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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(143)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(142)






 晴明たちが稲毛駅に着いたのは、午後の一時半を過ぎた頃だった。すでに駅前には桜子と芽吹、そして植田が待っていて、集合時間には間に合ったものの、待たせてしまったことを晴明は申し訳なく思う。

 取材先のカフェへと歩き出す五人。向かっている途中、桜子と有賀は一言も言葉を交わしていなくて、晴明には少し気まずかった。

 今日の取材先であるノノカフェは、広い道路に面した飲食店街の一角にあった。緑がかった水色をした外観が、生まれてもいないのに、どことなく八〇年代の香りを晴明に思わせる。

 近くの駐車場に車を停めていた筒井と合流して、六人はまず店主への挨拶に向かった。棚に色とりどりの雑貨が並び、チェック柄のクッションが無邪気で活発な印象を与える。天井照明も明るくて、温かみのあるオレンジでまとめられた店内に、これくらいの方が自分たちぐらいの年齢の人には来やすいなと晴明は思った。

 店主である屋代(やしろ)は、六人に気さくに接してくれた。「どうゆっくりと見ていってください」との言葉に、晴明の緊張は少し解れる。幸い店内に人はさほど多くなく、取材もしやすそうだ。

「よろしくお願いします」と六人はいったん外に出て、晴明がライリスを着てから戻ってくる。

 店内にいる客たちの視線は一瞬、入ってきたライリスに向いたものの、屋代から説明を受けているのか、すぐになんてことないといった表情に戻っていた。穏やかに流れるオルゴールの音色が耳に優しい。

 ノノカフェは、イレギュラーなライリスも問題なく受け入れていた。

 ライリスがソファ席に座ると、すぐに作り置きされていたブレンドコーヒーとアップルパイが運ばれてきた。芽吹や有賀が写真を撮っている間も、晴明は料理をじっと眺める。

 ブレンドコーヒーからは湯気が立ちのぼり、アップルパイは生地が光沢を放っていて食欲をそそる。とはいえ、ライリスに入った状態では何かを食べることは、当然晴明にはできない。これはあくまで試供品だ。あとで桜子たちが美味しくいただくことになっている。

 晴明は空のマグカップを渡され、口元で傾けてみたり、切り分けられたアップルパイを口に運ぶふりをした。写真を撮られていても、晴明の視線はカメラの向こうの有賀に向いてしまう。

 見せたいものがあるとはなんなのか。

 疑問は屋代の話を聞いている間も、晴明からは消えなかった。「地域の憩いの場になりたい」といいことを言われても、晴明には心の深くまでは響かなかった。



 取材が終わって、晴明と有賀はノノカフェが入っている建物の裏にいた。道路からは外れた脇道に面したこの場所は、人通りも車通りも少ない。「話があるから先に帰ってほしい」と晴明に言われ、桜子や芽吹はたいそう不審がっていたが、なんとか晴明は押し通した。

 表の道路を盛んに行き交う車の走行音を聞きながら、口を開いたのは有賀の方だった。

「似鳥くん、今日はお疲れ。長いことライリスに入ってたから、疲れたでしょ?」

「いえ、ホームゲームでは休憩もありますけど、この倍くらいライリスに入っているので、全然大丈夫でした」

「そっか。頼もしいね。でも、コーヒーやアップルパイが食べられなくて残念だったね。俺もアップルパイ一口食べさせてもらったんだけど、ほっぺが落ちそうなくらい美味しかったよ」

「……有賀さん、僕に見せたいものがあるんじゃなかったんですか?」

 このまま世間話を続けていても、心に負担がかかるだけなので、晴明は思い切って本題へと話を誘導した「そうだったね」ととぼけたように言う有賀から、悪びれる様子は見られない。

 有賀は肩から提げられたバッグから、折り畳まれた一枚のフライヤーを取り出して、晴明に渡した。

 一目見ただけで、晴明は思わず受け取りたくないと思ってしまう。そこにはピアノに手を下ろす一人の少年が写っていた。

 おそるおそる受け取って開いてみると、タキシードを着てフライヤーに写っていた少年は、案の定晴明には見覚えがあった。上段にでかでかと「天ヶ瀬巧(あまがせたくみ) ピアノリサイタル」と書かれている。

