも、教室と同じくらい大切な似鳥くんの居場所を、奪ってはいけないとも思います。冬樹さんは、似鳥くんが活動しているところ、着ぐるみに入っているところを見たことがありますか?」

「いえ、一度もないです。着ぐるみなんて子供騙しのものに、晴明が入っているところなんて見たくもありませんから」

「冬樹さん、見もせずに決めつけるのは横暴ですよ。着ぐるみは子供騙しなんかじゃないですし、似鳥くんがしていることには大きな価値があります。このままやめさせる前に、一度でいいから似鳥くんが活動しているところを見に来てはいかがでしょうか?」

 晴明が諦めかけていた提案を、植田は真っすぐ言い切った。日頃からもっと冬樹に働きかけてよかったのだと、少し後悔もした。

 冬樹が自分の方を向いたから、晴明は「お願いだから、一回でいいから見に来てよ。判断するのはそれからにして」と思い切って告げる。二人分の請願を受けて、冬樹は「そうですね。考えてみます」と含みのある言葉を口にしていた。

 でも、ピクリとも動かない眉から、冬樹には本当は考える気はなくて、ただ話題を終わらせるためだけに言ったことが、晴明には分かってしまう。

 いったいどうすれば冬樹の態度を変えられるのだろう。晴明にはよく分からない。

 その後も三人でいくつか話をしたけれど、話の内容は晴明の頭には入ってこなかった。一年生が終わると同時にアクター部をやめることを想像してしまい、どんよりとした気分になっていた。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(151)

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