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【小説】ロックバンドが止まらない(83)



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「与木、改めて今日はお疲れ」

 神原はそう言って、中身が半分ほど入ったビールジョッキを与木に近づけた。与木も「お、おう」と反応していて、二人は改めてビールジョッキを突き合わせる。でも、突き合わせた瞬間に鳴った軽い音は、すぐに店内の喧騒に吸い込まれた。

 メジャーデビュー前最後のライブ。それを無事に終えた神原たちは、今こうして打ち上げの席に参加している。

 他のバンドのメンバーと話している園田や久倉と違って、与木は自分から会話をしに行くのがあまり得意ではない。だから、こうして一人でいてしまう時間はどうしてもできてしまい、その度に神原が隣に座って話そうとしている。

 いつものことだから、神原は今さら何かを感じなかったし、与木に「お前も先輩と話に行けよ」とはまったく思わなかった。

「今日のライブもさ、俺たち良い演奏ができてたよな。ミスなく合うのはもちろん、それぞれの演奏にキレがあって。観客にもメジャーデビューするのに相応しいバンドだって、分かってもらえたと思う」

 神原は、まずは自分たちを褒めることから話を始めた。

 実際、今日は演奏面では神原には確かに手ごたえがある。四人ともが調子を落とさず的確な演奏ができていた自負がある。

 与木も「そうだな」と、短い言葉で神原に同調していた。たとえ反応は薄くても、与木も同じように思っていたことが伝わって、神原が感じる手ごたえはほんの少し大きくなった。

「まあ、それだけにもうちょっと盛り上がってほしかったけどな。観客は入ってたけど、多分俺たちの後のバンドが目当ての人が多かったんだろうし。でも、そんな状況でもライブはしなきゃならないわけだし、そこは次への課題だよな」

 そう言う神原に、与木も「ああ」と小さく頷いていた。今日のライブに満足がいっていないのは二人とも同じなのだろうと、神原は思う。

 演奏面では良いライブができていたものの、フロアの盛り上がりは正直、神原には今一つだった。観客の表情から自分たちの後のバンドを楽しみにやってきたことが伝わり、いくらインディーズで活動していたとしても、自分たちの知名度はまだまだなのだと思い知らされていた。

 本音を言えば少しやりづらくさえあって、でもこれも他のどの人気バンドも通ってきた道なのだと思うと、神原は自らを奮い立たせながら最後までライブをやりきっていた。

「でもまあさ、色々課題はあったけど、こうして今日もライブを無事に終えられたことが一番だよな。ここからまたメジャーデビューに向けて忙しくなってくけど、お互い頑張ろうぜ」

 再び小さく頷いた与木を見て、神原はビールを口に運ぶ。打ち上げが始まって一時間あまり。大分アルコールも回ってきて、気分も大らかになってきた。意識しなくても、表情が緩んでしまう。

 でも、そんな神原とは対照的に与木の表情はいまいち冴えなかった。与木が呑んで気分が大きくなるタイプではないと分かっていても、わずかに伏せられた目を、神原は気がかりに感じてしまう。

「どうしたんだよ。今日のライブ、悪くなかっただろ?」

 そう言われて与木は目を上げていたけれど、その瞳の奥に懸念が広がっているのを、神原は見て取ってしまう。「いや、それはそうなんだけど……」と言葉を濁らせる与木。

 神原は、自然と与木から次の言葉が出てくるのを待った。

「神原、本当ごめん」

「何だよ、急に。何謝ることがあるんだよ」

「いや、夏に出るデビューシングル。三曲入りなのに俺、一曲も書いてねぇじゃんか。それが本当に悪いなって思って」

 再び目線を下げてしまった与木を、神原は即座に「いや、全然大丈夫だよ」と励ます。実際、神原としてもそれで謝られるとはまったく思っていなかった。

 ミニアルバムでメジャーデビューをした後、神原たちは八月に自身初となるシングルをリリースする。年に二枚はシングルをリリースするという、サニーミュージックと交わした契約があるからだ。

