スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(136)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(135)
誕生日記念・ライリスとより間近で触れ合えるスペシャルチケットの購入者と、ライリスになった晴明が顔を合わせたのは、バックヤード中央のスペースだった。
親子連れにカップル、おひとり様など二〇名の参加者たち。ユニフォームの着用率は一〇〇パーセントで、全員がクラブから配られた、厚紙製のライリスのお面を頭に被っている。
いざライリスが目の前に現れても、誰もスマートフォンを取り出していない。ライリスと触れ合うことに集中しようという意図が見えて、晴明はさすが割高のチケットを買っている人たちだと感じた。
バックヤードの中で軽く触れ合いを楽しんだ後、参加者たちはライリスを先頭に、ピッチへと向かった。階段を上がるたびに、参加者たちがざわつくのを、晴明は背中で感じた。
普段は選手など限られた人間しか入ることができないピッチは、参加者には憧れであると同時に、まったく未知の場所なのだろう。興奮するのも無理はない。
そして、それは晴明も同じだった。いつもは選手についていく立場なのに、今日は自分が参加者たちを引っ張っている。
バックヤードから出ると、途端に空気が神聖なものに変わった気が晴明にはした。ゴール裏から生まれ、やがてはスタジアム全体に波及していった拍手が、堂々と胸を張っていいのだと教えてくれる。
今日のイベントは、自分が主役なのだ。主役が気弱にしていては、盛り上がるものも盛り上がらない。
晴明は背筋を伸ばして、ピッチに足を踏み入れた。足から上ってくる、フカフカとした感触。
参加者たちが照れくさくも凛々しい顔をしていることが、晴明は見なくても分かった。
参加者との記念写真を撮るために、晴明は立ち止まって振り返る。カメラマンが並びを指示している間、晴明は一人一人の顔を見た。
リラックスした表情で楽しんでいる者。少し緊張した様子を見せている者。
それぞれ表情は違ったが、ライリスと一緒にいられる喜びが、全員の顔からは迸っていた。
晴明はスタンドを見回す。一番先に目が向いたのは、ホームゴール裏寄りのメインスタンドだ。理由は明白で、来てほしい人の席がそこにあったからだ。
そして、その姿を見つけた瞬間、晴明は心の中でガッツポーズを作る。そこには、莉菜と由香里が並んで座っていた。お揃いの一二番のユニフォームを着て、スマートフォンも掲げず、ただライリスと参加者たちを見ている。
由香里なら最前列に来ていてもおかしくないのだが、久しぶりにスタジアムに来た莉菜を気遣っているのだろう。
晴明は、メインスタンドに満遍なく手を振った。莉菜も小さく振り返してくれて、晴明は飛び上がって喜びたくさえなる。わざわざ長野家まで行った甲斐があった。
それでも、カメラマンの呼びかけによって我に返った晴明は、綺麗に並んだ参加者たちと一緒に写真に収まった。腕を突き出してピースサインをすると、心地よい万能感が得られた。
ありとあらゆることがうまくいくような。そんな感覚が、胸の奥から湧き上がっていた。
記念写真の撮影を終えたライリスは、じっくり時間をかけて、参加者一人一人と触れ合った。
さすがにピッチ上では視線が集中して恥ずかしいという参加者もいたので、ピッチから離れてのグリーティングだったが、密度の濃い交流に晴明は軽く圧倒さえされていた。好きという気持ちをダイレクトに伝えられると、ありがたすぎてすぐには受け取れないのだと知る。
それでも、嬉しいことには違いなかったので、晴明は最後の一人まで誠心誠意ライリスを演じきった。今日が参加者にとって最高の思い出となってくれることを、心から願った。
参加者たちがスタッフの後に続いて引き上げていくと、ピッチサイドには野々村やピオニン、カァイブが登場して、そのまま試合前コーナー、ハニファンドTVが始まった。
まずは例によって前節の試合を振り返りから。三対一での逆転勝利だったから、次々と決まっていくゴールにスタジアムは湧いた。見渡すとメインスタンドだけでも、前回のホームゲームよりも三割増しで人が座っている気がする。
