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【小説】ロックバンドが止まらない(38)



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「あのさ、昨日ライブが終わった後に少し言われたんだけど……」

 その言葉を皮切りに、神原は昨日飯塚にインディーズデビューを持ちかけられたことを三人に伝えた。飯塚が自分たちを評価してくれたことや、ちゃんと四人で話し合って決めるべきだと思ったことを、神原は仔細漏らさず伝える。

 その間三人は「えっ! マジで!?」といった反応は示したものの、それでも話の腰を折らずに、神原の話を最後まで聞いてくれていた。おかげで神原も何一つ取りこぼすことなく伝えられる。

「……っていうわけなんだけど、お前らはどうする? インディーズデビューしたいか?」

 神原が話の終わりにそう訊くと、四人の間には一瞬沈黙が流れる。なんてことはなくて、すぐに園田が声を発していた。

「いや、それはもちろんしたいよ。だって、こんなチャンス次いつ来るか分からないんだよ? せっかくデビューさせたいって言ってくれるんだから、それを逃す手はないでしょ」

 食いつくように言った園田に、神原はそれだけの意志の強さを感じた。きっと神原が喋っている間も、言いたくてうずうずしていたのだろう。その目に迷いは少しも見えない。

「そうだな。俺たちはレコード会社のオーディションで落とされてから、デビューを目標にやってきたもんな。たぶんそれはメジャーデビューって意味だっただろうけど、でもインディーズで通用しない人間がメジャーで通用するわけないもんな。もちろんインディーズイコールメジャーへの足掛かりってわけじゃねぇけど、俺も本当にデビューさせてくれるなら、その話は受けるべきだと思う」

 園田に続いて、久倉もインディーズデビューに前向きな意思表示をしていた。

 神原だってオーディションの後のファストフードチェーンでの、いたたまれない空気は今でも鮮明に思い出せる。あのときした絶対にデビューしようという約束は、一日だって忘れたことはない。そのチャンスが目の前にあるのなら、細かいことは考えずに飛びこむべきなのだろう。

 だけれど、神原の頭にはブレーキがかかっていた。現実という名のブレーキが。

「そうだな。俺も話を聞かされたときには、真っ先に受けたいと思ったよ。これは今までにないチャンスなんだってしっかり分かってる」

「そうだよ。なら今日帰った後にでもその飯塚さんに『デビューさせてください』って連絡するべきなんだよ」

「ああ、俺もできることならそうしてぇよ。でもさ、そんなに簡単にはいかねぇじゃねぇか」

「どういうこと?」そう疑問を呈してくる園田は、本当に心当たりがないのか、それとも思い当たる節があるうえでそれでも訊いてきているのか、神原にはいまいち分からなかった。

 でも、園田や久倉だってそこまで鈍いわけじゃないと神原は思いたい。今の自分たちにとって何が障壁となっているかは、ちゃんと分かっているはずだ。

 それでもなお、そのことを口にすることは神原には憚られた。わざわざ四人ともが分かっていることを言って何になるという思いが、頭をよぎっていた。

「……どうすんだよ。大学や受験のことは」

 答えに窮する神原の横で、そう小さく呟いたのは与木だった。きっと四人全員が思っていることを代弁したのだろう。体育館の裏には、微妙な雰囲気が流れ出す。

 先延ばしにしていたわけではないが、差し当たっての問題を突きつけられて、神原は胸が詰まるような思いがした。

「……そうだよな。俺たちまだ高校生だもんな。なあ神原、大学に通いながらそれでもインディーズで活動することって、可能だったりするのか?」

「さあ、それはまた飯塚さんに訊いてみねぇと分かんねぇ」

「……でも、一応現時点では全員が大学を目指してるんだよな。俺や園田なんかは塾にまで行かせてもらって。期待してくれてるからには俺は応えなきゃって思うんだけど……」

「だよな。与木の言ってることも分かるよ。別に大学に行きながらだって、バンド活動はできるわけだし」

「いや、泰斗君たちの言うことも分かるけどさ、それでも私はインディーズデビューしたいよ。大学生活との両立ができないって言うなら、私は大学に行かなくてもいい。別に大学行かなかったからって、人生が終わるわけでもないでしょ」

 慎重論に傾き始めていた三人とは違って、園田は真正面から異を唱えていた。それだけデビューに対する意気込みが強いのだろう。

 でも、神原はそんなにすぐに人生を左右するような選択はできない。それは園田から見れば、腰が引けていると思われても仕方がない態度だった。

「いや、園田の言うことも分かるけどさ。でも、大学だって大事だろ」

「いや、私は大学が大事じゃないなんて、一言も言ってないよ。それ以上に私にとってはバンドの方が大事なだけで。だって、私はこのチャンスは今しかないと思ってるから。もしここで私たちが大学に行ったとして、四年間通って卒業したときになって、またデビューしないかって声をかけてくれる人なんているかどうか分かんないんだよ? それに卒業までにバンドを続けられているかどうかさえ、一〇〇パーセント確実じゃないし。どう考えても、今デビューの話を受けとくべきでしょ」

