見出し画像

【小説】sakekotoba(2)



前回:【小説】sakekotoba(1)





 ねぇねぇ聞いて。来週のアド街、胡桃が住んでるとこを特集するらしいよ。えっ、マジで、全然知らなかった。去年にはモヤさまも来たっていうし、流行ってんじゃない? 北赤羽。

 駅に着くと昼、歌苗としたどうでもいい会話を思い出した。別に埼京線は各駅停車しか止まらないし、流行る要素なんてないんだけどな。両方とも一〇年以上も続いてる番組だし、多分ネタ切れなんだろう。一体何周目なんだか。

 だけれど、駅にはどこかそわそわした雰囲気がある。まるで花火大会の直前みたいだ。

 この辺りに住む人たちは、北でも「赤羽」という地名に誇りを持っている。テレビに取り上げられることは好ましいんだろう。まあかくいう私も、帰ったら来週のアド街を録画しようと思ってるんだけど。

 近くにある弁当屋さんが、取り上げられたりしないだろうか。値段のわりに量が多いから、もっと繁盛しててもいいと思うんだけど。

 私の家は駅から歩いて徒歩七分のとこにあって、近いのに越したことはないけど、そこまで遠くもないのでわりと気にいっている。

 まあ見た目のせいでぼろく見られるのが難点だけど、住むには何の支障もない。

 でも、この前友達を連れていったら、四〇年くらい? って言われたのはちょっと傷ついたかな。築二〇年だっつうのに。

 ラーメン屋。美容室。ガンショップ。帰り道にはわりあい店が多い。

 あの店もこの店も、今頃「アド街で紹介されました!」って幟を、準備してたりするんだろうか。だとしたらなんか微笑ましいな。アド街で紹介された店なんて、都内に溢れかえっているというのに。石を投げたら「アド街で紹介されました!」に当たるくらいだ。

 そういえば、人事部の向井さんの甥が経営している店も、アド街で紹介されたって言ってたっけ。まあ客足が増えたのは二週間くらいだったらしいけど。バブルだ、バブル。あっという間に弾けて消える、シャボン玉みたいなバブル。

「あれ? こんなとこに看板なんてあったっけ?」

 いつもの帰り道、歩き慣れた歩道。でも、その一角に白熱灯が光る看板があった。

 「Bar Red Feather」。

 いや、そのまんまかよ。ネーミングセンス、かなぐり捨てたのか。

 建物の中には、人二人がすれ違うのがやっというほどの狭い階段。地下に下りるようで、階段の先は暗くて、行ったこともないダンジョンみたいだ。

 ていうか、そもそもここに階段なんてあったっけ。

 もしかしたらいくら下りても終わらなくて、振り返ったら後ろには顔のない幽霊が……?

 いや、世にも奇妙な物語じゃないんだから。でも、なんかありそうだな。タモさんがこう中から出てきて、意味深なことを言いそう。

 たぶん一般的な感覚の持ち主だったら、こんな怪しい階段下りないんだろうな。でも、私は逆に思う。

 なんで下りないの?

 下りてドアを開けてみて、隠れ家的なシックなバーだったら万々歳だし、逆にしょぼくても話のネタになる。

 どっちに転んでも私には得しかないんだから、ここは当然行くでしょ。おひとり様でも何か問題がある? って話だし。

 一人で行動できない奴は自分ってものがないんだ。他人に合わせて一生を終えてろ。

 階段を一段下るたびに、地上の明かりが遠ざかっていく。私が世界から隔離されていく。まるで宇宙を歩いてるみたい。

 でも、ドアからかすかに漏れる光が、ここが地球であることを知らせている。

 ただでさえひんやりとした空気がさらに冷たくなって、あまりの寒さに涙が出そうだ。

 いや、ビビってねぇし。これはただ単に凍えてるだけだし。

 バーに入ったら、ウォッカで暖まろうかな。もちろんソーダなんかで割らずに直で。

 木製のドアを押すと、まず暖房のふわりとした風が私の頬を撫でた。

 ダークブラウンでまとめられた店内は、過ごしたこともない五〇年代の雰囲気を纏い、カウンター四席しかないのが潔い。壁にはいくつもの酒瓶が並べられて、まるでジュエリーショップみたいだ。

 ホット・ジャズが控えめな音量で流れていて、北赤羽の喧しさは一切なく静謐だ。

 そして、何よりもバーテンダー。黒のベストに黒の蝶ネクタイを合わせていて、雰囲気はフォーマル。程よく口ひげを蓄えて、すらりと伸びた体躯はたぶん五〇代だろうに、まるでくたびれた感じはしない。

 バーテンダーというよりも、マスターと呼びたくなる。

 マスターは私を見ると、空いている席(といっても全席だが)を、手で指して座るように促した。

 えっ? 本当にいいんですか? こんなGUで買った七〇〇〇円のスーツを着ている私でも? カップ焼きそばにマヨネーズをドバドバ投入する私でも? たまに口元の化粧をさぼって、マスクで隠してしまう私でも、マジでこんな一見さんお断りみたいなバーに入っていいんですか? こういうバーって、客にもそれなりのドレスコードがあるんじゃないんですか? 平服NGとか。

