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【小説】ロックバンドが止まらない(43)


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 卒業して学校に行く必要がなくなったことで、神原たちはより多くの時間を楽器の練習に割けるようになっていた。他のバンドとの兼ね合いや、金銭的な問題もあって貸しスタジオに入る回数こそなかなか増やせなかったものの、長い時間を個人練習に捧げているからか、神原たちはわずかな時間でも、自分たちがまた上達していると思える。ライブが近づいてきているという緊張感もあり、引き締まったバンド練習ができている実感がある。

 神原も、さらに新曲を二曲作った。与木たちに聴かせるのはライブが終わった後になるだろうが、神原としては手ごたえを感じる曲たちで、バンド演奏の形になる日が待ち遠しく感じられた。

 ライブ当日となる三月最後の木曜日は、雲が一つもないほど晴れて気温も上がり、コートやアウターを羽織る必要がないくらいの陽気だった。

 神原たちは正午の少し前に最寄り駅の下北沢駅に集合する。ライブハウスへ向かって歩き出したとき、神原の心臓はバクバクと強く鳴っていた。

 今日神原たちが出演するのは、同じ下北沢でも今まで出演していたCLUB ANSWERとは別のライブハウスだ。神原たちにとって、レコード会社のオーディションに落ちた苦い思い出のあるライブハウスで、神原としては気を強く持っているつもりでも、進めている足が思わず竦んでしまいそうになる。あのときからまだ一年も経っていないから、忘れられるはずがないのだ。

 ライブハウスの入り口に到着して、地下に続く階段を見たとき、神原は冷や汗をかいてしまいそうになる。苦い記憶を払拭する日は今日だと分かっていても、一歩踏み出すことにはそれなりの勇気が必要だった。

 それでも入り口で立ち止まっているわけにはいかないので、神原たちは階段を下りて、ライブハウスに入る。前回訪れたときとフロアもステージも何一つ変わっていなくて、そんな当たり前のことにも神原は息を呑まずにはいられない。

 オーナーに挨拶をすると、神原たちはすぐにステージに上がってリハーサルをするように言われる。フロアに人はほとんどおらず、神原は自分たちが今日のトップバッターだと改めて認識した。

 ギターを持ってステージに立つと、リハーサルの段階だけで神原はオーディションのときを思い出し、かすかに胸が苦しくなる。自分たちの演奏は、あのときとは比べ物にならないほど上達していると分かっていても、神原はやりづらさを覚えずにはいられない。

 それは三人も同様だったのだろう。演奏を始めた瞬間の音の固さに、神原はドキリとしてしまう。次第にマシになってはいたものの、どこか普段と違う感覚を四人ともが感じていた。

 リハーサルが終わると、神原たちは次のバンドのリハーサルを見ることもせずに、すぐにライブハウスを出ていた。まだ昼食を食べていなかったし、苦い記憶が残る館内にずっといたいとは思えなかった。

 適当なラーメン屋で昼食を食べても、神原たちには一七時の開演時間まで、まだ多くの時間が残ってしまう。

 神原たちは四人で、迷わない範囲で下北沢の街を散策した。でも、どこに行っても平日にもかかわらず人が多くいて、神原の心は少しも休まることはなかった。

 外で当てもなく神原たちが時間を潰していても、開演時間は少しずつ迫ってくる。開演時間の一時間前に間に合うように神原たちがライブハウスに戻ると、開場時間である開演三〇分前には、神原たちは他のバンドのメンバーと一緒に、楽屋に入った。

 このライブハウスの楽屋はCLUB ANSWERよりも多少なりとは広くて、神原たちは全員腰を下ろせる。かと言って、他のバンドのメンバーと会話が弾むかというとそうでもない。今日出演する他の三組のバンドも全員が神原にとっては知らないバンドだ。たった二回ライブをしただけでは、そんなに知り合いは多くできない。

 今日は場所が場所だったから、園田や久倉も緊張しているようで、あまり他のバンドのメンバーと話せていない。寄る辺ない思いは時間を追うごとに増幅されるようだったから、ライブハウスのスタッフに「スタンバイお願いします」と言われると、神原は助かったような思いを感じた。

 それでも舞台袖で待っている間も、神原たちの緊張は止むことはない。今日の出演者たちの先陣を切ってステージに出ていくことが、神原には恐ろしくさえ感じられてしまう。

 だけれど、いくら神原たちが緊張していても時間は容赦なく過ぎていき、ステージの照明は落とされ、フロアで流れていた客入れの音楽は止む。ぱっと白い光に照らされるステージ。フロアには今までとは違う洋楽が流れ出す。

「GOING UP」は有名すぎてイメージがついてしまうからという吉間の助言を受けて、神原たちは登場SEを変えていた。それぞれが候補となる曲を持ち寄って、最終的に久倉が持ってきた曲に決めた形だ。

 ミドルテンポの曲に合わせるようにして、神原たちは意を決してステージに足を踏み出す。すると、観客は拍手で神原たちを迎えてくれた。

 でも、神原にはその拍手が前回のライブよりも小さく感じられる。それもそのはず、神原がざっと見た限りではこの日の観客は、二〇人ほどしかいなかった。神原たちも平日だから両親を呼ぶことは難しくて、課された一人三枚のチケットノルマをクリアできていない。

 それは他のバンドも同様のようで、どうせライブをするなら一人でも多くの観客の前でした方がいいに決まっているから、神原は少し落胆してしまう。

 それでも気を落としている場合ではなかったので、全員が楽器を構えたことを確認すると神原は右手を挙げて、登場SEを止めた。静まり返る館内。

 久倉のフォーカウントに合わせるようにして、神原たちは演奏を始めた。

 最初の一音を鳴らしたとき、神原は自分の心がピンと張り詰めるのを感じた。オーディションと同じシチュエーションに、記憶が嫌でも蘇ってしまう。それは一度リハーサルでステージに立ったからといって、少しも減じられることはなかった。