 既に収録曲は決まっており、その曲は全て神原が書いた。与木はミニアルバム用に一曲を書いただけで、その後は曲を書けていない。

 でも、それも神原には少しも構わないことだ。調子に波があるのは誰だってそうだし、今は与木は書けない時期なのだろう。

 でも、それをどうにか乗り越えて、再び書けるようになる時期が与木にもやってくることを、神原は知っている。だから、どうってことないと思えた。

「別に俺にだって曲が書けないときはあるんだから、腹立てるとかまったくもってありえねぇよ。『SIXTY DICE』を書いてくれただけで感謝してるし、お前が書けないときはその分まで曲を書くのが、俺の仕事だと思ってるから。全然気にする必要ねぇって」

 そうフォローしたところで、与木が気にせずにはいられない性格なのは、神原も分かっている。だから、本心からそう思っていることを伝えるために、神原はより表情を緩ませた。

 それでも、与木は「いや、でも……」と、気にする素振りを隠そうともしていない。その素直な姿が神原の目には好ましく映る。

「いいんだよ。お前は今のままで。今だってリードギターは考えてきてくれてるだろ。それだけで俺には十分だから。もちろん曲を書いてきてくれたら嬉しいことには違いないけど、でも前みたいに曲を書けてないからって、気に病むことはねぇからな」

 さすがに神原にここまで言われたからには、食い下がるのはしつこいと思ったのだろう。与木は「ま、まあ、お前が言うなら……」と、それ以上何かを言わなかった。

 完全に納得したわけでなくても、与木がそう言ってくれたことに神原は安堵して、再びビールに口をつける。隣のテーブルでは園田や久倉が、先輩バンドのメンバーと楽しそうに喋り続けている。

「……俺たち、本当にメジャーデビューするんだな」

 唐突に話題を変えた与木がおかしくて、神原は少し吹き出しそうになってしまう。それでも、与木は真剣な表情をしていたから、どうにか堪えて笑顔を向け続ける。

「何だよ。今さら自覚出てきたのか?」

「いや、俺も自覚なかったわけじゃなかったけど、でも今日でよりその思いが強くなったというか。ほら、今日ライブ前にオーナーの保坂さんにポスター渡しただろ。あのときに広げられたポスターを見て、『ああ、本当にメジャーデビューするんだな』って思ったんだよ」

「分かるわ。俺もその瞬間はハッとした」と神原は頷く。

 今日ライブ前に神原たちが保坂に渡したポスターは、以前撮ったアー写を使用したものだった。さらに四人分のサインが書かれている、現時点ではこの世に二つとない代物だ。

 保坂が広げたときには、神原も背筋が伸びる思いがしたし、実際ライブ後に自分たちが渡したポスターが階段の壁に貼られていたときには、言葉にならないほどの嬉しさを感じた。思わず携帯電話で写真を撮ってしまったくらいだ。

「俺たち、とうとうここまで来たんだよな」

 感慨深そうに言う与木に、神原も目を細める。メジャーデビューの日が近づいてくるドキドキと同時に、今まで重ねてきたバンドとしての時間を誇りに思う気持ちは、神原も抱いていた。

「そうだな。でも、もう聞き飽きてると思うけど、ここがゴールじゃねぇから。デビューするよりもデビューした後にどんな活動をしていくかの方が、ずっとずっと大事なんだからな」

「分かってるよ。それこそ、もう耳にタコができるぐらい聞いてるから」

 与木は微笑もうとしていたけれど、アルコールで頭がクラクラし始めているのか、あまりうまくはいっていなかった。

 でも、それも神原の目には微笑ましく見える。「これから頑張ろうな」と声をかけると、「ああ、もちろん」と与木も応えてくれる。さらに目を細める神原。

 メジャーデビューであるミニアルバム『FIRST FRIEND』の発売日は一か月後に迫っていた。

 神原たちが八千代に声をかけられて、サニーミュージックの事務所に集まったのはメジャーデビューを月末に控えた、ゴールデンウイークのある日だった。

 連絡を受けた瞬間から八千代は用件を明確に伝えてきていたから、会議室に通されても、神原たちは余計な緊張をしないで済む。むしろ神原としては期待に胸が高鳴っていくようだ。

