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【小説】ロックバンドが止まらない(22)


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「じゃあ、ひとまずお疲れ様でした! 乾杯!」

 神原がコップを持ち上げると、他の三人も続いて四人はコップを突き合わせた。軽い音が、程よい話し声を含んだ店内に響く。

 コーラは普段よりも甘く爽快な味がして、神原にライブで得た手ごたえのほどを思わせる。他の三人もライブが終わって少し時間が経ったからか、興奮はある程度落ち着き、今はほっと一息つくような表情をしている。

 文化祭を閉会式まで見てから、神原たちは学校から駅に向かう途中にあるファミリーレストランに来ていた。

 夕食前だからドリンクバーを頼むだけだったが、神原にとっては四人でささやかな打ち上げのようなものができるだけで、十分だった。

「よかったね。ライブ盛り上がって。私も演奏してて楽しかった」

 思いを馳せるかのように言う園田に、神原も「そうだな」と頷いた。実際、神原にとってもライブが進むにつれて、観客席の盛り上がりは増していった実感がある。

 最初は戸惑っていた観客も、最後には思い思いのやり方で神原たちの演奏に乗ってくれていた。手を振り上げていた観客もいて、神原は二日目の幕開けとなるステージにふさわしい演奏ができたと思う。

 そして、三人の表情を見ていると、神原はそれが自分のうぬぼれではないと思えた。

「俺もやってて楽しかったよ。最後はお客さんも一体となって、盛り上がってくれたしな。もちろん全部がうまくいったわけじゃないけど、初めてにしては悪くないライブだったと思う」

「だよね。私も最初はどうなることかと思ったけれど、でも終わってみれば何とかはなったと思う。一曲目の出だしは本当にヤバかったけど」

「ああ。俺も久倉が演奏を止めたときは、終わったってなった。よくあそこから立て直せたなって、自分でも思うよ」

「まあな。俺もこのままじゃヤバいと思ったから、いったん演奏止めさせてもらった」

 久倉が神原たちの話に入ってくる。穏やかな表情は、自分の行動を悔いているようではなさそうだった。

「あのときは私もヒヤヒヤしたよ。それこそ心臓が止まるかと思うほど。でも、あそこで久倉くんが笑い飛ばしてくれたから、心が軽くなった」

「ああ、俺もああなっちまったら、もう笑うしかねぇと思ったからな。まさかお前らまで、一緒になって笑うとは思ってなかったけど」

「いやいや、俺もあそこで笑うことでいい意味で吹っ切れた部分もあるし、それが仕切り直しでいい演奏ができた要因になったのは間違いないと思う。本当、ファインプレーだったよ」

「そうか? 俺、そんな深く考えてなかったんだけどな」

 軽くとぼけた久倉に、神原たちは小さく笑った。ステージに立った当初は、こうやってライブが終わったあと自分たちが笑えているなんて思いもしなかったから、それだけで神原には感慨深い思いがある。

「さてと。じゃあ、どうしよっか。俺たちこれから」

 あの曲は盛り上がったとか、あの曲のあの部分は反省が必要だったとか、ライブの振り返りを一通り終えてから、神原はふと三人に尋ねた。改めて口にすると、いつか来ると分かっていてそれでも先延ばしにしていた瞬間がまさに今訪れていることに、身震いさえしてくる。

 文化祭が終わってからどうするか、神原は未だに結論を出せていない。三人の意見を訊いてから決めようとさえ思っている。

 それは悪い言い方をすれば、主体性を欠いていて少し情けないことだったけれど、でも神原には自分の独断だけで決めていい話だとも思えなかった。

 三人を見回す。園田や久倉でさえも話し出せていなくて、ここで口を開くことの重大性を痛感している様子だった。

「……お、俺は正直、このバンドを続けたいなって思ってる」

 かすかに閉塞感さえ漂い始めたテーブルの中で、真っ先に口を開いたのは与木だった。予想しなかった展開に、神原は少し目を丸くしてしまう。

 でも、すぐに腑に落ちた。与木はもともと、変なタイミングで勇気を出す。そういう人間だったのだ。空気が読めていないと見なされそうな態度も、言い方を変えれば勇敢だと言えるだろう。

 そして、その与木の勇気は、今の神原たちを大いに助ける。テーブルに漂いかけていた微妙な雰囲気は、既に一掃されていた。

「そうだな。俺も与木と同意見だ。だって今日のライブ、俺は演奏していて楽しかったし、お前らもそう思っているのが、音から伝わってきた。こんな楽しいことを、俺はそう簡単には手放したくない」

 久倉の目は力強かった。元々バンドを続けたいと願っていたっから、当然と言えば当然なのだが、それでも確固たる主張は、神原の心を大きく揺り動かす。

「私もバンド続けたい。確かに今日のライブは楽しかった。でも、全てがうまくいったわけじゃない。最初につまずいちゃったのもそうだし、仕切り直してからの演奏も、決して完璧じゃなかった。私たちには、まだまだやり残したことがあると思う。次は最初から最後まで文句のつけようのないライブを、私はしたい」

