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【小説】ロックバンドが止まらない(77)


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「すいません。一つお訊きしたいんですけど、もし『Futatabi in the dark』をこの映画の主題歌に起用することが決まった場合、そのときは映画のためにまた新しくレコーディングをし直した方がいいんでしょうか?」

 久倉がふと尋ねる。神原も同様に気になっていたことだ。

 以前にレコーディングした曲は、当たり前だが映画館で流すことを想定していない。だから、映画館で流すことも視野に入れた新録をすることは自然なことのように、神原には思える。

「そうですね。確かにその必要はあるかもしれません。でも、失礼を承知で言わせていただくと、僕はアルバムに収録された当時のものを使わせていただきたいと考えています」

 那須谷の返事は自分が思い始めていた方とは違っていたものの、それでも神原は動揺しなかった。那須谷の考えも一つの方向性としてはあり得るだろう。

 だから、神原は那須谷を否定しなかったし、言っていることが失礼だとも思わない。アルバムに収録された録音は当時の自分たちのベストを尽くしたもので、それを簡単に無下にすることは神原にもしたくなかった。

 でも、園田は違ったようで「えっ、新録しなくていいんですか?」と、少し驚いたような声を出している。那須谷は少し遠慮深そうに頷いた。

「はい。僕としては皆さんが四人だった頃の録音を使わせていただきたいです。ここで三人での新録をしたら、そんなことはないと分かっていても、与木さんの存在がなかったことのようにされると、僕には思えてしまいますから。僕が好きになったのは四人での『Futatabi in the dark』なんです。与木さんが確かにChip Chop Camelにいたことを、僕は映画館で流すことで残したいんです」

 そう説明した那須谷に、神原はわずかに眉を吊り上げてしまう。園田や久倉も同じように感じているのだろう。会議室には少し神妙な空気が流れ始める。

 与木が急に脱退したことで、自分たちが被った苦労はひどく大きい。その日々は神原たちにはあまり思い出したくないほどだ。

 それを完全な部外者である那須谷に言及されるなんて。

 神原は反感を抱いたけれど、言葉にするのは大人げなく思えたので、すんでのところで堪えた。

「もちろん、皆さんが今は三人での活動しか考えてないのは、僕もインタビュー等で読んで分かっているつもりです。事情を知らない人間が、何言ってんだと思うかもしれません。でも、それでも僕は与木さんがいたときの『Futatabi in the dark』を主題歌として使わせていただきたいんです。もちろん、この場で決めてくださいとは言いません。もし気に食わなかったら、主題歌のオファー自体を断っていただいても結構です。でもお願いですから、一度考えてみてはくれないでしょうか」

 那須谷の目や態度は真剣で、心から頼み込んでいることが神原には分かる。

 でも、神原の反感はすぐには収まらなかった。那須谷にその気はないだろうが、「四人のときの方がよかった」と今まで散々言われてきたことを改めて言われているようで、正直いい気はしない。自分たちは今の自分たちが最高だと信じているのに。

 それでも、頭ごなしに否定するのはそれこそ子供がすることのように思えたから、神原は「分かりました。一回持ち帰って考えさせてもらってもいいですか?」と。空井と那須谷に告げる。園田や久倉も声や頷きで同意を示している。

 空井も「分かりました。もちろん無理強いはしませんけれど、私たちとしては良い返事を期待しています」と理解を示してくれる。

 那須谷の提案はまだ受け入れられてはいなかったけれど、それでもまずは渡された脚本を全て読むことからだろう。顔合わせが終わって事務所を後にしたとき、神原はそう感じていた。

 年が変わって正式にサニーミュージック所属のミュージシャンとなっても、神原たちの日々は劇的に変化することはなかった。

 変わったことといえば、バンド練習や曲作りの際に今までの貸しスタジオではなく、サニーミュージックが所有しているスタジオを使えるようになったことぐらいで、まだ一曲もリリースしておらず印税収入が見込めない段階では、神原たちはしばらくはアルバイトを続けるしかなかった。

 もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせながら、神原は今日も音楽活動とアルバイトの二足の草鞋を履く。音楽一本で食べていける日が一日でも早く来ることを、アルバイト先に向かう中で思った。

 とはいえ、アルバイトを挟みながらも、神原たちは一歩一歩音楽活動に取り組んでいた。

 貸しスタジオを利用する料金の負担がなくなったことで、神原たちはスケジュールが合う限りはサニーミュージックのスタジオに入って、新曲を合わせていた。

 目下の目標は二月の下旬に行われるレコーディングだ。メジャーデビューとなるミニアルバムは五曲を収録して、五月にリリースされることが決まっている。

 八千代からは必ずしも全てが新曲でなくてもいいが、それでもサニーミュージックに所属してメジャーデビューをするからには収録曲の半分以上、つまりは三曲は新曲であってほしいと言われている。だから、神原たちもひとまずは三曲、できればもう一曲を短期間で作るために、時間の許す限りスタジオを使わせてもらっている。

 幸い今までの経験もあって、三曲は神原も原曲の形だが作られていて、今はバンドの形で合わせてアレンジを決めている最中だ。合奏を重ねながら意見を出し合って、神原たちは曲の完成度を高めていく。

