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【小説】ロックバンドが止まらない(1)


 掻き鳴らされるギター。うねるようなベース。ドラムがフロア全体を揺らす。腕を振り上げるなど、全身で楽しんでいる観客。

 フロアを構成する全ての要素が、音楽という旗のもとに一体化しているなかで、神原泰斗(かんばらやすと)はギターを弾きながら、マイクに向かって声を張り上げていた。

 ライブも終盤に差しかかり、立て続けに三曲目を演奏しているなかでも、神原は思っていたよりも疲れを感じていない。それは元々喉の調子が良かったこともあるが、それ以上に観客の盛り上がりによるところが大きいだろう。

 夏にリリースした新アルバムを引っさげてのツアーは、今日でファイナルだ。今まででもとりわけ大きな会場に集まった観客は、しばらくないライブを余すところなく味わおうとしている。全員が心から音楽を楽しもうとしている。

 ライブを重ねるうちに新曲の練度も上がっていて、それは今日最高潮に達していた。呼吸がぴったり合っていて、自分を含めた四人ともがこのツアーで一番のパフォーマンスができているのが、神原には分かる。

 アルバムのリード曲も、何度も聴きこんでいるのだろう。観客の熱を持った反応に、神原たちのボルテージも上がっていく。全身をだらだらと流れる汗の感触も、今だけは気にならなかった。

 四人がカウントを合わせるようにして、最後の音が鳴らされて、曲は終わった。

 だけれど、観客に拍手をする暇さえ与えないかのように、すぐにドラムがバズドラムとハイハットを刻み始める。すると、バズドラムに合わせて、フロアからは手拍子が自然発生した。ライブの盛り上がりは、今この瞬間にピークに達しつつある。

 だけれど、神原たちはすぐに演奏を始めなかった。エフェクターを切り替えたり簡単な準備をしてから、神原はマイクに向かって声高に発する。

「ベース! 園田瀬奈(そのだせな)!」

 園田は挨拶代わりにオリジナルのリフを弾き始める。低音の、それでも跳ねるようなリフは、観客に大きな拍手をもって迎え入れられた。

 その間じゅう、神原は園田の表情に目を向けていた。園田は誇らしげで今日を迎えられたことに、万感の思いを抱いているようだった。

「ドラム! 久倉瞳志(ひさくらどうじ)!」

 久倉が躍動感溢れるドラムのフレーズで応える。またフロアから、大きな歓声が上がった。

 観客に背中を向けるわけにもいかなかったから、神原は久倉がオリジナルのフレーズを叩いている間、ずっとフロアを見る。それでも、弾けた音から久倉が楽しくて仕方がないという満面の笑みをしていることが、容易に想像できた。

「ギター! 与木澄矢(よぎすみや)!」

 神原に名指されて、与木は鋭いギターリフを弾く。少し歪んだ音色は、フロアの温度をまた一段階上げた。ライブ毎に違うリフを与木は即興で弾いていて、神原は毎回内心で舌を巻いている。

 リフを弾き終わった与木は、飄々とした表情をしていた。でも、普段からあまり感情を表情に出さない与木のことだから、心では今日のライブに手ごたえを感じているのだろう。神原は言葉にされなくても、ギターの音色だけでそう確信していた。

「そして、ボーカル・ギター! 神原泰斗!」

 神原が自分で自分を紹介するとフロアから、大きな歓声が上がった。

 自分が、自分たちが受け入れられていることに、神原は充足感を抱く。まだ終わったわけではないけれどこのライブも、このツアーも成功したと言っていいだろう。

 観客の歓声を聞いてから、久倉が「ワン、ツー、スリー、フォー」とカウントを刻んで、四人は曲の演奏に入る。イントロが始まった瞬間、フロアはもう一度わっと沸き返った。

 この曲は、神原たちのメジャーデビュー曲であり、ライブでもよく演奏する人気曲だ。待ってましたと言わんばかりの観客の反応が、神原たちの心についた火をよりいっそう燃え上がらせる。

 そして、その盛り上がりは神原が「はしゃげーーー!!!!!」と、観客を煽った瞬間に最高潮に達した。全ての観客、最後列までもがさかんに腕を振り上げているように見える。

 外の暑さにも負けない熱い空間のなかで、神原はマイクに口を近づけて歌いだす。

 この曲で終わってしまうのが惜しい。このまま体力が持つ限りライブを続けたい。演奏をしながら神原は、そう自然と感じていた。



「それでは、皆さんツアーお疲れ様でした。全二〇公演、色んなことがありましたけど、総じて良いツアーになったと思います。これからも当然僕たちは活動を続けていきますので、また何かやるときはよろしくお願いします。それでは、皆さん。乾杯!」

