見出し画像

【小説】ロックバンドが止まらない(92)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(91)





「レコーディング、お疲れ様」

 神原がそう言うと、電話の向こうから「うん、泰斗君もお疲れ様」という声が返ってくる。その言葉だけで、神原の胸はまたじわりと温められた。

「大変だっただろ、今回のレコーディング。特にお前は始まる前もずっとバイトしてたんだから。正直、疲れただろ?」

「まあ、疲れなかったって言ったら嘘になるね。特に昨日はやばかったかな。自分の番が終わったら、もう力が抜けちゃって。正直、泰斗君や澄矢君のときは、眠気を抑えるのに必死だったよ」

「だな。お前、俺たちが演奏したり歌ったりしてる間も、コクリコクリとしてたもんな」

「それはごめん。本当に眠くて」

「いいよ。お前が一番疲れてるのは俺たちだって分かってたことだし。責めようなんて、まったく思ってねぇから」

「ありがと。でも、次のレコーディングではそういったことがないようにするよ」

「ああ」と返事をしながら、神原は園田を取り巻く状況が少しでも良い方向に向かっていくように願う。具体的には園田のアルバイト先が新たに職員を雇って、園田にかかる負担が軽減されてほしい。そうすればバンドの活動に、今よりも時間や力を割けるだろう。

 そのためにできることは神原にはあまり思い浮かばなかったが、それでも自分たちがよりまとまった、力のある演奏ができるバンドになることを望んだ。

「そうそう、泰斗君。改めてだけど、今回のレコーディングではありがとね」

 それからも二人で少し話した後に、園田は素直に感謝の言葉を口にしていた。あまりにもまっすぐな言葉に、神原は少し照れてしまう。

「あ、ああ。でも、レコーディングが終わったときにもそう言ってたじゃんか」

「まあそれはそうなんだけど、今改めて言っておきたいなって。こういうことは何回言っても困ることはないからね」

「そうだな。『ありがと』は何回言ってもいいもんな」

「うん。泰斗君、本当にありがと。バイト続きで疲れてる私にも、前向きな言葉をかけてくれて。もちろん、瞳志君や澄矢君もそうなんだけど、泰斗君たちが励ましてくれなかったら、私は最後までレコーディングをやりきれてなかったかもしれない。今以上に、泰斗君たちに迷惑をかけてたかもしれない。曲がりなりにも私がちゃんと決められた期間でレコーディングを終えられたのは、間違いなく泰斗君たちのおかげだよ。泰斗君たちの言葉が心の支えになって、どうにか頑張れた。本当に感謝してるよ」

 園田の口調も話した内容も純粋そのもので、神原を喜ばせようと嘘を言っている様子は見受けられなかった。

 だから、神原は胸が詰まりそうになる。達成感が今になって、再び押し寄せてきていた。

「いや、礼を言うのはこっちの方だよ。頑張ってレコーディングをしてる園田の姿に、俺たちこそ励まされてたんだから。大変ななかでここまで頑張ってる園田を見て、半端な演奏はできないなと思えたから。おかげで演奏のクオリティも上がったと思うし。こっちこそ、頑張ってくれてありがとうだよ」

「うん、そうだよね。私たち、頑張ったよね。泰斗君。アルバム、良いものになるよね?」

「当然だろ。俺たちが今持てる力を尽くして作ったアルバムなんだから。これで良いアルバムにならなかったら嘘だよ。きっと評価もされて、今までにないほど売れるはず。いや、売れなきゃおかしいって俺は思ってるから」

「だよね。私もアルバムが売れて人気のバンドになって、早く音楽だけで食べていけるようになりたい。別に今のバイト先が凄く不満ってわけじゃないんだけど、それでもバイトとバンドの二足の草鞋は、もうそろそろいいかなって思ってるから」

「ああ。きっと、いや絶対そうなるよ。そのためには少し休んで、また練習とかプロモーションとか頑張んなきゃな」

「泰斗君。私、明日からもバイトだって忘れてない?」

「ごめん。気悪くした?」

「いや、全然。むしろ泰斗君と話せたことで、ちょっと元気出てきた。明日からのバイトも何とか乗り切れそう」

「そっか。じゃあ、俺が言えることじゃないけど、バイト頑張れよな。そんでもって来週のバンド練習で、また顔合わせようぜ」

「うん、頑張るよ。バンドはもちろん、バイトもあと少しの辛抱だって自分に言い聞かせて」

「そうだな」と神原はひとりでに頷いた。来年発売されるアルバムはきっと、今までの自分たちでも最高のセールスを記録する。そして、印税だけで食べていけるようになった自分たちは、長い間続けてきたアルバイトをようやく辞めることができる。そんな青写真を、神原は心に抱いた。

 電話越しに園田が大きなあくびをしたことを、神原は察する。「お互い疲れて眠いだろうし、もうそろそろ切るか」と言うと、園田も「うん、そうだね」と応じていた。

「おやすみ」「またね」そんな言葉を交わして、神原たちは電話を終える。携帯電話をテーブルの上に置いて、神原はもう一度缶ビールに口をつけた。二本目を飲み干す。

 深く息を吐くと、神原の胸はじんわりと暖かな気持ちで満たされた。

 レコーディングを終えた神原たちが次に集まるのは、その翌週、スタジオでのバンド練習だ。一二月中に神原たちは一本ライブイベントへの出演を控えており、そのための練習をする必要があったからだ。

 それまでの間、神原は時折アルバイトをしながら自主練習に励む。次のライブで新たに披露する曲はない。それでも一日でも休んだら既存曲のクオリティも落ちてしまいそうだったから、神原はどんなに疲れていたとしても毎日ギターを手に取っていた。次のバンド練習のときにミスをしないよう、一曲一曲を丁寧にさらっていく。

