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【小説】sakekotoba(5)




前回:【小説】sakekotoba(4)






 私にとって人と話すことは、コンビニに行くくらい気軽なことで。

 だってどんな格好で行っても、表向きは何も言われないでしょ。裏ではあのジャージ女とか言われてるかもしれないけど、そんなの私の知ったこっちゃないし。

 これまでの村崎さんは、私にとってのナチュラルローソンみたいなもんで。ナチュラルって言ってるくせに少し改まった雰囲気があるんだけど、それでもジャージで行けることには変わりなくて。

 でもね、マスターに言われてから、私の中で村崎さんが帝国ホテルくらいに格上げされちゃって。ただ食事をするだけでも、ドレスコードが定められてるみたいな。

 ちゃんと楽しめるような、村崎さんの時間を貰うだけの価値があるような話を、しなきゃって思っちゃう。他の人、たとえば部長なんかでも、そんなこと思わないのにね。

 これってやっぱり私の気持ちに気づいてほしいのかな。私と同じ気持ちになってほしいのかな。

 ねぇ、マスターはどう思う?

「なるほど。そんなことがあったんですか」

 前回の続きのスミノフを傾けながら、うだうだくだを巻く私を、マスターはシンプルな言葉で総括した。

 社食でした村崎さんとの会話、そこで感じたモヤモヤを素直に吐露すると、マスターはまるで自分のことのように親身になって聞いてくれた。誰にも話せないことでもマスターにだけは話せて、聞き入れられているという実感が、私の身体を火照らせた。

 なんだか今日はこの前よりも、アルコールが回るのが早い。もしかしなくても、二時間の残業で疲れている。

「あれから何回か村崎さんと会うことがあって、その度に話してるんですが、当然村崎さんは人の良い返事をしてくれますよ。話していても楽しいですし。でも、もっとって思っちゃうんですよね。もっと会いたい、話したいって。やっぱりこれは私のエゴですかね? ただ欲張りなだけですかね?」

「そんなことはないと思いますよ。思いを寄せる相手に、より近づきたいと思うのは人間の性ですし。堀口さんだけじゃないですよ」

 さすがは経験豊富そうに見えるマスターだ。似たような相談は何度も受けてきたのだろう。落ち着いた口調に説得力がある。

 だけれど、私のこの気持ちは一般論で片づけられるほど、容易いものではない。誰にでもあてはまる言葉は、今はほしくなかった。

「今すぐにでも顔を合わせたくてもですか? 有無を言わさず唇を奪って、村崎さんと一晩中一緒にいたくてもですか? そんなの男女だったら、軽く犯罪じゃないですか。不埒すぎますよ」

 まだ想いを伝えてすらいないのに、何言ってんだ私は。ほら見ろ。マスターも愛想笑いをして、分かりやすく困ってるじゃないか。

 でも、撤回はしない。どれだけふしだらだろうと、これが私の本心だ。飾らない本音と言うやつだ。どんだけ欲にまみれてんだよ。もっと理性ってもんはないのか。

 だけれど、私はここ数年誰に対してもそんな気持ちを抱いてこなかったから、一度自覚したらもう止まらなかった。

 スミノフを一気に飲み干す。喉が焼けるように熱い。

「もしよろしければ、カクテルお作りしますよ。今の堀口さんにぴったりなお酒を」

「そうですか? じゃあ、なるべく強いやつで頼みます」

 アルコールに身を任せるなんて、愚の骨頂だ。だけれどそうでもしないと、感情の奔流に飲みこまれてしまいそうだったから、私は言葉を置くように頼んだ。

 マスターは振り返ると、壁に並んだ酒を物色し始める。

 まあマスターのことだから一〇〇パーセント美味しいカクテルを作ってくれるんだろうけど、問題はどれだけ私を酔わせてくれるかだ。水で薄めたような、やっすい酒だったら二度と来ない。

 私はここにマスターと話に来てるんじゃない。酒を飲みに来てるんだ。

 私は睨むような視線も気にせず、マスターは悠然とシェイカーを振る。小気味いい音に、マスターはどんなおっかない人が来ても、こうやって職人のようにカクテルを作るのだなと思う。

 シェイカーを開けて炭酸水の入ったタンブラーに注ぐと、ジャムにも似たほのかな香りが、私の鼻に飛び込んでくる。マスターはまた甘いカクテルを作ったようだ。

 ウォッカの辛さがまだ残ってる今、私の舌は甘いものを欲していたけれど、ちょっと甘く見られている気もする。こういう若い女には、甘めのカクテルを出しておけばいいだろう、みたいな。

「こちらアプリコットフィズになります。名前の通り、アプリコットブランデーに、レモンジュースとシロップを混ぜて、炭酸水で割ったカクテルです」

 提供されたのは、ハイボールをさらに薄くしたような琥珀色のカクテルだった。間接照明を吸収してキラキラと光っていて、素直に綺麗だなと思う。

 口をつけると、ます舌の上で炭酸が弾け、レモンの酸味がぱぁっと顔を出す。両者がめいめいに声をあげようとしているところを、後からやってきたあんずの甘みがそれとなく宥めて、口の中で三者が手を取り合う。