試合の振り返りや注目選手の紹介が終わると、野々村が「今日はライリスのお誕生日ということで、日頃の感謝をこめてピオニンとカァイブからプレゼントがあります!」と、声高々にアナウンスする。その発表にスタジアムがかすかにどよめいたのを、晴明は肌で感じた。
まずはカァイブが、筒井から受け取った花束をライリスにプレゼントする。ハニファンド千葉のチームカラーである赤色でまとめられた花々が目に鮮やかだ。
カァイブからプレゼントを贈られたことももちろん嬉しかったが、晴明は渡から日頃の労を労われているようにも感じて、より胸がすく思いがした。
「ピオニンは、ライリスに感謝の手紙を書いてくれました!」という野々村の声に、晴明は驚いて手を口に当てる仕草をする。もちろん、ピオニンは喋ることができないので、手紙を渡された野々村が代読する形だ。
手紙には普段ライリスにどれだけ助けられているか、またハニファンド千葉や自分にとってライリスがどれだけ大きい存在かが綴られていて、野々村の歯切れのいい声で読まれると、晴明の涙腺は刺激された。
どうやら昨日本当に成が書いたものらしく、手紙があることは知らされていたものの、文面までは知らされていなかったので、晴明はじっと内容に聞き入りそうになってしまう。
だけれど、動かないと生気が生まれないので、晴明は時折頷くなどのリアクションを織り交ぜて、ピオニンからの手紙を聞いた。会議室に戻ったら、改めてちゃんと読ませてもらおうと考えながら。
ハニファンドTVを終えてライリスたちは、そのままスタジアムを一周した。既に三〇分近く出ずっぱりの晴明は体力も削られていて、少し辛かったが、それでも表に出ている以上はライリスでいることはやめられない。
メインスタンドの前を歩き始めたライリスたちは、手頃なところで一度立ち止まる。それは莉菜と由香里が座るブロックの近くだった。
晴明たちはあくまでブロック全体に向けて手を振ったり、ポーズを取ったりする。由香里は手を振り返してくれて、莉菜はスマートフォンを構えていた。
その奥の顔はまだうまく笑えていなかったけれど、再び会えて晴明は確かな喜びを感じていた。莉菜がスタジアムに来られるまでに回復して本当によかったと、心から思った。
晴明たちが会議室に戻ってきたのは、間もなくゴールキーパーのウォーミングアップが始まろうかという頃だった。
晴明は一時間もしないうちにまたライリスに入って、選手入場に付き添わないといけないため、本来ならゆっくり体を休める必要がある。
しかし、晴明には休憩するよりもしたいことがあったので、筒井に許可を取って、桜子と一緒にボランティア用の黄色いビブスを着て、会議室の外に出ていた。
メインスタンドには、変わらず由香里と莉菜が座っていた。スタジアム外のキッチンカーで買ったソーセージの盛り合わせを食べながら、時折話しつつピッチを眺めていた。
桜子が声をかけると、二人とも食べる手を止めてくれる。莉菜の返事は少し小さかったものの、まだ万全とは言えないから仕方ないと、晴明は自分を納得させた。
四人は他の来場者の邪魔にならないように、コンコースまで上がって、手すりにもたれかかるように横一列に並んだ。桜子と由香里が隣り合って、晴明から見て莉菜は対極にいる。
今日はグリーティングができなかったから、せめて近づきたいともどかしく思ったが、簡単に事情を明かすことはできるはずもなかった。
「莉菜、本当に久しぶりだね。二ヶ月ぶりぐらい? 今日は来てくれてありがとね」
由香里と少し話した後、桜子は一つ隣の莉菜に向かって、明瞭な声で呼びかけていた。変に気遣ったりしないところに、かえって桜子なりの配慮が見える。
莉菜はただ頷くだけだったが、その表情は暗く曇ったものではなかった。
「だって、わざわざウチにライリスが来てくれたから。『待ってるよ』って、動きで伝えてくれたから。ライリスに会えるんだったら、フカスタには行ってもいいかなって。知ってる人とも、ここではあまり会わないし」
最後の一文は喜んでいいのか分からなかったが、晴明は自分がいいことをしたのだと誇らしくなった。莉菜の回復の一助になれたことが嬉しかった。
桜子が「えっ、ライリスが自分の家にやってきたの?」と驚く。晴明も慌てて、小さく目を見開いた。