 だけれど、頭は軽く滅入ってしまっていても、ギターを弾く手は問題なく動く。それは演奏を頭よりも身体が覚えていることの証明で、積み重ねた練習はちゃんと神原の味方をしてくれていた。

 バンド演奏も破綻をきたしていない。自分たちが捧げてきた時間は、間違いではなかったのだと神原には思え、ギターを弾いているうちに少しずつだが平常心も戻ってくる。喉の調子も悪くなく、観客も徐々に自分たちの演奏に乗り始めてくれている。

 そのことが神原に、次第に高揚感を抱かせていた。

 一曲目に続き、二曲目も三曲目も神原たちは目立ったミスなく演奏ができていた。トップバッターということで、会場のテンションも平たいところからのスタートだったものの、それでも館内には少しずつ熱がこもってきた感覚が神原にはする。次第に自分たちを受け入れてくれる観客に、神原たちの演奏も開放感を高めていく。

 ギターを弾きながら歌っていると、オーディションの記憶が過去のものとなっていくように神原には思われた。

 三曲目を演奏し終わって、小さな拍手を受けると、神原たちは休憩がてらライブMCの時間に突入する。

 神原はメンバー紹介からライブMCを始めた。順番は園田から始まり神原で終わるという風に、もう固定されている。

 だから、園田や久倉も事前に考えてきていたライブMCを、何のためらいもなく話していた。高校を卒業したとか四月から一人暮らしを始めるといった話題は観客の関心を引いているとは言い難がたかったが、神原が適度にツッコむと四人の間には笑みがこぼれた。その様子に園田たちにもオーディションの記憶は、今だけは薄れていると神原は感じる。

 与木のライブMCは短かったが、それもいつものことだから、神原にはさして気にならなかった。

 自分の順番が回ってきて、神原は簡単な自己紹介をすると、今一度フロアを見回す。全員が自分たちに視線を向けてくれている。

「今日は一つお伝えしたいことがあるんですけど」と前置きをし、一つ息を吸ってからマイクがなくても聞こえるように、神原は口を開いた。

「なんと、五月に僕たちのインディーズデビューが決定しました!」

 フロアからはまた小さな拍手が鳴って、それは気を遣ったものであることが、神原にはありありと分かってしまう。自分たちが思うほど、観客はまだ神原たちに関心を抱いてはいない様子だ。

 それでも、神原はめげずに「いやー、インディーズデビューですよ。どう思うよ」と三人に話を振る。これも事前に打ち合わせ済みだから、三人が驚いたような顔を見せることはなかった。

「とうとうって感じですよね。僕たちはまだ結成して二年くらいしか経ってなくて、これが早いのか遅いのかは分からないんですけど、でもしっかり二年分の時間は感じていたので。もちろんまだスタートラインに立ったにすぎないんですけど、それでも感慨深い思いは感じてます」

「私たちずっとデビューを目標にやってきましたもんね。厳密に言えばまだデビューはしてないんですけど、まず最初の夢がもうすぐ叶うことはやっぱり嬉しいです」

「……レ、レコーディングも新鮮だったよな」

「そうそう。一曲レコーディングするのに何時間もかかって。こんなに時間をかけてみんなレコーディングしてるんだと思うと、素直に凄いなって思いましたよね」

「でも、時間をかけたおかげで良いものに仕上がっている実感はありますし、早くリリースされて多くの人に聴いてもらいたいです」

 神原たちはステージの上で言葉を交わし合う。もしかしたら観客には多少退屈に思えているかもしれないが、それでも神原たちは、まだMCをやめたいとは思わなかった。

「少し話は変わるんですけど、ここのライブハウスにもちょっと苦い思い出がありまして。去年、ここでレコード会社のオーディションを受けて落とされてしまったんです」

「そんなこともありましたね」

「でも、その悔しさをずっと持ち続けてやってきたからこそ、今があると思いますし、もちろん落とされてよかったとは言えないんですけど、それでもあのときの僕たちには、必要な経験だったのかなって思います」

「でも、そう考えると今日ここでインディーズデビューを報告できてるのって凄くないですか? その悔しさを少しでも晴らせたかのような」

「そうですね。今日ここに立って演奏していること自体が、あのときの自分たちに報いれてると言えますしね。本当に続けてきてよかったなと思います」

 神原がそう言うと、フロアから再び拍手が飛ぶ。でも、その拍手は先ほどよりも明らかにまばらで、観客が少し倦んできているのを神原たちは察しとる。

 神原はそろそろライブMCを終わらせることにした。

「というわけで、僕たちのデビューミニアルバム『日暮れのイミテーション』は五月一五日発売ですので、皆さんにも少しでも気に留めていただけたら幸いです。では、次もそのミニアルバムに収録される曲をやります。『いじっぱり少女』」

 最後に軽く宣伝をしてから、神原はギターを弾き始めた。レコーディングされたバージョンではバンド演奏から始まるのだが、この日の神原たちは神原の弾き語りから始まるようにアレンジを加えている。

 一人でギターを弾いて歌っていると、頼れる存在が自分しかいないことに、神原はより緊張を覚えてしまうが、それでも何度も家で練習したおかげで、そつなく演奏できた。

 神原がワンフレーズを弾き終えると、与木たちも合流し、演奏は本来の形に姿を変えていく。観客の反応も悪くなく、与木たちと演奏ができていることに、神原は心強さを感じていた。


(続く)


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