 きっと与木たちも同じように自主練習をしているのだろう。それは一〇連勤のただなかにいる園田でさえも、おそらく例外ではない。

 そう思うと、自分だけが練習を怠るわけにはいかなかった。より冴えた演奏のためには、レコーディングが終わって疲れていたとしても、立ち止まってはいられなかった。

 神原のもとに八千代から連絡が入ったのは、レコーディングが終わって数日が経った頃だった。アルバイトから帰ってきて一息ついてから、さあ練習をするぞというタイミングで携帯電話が鳴ったのだ。

 少し出鼻をくじかれたような気もしたが、神原はその電話に応じる。すると、少し弾んだ様子の八千代の声が聞こえてきた。

「ああ、もしもし、神原君。今大丈夫かな?」

「はい。大丈夫ですけど、どうかしたんですか?」

「うん、ちょっと一つ決まったことがあってね。神原君たち全員に順番に電話をかけてるんだ」

 それなら一斉にメールを送ればいいものの。喉まで出かかった思いを、神原は押しこめる。

 八千代だってそれくらい分かっているはずだ。その上で電話をかけてきているのだから、重要なことに違いないのだろう。

 幸い、八千代の声には暗い様子は見えず、神原も少しドキドキしながら「決まったことですか?」と訊き返す。八千代が得意げに鼻を鳴らしたのが、電話越しでも神原には何となく分かった。

「そう。単刀直入に言うと、Chip Chop Camelはメジャーファーストフルアルバム『D』をリリースした後に、東名阪でライブをすることが決まった」

「マジですか!」八千代が告げた内容は神原の想像を軽く超えていたから、返事も食いついたものになった。

 言わずもがな、東名阪とは東京・名古屋・大阪のことだ。自分たちは今まで東京でしかライブをしたことがない。他の都市でのライブは、神原たちにとっては未知の領域だ。

 それでも、神原は期待を抱かずにはいられない。東京以外でもライブができるほど、自分たちの曲を聴いてくれる人たちがいることが嬉しくてたまらなかった。

「うん、マジだよ。言うならばツアーだね。ただ言っとくと、これはChip Chop Camelだけのライブじゃないんだ」

「どういうことですか?」

「他のバンドと一緒に各都市を周る、いわゆるスプリットツアーってことだよ」

 八千代が言った言葉に、神原は一瞬ほんの少しだが落胆を覚えてしまう。それでも、すぐに頭を切り替えた。自分たちがまだ東京以外の都市で黒字になるほど観客を呼べるライブができるバンドではないということは、神原も分かっていた。

「そうですか。どのバンドと一緒に周るんですか?」

「ショートランチとスノーモービル。ショートランチは顔見せライブで一緒だったし、スノーモービルだってウチの所属なんだから、神原君だって知ってるでしょ?」

 その名前を聞いた瞬間、神原は顔を引きつらせそうになってしまう。

 八千代に言われた通り、スノーモービルは神原だって知っている。神原たちの半年後にメジャーデビューした、同じサニーミュージック所属のバンドだ。曲もいくつか神原は聴いたことがある。

 でも、問題なのはショートランチの方だ。あの顔見せライブで見せつけられた差を、神原は未だに忘れていない。そして、今もその差は縮まっている感覚は神原にはなく、それどころか開いているのが現実だ。

 ショートランチはあれからも何枚かシングルを出し、その全てがチャートにランクインするほど売り上げている。未だ圏外の神原たちとは大違いだ。

 だから、ショートランチと一緒にライブをするとなったら、神原は平静さを保てる自信がない。嫉妬やライバル心が、露わになってしまいそうだ。

「いや、確かに知ってますけど、それってもう決まりなんですか?」

「うん、決まりだよ。もしかして、神原君は嫌なの?」

「いや、そんなことは全然ないです。やります。やらせてください」

「そうだね。ウチとしてはデビューした時期も近い三組で一緒のツアーを周ることで、よりそれぞれの認知度を高めてもらおうって狙いだから。もちろん、僕はそんなこと関係なしに、神原君たちが一番良いライブをすると思ってるけどね」

「は、はい。ありがとうございます」

「じゃあ、伝えたいことは以上だから。詳しい日程とかは、もう少ししたらメールで送るね。逆に神原君から何か質問はある?」

「い、いえ、特にはないです」

「そう。じゃあ、まずは一二月のライブ頑張ってよ。ここでどんなライブをするかで、アルバムの売れ行きも変わってくるから」

「それは、はい。頑張ります」

「うん。じゃあ、僕次は園田さんに電話するから。この辺で切らせてもらうね」

「はい、ありがとうございました」

「うん、じゃあ」

 八千代が電話を切る。静かな部屋に、神原は簡単には割り切れないをより強くしていた。

 東名阪のツアーが決まったことは当然嬉しい。でも、まだ会ったことのないスノーモービルはともかく、現時点では自分たちよりも人気のあるショートランチと一緒にツアーを周ることに、神原はすぐに前向きにはなれなかった。

 これはチャンスだ。ショートランチ目当てでライブに来た観客にも、自分たちのことを知ってもらえる。

 そうポジティブに捉えようとしても、まるで自分たちの方がサブ、付属品みたいで神原は複雑な思いを抱く。

 振り払おうと、ギターを手に取る。いくつか次のライブで披露する曲を練習する。それでも、どこかモヤモヤした思いは、神原の中からしばらくは消えることはなかった。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(93)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?