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【小説】ロックバンドが止まらない(19)
文化祭初日は、気持ちのいい秋晴れの空が広がった。気温も上着を羽織る必要がないくらい上がり、外出するには絶好の日和だ。
天気予報によると、明日もまた晴れるらしい。ということは、今日だけでなく明日も多くの来場者が見込める。
そのことが神原に期待と、それと同等のプレッシャーを与える。神原だって貸しスタジオの外でライブをするのは初めてだ。今からドキドキして、出番は明後日だというのに、早くも神原はなかなか眠れない夜を過ごしていた。
何度も寝ては起き起きては寝ることを繰り返すと、神原が気づいたときには時計は午前一〇時を指していた。文化祭の日は、生徒は自由登校だ。
だけれど、神原には正午からクラス展示であるお化け屋敷の受付をする必要があったし、そうでなくともこれで学校に行かなかったら、何かあったのかとクラスメイトに心配されてしまうだろう。
神原は未だに眠たい頭をどうにか起こして、私服に着替えた。文化祭の二日間だけは、生徒たちは私服で学校に行くことができていた。
神原が学校に着くと、開場してまだ一時間も経っていないうちから、校舎は人でごった返していた。
ただでさえ今日文化祭を開催しているのはこの辺りでは武蔵野第三高校だけだったし、それにこの日和だ。生徒だけでなく学外の友人、保護者、近隣住民など多くの人が訪れるのは自然なことだろう。
大きな賑わいを見せる校舎は、いつも通っているそれとは別の建物みたいにさえ神原には見えた。
自分たちの教室に向かうにはまだ時間があったので、神原は少し校内を散策することにした。喫茶店や段ボールでできた迷路、美術部や文芸部の作品の展示など、混みあっている校舎をそぞろ歩く。
どこに行っても人がいて、誰もが高揚感を覚えているようで、まさに非日常的な時間、空間だ。
その中で、神原はふと与木を見つける。一人で校舎をフラフラとさまよっていた。
せっかくだから一緒に回ろうと神原が提案すると、与木も心細かったのか小さく頷いていた。といっても、受付当番までの時間でできることは、外で三年生の生徒が作った焼きそばを食べるくらいしかなかったが。
それでも、その焼きそばは十分に美味しくて、与木もかすかに頬を緩めていて、神原は特別な祭りの時間を味わうことができていた。
正午からの一時間の受付当番を終え、クラスメイトと暇つぶしに雑談をし、体育館で演劇部の舞台を見ていたら、時刻は午後三時になった。文化祭はこの後、午後四時まで続けられる。
だけれど、神原はいったん家に帰っていた。貸しスタジオでの練習が、同じ午後四時から入っていたからだ。土曜で入るバンドも多く、神原たちに与えられた時間は一時間しかない。
だから、なるべく時間を無駄にしないためにも、神原は家に帰るとすぐにギターケースを背負って、練習開始時間の一五分前には貸しスタジオがあるビルの前に到着していた。
与木たちもちゃんと時間に間に合うようにやってきて、神原たちは使用開始時間と同時に貸しスタジオに入られた。
準備を終えると神原たちは細かい会話も抜きにして、明日演奏する予定の曲を一曲目から順番に合わせていく。演奏こそ大きくずれてはいないものの、神原はそれぞれから鳴らされる音にどうしても緊張の色を感じてしまう。
園田も久倉も、人前でライブをするのは初めてだと言っていた。明日を意識して緊張してしまうのも無理はない。
大きな破綻こそしていなかったものの、自分たちの音が少し窮屈なように、神原には感じられてしまう。
本番で縮こまって、今以上に小さくまとまった演奏になるか。それとも、本番特有の高揚感に当てられて、持てる力以上のものが引き出されるか。それは明日になってみないと分からない。
神原は後者であることを、演奏中も願ってやまなかった。
きっちり使用時間の一時間に収まるよう練習を切り上げ、神原たちは貸しスタジオを出る。用事があるからと久倉はすぐ帰って、神原は与木や園田と三人で残される。