 神原が取った乾杯の音頭に、テーブルのあちこちから「乾杯―!」という高揚した声が返ってくる。神原も隣に座る久倉や、ローディーの北村とジョッキを突き合わせると、軽快な音が小さく浮かんだ。

 アルバムのリリースツアー、その全公演を終えて、神原たちはライブに関わったスタッフたちと、会場から少し離れたところにある居酒屋で打ち上げを開いていた。

 通された座敷席はいぐさの感触が心地よく、店内にはこの手の居酒屋には珍しく、七〇年代の洋楽が流れている。

 神原たちがライブ後の打ち上げで何度も訪れている居酒屋は、一〇人を超える大所帯でも、すんなりと神原たちを受け入れてくれていた。

「いや、本当ツアー完走できてよかったよな。今回のツアーは日程もわりとタイトだったから、大変だと思ったんだけど、終わってみれば何とかなったな」

 テーブルの上のフライドポテトを食べながら、久倉が神原に話しかけてくる。顔にはやりきったという満足感が浮かんでいて、酒が入り始めたこともあって、神原も自然と口元を緩めた。

「そうだな。一時はどうなることかと思ったけどな。新潟だったっけ。お前がライブ前日に熱出したの。あのときはマジで公演延期しそうだったもんな」

「それは本当に悪かったよ。ツアーも終盤で、疲れも溜まってたしさ。今後はこういうことがないよう、体調管理は今まで以上に気をつけるよ」

「ああ、そうしてくれると助かるわ。俺もあんなハラハラする思いはもう味わいたくないしな」

「あのときは本当に大変だったもんね。瞳志くんの回復を待つのに時間ががかって。リハもほとんどしないで、ぶっつけ本番みたいな感じで臨んじゃったもんね」

 神原と久倉の会話に、園田が混ざってくる。テーブルを挟んで二人の前に座る彼女は、既に四分の三ほど中ジョッキを飲み干していて、顔が少し赤らみ始めていた。

「それは本当に反省してるよ。オーナーの笠松さんにも『今後はこういう事態は起こさないでほしい』って、わりときつく言われちゃったしな。謝るしかない状況だった」

「でもさ、本番は何とかなったんだからいいじゃん。瞳志くんの演奏も、体調の不安を感じさせないものだったし。もちろん笠松さんには私も悪いと思ってるけど、あのときみたいなことを二度と起こさないように、これから気をつければいいだけの話だし」

「ああ、そうだな。そう言ってもらえると助かるわ。でも、本当に悪かった。反省してるよ」

「しつこいなぁ。そんな何度も謝らなくっていいって」

 園田が言うと三人の間の空気はより和んで、神原も何の気兼ねもなくビールに口をつけられる。ツアーが終わった開放感からか、他の居酒屋と比べて飛び抜けて美味しいわけではない料理も、今は絶品のように感じられる。

 それからも三人はローディーの北村やPAの宮本らと一緒に、今日のライブやツアー全体を振り返る。あの曲は思っていた以上に観客が盛り上がっていて手ごたえがあったとか、反対にこの曲のこの部分は少し息が合わなかったときがあったから、それは反省点だとか。

 でも、至らなかった点を挙げてもテーブルの空気は少しも悪くならず、それは自分たちがまた一つ進歩したからだと神原には思えた。

 酒も進んでいき、話は真面目な振り返りから、次第にツアーで巡った各地の思い出話になり始める。誰もが晴れやかな表情をしていて話も弾むこの時間が、もちろんライブの最中には劣るけれど、神原は好きだと思う。ライブをしてよかったと心から思える。

 だけれど、そのなかでテーブルの角の席に座り、他のスタッフとの会話もそこそこにスマートフォンに目を落としている与木が、神原には気になった。ふと席を移動して、与木の隣に腰を下ろす。

 与木は一瞬神原を見たものの、なんてことないような表情をして、すぐにまたスマートフォンに視線を落としていた。

「よぉ、お疲れ」

「あ、ああ、お疲れ」

 歯切れの悪い返事も与木の通常運転だから、神原にはまったく気にならない。何しろ人生の半分以上の時間を共にしているのだ。お互いのことは、もう知り尽くしていると言っていい。