 会場は千葉県文化会館だ。晴明も演奏した経験がある。

「この子、去年君が優勝した全国学生ピアノコンクールで、準優勝だった子でしょ」

 晴明は動揺で、うまく言葉を返せなかった。奥底に押しこめていた記憶が蘇ってくるようで、嫌悪感に見舞われる。

 何も言わない晴明にも、有賀は訊き出そうという姿勢を崩していなくて、晴明は取材されているような感覚に陥った。

「今度、千葉でコンサートやるんだってね。せっかくだから行ってあげたらどう? まだチケットは販売中みたいだし」

「……なんで、僕が行かなきゃなんないんですか」

「そりゃ、似鳥くんがまだピアノを忘れていないってことを示すためでしょ。天ヶ瀬くんの演奏を聴けば、得るものはあると思うな」

「無理です。どのみちこの日はハニファンド千葉のホーム最終戦ですし。僕はライリスに入って、ファンやサポーターの方たちのもとへと出なければならないので」

 フライヤーには、開催日は一一月二九日と書かれていた。日曜日で、ハニファンド千葉対EC岐阜の試合が予定されているから、晴明は穴を開けるわけにはいかない。

 有賀だってそれくらいは分かっているだろう。分かったうえで自分にゆさぶりをかけてきていて、デリカシーはないのかと、晴明は勘繰りたくなる。

「そうだったね。確かに今の似鳥くんはアクター部の一員だもんね。そりゃ行けないよね」

 分かっているなら最初から渡してくるなよと晴明は思ったが、有賀の目的が自分を天ヶ瀬のコンサートに誘うことではないのは明らかだったから、不審な視線を送る。

 それでも、有賀は話を終わらせなかった。

「でもさ、そろそろ教えてくれる? 似鳥くんの身に何が起こったのか。どうしてコンクールで優勝してから間もなくして、表舞台から姿を消したのか」

路地を一台、車が通過していく。店頭と違って着飾られていない通用口は雑然としていて、とてもここでするような話ではないと晴明は感じた。

「……すいません。ちょっと今はまだ話す気にはなれなくて……」

「うん。そう言い続けて、もう半年ぐらい経つよね。大丈夫だって。誰にも言わないから」

 そういう問題ではないと晴明は感じたが、思ったことをそのまま有賀に伝えることはできなかった。有賀にはまだとてもではないが、全幅の信頼は置けない。ただ俯いて、話したくないという態度を伝える。

「まあ、似鳥くんが話したくないならしょうがないけど」と言った有賀は、どことなく不機嫌そうだった。

「すいません」と返したものの、晴明はどうして自分が謝っているのか分からない。誰かに話せば、少しだけでも楽になるかもしれないのに。それができない自分の意固地さが、むずかゆかった。

「まあ、いつでも話したくなったら話してよ。しっかり聞くからさ」

 有賀の言葉が自分を責めているように晴明には聞こえて、ますますうなだれてしまう。まだ過去を引きずっている自分が、情けなく思えてしまう。

 二人は何を言うでもなく立ち尽くす。道路を走る車の音が、ひっきりなしに聞こえていた。



 狭い視界にはしゃぐ子供の姿が見える。屈んで目線を合わせると、元気な笑顔が心を癒やす。

 日曜日、晴明たちは海浜幕張駅の近くにある大型ショッピングモールに来ていた。もう何回か来ている場所で、何回か着ている犬のキャラクターの着ぐるみだったから、晴明はそこまで緊張せずに人前に出ることができていた。

 ふと横を向くと猫やうさぎのキャラクターの着ぐるみに入った成や渡が、中の暑さにも負けずに、積極的に来場客と触れ合っている。広大な敷地の真ん中で奮闘している自分たちを、晴明はどこか甲斐甲斐しく感じていた。

 とはいえ、昨日の勝呂や有賀との会話は、晴明には完全には忘れられない。着ぐるみを着ている最中は動き続けているから多少気が紛れるものの、いったん脱いでしまったら、波のように昨日の記憶が押し寄せてしまう。本を読んでいても、会話に参加していても、ぎこちない気持ちは抜けない。

