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【小説】ロックバンドが止まらない(84)


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 月末にメジャーデビューを控えた神原たちには、バンド練習と並行していくつかの取材やインタビューがなされていた。音楽雑誌の取材は先月の時点で終わっていたから、直近はネットメディアの取材だ。四人揃って取材を受けることもあれば、バンドのフロントマンである神原単独でのインタビューもある。

『FIRST FRIEND』だけでなく、音楽を始めた経緯や影響を受けたミュージシャンに至るまで仔細に訊かれて、インディーズのときにはなかった単独インタビューに、神原はメジャーデビューすることの意味を思い知る。事前に質問を貰って答えも考えてきていたものの、自分の口調は緊張している分どこかぎこちなくて、まだまだ慣れていく必要があるなと感じていた。

 メジャーデビューの日付が日に日に迫ってくる中でも、神原たちの活動に目に見えた変化はあまりなかった。

 お互いの予定が合う時間を見つけては、ひたすらスタジオに入る。それは来月にあるライブイベントへの出演のためでもあったし、夏に発売予定のファーストシングルの曲を形にしていくためでもあった。特に後者は六月中、メジャーデビューの余韻が冷めないうちに、早くも次のレコーディングが予定されている。

 だから、神原たちには立ち止まっている時間はなかった。練習すべき曲はいくらでもある。レコード会社に所属するということは、神原の想像以上の忙しさを意味していた。

 いくらバンド練習やギターの練習に打ち込んでいても、その日を完全に意識しないようにすることは神原には難しく、日を追うごとにソワソワする気持ちが高まっていく。

 そして、五月最後の水曜日。神原たちはとうとうメジャーデビューを果たす、その日を迎えた。

 店舗によってはフラゲ日でもう『FIRST FRIEND』が店頭に並んでいるところもあるから、神原は何をしていても気にならずにはいられない。その日の晩は、気持ちが高ぶってあまり寝つけなかった。

 寝ては起きてを繰り返し、神原はようやく朝を迎える。コンビニエンスストアのパンで軽く朝食を摂ると、神原は朝の九時には、もうギターケースを背負って家を出ていた。家にいても、逸る気持ちは抑えられそうになかった。

 電車を乗り継いで、ターミナル駅で降りる。最寄りのCDショップよりも、この駅近くのCDショップの方が規模は何倍も大きく、自分たちのCDも確実に置かれているだろうと思ったためだ。

 神原がCDショップの前に辿り着いたときは、まだ一〇時の開店時間を迎えていなかった。開店を待っている人もあまり見られないなかで、神原は時間が過ぎるのをただ待つ。

 ギターケースを背負った神原の姿はこの街ではありふれたもので、神原は周囲の風景にごく自然に溶け込んでいた。

 そのまま待ち続けて数分が経った頃。神原はCDショップに向かってくる人影を捉えた。その人物に、神原は思わず目を丸くしてしまう。

 CDショップにやってきたのは久倉だった。Tシャツにジーンズという飾らない格好で、愛用のリュックサックを背負っている。

 まさかここで神原に会うとは思っていなかったのだろう。久倉も同じく目を丸くしている。

 それでも、二人は顔を合わせると小さく笑い合った。自分の他にも同じことを考えているメンバーがいたことが、二人には少し気恥ずかしく感じられていた。

「神原、お前早くね? いつ来たんだよ」

「俺も今来たばっかだよ。まさかお前が来るとは思ってなかったけど」

「それは俺もだよ。まあ俺たち考えることは一緒ってことだな」

「そうだな。ちょっと恥ずかしいけどな」
 
 二人が少し言葉を交わしていると、徐々にCDショップの開店を待つ人も増え始める。

 そして、開店時間を迎えると、二人は他の客に続いて店内に入った。我先にと入りたい気持ちは神原にはあったものの、それはあまりに恥ずかしくて気が引けていた。

 店内に入った二人は、エスカレーターを昇って邦楽のフロアへと向かう。他のどのCDショップよりも広い店内にCDがずらりと並んでいる光景に、神原は改めて息を呑む。

 二人でまっすぐ新譜コーナーを目指すと、棚の中に確かにChip Chop Camelのメジャーデビューミニアルバム『FIRST FRIEND』が陳列されていた。

 棚の側面に置かれて大々的な宣伝がなされているわけではなかったが、それでもジャケットが目に見える形で置かれていて、その光景を見ただけで、神原は胸が詰まる思いがした。こうしてメジャーのコーナーにちゃんとアピールされる形で置かれていることが、これまでの自分たちを考えると万々歳のように思えてくる。

 手に取って「マジで俺たちメジャーデビューしたんだな」と感慨深そうに言う久倉に、神原も「そうだな」と頷く。こうして目に見える成果を出せていることが、今の神原には何よりも嬉しかった。

 とはいえ、『FIRST FRIEND』が実際に店頭に並んでいるところだけを見て、満足して帰ることは二人ともしなかった。

 どうせなら、この目で自分たちの記念すべきメジャーデビューミニアルバムを買っていく人を見たい。そんな思いは確認せずとも、二人とも確かに持っていた。

 だから、二人はそれとなく店内を回り、その間も悟られないように、新譜コーナーに時折目を向ける。

 でも、開店してからしばらく店内には人がまばらだった。やはり平日の昼間という条件は無視できないと、神原は感じる。

 だから、少し焦れる気持ちはあったものの、それでも神原たちは気を長く待つことにした。今日のバンド練習は午後の三時からだったから、神原たちにはまだいくらでも時間があった。

