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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(135)


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「はい、カット!」

 泊が声を上げる。それと同時に四人の間に張られた緊張の糸は緩み、晴明はトータルくんの中で一つ息を吐いた。泊と芽吹が録画を確認するのを、晴明たちはじっと立ちながら待つ。

 三テイク目だったから、今度こそはうまくいってほしい。だけれど、ジャッジは泊がするので、晴明は祈るしかなかった。

「はい、このテイクOKです! ありがとうございます!」

 泊から伝えられた言葉を芽吹が言ったのを見て、晴明はひとまず胸をなでおろした。

 桜子が「ハル、大丈夫?」と訊いてくる。もう三〇分ほどトータルくんに入っている晴明を気遣ってのことだろう。晴明たちはカメラの位置を変えて、三回同じシーンを撮っていた。

 そろそろ体力も少なくなってきたので、晴明は素直に首を横に振る。泊が「じゃあ、少し休憩入ります」と言ってくれて、晴明は心の中で感謝した。

「似鳥、お疲れ様。どう? 撮影は? ちょっとは慣れてきた?」

 着ぐるみを脱いだ晴明が、近くのベンチに座っていると、泊が隣に座って話しかけてきた。カメラを横に置いて、思いっきり足を伸ばしている。

「は、はい。カメラの前で演じるのにも、少しずつ慣れてきた感じはします」

「でも、普段みたいにスマートフォンを向けられるのとは、勝手が違うでしょ?」

「そうですね。身が引き締まります」

「そうだね。なんてったって今撮ってるのは、私の初監督作品だから。もし将来私が有名になったら、テレビとかでも流れるかもしれないよ?」

 泊は口元を緩めながら言っていたが、晴明は笑いごとには思えなかった。肩にのしかかる責任が、何倍にもなったように感じる。

 膝の上に置いた手を握りながら、なんとか「が、がんばります」と答えると、泊は今度は目元まで緩めてみせた。邪気のない笑みに、この人は後輩を軽く困らせるのが好きだったなと、晴明は久しぶりに思い出す。

「なんてね。冗談冗談。でも、似鳥だいぶ動きの硬さが取れてきて、自然な演技になってきたと思うよ。カメラの方も見なくなったし。やっぱ飲みこみ早いね」

「本当にそう思ってます?」

「本当本当。私が思ってた以上に、似鳥はよくやってくれてるよ。撮影ももう半分終わったし、この調子で残りもがんばろうね」

 泊は右手を掲げながら言葉を結んだから、本心から言っているのが晴明には分かった。だから、「はい、がんばります」と素直に返事ができる。

 撮影開始から二時間ほどが経って、確かに疲労はあるけれど、それ以上の手応えを晴明は得ていた。作品が完成したら見てみたいと思うくらいには、気持ちが上向く。

 千葉公園は少しずつ人が増えてきたものの、まだ早くしなければと焦るような時間帯ではなかった。

「そういえば、明日のハニファンド千葉のホームゲームは、ライリスの誕生日イベントがあるんでしょ。どう? 楽しみ?」

 トイレに行った桜子も、自動販売機に飲み物を買いにいった芽吹も、まだ戻ってくる気配はない。話題を変えた泊に、晴明は正直に答えた。

「楽しみな気持ちが半分、不安な気持ちが半分ってところですかね。明日は今までにないぐらい、ファンやサポーターの方の前に登場する時間が長いですし。もちろん、ライリスを好きな方と触れ合うのは楽しみなんですけど、ちょっと未知の領域な部分もあって、不安がまったくないとは言い切れないです」

「でも、似鳥だって鍛えてるんでしょ? 大丈夫だって。フミから聞いたけど、最近ライリス人気出てきてるみたいじゃん。先週のイベントでも、人がいっぱい来たんでしょ?」

「まあ、入りはじめの頃に比べれば。でも、もっと人気のキャラクターもいましたし、ライリスも自分もまだまだだなって思います」

「まあ、向上心や目標があるのはいいことだよ。でも、前も言ったけど、キャラクターは人気が全てじゃないから。似鳥がライリスに入ってるだけで、価値が生まれてるんだから。それはこれからも忘れないでね」

 明日を心配してやまない晴明に、泊の言葉は優しく効いた。

 キャラクターの価値が人気だけだとすれば、人気のないキャラクターには価値がないことになる。それは断じて違うと、晴明も既に分かっていた。いるだけで一定の価値があるという事実は、晴明の心を解していく。