 余計なことを考えないためにも、ずっと着ぐるみに入っていたいとさえ、晴明は思っていた。

「ハニファンド千葉の試合、もうすぐキックオフですよね」

 会話の流れで桜子が口にした。時計は一時五五分を指している。SJリーグ二部第四一節、ハニファンド千葉対栃木TCの試合は、二時過ぎに開始予定だった。

「ねぇねぇ、もう一度とま先輩にラインしてみたら? 今、栃木にいるんでしょ?」

 成の言う通り、泊は今日栃木TCのホームスタジアムへと足を運んでいる。たとえ今日勝ったとしても一部昇格が決まるわけではないが、終盤戦に入って盛り上がってきたスタジアムの雰囲気を直に浴びたいらしい。前の休憩中には、アウェイゴール裏からピッチを撮った写真をラインに載せており、どうやら声を上げて応援するようだ。

 赤いユニフォームに身を包んだ姿は、晴明たちがよく見るサポーターの人たちと、何ら変わりがなかった。

「あっ、ライン返ってきました。『両チームの選手紹介も終わって、いよいよこれから選手入場だよ。勝って昇格できるように、がんばって応援する!』ですって」

「とま先輩、もうすっかりサポーターじゃんね」

「だな。さっきもスタジアムに着いたらスタグルを食べなきゃって、大きなチキンの画像を送ってきてたもんな。楽しんでるようで何よりだよ」

「まあ受験生なのにとは正直思うけど。でも、泊先輩ならたぶん何とかすんだろ」

 五十鈴や植田が二人そろって外出した休憩室で、晴明たちは会話を弾ませていた。着ぐるみを着た疲れなんてないかのように。

 まだまだ出番はあるけれど、先輩たちにはこれが一番効率的な休み方なのだろう。晴明も咎めることなく、適当に話を合わせて過ごしていた。

「ねぇ、来年はさ、私たちもアウェイゲーム行きたいよね」

 何の気なしに言う成に、他の部員たちも頷く。晴明も同じように頷きたかったが、部活は今年度限りだと冬樹から言われていることを考えると、小さなリアクションしか取れなかった。

「確かにライリスたちに入るから、声を出して応援したり、スタグルを食べることはできないけど、今まで触れ合ったことのないマスコットと触れ合ってみたいよな」

「そうそう。行ったことない場所にも行ってみたいしね。余った時間で、軽く観光なんてしちゃったりして」

「私、沖縄とか行ってみたいです。もちろん泊まりで」

「まあ学校がそれほどお金を出してくれるとも思えないけど、憧れはあるよな。近場の関東圏のアウェイゲームくらいは参加できるように、今度筒井さんに持ちかけてみようぜ」

「ですね。よろしくお願いしますよ。渡部長」

 桜子に続いて、成や芽吹も渡に軽い口調で「部長」と言っている。渡も「よせよ」とは言うものの、嫌そうな表情はしていない。安心して先輩をからかえるような関係は、晴明の背中を押し、同じように「部長」と言うのを助けた。

 少し恥ずかしそうに渡ははにかむ。だけれどその表情を見ていると、晴明は心の片隅で罪悪感が募った。

「まあ、とりあえずは来年のことよりも来週の岐阜戦だよね。泣いても笑ってもシーズン最終戦だから」

「筒井さん曰く、チケットもかなり売れてるらしいですしね。今年一番お客さん入るかもって言ってました」

「試合はもちろんだけど、EC岐阜のマスコットキャラクター・ギッフェンも来るしな。似鳥とか、交流すんの楽しみなんじゃないか?」

「ま、まあ、そうですね」

「ギッフェンはダンスが得意なんだってな。ホームゲームでは毎試合違うダンスを踊ってるみたいだし、SNSにもよく動画あげてる。なあ、似鳥。もし急にギッフェンと一緒に踊ることになったらどうする?」

「そ、そのときは恥ずかしいことにならないように、がんばりたいと思います……」

「どうしたの、ハル? ちょっと元気ないじゃん。疲れてるなら、向こうで休んでれば?」

 歯切れの悪い晴明を心配に思ったのか、桜子が二つ離れた席を見ながら勧めてきた。確かに合計でもう一時間ほど着ぐるみに入っているから、疲労は否めない。

 だけれど、晴明は会話の輪から外れたくなくて、「大丈夫」と答えた。なのに、声は晴明が思ったような強度を持ってはいなくて、余計に部員たちを心配させてしまう。

「いや、無理は禁物だぞ。まだまだ今日は出番あるんだから、疲れてるんなら、何もせず身体を休めてればいいから」

「あの、本当に大丈夫ですから。まだ全然体力残ってます」

「でも似鳥、顔少し暗いよ。何かあった?」

 成に尋ねられ、晴明は笑ってごまかそうとした。でも、ぎこちない笑顔だったのは、鏡を見なくても分かった。何かあったかと訊かれれば、「はい」と言わざるを得ない。勝呂のことに、有賀から訊かれたこと。

