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【小説】ロックバンドが止まらない(14)



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 高く昇った太陽の下では、日陰はほとんどない。強い日差しと地面からの照り返しが一体となって神原を苛む。見渡す限り逃げ場は見当たらなくて、神原はどうしてこんなに早く家を出てきてしまったのだろうと、軽く後悔してしまう。もっと家で涼んでから、開始時間間近を見計らって来ればよかった。

 同じことを与木たちも考えていたのか、使用開始時間まで一〇分に迫ったこの時間でも、ビルの前には神原しかいなかった。

 もしかしたら遅刻してくるのではないかと不安にもなったけれど、今の神原にできることは、三人を信じてただ待つことしかなかった。

 背負ったギターの重さも作用して、神原が額に汗をかいていると、少しして久倉がビルの前にやってきた。リュックを背負っただけの軽装を、神原は羨ましいと思ってしまう。

 久倉は神原の前までやってくると、「よっ。今日も暑いな」と声をかけてきた。本当にその通りだと思いながら、神原は頷く。使用開始時間間際にならないと、貸しスタジオの鍵は貸してもらえない。

「今日はハイスピの他にブルーシーツも合わせるんだよな。神原、ちゃんと覚えてきた?」

「ああ。夏休みに入って時間があったから、歌詞もギターもばっちり頭と身体に叩き込んできた。そういうお前はどうなんだよ。ドラム、大丈夫なんだよな?」

「もちろん。もう目を瞑ってでも叩けるぐらいに練習してきた。バンド掛け持ちしてて練習時間が足りないなんて言い訳は、したくないしな」

 そう気丈に言った久倉のことを、神原は頼もしいと思う。

 もう一つのバンドと掛け持ちをしていながら、久倉のドラムは安定していて、四人の中で最もミスが少ない。きっと今日も、何の問題もなく演奏できるくらいには仕上げてきているのだろう。

 苦労した末見つけたドラムが久倉でよかったと、神原は貸しスタジオに入るたびに感じていた。

「あっ、そうだ。この前貸してくれたカセットテープ、今日持ってきたから返すわ」

 久倉はリュックの口を開けて、ケースに入ったカセットテープを取り出した。タイトル欄に「#1~#6」と書かれたそれは、神原が作曲を始めてから今までに作った六曲全てを録音したものだ。夏休みに入る前に何気なく曲を作っていると話したら、身を乗り出すように久倉が「聴きたい」と言ってきたのだ。

 受け取った神原は、それをズボンのポケットに入れる。改めて訊くのは少し怖くもあったが、それでも訊いてみたいという思いは抑えられなかった。

「で、どうだった? つってもギターだけのシンプルな演奏だけど」

 久倉の感想が気になって仕方ないという思いを抑制し、神原はなるべくなんてことない口調で尋ねる。

 言い出す前の久倉の目が、かすかに光ったように見えた。

「いや、めっちゃよかった! 俺は作曲に関しては素人だから、出来がどうこうってのは言えねぇんだけどさ、でもこれをお前が何度も悩みながら考えて作ったところを想像して感動したよ! 俺、こういうデモテープ聴いたの初めてだったから、それだけで新鮮だった!」

 熱っぽく語る久倉の言葉は、神原には気恥ずかしささえ感じてしまうものだった。悪くは言われないだろうとは思っていても、ここまで褒められることは予想していなかったから、「そっか、ありがとな」という言葉にも、若干の照れが混じってしまう。

「本当に六曲とも全部がよくてさ! 素人の俺に言われても自信持てねぇかもしれねぇけど、お前才能あるよ! いや、お世辞とか身内びいきとか抜きで!」

 大げさなほどに褒めちぎる久倉に、神原はかえって小さな笑みをこぼしてしまう。神原をおだてようという意図は見えず、勢いのある言葉に照れくささとほんの少しのおかしさを感じた。

 でも、悪い感覚はまったくせず、称賛されたことは単純に自信になる。「才能がある」とは、今神原が最も人から言われたい言葉の一つだ。認められたことが、また曲を作るエネルギーになる。

「ああ、俺も手ごたえを感じてたからそう言ってもらって嬉しいよ」と応えると、久倉は神原から少し視線を外して、前を向きながら呟いた。

「あーあ、俺もオリジナルやりてぇな」

 その声は軽い思いつきではなく、本音の吐露に神原には聞こえた。「何? お前オリジナル興味あんの?」と相槌を打ってみる。

 すると、久倉は再び神原に視線を戻した。

「まあな。俺も中学のときからドラムやってて、そろそろコピーだけじゃ満足できなくなってきてるから。なんかゼロからイチを作り出してみたいなとは、ここ最近ずっと思ってる」