 奇跡的なバランスに支えられたカクテルは、私の舌を満足させた。飲み込んでも、ほんのりとした甘みが口の中に残っていて、さきほどまでの悪態を反省したくなる。

 以前飲んだカカオフィズよりも、しっかりと酒を飲んでいる感覚がして、確かに今の私にぴったりと合ったカクテルだった。

「美味しいです。甘味と酸味のさじ加減が絶妙で」

「ありがとうございます。喜んでいただけたようで何よりです」

 私はアプリコットフィズを傾けながら、しばしゆっくりと流れる時間に浸った。今日の店内は、耳ざわりのいいニュー・ジャズが流れていて、さっきまであんなに熱くなったのはいささかやりすぎだったなと、冷静になれた。

 体内のアルコールは増えているはずなのに、頭はなぜか冴えて、私は想像を膨らます。マスターがこのタイミングでアプリコットフィズを出したのには、何か意味があるはずだ。何かメッセージを忍ばせているはずだ。

 もしかして「落ち着きなさい」とか? そうだとしたら、マスターの狙いは成功している。だって私はこんなに自然体でいることができているのだから。

 あぁ閉店時間までずっとここにいたいな。財布が許してくれる限りは。

「ねぇ、マスター」

「はい、何でしょうか?」

「以前、カクテルには花言葉と同じように、カクテル言葉があるって言ってましたよね。だとしたら、このアプリコットフィズのカクテル言葉は何なんですか?」

 小さく口角を上げるマスターは、まるで私の質問を待っていたみたいだった。私はまんまとマスターの手の平の上にいたが、嫌な感じはしなかった。すべてはアプリコットフィズが美味しかったおかげだ。

 マスターは答えるまでに、一拍どころか三拍ぐらい置いた。もったいぶって、私の反応を楽しんでいるようだった。

「アプリコットフィズのカクテル言葉は『振り向いてください』です。村崎さんに想いを寄せる堀口さんの心情を、代弁したカクテルですよ」

 酒に私の心情を代弁されてたまるか。と、素面の私なら思ってたんだろうな。

 でも、マスターが口にした言葉は、私の中で深く響いた。口に残る甘味と共振する。

 村崎さんは私を単なる会社の同僚としてしか見ていない。私のこの気持ちは完全な一方通行で、お互いの気持ちを秤に乗せたら、すぐに私の方に傾くだろう。

 私は村崎さんの特別になりたい。ただの同僚Aでいたくない。堀口胡桃として存在していたい。

 そういえば、村崎さんは私の下の名前を知ってくれているだろうか。

 確証が持てず、アプリコットフィズを傾ける。控えめな甘さが上品だ。

「私、どうしたらいいんでしょうかね」

 ぽつりとつぶやいた言葉に、マスターは大げさな反応を示すことはしなかった。ただ、自然体で私の吐露を受け入れている。

 アプリコットフィズを出したのだから、こうすればいいというのはあるんだろうけど、無理にそれを押しつけてこないのが、ありがたかった。

「村崎さんにこの想いを伝えた方がいいのか、それとも今のままでいるべきなのか。どっちにしたらいいんでしょう」

 そう言いながらも、私はあまり迷っていなかった。マスターの後押しがほしくて、わざとあいまいな態度を取っていた。今の私がほしいのは、You、告っちゃいなよという類の言葉だ。そう言われれば、マスターも言ってたしと、告る理由ができる。

 でも、見ず知らずの他人の言葉を当てにして、いいもんなんだろうか。私はもしうまくいかなかったときに、マスターのせいにしようとしてるんじゃないか。

「それは堀口さん次第でしょう。別に今のまま推し続けるのもいいと思いますよ。想いを伝えたら、どっちにしろ完全にそれまで通りには、いかなくなるでしょうし」

 ああ、マスターは分かっている。私が他人に理由を求める、浅ましい人間だというのを分かっている。

 簡単に私が望む言葉をくれない。自分が口にする言葉の一つ一つに責任があることを承知しているのだ。

 選択を委ねられて、私の心には火が灯った。別にダメだと言われるほど燃えるタイプでもないんだけど、反骨精神みたいなものが、私には芽生え始めていた。

 親の反対を押し切って駆け落ちするカップルは、みんなこんなことを考えているのかもしれない。

「でも、私はこれ以上、村崎さんへの想いを胸にしまっておくことができないんです。村崎さんが私のことをどう思っているのか、知りたくて仕方ないんです」

「だとしたら、道は一つしかないじゃないですか。堀口さんが、本当に後悔しない道を行くのが一番ですよ」

 マスターの言葉によって、まだあやふやだった私の決意は、がっちりと固められる。

 そうだ。いつまでも村崎さんが同じ会社にいるとは限らないのだ。

 いつか来る終わりのときに、想いを伝えられないままだったなんて、後悔はしたくない。

 ダメだったとしても、そのときはそのときだ。会社に留まって、また村崎さんを遠巻きに眺めればいいだろう。

 私はアプリコットフィズを飲み干し、マスターにおかわりを頼んだ。鷹揚に頷くマスター。

 夜はまだ始まったばかりだった。


続く


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