 二人で一緒に様子を見ながら待つのは少し不自然だったし、通行の邪魔にもなりかねないため、神原たちは二手に分かれて『FIRST FRIEND』を購入してくれる人を待つことにした。

 隣の棚でCDを物色するふりをしながら、神原は時折新譜コーナーに目を向ける。誰がどのCDを手に取ったのかが、背中越しに分かる位置だ。

 それでも、平日の昼間ということも相まって、新譜コーナーには期待していたほどには人はやってこなかった。時折やってきた人も、他のもっと人気があったり活動歴が長いミュージシャンのCDを手にしていて、なかなか『FIRST FRIEND』を選んでくれる人は現れない。

 リード曲の「FIRST FRIEND」は再び一ヶ月間深夜のラジオ番組のエンディングテーマとして毎週流れてはいたし、ミュージックビデオも先日動画投稿サイトで公開され、再生回数も既に千回を突破している。

 それでも、『FIRST FRIEND』を手に取る人は、開店から一時間経っても現れなかった。

 別にCDショップはこの店だけではない。他のCDショップで購入していく人もいるだろうし、そもそもCDショップにすら赴かず、ネット通販で買ってくれている人もいるのかもしれない。

 それでも、神原はできればこの目で、自分たちのCDが購入されていくところを見たかった。自分たちの音楽を必要としてくれている人がいることを、ライブハウスの外でも確かめたかった。

 ずっと一つの棚の前から動かないでいるのも変なので、神原と久倉は一〇分おきに位置を交代していた。何回目かのもはや見張りと化した順番を終えて、神原はそれとなく店内をそぞろ歩く。

 あてもなくさまよい一時間以上も何も買わない姿は、店員からは奇異の目で見られているのかもしれない。もしくはよくあることだと、特に気にされていないか。

 神原は邦楽フロアに留まりながら、なるべく店員の目につかない場所を選んで歩く。ぼーっと棚に並ぶ何百枚ものCDを眺めてもみる。

 すると、久倉が早足で神原のもとにやってきた。急いでいる様子に、神原は用件は一つしかないだろうと悟る。

 それでも、久倉は息を逸らせて言う。

「『FIRST FRIEND』を買っていってくれる人が出た!」

 まさかこの場面で嘘をいうはずがないだろう。

 神原も久倉の言葉を鵜吞みにし、二人はせっかくの購入者をこの目で見るため、レジの方へと早足で向かった。

 とはいえ、近づきすぎてしまうと気づかれる可能性があるため、ある程度距離をとって眺める形となる。それでも、レジの真横に立って見ると、確かに自分たちと同年代くらいに見える女性が『FIRST FRIEND』を購入してくれていた。ピンクと紫の中間色のようなジャケットは、たとえ遠目でも神原には見間違えるはずがない。

 二人は思わずその女性に駆け寄っていって、礼を言いたくなる衝動に駆られる。それでも、プライドがどうにか神原たちの足を留めていた。

 その女性は『FIRST FRIEND』を購入すると、神原たちに気づく素振りも見せないで、店内を後にしていった。神原たちも、レジに立っている店員から見えない位置に移動する。

 久倉が満面の笑みとともに手を差し出してきて、神原もためらわずに握り返す。強く握られた手は、二人が感じている喜びを余すところなく表現していた。

「やった! 『FIRST FRIEND』が売れた!」

 久倉は他の客の迷惑にならないように少し声のボリュームを落としていたが、それでも歓喜を隠そうともしていなかった。神原もやや声を潜めながら、それでも声音は自然と弾んでいく。

「ああ! こんな嬉しいことないよな! 苦労して作って本当によかった!」

「そうだな! 本当奇跡的だよな! 都内にいくつもあるCDショップからわざわざこの店を選んで、俺たちがいるタイミングにやってきてくれるなんて!」

「ああ! でも、これを奇跡で終わらせねぇように、これからもバンド頑張ってこうぜ! まずは今日の練習からさ!」

「そうだな! 買っていってくれた人に応えるためにも、頑張んねぇとな!」

 二人は、にやけたまま誓い合う。神原は緩んだ久倉の表情に確かな精悍さを見て、きっとそれは自分と鏡写しになっているのだろうと感じた。

 ファーストシングル発売後にワンマンライブを行う。そう神原たちが八千代から伝えられたのは、『FIRST FRIEND』がリリースされて一週間が経ってからのことだった。

 その理由を八千代は「『FIRST FRIEND』のセールスが想定よりも良いから」と説明していた。

『FIRST FRIEND』は発売からの一週間で五〇〇枚以上を売り上げている。その週のCDの販売ランキングこそ圏外だったものの、自分たちが今までインディーズで出したCDの売り上げを全て合わせた数よりも、たった一週間で多くの枚数を販売できていることに、神原も驚きとそれ以上の充足感を覚える。

 もちろんメジャーで活動するからには、まだまだ満足できる数字ではないが、それでも神原は事務所の力というよりも自分たちの力で初めてのワンマンライブを掴み取ることができたことに、一歩前進した感覚を抱いていた。

 それでも、今の神原たちに何ヶ月も先のワンマンライブのことまで気にしていられるほどの余裕はない。その前にファーストシングルをレコーディングしなければならなかったし、目下のところは一週間後に迫ったライブの練習だ。『FIRST FRIEND』の収録曲や、ファーストシングルに収録予定の曲など初めてライブで披露する曲もある。

 だから、神原たちは全員のスケジュールが合う時間の多くを、バンド練習に捧げていた。時間と気力を多く割いているからか、できて間もない曲も、練習を重ねるうちに徐々にその練度を増していっていた。


(続く)


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