もうここにいる用事はない。
だから、三人はすぐにでも帰ることができた。
でも、神原たちは理由もなくビルの前に留まり続ける。午後五時を過ぎて、空は藍色を濃くしつつあった。
「いよいよ明日本番だね。どう? 二人とも。緊張してる?」
園田はなんてことのないように言っていたけれど、努めて自然に振る舞おうとしている姿勢に、神原は言葉の裏の意味を感じ取る。
「そんなこと言って。そう言うのは、お前こそ緊張してる証拠だろ。本当に余裕がある奴は、そんなこと訊かねぇよ」
「はは、バレたか」園田は恥ずかし気に微笑んでみせる。自らの緊張を解そうとするかのように。
でも、その笑みは三人にはあまり大きな効果を生まなかった。
「だって、そりゃ緊張するでしょ。私たち、大勢の人の前で演奏するの初めてなんだよ? たくさんの人の目が私たちに向けられると思うと、今からドキドキしちゃう。二人は違うの?」
同意を求めるように訊いてきた園田に、神原は的を射た返答ができなかった。
ここで首を縦に振れば、緊張していることを認めることで、さらに緊張が増幅していきそうだったし、首を横に振ることは、確かに感じている緊張に嘘をつくようでできなかった。
だから、「まあな」という曖昧な返事しかできない。
与木もはっきりとした返答はできていなくて、園田は再び「やっぱりね」とでも言うような、小さな笑みを浮かべていた。
「それに明日は、私たちの最初で最後のライブなわけだしね。このバンドでのたった一回きりのライブ、私は何としてでも成功させたい。悔いは一個も残したくない。そう考えると、どうしても意気込んじゃう部分はあるよね」
園田の言葉は、神原にも身に染み入るようによく分かった。
文化祭後もバンドを続けるかどうか、神原たちはまだ結論を出せていない。今のところは文化祭が終わったら解散ということになっている。
だから、園田が意気込むのも当然のことだろう。
神原は園田をたしなめなかった。自分だって明日の出番に、強い想いを抱いている。そこに水は差したくなかった。
「そうだな。俺も親や友達が見に来てくれる予定だし、そこでみっともない演奏は聴かせられないよな」
「うん。私も、違う高校に行っちゃった中学のときの友達が来てくれるって言ってる。他にも私たちを見に集まってくれる人もいるわけだし、その人たちが満足できるような、盛り上がるような演奏をしたいよね。そのための練習は、私は積んできたつもりだし」
「だよな。俺たちは今日のために、何度も貸しスタジオに入って練習してきたんだから。練習通りやればきっと大丈夫だって、俺も思ってる」
その言葉は自らに暗示をかける意味合いも強かったけれど、まるっきり的外れではないと思えるくらいの手ごたえは、神原も練習を重ねる中で得ていた。もちろんそれができたら苦労はないが、ステージに上がってもうろたえなくて済むくらいには、自分たちの演奏に自信のようなものを感じている。
園田も「そうだね」と頷いていた。自分で自分を勇気づけようとしている様子だった。
「今日だってうまくできたわけだし、きっと明日も今日みたいにできるよね。泣いても笑ってもとは言うけど、どうせなら私は、演奏を終えた後には笑ってたいな」
「そうだな。そのためにも明日頑張ろうぜ。観客の存在はどうしても意識しちゃうだろうけれど、それも力に変えられるように。人前で演奏できるってことは、それだけで喜ばしいことなんだから」
「だね。私もお客さんと一緒に楽しみたい。後々振り返ってみて、楽しいライブだったなって思えるように」
初ライブで楽しむまでの余裕があるのか。神原には判然としなかったけれど、園田が前向きに言っていたから、考えるまでもなく同意した。演奏している自分たちが楽しくなければ、観客を楽しませることもできないだろう。
そして、神原にはこの四人ならそれができる可能性があると思えた。
「じゃあ、私そろそろ行くね。また明日、最高のライブにしようね」
神原が頷いたのを見ると、園田は納得したのか、神原たちのもとから離れ、自らの帰り道を帰っていった。神原たちが帰る方向とは正反対だったから、園田を追いかけることもせずに、神原は与木と二人で残される。