 心配そうな表情をしている四人の前では、何を言っても大丈夫な気がする。だけれど、自分の根っこをさらけだすには勇気が足りなくて、晴明は話題を選び口を開いた。

「あの、勝呂さんのことなんですけど……」

「勝呂さんがどうかしたの?」

 晴明は意を決して、今勝呂とその周りに起こっていることを話した。

 勝呂がゴロープロダクションの経営を引き継ぐ可能性があること、もしそうなったらアクター部の外部指導者をやめることになること、そのことを勝呂に直接尋ねてみたけれど、答えをはぐらかされてしまったこと。勝呂について自分が知っている範囲のことを、全て話した。

 四人は時折疑問を挟みながらも、晴明の話を否定することなく、最後まで聞いてくれた。

 晴明が話し終わったとき、休憩室には神妙な空気が流れていた。まだ次の出番までには一〇分ほどあり、奇妙な時間が生まれていた。

「そっか。勝呂さんがそういう風に考えていたとはね」

 成が呟いてみても、休憩室の空気は少しも変わらない。誰もが事態を重く受け止めていた。

「ゴロープロダクションの経営の話を出されちゃうと、安易に『続けてください』とは、なかなか言いにくいですよね……」

「まあ勝呂さんは一番近くで五郎さんの背中を見てきたわけだし、適任っちゃ適任かもな……」

 現状を確認するように、成や芽吹が口にする。言葉にすればするほど、状況が悪くなっていく気がして、晴明は空恐ろしくなる。

「勝呂さんも次のステージに進むときが来たのかもな……。俺たちの指導よりも、やらなきゃいけないことができたのかもな……」

 渡がこぼすと、空気は目に見えそうなほど澱んだ。渡の口から言われると、勝呂が来なくなるのがまだ決まっていないのに、覆しようのない事実のように晴明には思えた。

 数分前から席を外している五十鈴と植田は、まだ戻ってくる気配がない。

 晴明はこの行き詰まったムードのまま着ぐるみに入りたくはなかったけれど、落ちこんだ雰囲気はちょっとやそっとでは変わらないようにも感じてしまった。

「でも、私はまだ勝呂さんにはアクター部に来てほしい。勝呂さんの教え方って分かりやすいし、スーツアクターとしてのスキルが着実に上がってるって感じるから。アクター部が正しい方向に進むためには、まだまだ勝呂さんの力は必要だよ」

「そりゃ俺だってこの先も勝呂さんから教わっていたいけどさ、実際どうすんだよ? 『やめないでください』って情に訴えかけるのか? そんなこと言ったって、問題は一つも解決しないのに?」

 成の言うことも、渡の言うことも、晴明には痛いほど分かった。いくら自分たちが想いを伝えたとして、ゴロープロダクションの経営者問題が解決しない限り、勝呂が留任してくれるとは考えづらい。

 まだ成が返事をできていないのは、自分たちに伝手がないことを自覚しているからだろう。晴明たちは誰一人として、勝呂や五郎の連絡先を知らない。というより高校生では、多くの大人と繋がることは現実的には難しい。

 今、晴明たちは全くの無力だった。悔しいという気持ちすら湧かないほどに。

「あの、私後でとま先輩に聞いてみます。とま先輩、顔広いですし、もしかしたらゴロープロダクションの人に知り合いがいるかもしれないですから」

 ひとまずといった具合に桜子は言っていたけれど、実際にそれがどのくらいの効果を発揮するのかは不透明だった。いくら知り合いの多い泊だとしても、空撃ちに終わる可能性は十分考えられる。それしか方法がないから、消極的に賛成する部員たち。

 だけれど、晴明は自分にもまだできることがあるかもしれないと、閃いていた。おそらく泊を当たるよりも可能性は高いだろう。

 晴明が思いつきを話すと、四人の顔は少しだけ明るさを取り戻した。「頼むぞ」と言われて、晴明は背筋が伸びる感覚を味わう。

 しばらくして、五十鈴と植田が戻ってくる。晴明たちは何事もなかったかのように振る舞う。

 登場時間が来て着ぐるみを着てからも、晴明は密かに使命感に燃えていた。


(続く)


次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(144)


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