 疑念にまみれた私を一つ一つ解いていくように、マスターは微笑みかけてくる。

 まあ、ここでドアを閉めて、すいませんでしたって帰る方が失礼か。

 私はええいままよ、と五〇年くらい前の少女漫画みたいなことを思いながら、店内に足を踏み入れた。

 場違いな感覚は拭えなくて、歩幅は狭くへっぴり腰になってしまう。おずおずと指し示された席に座る。レザーの硬い感触に、背筋が伸びた。

「こんばんは」

「あっ、はい。こんばんは」

「今日は何になさいますか?」

「あの、メニューはないんですか?」

「当店は、お客様にあったカクテルをお出しする店となっております。なので、なんとなくのニュアンスさえ伝えてくれれば、お客様専用のカクテルをお作りします」

「そうですか。じゃあ、とりあえず寒いんでウォッカ、ロックでください。ありますよね?」

 文脈を無視した私の注文にマスターは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。なんだ、思ってたよりも人間味あんじゃん。

 敷居が高い店だと思ってビビってたけど、そこまで構える必要もなさそうだ。

「はい。スミノフとウィルキンソンがありますが、どちらになさいますか?」

「スミノフでお願いします」

 言ったはいいものの一杯目からスミノフは、やはりいろいろ飛ばしすぎだろうか。もっと居酒屋みたいなノリで、とりあえずビールにしたほうがよかった? 

 でも、マスターはなんだこいつといった目もせずに、まあ客商売だから当然だけど、身を翻してスミノフの四角いボトルに手を伸ばした。

 真円の氷を入れたボトルに、透明な液体を目の前で注いでくれて、つんと鼻につくアルコールの匂いに、見ているだけで体が熱を帯びてきそうだ。

 アルコール度数を聞いたらちょうど四〇度だそうで、私のテンションは単勝を当てたときぐらい上がった。蒸発するアルコールで、グラスの中が揺らめいて見える。

 マスターが柔らかな笑みを浮かべながら「どうぞ」と言う。私の顔がmおあずけをくらった犬にでも見えていたのだろうか。

 グラスを持ち、まずは蒸発するアルコールを鼻から取り入れる。一日ぶりの飲酒の予感に、身体が早く酒をくれと喚いている。

 ってなんかこう言うとアル中みたいだな。嗜む程度だっていうのに。

 私は身体が命じるまま、グラスに口をつけて、スミノフをゆっくりと味わった。安くない酒なんだから、よく味わわないと損だ。

 舌に刺さる鋭利な辛味と、その後にふっと着地するマイルドな甘さ。

 くぁー、たまんねぇ。酒は私の人生の友だ。平凡な毎日を輝かせてくれる、スーパースターだ。

 つまんない仕事も、酒を楽しむためには必要だ。たこわさみたいなもんだと思えばいい。苦みが酒のつまみになるのだ。

「ずいぶん美味しそうに飲まれるんですね」

 惚けるようにスミノフを味わっている私を見て、マスターが口にした。ええ、そうですとも。だって本当にめっちゃ美味しいもん。

 それに自慢じゃないけど、私が酒を飲む姿は不思議と絵になるみたいで、歌苗からはCMタレントみたいとさえ言われたことがある。

 まったく誰も彼も、私を褒めるのだけはうまいんだから。まぁ調子に乗っちゃう私も私ですけど。

「はい、このスミノフって高いんですか?」

「いえ、他のバーにも置いてある一般的なものですよ」

「そうですか。じゃあ、マスターの注ぎ方が上手なんですね」

 褒め言葉には褒め言葉で返す。だって、そうした方がみんなが笑顔になれてハッピーじゃん。

 はにかむマスターは恥ずかしげ、というよりも得意げで、褒められ慣れているのだろう。

 まぁ、そりゃみんな褒めますよね。だってこんな雰囲気のいいバーめったにないんだもん。それも北赤羽で。

「でね、聞いてくださいよ。今日の仕事も散々だったんですよ。ようやく交際費の書類をまとめ終わったと思ったら、すぐに交通費の精算を任されて。本当大変だったんですから。定時に上がったのが奇跡なくらいで」

 スミノフが三杯目に達したころ、気づけば私はマスターに愚痴っていた。別に酔ったわけじゃないし、頭はいたって冷静だ。呂律もしっかり回ってる。

 それに私はそう簡単に他人に弱みを見せるような人間じゃないし。だって慰めてください、労わってくださいって、押しつけてるみたいでしょ? そんな気遣いさせるの私は嫌だよ。

 それでも、マスターに愚痴り始めたのは、何を話しても全肯定してくれる懐の大きさが、グッときたからなのかもしれない。

 なんかこいつをボコボコになるまで殴りたいんですよって言っても、どうぞどうぞと勧めてくれる気がする。さすがにそこまでは言わないけど。

「でも、それって堀口さんが職場に必要とされてる証拠じゃないですか。次々と任せられるってことは仕事も早いんでしょう。立派なことじゃないですか」

「まあ、そうですね。私がいないとウチの部署回んないみたいなとこありますし」

 客観的事実を私が口にすると、マスターは「それは何よりです」と、含蓄たっぷりに微笑んだ。

 目の前の相手を丸ごと受け入れるおおらかな表情に、こんなに働いてるのに給料全然上がんないんですよ、と続けるつもりだった私の毒気は、いともたやすく抜かれた。

 ここでいけ好かない総務課のあんちくしょうについて話してもよかったが、愚痴や悪口ばかり聞かされてマスターはどう思うだろう。

 私だって、それくらいの想像は働かせられる。社長に思われてるほどノータリンじゃない。



続く


次回:【小説】sakekotoba(3)

この記事が参加している募集

#ほろ酔い文学

6,046件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?