話しているうちに空はすっかり暗くなり、ビルの前の道路にも街灯がちかちかと瞬いている。
少しだけだが寒くもなってきたので、園田が帰ってから間もなく、神原は与木に「じゃあ俺たちも帰るか」と呼びかけた。与木も頷き、二人は帰路を歩き出す。
大通りに出ると、店から漏れる明かりがめいめいに夜に抗っていた。
「……明日、大丈夫だよな」
大通りを西に向かって歩いていると、ふと与木がこぼした。雑踏に埋もれそうなほど小さな声に、神原は与木が抱いている不安を感じ取る。
それでも「何、弱気になってんだよ」と与木を咎めることを、神原はしなかった。自分だって目を逸らしているだけで、不安に思う気持ちは確かに胸の中に存在している。
それはいくら考えないように意識しても、完全に消し去ることはできないだろう。
「うーん、お前が不安に思う気持ちは俺も分からないでもねぇけど、でもここまで来たらもうやるしかないだろ。当日になって、急に出るのやめますっていうわけにもいかねぇだろうし」
自分の返事は、与木の不安の解決策には何らなっていない。それは神原にも分かっていた。もとよりこの不安は、ステージが終わるまではなくならない。
だとしたら、まずは不安に思っていることを認めるしかないように神原には思われた。
「そ、そうだよな……。もうやるしかないよな……」
与木は神原の言葉を繰り返していたけれど、その言い方にどこか自分を追い詰めているような印象を、神原は感じてしまう。
もちろん、気を引き締めることは重要だ。
だけれど、わずかにでも唇を噛みしめている与木を見ると、神原はそこまで深刻に考えてほしくないとも思う。委縮して、本来の演奏を発揮できなかったら元も子もない。
だから、簡単ではなかったけれど、神原は与木を励まさずにはいられなかった。
「まあ、そんなに深く考えすぎんなよ。ほら、中学のときも貸しスタジオの中でだったけど、最後のライブでお前、普通に演奏できてたじゃんか。あのときと同じだよ」
「い、いや、全然違うだろ。あのときはそれぞれの親ぐらいしかいなかったけど、明日は俺たちを知らない人も、見に来るんだぜ……」
与木は返事に困るようなことを言っていて、神原としてはごまかすように小さく笑うしかない。そう言われた後の返事を、神原は用意していなかった。
それでも、どうにか頭を回す。与木の縋るような瞳が、神原の横顔を浅く刺した。
「まあでもさ、その人たちだって、俺たちにプロ並みの演奏を期待してるわけじゃないだろうし。そんな厳しく審査しようなんて思って来る人は、多分一人もいないと思うぜ。だって言い方は悪いけれど、これは高校の文化祭だし、一円だって取ってるわけじゃねぇだろ?」
お金を取っていないからといって、いい加減な演奏をしていいわけでは当然ない。文化祭でのステージの成否がこれからの高校生活に与える影響は、神原だって十分に承知している。
それでも、神原は今から力んでいる様子の与木に、少しでも力を抜いてほしかった。力みすぎては、いい演奏はできない。
与木が「……そうだな」と、小さく頷く。たとえそれが言葉にすることで自分を納得させようとしているものでも、自分の言葉を受け入れてくれただけで、神原には十分だった。
「だからさ、ちょっとは気楽にいこうぜ。別に明日で死ぬわけじゃないんだし、きっとなんとかなるって」
それが何の根拠もない、妄言にも等しい楽観的予測であることは、神原にも分かっていた。「気楽にいこうぜ」と言われて、力を抜けたら誰も苦労しない。
それでも、与木が小さくても首を縦に振っていたから、自分の想いが伝わったと神原は感じられる。
どうせ明日はなるようにしかならない。だったら、うまくいくと考えた方が精神的にもずっといい。
与木の表情はまだ完全には晴れていなかったけれど、きっと本番に強いタイプなのだと、神原は信じることにした。そうするしか、不安を軽くする術はなかった。
(続く)
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