「そうなんです。先週の土曜日、ライリスが私たちの家にやってきて。本当に何の前触れもなかったから、びっくりしました」
「そんなこと言ったって、お姉ちゃんがクラブの人に頼んでたんでしょ。じゃなきゃ、来るわけないじゃん」
あくまで突然やってきたとする由香里の態度は、すぐさま莉菜に見破られていた。何の理由もなくライリスがサポーターのもとを訪ねることは、ありえない。
当たり前のことなのに、こうもすぐに見破られると、晴明はわずかに苦笑いを浮かべてしまう。
「でも、突然ライリスがやってきて、やっぱり驚いたんじゃない?」
「それはまあそうだけど……」
「莉菜、びっくりしすぎて固まってたもんね。ライリスもちょっと困ってたし」
語尾を濁した莉菜を、とっさに由香里がフォローする。スタジアムは徐々に高揚感が高まりつつある。
だけれど、晴明は小さく頷く莉菜に、かすかな違和感を覚えた。それはたとえ、わずかでも無視はできなかった
「どうかしたんですか?」
「あっ、いえ。ライリスだって忙しいし、みんなのものなのに、家に来てくれたことが独り占めしているようで、何か申し訳なくて……」
「そんなことないですよ。そのみんなには、莉菜さんも含まれてるんですし、クラブの人に聞いたんですけど、ちょうどその日は、ライリスも予定がない日だったみたいで。だから莉菜さんが負い目を感じる必要なんてないですよ」
「そうですかね……。せっかくライリスは私のもとまで来てくれたのに、私はスタジアムに行ける確証がないままで……。今日は何とか来れましたけど、次のホーム最終戦に行けるかどうかは正直まだどうにも……」
そう言って、莉菜は俯きかけた。桜子や由香里が「そんなことないって」と励ますも効果は薄く、スタジアムの中でその一角だけ、少し重苦しい空気が流れ始める。
莉菜を励ますべきだ。それは晴明にも分かっていたが、うまく言葉が出てこなかった。
もしかしたら、ライリスがやってきたことで、莉菜にスタジアムに行かなければと、不要なプレッシャーをかけてしまったのかもしれない。そう考えると、自分に言える言葉なんてないように思える。
それでも、晴明は莉菜に顔を上げてほしくて、どうにか言葉を絞り出した。
「そんなことないですよ。確かにライリスからすれば、莉菜さんにはフカスタに来てほしいんでしょうけど、そんな強制する気はなかったと思いますよ。今シーズンじゃなくても来シーズンでもその先でも、いつかまた会えればいいって思ってたんじゃないですかね」
「何でそう言えるんですか……? 似鳥さん、その場にいなかったですよね……?」
しまったと晴明が後悔したときにはもう遅く、莉菜は軽く疑いの目を向けてきていた。まさか晴明がライリスに入っているとは思いもしないだろうが、何らかの関連性を疑われても仕方がない。
三人の目が自分に向いて、晴明は言葉につまった。弁解しなければと思うと、心は焦るばかりだった。
「す、すいません。僕自身が思ってることなのに、あたかもライリスが同じように考えてるみたいに言ってしまいました。そ、そうですよね。ライリスの気持ちは、一ボランティアである僕には分かるはずないですもんね。今のは聞かなかったことにしてください」
晴明はごまかしながら、胸が痛くなった。どうして自分が思ったことを正直に伝えることができないのだろうと、切なくもなった。
「いえいえ、似鳥さんにそう言ってもらえてありがたいです。私って自分が思うよりも、ずっと多くの人に存在を認められてるんだなって思いました」
かすかに目を細める莉菜に笑顔はなかったが、その言葉は晴明の心臓をついた。言葉通り受け取るには、胸がざわめきすぎている。晴明は曖昧な表情を見せて、小さく頷いた。
スタジアムにはアップテンポな音楽が流れ始める。フィールドプレイヤーがピッチ内アップを始める合図だ。
晴明は「じゃあ、僕らそろそろ待機室の方に戻らなきゃいけないんで」と、由香里と莉菜に告げる。二人の返事を聞くと、晴明は逃げるようにコンコースを後にした。桜子は配慮してか、晴明に声をかけようとはしていない。
背後からはサポーターが歌う応援歌が、スタジアムを揺らすように聞こえてきていた。
(続く)
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