 太陽も大分昇ってきて、朝感じた肌寒さも和らいでいた。

「そうですね。ライリスに入ることのできる幸せや、ファンやサポーターの方々と触れ合える喜びを、いつも以上に噛みしめながら、明日はがんばりたいと思います」

「うん、その意気だよ。私も明日はフカスタに行くから。もちろん一ファンとしてね。スタンドから見るライリスたち、楽しみにしてるから。悔いのないように、楽しんできなよ」

「はい。泊先輩が見てると思うと、ちょっと緊張しちゃいますけど、ファンやサポーターの方に負けないぐらい、ライリスでいられることを楽しみたいと思います」

 前向きな言葉を発すると、心の中の不安が薄らいでいく。それは一種の自己暗示にも近かったが、明日を乗り切れるだけの活力を晴明に与えていた。

 目を細める泊に、晴明も微笑んで返す。

 四人分のペットボトルを手に戻ってきた芽吹が、二人に声をかける。晴明はスポーツドリンクを受け取って、渇いた喉に流しこんだ。

 やがて桜子も戻ってきて、四人はとりとめのない話を繰り広げる。目の前の綿打池には、さざ波一つ立っていない。平和だなと晴明は思った。



 SJリーグ二部第四〇節、ファンツィーニ岡山との試合は、午後一時のキックオフだった。だから、集合時間は朝九時と早めだったが、昨日の撮影後ゆっくりと体を休められた晴明には、それほど苦にならなかった。

 蘇我駅で部員や顧問、勝呂と落ち合ってフカツ電器スタジアムを目指す。道中、近くを歩くファンやサポーターは既に軽く興奮していて、気合いが漲っているのを晴明は感じる。

 無理もない。終盤に入っても昇格争いは混戦のままで、ハニファンド千葉は前節の勝利で、順位を三位にまで上げていた。今日勝てば、二位の徳島の結果次第で、順位が入れ替わる可能性がある。いよいよ自動昇格も視野に入ってきて、晴明でさえ気持ちが昂っていた。

 スタジアムに到着した晴明たちを、筒井や市村はいつも以上に恭しく迎え入れる。特に筒井は今までにないほど、綿密に晴明に声をかけていた。ライリスの誕生日イベントに、一抹の緊張を抱いているのだろう。

 調子はどうかとか、最後まで頑張れそうかとかしきりに尋ねてくる筒井に、晴明は明快な返事で答えた。筒井だけでなく、自分も励ますように、声を身体に響き渡らせる。

 会議室のドアを開けると、ブルーシートの上にはライリスのぬいぐるみが置かれていて、晴明はにわかに表情を緩めた。

 開場前の場外グリーティングは、この日も試合の三時間前に行われた。今日一日、最後までライリスを演じきる。晴明は決意も新たに着ぐるみを着て、スタジアムの外に出た。

 グリーティングスペースで待つハニファンド千葉、そしてファンツィーニ岡山のファンやサポーターの数は、劇的に増えてはいなかったが、歓声の密度が高くなっているように晴明は感じられる。

 それはこの日のライリスが、誕生日仕様で三角の帽子を被り、数字の10の形をしたネックレスをしていることと、無関係ではないだろう。ライリスは年齢不詳という設定だが、ハニファンド千葉のマスコットキャラクターとして活動を開始して、今年で一〇年になる。この記念すべき日に自分がライリスに入って、多くのファンやサポーターに囲まれていることが、晴明には誇らしかった。

 フォトセッションでは、ピオニンやカァイブと繋いだ手を大きく掲げる。スマートフォン越しに見えるファンやサポーターの喜ぶ表情が、晴明の心と身体を震わせた。

 グリーティング中でも、ライリスの誕生日だからか、今までよりも声をかけてくるファンやサポーターは多かった。

 お誕生日おめでとう。いつもありがとう。これからもよろしくね。

 その一言一言が、思わず声に出して感謝したくなるほど晴明には嬉しくて、心が弾む。両手で口を覆ったり、少しだけファン・サポーターとの距離を詰めてみたり。晴明が嬉しさを仕草で表現すると、ファン・サポーターはさらに喜ぶ。

 できあがっていた好循環に、晴明はギリギリまでこの場を離れたくないなと、心底感じた。

 それでも、グリーティングが進むにつれ、晴明の中には小さな懸念が芽生える。泊がまだ来ていないのはまだしも、莉菜や由香里の姿が見えないのは、晴明には無視できる問題ではなかった。