「なるほどな。それって福満たちには伝えてんのか? そっちの方が組んでる期間も長いんだよな?」

「いや、伝えてねぇ。あいつら好きな曲をコピーするだけで満足してるから。もちろんそれが不満ってわけじゃねぇんだけど、でもほんの少しだけ物足りなくはある」

「確認だけど、福満もベースの六角(むすみ)も、曲は作ったことねぇんだよな?」

「ああ。もしかしたらこっそり作ってるのかもしれねぇけど、少なくとも俺は何も聞いてねぇ。つうか、自分で曲を作ろうと思ったことすらあまりねぇんじゃねぇかな」

「そっか。文化祭が終わったらお前はそっちの方に専念しちまうもんな。俺たちは今はコピー曲のクオリティを上げることに集中しなきゃだし。うまく説得できたらいいよな」

 そう言いながら、神原は自分が口にした言葉の冷たさに気づいてしまう。

 自分たちは文化祭までの期間限定バンドだ。文化祭が終わったら、少なくとも久倉とはもう一緒に演奏できないことを再認識して、嫌になるほど暑いのに身体の中ではひそかな寒気を感じてしまう。

 それに意図せずとも突き放すような言い方になってしまったのも、バツが悪い。単に事実を並べただけでも、神原は負い目を感じてしまっていた。

「なあ、やっぱドラマーが曲を作るのって難しいのかな?」

 そうこぼす久倉の目は、切実さを帯びていた。だから神原は無理だと切り捨てることはできない。そもそも断言できるほど、詳しく知っていることでもなかった。

「いや、よく分かんねぇけど、無理ではねぇんじゃねぇの? ニードルズは四人とも曲作ってたわけだし。音楽理論とか作曲術とか勉強して、あとギターかキーボードも弾けるようになっといた方がいいかもしれねぇ。デモテープとか作りたいんならなおさらな」

「そっか。じゃあ、勉強したり、別の楽器練習したりしなきゃだな。やること山積みだ」

「そうだな。でもまあ気長にやれよ。俺たちにはいつまでに曲を作らなきゃっていう、期限や締め切りはねぇんだし」

「ああ、あまり焦りすぎずに一歩一歩着実にやってくよ」そう答えた久倉の目は、さきほどよりはいくらか落ち着いていたから、神原も自分は有用なアドバイスができたのだと思えた。意欲を示しているからには、実際に曲を作ってくる日も遠くないのかもしれないと感じられる。

 それからも、二人が少し話していると角を曲がって、園田の姿が見えた。さらに、そこから間を置かずに与木もやってくる。

 練習開始時間間際にやってきた二人を、神原は責めなかった。この暑さなら、なるべく外にいたくないと思うのは当然のことだし、咎めることで貴重なエネルギーを使いたくもなかった。

 全員が揃って、神原たちはすぐに貸しスタジオへの階段を下る。

 鍵を貸してもらってドアを開けると、室内は既に冷房が効いていて、それだけで神原は胸がすくような思いがした。

「お前、どういうことだよ」

 神原は久倉に呼びかける。当の久倉はまるで心当たりがないようで、「どういうことって何がだよ」と、純粋に気になる声を出している。

 昼休みを迎えた体育館裏は、校舎から聞こえてくる生徒たちの声も遠く、ある程度の静寂を持っていた。

 園田と与木も一緒にいて、バンドメンバー全員が集まっているなか、神原は四人でここに集まった理由について口を開く。

「今朝、福満から言われたんだけどさ、お前『これからは俺たちのバンドを優先したい』って、言ったらしいじゃんか。福満、まあまあ不満げだったぞ」

「ああ、そのことか」と久倉は、何でもないように応える。神原たちに向けられる目に、特別な感情は込められていない。

「別に言った通りの意味だよ。俺はこれから、お前たちのバンドに率先して入るようにするから。だってもう夏休みも明けて、文化祭も目に見える位置に入ってきたわけだし、お前らとしてもそっちの方がいいだろ?」

 久倉の言っていることは、神原たちからすれば間違ってはいなかったから、神原は強く反対しづらかった。文化祭に向けて演奏のクオリティを上げる必要があることは、言葉にしなくても四人ともが感じている。

 それでも、神原は喉に言葉が引っ掛かってしまう。それを声に出したのは園田だった。

「いや、確かにそっちの方が私たちとしてはありがたいけどさ、でもどっちにも優劣はつけたくないって久倉くん、言ってたじゃん。私としては、福満くんたちのことも大事にしてほしいんだけど」

「そうだぞ。文化祭が終わったら、お前はまた福満たちのバンド一本に戻るんだから。そのときになって、ギスギスした状態だったらやりにくいだろ」

 園田が久倉を諭したのに背中を押されて、神原も間接的にだが久倉に考え直すように言うことができた。

 もちろん自分たちのバンドにも力を入れてほしいが、それでも福満たちをないがしろにするようなことは、神原はしてほしくなかった。

 でも、久倉は平然とした表情を保っている。神原たちの言葉も意にも介していないかのように。

「あのさ、二つのバンドでドラムやるのって、お前らが思っている以上に大変なことなんだぜ。フレーズを覚えるのも一苦労だし、体力だって無限じゃないしな。このままどっちつかずの状態は嫌だし、どっちかに集中しなきゃいけないってなったら、そりゃ文化祭を控えてる方を選ぶだろ」

「……い、いや、お前はそれを分かってて、俺たちのドラムを引き受けたんだよな。だ、だったら最後まで頑張れよ……」

 与木の声は小さくて、語尾が消え入るようだったけれど、それでも神原たちの思いを代弁していた。他でもない久倉自身が決めたことだから、最後まで全うしてほしいと神原は感じる。

 それでも久倉は、表情をさほど変えていない。そう言われることも分かっていたかのようだ。


(続く)


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