 当然レコーディング用の締め切りもあるけれど、加えて神原たちには少し急がなければならない理由があった。

 それはレコーディングの一週間前、二月の中旬に行われるライブの存在だ。とはいっても、観客を入れるような一般的なライブではない。

 サニーミュージックは半年に一度、その間にメジャーデビューする新人ミュージシャンを集めたライブを行っている。都内のライブハウスを貸し切って行うこのライブは、来る人間も音楽業界の関係者がほとんどで、これからメジャーデビューする新人の紹介や顔見せといった意味合いが強い。そこに神原たちも出演することになっているのだ。

 いくらショーケースのようなお試しの意味合いもあるとはいえ、業界関係者の前でライブをすることは、これからの活動がここで決められる可能性もあり、神原たちは緊張せずにはいられない。サニーミュージック所属のバンドとしての、初ライブならなおさらだ。

 出演者も多く、神原たちが演奏するのは三曲だけと決められていたが、それでも神原は早くも、また大一番が訪れると感じる。

 経験したことがない業界関係者だけのフロアを前に、自分たちは満足いくような演奏ができるだろうか。

 今までの経験から特別に意識をしなければ大丈夫だと分かっていても、まったく構えず自然体でいることは、神原には少し難しかった。

 一月中にミニアルバムに収録される四曲の新曲を(残りの一曲はインディーズ時代から思い入れの深い『FIRST FRIEND』だ)どうにか完成させた神原たちは、来たるライブに向けて披露する新曲の練習を重ねていく。時間がない中でも曲数を絞って重点的に練習していると、演奏のクオリティは着実に上がっていっていく。

 その日も、スタジオでのバンド練習の日だった。神原はいの一番にスタジオに入って、三人が来るまで軽くギターを練習する。もう何十回も弾いているおかげで、かなりスムーズに演奏できるようになっていると自分でも思う。

 神原がギターを弾いていると、スタジオには園田が入ってきた。神原はギターを弾く手を止めて、「おう」と呼びかける。園田も「うん」と応じて、ベースアンプへと向かっていった。

 園田がチューニングをしている間も、神原はギターを弾き続ける。でも、チラチラとこちらを見てくる園田が、どうしても気になってしまう。

 神原はギターを弾く手を止めて、「どうかした?」と園田に話しかけた。「今、ちょっと話せる?」と言った園田に神原も頷く。まだ集合時間までには、一〇分以上もあった。

「泰斗君は今月のネクセってもう読んだりした?」

 園田が口にしたのは、音楽雑誌の名前だった。Next Session、通称ネクセは一〇年以上前から刊行されている有名音楽雑誌である。

 雑談かと神原は思ったけれど、まだ練習開始まではまだ時間があるし、会話に応じずに園田の心証を悪くするのも気が引けた。

 何気ない口調で「いや、まだ読んでねぇけど」と応える。実際、神原には音楽雑誌を購読する習慣はあまりなかった。

「そう。あのさ、私読んでて気になるバンドを見つけたんだけど」

「へぇ。なんてバンド?」

「ショートランチってバンド。私たちと同じくらいの年でさ、来月メジャーデビューするみたいで。泰斗君、知ってた?」

「いいや、今初めて聞いた。どんなバンドなんだよ」

「徳島から出てきた、メンバー全員が女性のスリーピースバンドなんだって。ポップでキャッチーな曲が特長みたいなんだけど、なんかめちゃくちゃ持ち上げられてて。記事には『一〇年に一度の新星』とか『ロックシーンを塗り替える逸材』とか書かれてたんだよ。そこまで言う? ってぐらい褒めちぎられてて、さすがに少し気になっちゃった」

 園田が口にした記事の内容に、神原も少し引っ掛かりを覚えた。

 自分たちももうすぐメジャーデビューするというのに、特に何も言われていない。それが「一〇年に一度の新星」と言われれば、神原は当然気になってしまう。嫉妬心さえ感じてしまうくらいだ。

「確かにそれは引っかかるな。『一〇年に一度』とか、一年に何回言われてんだよって感じだし」

「でしょ? 実は今日私そのネクセ持ってきてるんだけど、よかったら読んでみる?」

 神原は「ああ、頼むわ」と頷いていた。与木や久倉はまだ来る気配がなかったから、構わないだろう。

 園田はバッグの口を開けると、今月号のNext Sessionを取り出す。有名バンドのギターボーカルが表紙を飾っているその雑誌を少しパラパラと捲ると、「ここだよ、ここ」と言って神原を呼ぶ。神原も園田のもとに寄って、一緒に該当のページを覗き込んだ。

 すると、そこには見開きを丸々使って、園田の言ったショートランチなるバンドの紹介記事が組まれていた。楽器を持った自分たちと同年代と思しき三人の女性の写真にm「徳島から現れた一〇年に一度の新星・ショートランチ」とのリード文が大々的に載っている。

 記事の本分にも神原は目を落とす。メンバー三人の声を紹介しながら、地の文は確かに園田が言うように、大げさに思えるくらい三人を持ち上げていた。

 自分たちがあまり言われたことのない褒め言葉が並んでいて、神原は少し反感を抱いてしまう。同年代のバンドが持ち上げられているのを見て喜ばしいと思えるほど、神原の心は広くなかった。


(続く)


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