 長野家を訪問した時に、スタジアムに来てほしいとジェスチャーで伝えたはしたが、まだ莉菜は外出できる状態まで、精神が回復していないのだろうか。

 表向きは明るくライリスを演じていても、晴明の心中は穏やかではなかった。せめて由香里だけでも来て、安心させてほしい。

 ファンやサポーター個人に、特別に肩入れするのはよくないと分かっていながらも、晴明は時折入場口の方を見て確認したくなる。

 しかし、晴明のひそかな願いも通じず、グリーティングが終わるまで、莉菜と由香里がライリスのもとに現れることはなかった。

 入場時の出迎えを終えた後、ライリスはスペシャルチケットを購入したファンやサポーターとピッチに登場して写真を撮ることになっているが、晴明が事前に見せてもらった参加者名簿にも、由香里や莉菜の名前はなかった。もしかしたら今日はこのまま会えないのではないかという悪い想像さえ、頭をかすめてしまう。

 ファン・サポーターのもとを離れるときも、会議室に戻っていくときも、晴明はライリスでいることを忘れず、元気な動作を心がけたが、それでも胸には黒く澱んだ思いが、小さいながらも渦巻いていた。



 少し休憩をしてから、晴明たちは再び着ぐるみを着て、今度は入場口の付近に立った。スタジアムに足を運んでくれたファンやサポーターを迎え入れるためだ。

 シーズン終盤、さらにSJリーグ一部昇格をかけた大一番とあってか、晴明がライリスに入り始めた五月よりも、明らかに来場者の数は多かった。一般入場を待つ人々の列は、スタジアムを取り囲むように曲がっていたから、晴明からはその最後尾を見ることはできない。

 筒井は、チケットは今年最高の売り上げを記録していると言っていた。今まで一番人が入ったスタジアムを晴明は、先行入場者への応対をしながら想像する。

 雰囲気が高まったなかで登場できることは好ましかったが、経験したことがないほど多くの目が自分に向けられるのは、少しだけ恐ろしい感じもした。

 メインスタンドの指定席は、一年を通して入場できるシーズンパスの持ち主にしか用意されていない。そして、ハニファンド千葉のシーズンパスを持っている由香里と莉菜、特典として一般入場者よりも早くスタジアムに入ることができる。

 だけれど、先行入場の時間が終わって一般入場が始まっても、二人はスタジアムにやってこなかった。莉菜の精神は、まだ万全ではない。きっと混雑する開場時間付近を、避けたのだろう。心配だけれど、いずれは来るはずだ。

 晴明はそう思いながら、続々と自分たちの前にやってくるファンやサポーターの応対に励んだ。手を振り、握手をし、カメラを向けられればポーズを決める。何度も繰り返してきた動作も、ライリスを見る目が少しばかり違うこの日は新鮮だ。

 早くにやってくる来場者は、ハニファンド千葉が好きで、ファンやサポーターである確率が高い。ライリスたちを無視する者はほとんどおらず、誰もが何らかのリアクションを示してくれた。

 あたかも中に入っている自分さえも認められた気になって、晴明は汗にまみれた顔をわずかに緩めていた。

 次の出番のために、晴明たちがバックヤードに戻ろうという頃になっても、まだ入場者の列は途切れず、次々に人がやってくる。

 でも、いくら心は充実していても、身体の方はそうはいかないので、晴明は筒井の背中を二回叩いて、「戻りたい」というサインを送った。

 筒井も頷いて、ライリスの手を握った瞬間、晴明は「ライリス!」と、呼び止める声を聞く。声の方を見ると、泊が足早に自分たちのもとへと向かってきていた。ユニフォームは着ていないものの、首にはハニファンド千葉の赤いタオルマフラーをぶら下げている。先輩である前に、一ファンの呼びかけだ。応えないわけにはいかない。

 晴明は筒井から手を離して、泊に向き合った。泊はハイタッチをしたり、ライリスに「お誕生日おめでとう!」と話しかけてきたり、肩を組んで一緒に自撮りを撮ったりと、既に大分疲労している晴明の気も考えずに、ライリスとの触れ合いを楽しんでいた。その姿に先輩どうこうではなく、ハニファンド千葉の、ライリスの一ファンになったのだなと、晴明は察する。

 ライリスのもとを離れて、ピオニンやカァイブにも積極的に声をかける泊。晴明はそれを見ながら、バックヤードへとつながるエレベーターへと歩き出した。

 試合が終わった後にでも、来てくれたことにお礼を言わなければと、頭の隅で考えた。


(続く)


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