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【小説】ロックバンドが止まらない(97)


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 楽器を構えた神原たちは演奏を開始するために、少しだけ距離を縮める。登場SEが止んだなかで、神原たちは四人で向き合った。

 息を呑むような雰囲気のなか、神原たちは頷き合って、一斉に最初の一音を鳴らし出す。適当なコードを弾きながらマイクの前に向かい合った神原は、高らかに宣言するかのように「こんにちは! Chip Chop Camelです!」と口にした。

 手を振り上げて応えてくれた観客は、何度も自分たちのライブに通ってくれている常連だ。その姿に勇気を貰いながら、神原たちはそのまま一曲目の「RHETORIC SUMMER」の演奏に雪崩れこんだ。

 テンポも速く歯切れのいい曲調が、ステージからフロアへと拡散されていく。神原たちとしてもシングルが発売されて以来、全てのライブで演奏している曲だからどう演奏すればいいかはとうに身体が覚えていて、余計なことを考えずに演奏ができる。

 フルアルバム『D』にも収録されている現時点での神原たちの代表曲の一つだから、聴き覚えのある観客も少なくなかったのだろう。何人もの観客が、リズムに乗って身体を揺らしている。

 それは自分たちが二組目だということも大きいのだろう。トップバッターとして登場して、ライブハウスの空気を暖めてくれたスノーモービルの貢献を、演奏しながら神原は感じた。感謝の気持ちさえ、胸の奥底には湧いてきていた。

 それからも神原たちは『D』に収録されている曲を、次々と演奏する。すでにリリースされてから二ヶ月ほど経っていて、聴いてきた観客もいるのだろう。フロアの反応は良好だった。多くの観客の意識が、自分たちに向いていることを神原は感じる。

 それでも、神原はまだ満足していなかった。

 自分たちの次に登場するショートランチは、きっと今日来た観客のほとんどが知っていることだろう。曲もよく知られていて、きっと盛り上がるライブをするに違いない。

 そう思うと、今のライブハウスの熱量は、まだまだ足りていないと神原は感じてしまう。

 もちろん冷静さは大事だ。それでも、神原は三人の音を聴く冷静さを保ちながらも、ギターを弾く手や歌声により力を込めていた。全身全霊で臨まなければ、ショートランチに勝つライブはできないと感じていた。

 神原の熱のこもった演奏に呼応するように、園田たちの演奏にも曲を追うごとにより力が入っていく。お互いがお互いを刺激し合って、目覚ましい演奏ができていると神原には思える。

 そして、それは少しずつフロアにも波及していっていた。リズムに乗ってくれる観客も一曲ごとに増えていて、自関心が薄かったであろう人の心を自分たちのライブで動かせていることを、神原は感じる。

 そして、それはミドルテンポの曲やバラード調の曲でも同様だった。全ての観客の目と耳が自分たちに向いている感覚に、神原たちは演奏をしながら深い集中状態に入っていく。

 今、神原たちの意識は自分たちの演奏のみに向いていて、二階席で見ているショートランチやスノーモービルの面々のことは、もはや頭から追い出されていた。

 自分たちが最大限の演奏をして、観客にどう感じてもらえるか。それが、今の神原たちの全てだった。

 メンバー紹介およびライブMCも手短に済ませて、神原たちは限られた持ち時間を、一曲でも多くの曲を演奏することに注ぎこんだ。

 曲数も少ないから、ワンマンライブのときほどには疲れない。ということは少しもなく、神原たちには相変わらず疲労は押し寄せてきていたものの、それでも神原はどうでもいい話をして、流れを断ち切りたくないと感じていた。

 最後に二曲、テンポも速めで今までのライブでもとりわけ大きな盛り上がりを見せている曲を、神原たちは演奏する。

 そのなかでも最後に演奏した「FIRST FRIEND」では、腕を振り上げてくれる観客はライブが始まったときの何倍も多く、神原にはライブハウスに漂う熱気が、実際に具現化されて見えるかのようだった。

 それは間違いなく神原たちのライブが、少なくない数の観客の心を掴んでいたからで、演奏しながら神原は誇らしい気分にさえなる。単なるうぬぼれかもしれなかったけれど、スノーモービルよりも観客に受け入れられ、フロアを盛り上げるライブができていると感じる。自分たちの次にライブをするショートランチにだって、引けを取ってはいないだろう。

 そう神原は、演奏を終えたときに鳴り響いた拍手に感じた。ちゃんと人数分の気持ちが乗った、今まででも一番大きいと思える拍手だった。

 ライブを終えた神原たちは、いったん楽屋に戻る。三人の手ごたえを得ているような表情は、何も言葉にしなくても、神原に充実感を抱かせるには十分だった。

 上がったままの息で、神原たちはお互いを称え合う。四人ともがまず前向きな感想を口にしていて、もちろん課題もなかったわけではないにせよ、それでも神原は今までの自分たちでも有数のライブだったと、実感できていた。

 神原たちが疲労を感じていながらも、興奮冷めやらぬといったように話していると、次に出番を控えたショートランチの三人が楽屋にやってきた。

 三人は神原たちを見るなり、それぞれ「めっちゃよかった!」といった言葉をかけてきて、本当に心の底からそう思っているような様子は、神原に鼻持ちならないといった印象を抱かせなかった。だから、心の中ではまだ対抗意識を燃やしていても、口では「ありがとな」と言うことができた。実際、ライブとしてはここまでは良い流れで来ている。

