スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(146)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(145)
「やあ、似鳥くん。お疲れさま。今は君一人だけ?」
「は、はい。そうですけど、五郎さんどうかされたんですか?」
「ちょっと克己と話そうと思ってね。今はまだ外? あとどれくらいで戻ってくる?」
「あと一〇分くらいしたら戻ってくると思います」
「そう。じゃあ、中で待ってていい?」
外で待っていてくださいとは当然言えずに、晴明は頷いた。五郎は「ありがとね」と言って、一番入り口に近い席に腰を下ろす。
自分の席に戻った晴明とは少し距離が空いていたから、二人の間に会話は生まれなかった。勉強に戻ろうとしても、五郎の存在がどうしても気になってしまい、うまく集中できない。
どうして五郎は、自分たちがここで活動していることが分かったのだろう。
晴明は少し考えてみて、昨夜の樺沢との電話を思い出す。樺沢経由で、五郎に連絡がいったとしか考えられない。五郎に直接訊くことはできなかったけれど、晴明はそう確信していた。
会話がないと、一人のときよりも控室の空気は重く感じられる。
だから、ドアが開いて渡たちが戻ってきたときに、晴明はやっとかと思ってしまった。部員たちは着ぐるみに入っているいないに関わらず、小さく頭を下げて挨拶していたけれど、桜子や芽吹の目は疑問を抱いているようだった。それでも、植田の後に続いて入ってきた勝呂のリアクションには敵わない。
五郎を見た瞬間立ちつくした勝呂は、まったく状況を掴めていない様子だった。目には焦りの色が浮かんでいて、見ているだけでも晴明には少し痛々しい。
それでも、五郎は立ち上がって、勝呂にこっちに来いと手招きする。言われるがままに近づく勝呂は、身体に結ばれた糸を手繰り寄せられているみたいだった。
「どうだ、克己? 最近のアクター部のみんなの調子は?」
「それは自分の目で見て判断してよ。それよりどうしたんだよ、父さん。こんなとこまで押しかけてきて」
「なに、ちょっとお前と話をしようと思ってな」
敬語を使わない勝呂が、晴明には新鮮だった半面、少し後ろめたくもなった。ここは親子二人だけで話させるべきだろう。
そう考えていたのは晴明だけではなく、植田を筆頭に部員たちは控室の外に出ようとする。しかし、五郎から「いても大丈夫ですよ。いや、いてください」と言われると、晴明たちは足を止めてそれぞれの席に戻らざるを得ない。
六人に見守られて、勝呂は身体を固くしていた。目は動揺を隠しきれていない。
「克己、お前幸せ者だな」
五郎の口調は諭すようだった。現状を肯定する言葉にも、勝呂はまともな返事ができていない。うろたえる姿は、晴明が今まで見たことがないものだった。
「こんなにお前を必要としてくれる人がいて、お前のことを心から信頼している。そしてお前には、それに応えられるだけの能力がある。それって幸せなことだと思わないか?」
五郎の言葉は勝呂だけでなく、晴明の心にも染み渡った。今勝呂がここにいてくれることは、当たり前ではない。
勝呂が晴明たちを垣間見る。勝呂の心を動かすためにも、晴明は優しい表情を心がけた。
「克己、お前はアクター部の外部指導者を続けろよ。部員のみんながそう望んでいるのに、断る理由がどこにあるんだよ」
どうやら樺沢が五郎に伝えていたのは、活動場所だけではなかったらしい。晴明が話した部員たちの勝呂への想いも仔細漏らさず伝えていたようで、晴明は少し耳が赤くなった。
「なら、ゴロープロダクションはどうすんだよ。俺が経営を継ぐって、もうほとんど決まりかけてただろ」
「それはまだ口約束だけだろ。なに、俺がこれからも経営を続けるよ。まだまだ隠居するような年でもないしな」
「そんなこと言ったって父さん、まだ完全に元気になったわけじゃないだろ。またいつ体調崩すか、分かんないじゃんか」
「じゃあ、外から経営を引き受けてくれそうな人を引っ張ってくるよ。俺にも伝手がまったくないわけじゃないしな。何とかする。心配すんな」
「なんで父さんは、そんなに俺に外部指導者を続けさせたいんだよ。お見舞いに来てくれたからって、情が湧いたの?」
「なんだ? もうアクター部に行くのが嫌になったのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