 そして、それは八千代が小さな段ボールを手に会議室に入ってくると、ますます膨らむ。箱の中身が何なのか、神原たちには言われなくても分かった。

「じゃあ、これから完成した『FIRST FRIEND』を配るから。一人五枚渡すから家族や友人、お世話になった人に渡してくれ」

 そう言って八千代は段ボールの口を開け、完成したばかりの『FIRST FRIEND』を取り出した。

 神原が受け取ると、五枚分のCDはさすがの厚みがあった。

 ジャケットには、ピンクと紫の中間のような色を背景に、簡略化された電波塔のイラストが載っている。インディーズ時代から使っているモチーフが、改めて自分の目に入ってきていることに、神原は胸がすくような思いがした。

 このミニアルバムがもう月末には店頭に並んでいるのだと思うと、こみ上げてくるものを感じずにはいられなかった。

 五枚の『FIRST FRIEND』を受け取り、八千代から改めて今後のスケジュールを説明されると、この日の神原たちはもう解散となる。

 この日はスタジオでのバンド練習も、神原にはアルバイトのシフトも入っていない。

 だから、神原はサニーミュージックの事務所を出るとまっすぐ家に帰った。早く帰ってこの完成したCDを聴きたいと、そればかり考えていた。

 家に帰った神原は部屋着に着替えることもせずに、机の上にあるCDプレイヤーに直行する。CDプレイヤーに完成したての『FIRST FRIEND』を入れて、イヤフォンを装着する。

 そして、再生ボタンを押すと一曲目の「FIRST FRIEND」が静寂を切り裂くように、神原の耳に飛び込んできた。その瞬間、神原は世界が広がった感覚がした。

 当然神原だってマスタリングされた完成音源は聴いている。でも、それはデータによるもので実際にCDで聴くと、その度に新鮮な感情が神原にはある。まるで魔法がかかったかのように、何度も聴いた曲が今までになく際立って聴こえるのだ。やはりCDはCDで聴いてこそだと神原は感じる。

 飽きるほど聴いてきたはずの自分たちの曲に、新鮮な高揚感を覚える。それは神原たちのレコーディングがうまくいったから、そして伊佐木らエンジニアが自分たちの曲のために力を尽くしてくれたからに違いなかった。

 五曲入りで二〇分ほどあるミニアルバム。それを聴いているなかで、神原には退屈した時間は一瞬もなかった。たとえ作った者の主観は多分に含まれていても、良いアルバムになっていると自画自賛したくなる。初めて自分たちのCDを手に取った人でも、何の問題もなく楽しませることができるだろうと感じる。

 今までの作品ももちろん自信はあったが、それも今回が一番大きい。一度しかないメジャーデビューにふさわしいミニアルバムができたと、神原は感じていた。

『FIRST FRIEND』を聴き終えると、神原は一つ息を吐いてから、CDを取り出した。ケースにしまうと、代わりに裏面にあるもう一枚のディスクを取り出す。

 このミニアルバムのリード曲である「FIRST FRIEND」のミュージックビデオが収録されたDVDだ。

 DVDデッキに挿入すると、神原はリモコンの再生ボタンを押した。テレビ画面には「FIRST FRIEND」のミュージックビデオが流れ始める。

 再生が始まってまず自分の姿が映し出されると、神原の胸はドキリと跳ねた。四人が順番に映し出され、そこからバンドで演奏する四人の間を、共演した女性俳優たちが通り抜けていくショットになる。

 テレビ画面に流れているミュージックビデオを見ていると、神原は撮影した日のことを思い出す。朝早くから長時間の撮影は、今まで経験したものとはまた別種の大変さがあった。

 それでも、その大変だった記憶もこうして完成品となったミュージックビデオを見ていると、全てが報われていくようだ。

 もちろん、神原たちだって制作途中の段階からこのミュージックビデオは何回か見ているし、その度にこうしてほしいという要望は伝えていた。それを最大限汲んでもらっていることに、感謝の念を抱かずにはいられない。パソコンの画面よりもいくらか大きなテレビの画面で見ると、開放感のようなものさえ感じられる。

 インディーズのときから何度も演奏してきた曲が、素直に好きだと思えるミュージックビデオになっていることに、神原は格別な思いを抱く。自分たちの曲に空を飛べる翼がついたようで、ここまでこの曲を大切にしてきてよかったと心の底から感じた。


(続く)


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