 そのまま少し話していると、スタッフがショートランチの三人に「スタンバイお願いします」と声をかけてくる。園田や久倉に「頑張ってね」といった声をかけられて、三人は力強く頷いた。その姿に神原は、自分たちほどには盛り上がらなくても、ここまでの流れを台無しにするようなライブはしてほしくないと自然と思えた。

 ショートランチの三人が楽屋を後にして、少し休んでから、神原たちも楽屋を出て、二階の関係者席へと向かう。

 ショートランチのライブが始まる前に辿り着くと、スノーモービルの三人も神原たちを労うような言葉をかけてくれた。そつのない返事を神原がしていると、三度フロアの照明は落とされ、ライブハウスには海外の有名なバンドの比較的マイナーな曲が流れ始めた。神原も聴いたことがあるこの曲が、ショートランチの登場SEなのだろう。

 そして、曲に乗るようにして三人が現れた瞬間、神原の目はすぐには受け入れられない光景を捉えた。登場したときの拍手と歓声は、自分たちのときと比べても明らかに大きく、メンバーの名前を叫んでいる観客さえいたのだ。

 ほとんど全ての観客が反応しているかのような雰囲気は、三人が獲得している人気を、神原に痛感させる。フロアにはまだ演奏が始まってすらいないのに、突き上げるような期待が渦巻いていた。

 登場SEが止むと、その期待の色はより濃くなる。このライブハウスにいる全員の意識が集中しているなか、ステージ上の三人は辻堂のドラムからライブを始めた。

 それは神原には聴いたことがない曲だったが、それでもシングルやアルバムといった何らかの形でリリースされているのだろう。多くの観客は既にその曲を知っていたようで、いきなり辻堂のドラムに合わせて手拍子が生まれている。神原はそれには乗らなかったが、でも関係者席でも園田をはじめとした何人かが、同じように手を叩いていた。

 それは神原たちが今まであまり味わったことのない光景で、ライブが始まったばかりの段階でもショートランチの三人が既に観客の心を掴んでいることを、神原に思い知らせた。

 そこに平井のギターや保科のベースが合わさると、膨らんでいた期待はいきなり大きく弾けた。ライブハウスには解放感と爽快感が広がっていて、自分たちが室内にいることを、神原にも束の間忘れさせる。

 神原たちがバトンを繋いできた成果もあったが、それ以上にショートランチは三人自身の力でフロアを大いに沸かせていた。音圧も三人だけで演奏しているとは思えないほどで、それは自分たちにも決して劣っていないと、早くも神原に突きつけてきていた。

 三人は立て続けに曲を演奏する。曲自体のクオリティが高く、また演奏も自分たちとはまた少し異なると、神原は感じていた。熱はこもっているものの、それでも必要以上に力は入りすぎていない。いい塩梅で脱力した部分も残していて、それは三人が心から演奏を、ライブを楽しんでいる証のように神原には思われた。

 きっと神原たちよりも、この規模のライブに慣れているのだろう。滑らかで流れるようで、それでいて確かな迫力も併せ持っている演奏は、観客のボルテージを十分すぎるほどに引き上げていた。

 リズムに乗るのはもちろん、手を振り上げて曲を楽しんでいる様子を表現している観客も、スノーモービルや神原たちのときよりも多く、突き上げるような高揚感は神原も認めざるを得ない。

 三人は人気も頷けるほどのライブを披露していて、それは客観的に見れば、今日のラストを飾るのに相応しかった。

 それでも、三人は集中した精度の高い演奏を披露しながらも、ライブMCになると先ほどまでの演奏が嘘かのように、ざっくばらんな砕けた態度を見せていた。メンバー紹介をしながら言葉を交わす三人の姿は、まるで自分たちの家にいるかのように、緊張感が希薄だった。

 三人は何度も笑っていて、メンバー同士の仲の良さを窺えたが、それでも神原は少し怒りにも似た感情を抱いてしまう。自分たちは少しでも観客の印象に残るようなライブをしようと必死なのに、喋っている三人はどこまでも自然体だ。いくら観客たちがそのことを受け入れていても、神原は三人に嫉妬を覚える。

 今日ここまでは自分たちにも負けていないライブができているかもしれないが、明日明後日のライブではこうはいかない。自分たちの方が絶対に、観客に良かったと思ってもらえるようなライブをする。

 神原の心についた火に、さらに薪がくべられていた。

 しかし、いくらライブMCが緩くとも、次の瞬間には三人は明確にスイッチを入れ替えた演奏をしてみせる。

 辻堂がバスドラムを刻む。その始まり方は、あの顔見せライブで神原たちが聴いた「シャンデリア」に間違いなかった。三人の代表曲が始まったことに、フロアにも声にならないどよめきが起きる。

 保科のベースがリフを弾き、平井のギターも合流する。三人の演奏が合わさったときの高揚感は凄まじく、それは構えていた神原の心さえも、跳ね上げるかのようだった。

 フロアは、誰が見てもこの日一番の盛り上がりを見せている。ここまで盛り上がっているライブは佐川たちの最後のワンマンライブ以来、神原には記憶にないほどで、気がつくと神原は手を強く握りしめていた。

 あと二日で、このショートランチを上回るライブをしなければならない。

 そう考えると、神原は何も考えずにライブを楽しむことはできなかった。


(続く)


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