晴明たちがいる手前、はっきりとNOとは言いづらかったのだろう。迷った表情をしている勝呂を見ると、自分たちに愛想をつかしたとは、晴明には思えなかった。
「じゃあ、続けろよ。それが部員のみんなにはもちろん、お前のためにもなるから。教える経験がこの先のスーツアクターの活動に、還元されていくんだから」
「……父さん、今まで言いづらかったけどさ」
勝呂はそこでいったん言葉を止めたから、控室には緊張した空気が漂う。
「なんだ?」と聞き返す五郎にも、勝呂は目を泳がせてためらっている。でも、決意したのか顔を上げ、勝呂と向き合って言葉の続きを口にした。
「俺、もうスーツアクターしたくない」
勝呂が発した意思表明は、シンプルだからこその破壊力があった。部活でスーツアクターをしている自分たちよりも、よっぽど辛酸をなめてきたのだろう。安易に否定や肯定をすることは、晴明たちには憚られた。
五郎はたじろぐことなく、勝呂の言葉を受け止めている。変わらない目つきは、勝呂がそう思っていたことを薄々勘づいていたように、晴明には見えた。
「……どうしてそう思うんだ?」
「分からない? 何をしても父さんと比べられるからだよ! 克己さんは克己さんでがんばってるけど、お父さんと比べたらどうしてもね……って、今まで俺が何回言われてきたか分かる!? 俺はいくらがんばっても、父さんみたいにはなれないんだよ!」
勝呂は晴明がかつて見たことがないほど、声を荒らげて感情的になっていた。抱えてきた苦悩の大きさが知れて、晴明たちはなおのこと口を挟めない。
控室には輪をかけて重苦しい空気が漂う。この場から逃げ出してしまいたいとさえ、晴明は思った。
「そうか。克己はそれほどまでに悩んでたのか。そんなに苦しいなら、もうスーツアクターはしなくていいぞ。今までよくがんばったな。とでも言ってほしいのか?」
あからさまに声色を厳しくした五郎に、勝呂だけでなく晴明たちも竦みあがる。
「確かに、お前がスーツアクターをやめることは可能だ。お前なら別の仕事を見つけて、なんとか暮らしていくことはできるだろうしな。でも、本当にそれでいいのか? そんな後ろ向きな気持ちでやめて、本当に悔いは残らないのか?」
「いや、後悔はすると思う。たぶんやめてもやめなくても。でも、続けた方がきっと苦しみは大きいと思うんだ。とにかく俺は、父さんと比較される今の状況から、抜け出したいんだよ」
「……克己。あまりこういうことは言いたくないけど、甘えたこと言うなよ。確かにお前は今苦しんでる。だけれど、俺だって苦しかったんだ。まだスーツアクターなんて言葉がない時代からずっと活動してきて、楽しいことよりも辛いことの連続だったよ。事務所を設立して今日まで経営していくのに、スーツアクターという職業の地位を押し上げるのに、どれだけ大変だったかお前に分かるか?」
「何それ。苦労なんて比べられるものじゃないでしょ。そりゃ父さんが大変だったのは分かるし、その苦労に比べたら俺はまだまだだなって思うよ。でも、当たり前だけど苦労の許容範囲は、人によって違うんだよ。誰も彼も、父さんみたいに乗り越えられるわけじゃないんだから」
一向に意見の一致を見ない二人は、お互いに言いたいことをただ言い合っているだけみたいだった。二人が喧嘩してしまう可能性も考えられて、晴明は内心びくついてしまう。
勝呂の態度は軟化する兆しを見せない。それどころか、ますます硬化していくようだった。
「とにかく俺は、もうスーツアクターなんてしたくないんだよ! 父さんに憧れて始めたけれど、こんなに辛い思いをするなら、最初からやんなきゃよかったんだよ! 昔の自分に言い聞かせたいわ! 『スーツアクターだけはやめとけよ』って!」
今まで以上に語気を強める勝呂に、晴明は悲しくなってしまう。勝呂の口からそんな言葉は聞きたくなかった。
他の部員も同様に思ったのか、控室には目を覆いたくなるほどの息苦しさが満ちていた。
「俺に向かってそういうこと言うのは、百歩譲って許すよ。だけれど、今ここにはアクター部の学生たちもいるんだぞ。頼りにしている人間が根本から否定するようなことを言って、教え子たちはどう思うかな」
空気がわずかに変わったのを、晴明は肌で感じる。
自分たちに目を向ける勝呂は表情に迷いが滲み出ていて、晴明は思わず目を逸らしたくなってしまう。
だけれど、部員たちは誰一人として顔を背けなかった。どんな表情でも、勝呂に目を向けることが何よりのメッセージになる。晴明はそう信じて疑わなかった。