 園田の言葉は、神原にとっても大いに頷けるものだった。演奏がいったん止まってしまったときの気まずさは、今でも神原の中に苦々しい記憶として残っている。それはその後にどんな素晴らしいライブをしたとしても、決して帳消しにできるものではない。

 ライブでの借りは、ライブでしか返せないのだ。

「どうする? 神原。俺たちの意志はこの通り、バンドを続けることで一致してんだけど」

 神原たちはバンド活動をするにあたって、特にリーダーを決めていなかった。

 でも、久倉が神原にそう訊いてきたのは意志を表明していない唯一の人間というだけでなく、神原がボーカルを担当していることも大きかったのだろう。ボーカルは一番目立つ、バンドの顔と言える存在だ。

 その自覚があったからこそ、神原には少し考える時間が必要だった。ここで予定通り解散すると言っても、一つの意見として久倉たちは丁重に扱ってくれるだろう。

 それでも、神原はさほど迷わなかった。コーラを飲むこともせず、真剣な目を三人に向ける。

 そして、重圧に負けないようにはっきりと口を開いた。

「そうだな。俺もどっちかって言うと、このバンドを続けていきたいなって思うよ」

「どっちかって言うと?」

 そう訊き返した久倉の目は、真剣な場だというのに少し緩んでいた。

 神原は心の中で頷く。久倉たちが背中を押してくれることを待ち望んでいた。

「いや、俺は絶対にこのバンドを続けたい。このバンドでできることはまだまだたくさん、それこそ限りないくらいあると思うから」

 神原はそう力強く言い切った。冗談やお世辞で言っていると、万に一つも思われないために。

 神原の言葉を聞いて、三人は分かりやすく表情を綻ばせる。四人の間に、念を押すような言葉はもはや必要なかった。

「じゃあ、決まりだな。これからもChip Chop Camelは活動を続けていく。文字通りの全員一致だ」

 久倉が胸を張ったように言うと、園田が拍手で応えた。

 店内には他の客もいるから、拍手は控えた方がいいのではないかと神原は思ったが、それでも恥ずかし気だけれど同じように手を叩いている与木を見ると、神原も空気に押されてごくささやかな拍手をしてしまう。それどころか、言葉を発した久倉でさえも拍手をしていた。

 少し恥ずかしい気持ちは神原にもあるものの、それでも言うほど嫌な思いはしない。

 重なる拍手の音が、新しい一歩を踏み出した自分たちを祝福するファンファーレのようにさえ、神原には聴こえていた。

「よし、じゃあバンドを続けるとして、次は何の曲をやろっか。みんな何かやりたい曲はある?」

 拍手が鳴り終わったタイミングで、園田が他の三人に尋ねる。だけれど、バンドを続けることが決まった今、神原の答えは一つしかあり得なかった。

「あのさ、できたらでいいんだけど、俺このバンドでオリジナル曲やってみたいんだけど」

 神原の提案は、誰にとっても予想できたのだろう。与木や久倉はすぐに頷いたり、「俺も」と同意を示していたし、園田でさえも驚いたような表情はしていなかった。そう言われることが分かっていたかのように、澄ました表情をしている。

 だから、神原としても重ねて尋ねるのに、ためらいはいらなかった。

「どう? 園田。大変だとは思うけど、俺たちと一緒にオリジナル曲やってみないか?」

 言葉としては一応尋ねる形式を取っていたけれど、神原は園田がどう答えるか、薄々とだが分かっていた。

 園田の瞳が一瞬だけ瞬く。その前と後では、園田の目に宿った色が彩度を増したように、神原には見えた。

「うん。私も色々考えたんだけど、やっぱりこのバンドを続けていくなら、やるべきはオリジナル曲だなって、今は思ってる。実は曲作りとか音楽理論についても、少しずつだけど勉強してたんだ。もちろんまだ途中だからどれだけかかるかは分からないんだけど、でも私もこのバンドでオリジナル曲をやってみたいよ」

 その言葉の響きが、園田も確信を持って言っていることを、神原に思わせる。言わされているわけではないことは、濁りのない瞳からも明らかだった。

 今一番言ってほしい言葉が園田の口から出たことに、神原は大高揚感を覚える。全員が足並みを揃えて踏み出した一歩は、その歩幅以上に大きな一歩のように、神原には思えた。

「よし、じゃあオリジナルやるか。この四人で。とりあえず俺や与木が既に作った曲を、バンド演奏の形にしていくって感じで進めていいか?」

 そう言った神原に三人も頷く。自分たちなら高く飛べる気がして、神原の胸は高鳴った。

「なんかワクワクしてきた! できたらライブハウスでライブもしてみたいよね!」と、園田が声を弾ませている。きっとそれは、四人の思いを代弁したものだったのだろう。

 神原は、自分たちがライブハウスに出演しているところを想像する。まるでプロのバンドみたいで、神原は自分たちの未来に大きな期待を抱いていた。


(続く)


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