「いや、それはそうだけど心の準備ってもんが……」

「何? そんな言い方するなんて、泰斗君は迷ってんの? オーディションに落とされたとき、絶対にデビューして落とした人たちを見返してやろうって約束したよね? もしかしてもうあの悔しさを忘れちゃったの?」

「いや、忘れてねぇよ。あんなこと言われて忘れられるわけねぇじゃんか」

「でしょ? だったらデビューしようよ。とりあえずデビューしてみないことには何も始まんないでしょ」

 園田の言い方は焚きつけてくるようで、何としてでもデビューしたいという態度が、言葉以上にありありと神原には感じられた。神原も同意を示しながらも、最後の一歩がどうしても踏み切れない。自分たちがしようとしている決断の重さに、少し怯んでしまっている部分は否めない。与木や久倉も、同様に明確な返事はできていなかった。特に最初はデビューに前向きだった久倉の煮え切らない姿勢は、神原の目には少し意外に映ったけれど、それも無理のないことだと神原にはまた思えていた。

「あのさ、三人とも分かってると思うけど、人生は一回しかないんだよ? めちゃくちゃ行きたいってわけでもない大学に行ったとして、なんであのときデビューの話を受けなかったんだろうって、後悔するような真似は私はしたくない。それは泰斗君たちだって同じはずでしょ?」

 その言葉に若干だけれど、園田が痺れを切らしつつあることが察せられて、神原は少し申し訳なく思ってしまう。本当は自分だって首を縦に振りたいはずなのに、目の前にある現実がそれを阻んでいる。それを乗り越えるためにはとても強いエネルギーが必要だ。

 そして、園田がそれを持っていることも、神原は澄ました表情から察する。

「とにかく私はインディーズでもデビューすることしか考えてないから。今日帰ったらさっそく親に話してみる。二人ともライブに来てくれるぐらい私がバンドやってることには理解があるし、きっと応援してくれるはずだから」

 園田はそう言い切っていたけれど、神原にはその言葉が少し楽観的予測のように聞こえた。

 いくら理解があると言っても、それはアマチュアの範囲内での話だ。大学には行かずインディーズデビューする。そんな人生を左右する重大な決断を話されれば、いくら応援してくれているとはいえ、そう簡単には認めてはくれないだろう。それは自分の身を鑑みれば、神原には容易に分かることだった。

 だけれど、園田の表情はまったく揺らいでいない。絶対に説得できるという自信があるかのように。

「……そうだな。俺もまだ決めたわけじゃないけど、こういう話が来てるっていうことは、一応親に話してみるわ。何を言われようともひとまず伝えられるだけ伝えてみようと思う」

 園田の強固な態度に当てられたのだろう。久倉もそう言っていて、神原はかすかに驚く。園田の言葉を聞いて久倉もデビューしたいという気持ちをより強くしたのかもしれない。

 意見の一致した二人の視線が、神原と与木に注がれる。まだ二対二だから多数決の原理は働いていない。でも、その力強い目に、神原は自分の心がほだされていくことを感じていた。

「そうだな。俺も一応親には話してみるよ。もちろんまだ決めたわけじゃないけど、こればっかりは自分たちだけで勝手に決められることじゃないからな。とりあえず話だけはしてみる」

 そう神原が口にしたのは、園田と久倉から発せられる圧の影響もあったけれど、それ以上にやっぱりデビューしてみたいという思いからだった。自分たちの判断でせっかくのチャンスをふいにすることは、馬鹿げているとすら思ったからだ。

 ひとまず親に話して、反応を窺う。賛成されればそれでいいし、もし反対されてもそのときはそのときで、また考えればいいだろう。

 悲観的な未来を想像して、勝手に諦めるようなことだけは神原もしたくなかった。

「じゃ、じゃあ、俺もひとまず話すだけは話してみようかな……」と与木も言っている。でも、その言葉が多数決の原理に押されたように感じられてしまったから、神原は思わず「大丈夫か? 無理しなくていいんだぞ?」と尋ねてしまう。

 それでも、与木は首を横に振っていて、その反応に神原は、与木が紛れもなく自分の意思で言っていると信じることにした。

「じゃあ、今日帰ったらとりあえずそれぞれの親に話してみるってことで。三人ともそれでいいね?」

 いつの間にか園田が話を仕切る形になっていたけれど、それでも神原は首を縦に振っていた。どのみち自分たちは未成年なのだから、保護者の承認を得ないとデビューはできないだろう。

 神原たちが頷いたところで、授業開始五分前を告げる予鈴が鳴る。授業開始に遅れるわけにはいかないので、神原たちも話を切り上げて教室に戻る。

 廊下を歩いている間も、神原は達雄や祥子に何と言って切り出そうか、そのことばかり考えていた。


(続く)


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