「なぁ、克己。分かるだろ。この子たちにとって、お前の代わりはいないんだよ。これだけ信じてくれてるんだから、その期待を裏切るわけには、なかなかいかないよな」
静まり返る控室。勝呂は返事をしない。瞳がほんの少しだけ潤んでいるようにも、晴明には見える。
「確かにお前は昔の俺と比べたら、スーツアクターとしてはまだまだかもしれない。でもな、この子たちを指導できるのはお前だけなんだぞ。人はそれぞれ輝ける場所や役割が、必ず用意されてるんだ。俺にはできないことが、お前にはできるんだよ」
勝呂の顔は再び、五郎の方に向いていたけれど、それでも晴明は祈るような気持ちで勝呂を見続けた。
自分たちの気持ちが届いていないはずがない。そう思いたかった。
「キャラクターだってそうだろ。みんなそれぞれできることが違って、そこに優劣なんてない。スーツアクターだって、同じはずなんだよ。本来比較なんてしようがないんだ。俺と比べてお前にどうこう言う奴は、そのことが分かってないんだよ。はっきり言って、そんな奴の言うことには耳を貸さなくていい。お前はお前のままで、十分素晴らしいんだよ」
勝呂の唇が細かく震えている。五郎の言葉が、胸の深いところまで届いているようだ。
「これだけは伝えておくぞ。俺はお前にスーツアクターも、アクター部の外部指導者もやめてほしくない。でも、これはあくまで俺の考えで、最終的に決めるのはお前なんだからな。ちゃんと自分の信念をもって決めたなら、俺は文句は言わない。たとえ、スーツアクターをやめたとしてもな」
「言いたいことは以上だ」。そう五郎が言葉を締めくくる。
俯く勝呂を、晴明はみっともないとは思わなかった。勝呂は勝呂で、必死に考えている最中なのだ。
たとえ、どんな結論でも尊重しよう。部員たちは誰も何も言わなかったけれど、全員がそう思っていることが不思議と晴明には分かった。
「じゃあ、俺もう行くわ。話したいことはあらかた話せたしな」
五郎は控室を去ろうとする。ドアノブに手をかけたところで、「待てよ」と呼び止めたのは、他の誰でもない勝呂だった。
「せめて、アクター部のみんなの活動を見ていってくれよ」
しっかりと顔を上げて言った勝呂に、五郎はわずかに微笑んで見せた。
「ああ、分かってるよ。お前の教え子が出てくるのを、外で待ってる」
そう言い残して、五郎は控室を後にした。控室には再び沈黙が降りる。だけれど、息苦しさはいくらか和らいだように晴明は感じていた。
振り返った勝呂が、表情を自然なものに切り替えて「お見苦しいところをお見せしましたね」と言う。だけれど、晴明たちは小さく首を横に振った。二人の感情のぶつかり合いに、見苦しいところなんて一つもなかった。
昼の青さと夜の黒さ。その両方が半々ずつ混ざった空の下で、晴明たちはこの日の活動を終えていた。最後の一人を見えなくなるまで見送ると、晴明はようやく今日も活動をやり遂げたのだと、一つ息を吐けた。
桜子たちに手を引かれながら、控室へと戻る。体育館から漏れる明かりが地面を照らし出していて、内外でがんばった全てのスタッフを称えているように、晴明には見えた。
着ぐるみを脱いだ晴明と成は、近くの椅子に座って、携帯式扇風機の風を浴びながら汗が引くのを待った。幸いここには一七時半までなら、いてもいいことになっている。
着ぐるみの片づけを桜子たちに任せて、晴明たちは逸る息をゆっくりと整え始めた。
主催者の発表によると、今日の来場者数はのべ二〇〇〇人を超えたらしい。どの時間帯にも満遍なく人はやってきて、気が休まる時間は晴明たちにはあまりなかったが、それでも音を上げるほどの人出ではなかったから、最後まで集中して応対ができていた。
様子を見に来た中央区の職員からの評価も上々で、「機会があればまた任せたい」との言葉に、晴明は大きな手ごたえを感じていた。
閉館時間まで残り一〇分に迫ったなか、勝呂を含めたアクター部の面々は終了ミーティングを行うために、小さな輪を作った。植田や渡から、今日の感想が伝えられる。二人とも前向きな評価をしていて、晴明には達成感が満ちていく。
明日も出番があるが、ひとまず今晩だけは感慨に浸ってもいいような気がした。
「では、勝呂さんから見て、何かあればお願いします」
(続く)
次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(147)
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