 だから、神原は与木がスマートフォンで何をしているのかも、なんとなく分かった。それでも、何気なく訊いてみる。

「お前、スマホで何見てんだよ」

「エゴサ」

 与木はスマートフォンに視線を落としたままでいた。与木は人と目を合わせるのが苦手で、それは程度の差はあれど、もうずっと一緒にバンドをやっている神原たちでさえ例外ではない。それでよく何百人何千人の前に出るバンドのギターが務まるなとも神原は思うが、ギターを手にしたときの与木が高い集中力を発揮することも知っていから、今さらどうも思わなかった。そんな不満は、一〇代の頃に既に解消している。

「お前、本当にエゴサ好きだよな。いつも打ち上げの間中、ずっとスマホ見てるし」

「だ、だって気になるだろ」

「まあな。でもライブ終わりの今は、ほとんどが好意的な反応しかないだろ。だって、ワンマンに来るような観客は、漏れなく俺たちのファンなわけだし。まあ、俺はそれが逆に嫌でエゴサとかしないようにしてるけど。何か崇拝されてるみたいで」

「お、俺は別に嬉しいけどな」

「そりゃ俺だって、嬉しいもんは嬉しいよ。でも、万人にウケる音楽なんて存在しないんだぜ。俺だってエゴサして、心無い言葉を見つけちまったことも数えきれないくらいあるしな。だから、お前もほどほどにしとけよ。批判にもなってないような悪口を、いちいち真に受けてたら持たねぇぞ」

「ま、まあそれは気をつけるよ」

「ああ、お前真面目だからな。本当に頼むぜ」

 与木が頷いたところで、神原はメニュー表を手にして「よし、じゃあ何か呑むか」と持ちかけた。与木の中ジョッキはもうほとんど空になっていた。

 与木は「じゃ、じゃあ、ハイボール」と答える。神原も持ってきていた中ジョッキを飲み干し、やってきた店員にハイボールを二つ頼む。

 そして、しばらくして提供されたハイボールを持って、改めて与木と乾杯した。少し恥ずかしげな表情を見せている与木にも、神原の気分は悪くならない。今はただ、与木と美味い酒が飲めることが気持ちよかった。

「よーし、じゃあ、皆いるな。そろそろ終わりにしようか」

 そう口にしたのは、神原の二つ隣に座るマネージャーの八千代(やちよ)だった。この後も仕事があるからと、ノンアルコールビールだけを飲んでいたから、当然呂律もしっかりしている。

「じゃあ、改めてだけど今後のスケジュールの確認な。まずは今日のライブでも発表した通り、一一月にニューシングルが出るから。それに関連した取材や宣伝活動は、追い追い決まった順に伝えていく。そんでもって、そのシングルを引っさげて一二月からは東名阪ツアー。で、三〇日にはフェアウェルフェスに出て、今年の活動はおしまいだ。で、その合間合間に来年リリースするニューアルバムのレコーディングも進めていくから。まずは来月の二日。いつもの青葉台スタジオに午後一時の集合な」

 もう全員が全員いい大人だから、絵に描いたような返事は出ない。だけれど、神原をはじめとした全員が確かに頷いていた。

 それを確認した八千代は、打ち上げを締めにかかる。

「よし、じゃあとりあえずここでの打ち上げはこれまでにしようか。俺は仕事があるから事務所に戻るけど、二次会行きたい人は、自分たちで好きなように行ってくれ。また二日、元気で顔を合わせような」

 そう八千代が締めて、最初の打ち上げはお開きとなった。荷物を持って、店の外に出ようとする面々。

 そのなかで、神原はまだスマートフォンを見たままの与木に話しかける。

「なあ、澄矢。お前、二軒目行くか?」

「い、いや。俺はもう帰りたい。今日は疲れたから、帰ってゆっくり寝たい」

 にべもなく断った与木を、付き合いが悪いとは神原は思わなかった。一軒目で帰るのも、与木の通常運転だ。一応確認したにすぎない。

「そっか。まあ今日は盛り上がったからな。じゃあ、ゆっくり休めよ。また二日な」

「ああ」そう答えて、全員にまとめて軽く「お疲れ様でした」という挨拶をすると、与木は一足先に店の外へと出ていった。ちゃんと飲食代は支払っているし、与木の性格は全員が把握しているから、咎める者は誰もいない。

 神原たちも外に出て、これからどうするか話しだす。だけれど、考えるまでもなく、またよく行っている居酒屋に行くことに決まる。

 うだるような空気のなか、神原たちは歩きだす。八月ももう半ばを過ぎた夜のことだった。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(2)

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