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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(151)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(150)





 三者面談が終わった学生は、部活に参加せずに、保護者と真っすぐ帰ることになっていた。だから、晴明も後ろ髪を引かれる思いで校舎を後にするしかない。

 校門に向かって歩いている間、冬樹との間に会話は一切なかった。校庭や体育館から部活に励む学生たちの掛け声が聞こえてくる。普段は気に障ることもあるが、この日の晴明は親に反対されずに部活ができている学生たちを、羨ましいと思わずにはいられなかった。

 冬樹の車に乗って、二人は帰路を走り出す。去年買い替えたばかりの新車は、座席の広さやシートの質感が未だに晴明には慣れない。

 上総台に入学してからというもの、休日は部活ばかりで、冬樹の運転する車に乗るのは久しぶりだ。冬樹はちゃんと制限速度を守るし、歩行者がいなくても横断歩道手前で一時停止する。

 模範的な運転だったが、それが晴明にはかえってきまり悪く感じられた。

「まさか植田先生が、あそこまで分かってない先生だったとはな」

 赤信号に止まったとき、冬樹がぽつりと呟いた。愛想を尽かしたかのような言い方に、分かっていないのは冬樹の方だと晴明は言いたくなる。良いか悪いかは別にして、少なくとも植田は冬樹よりも自分の心情を汲んでくれている。

 だけれど、ハンドルを握る冬樹から有無を言わさない圧力を感じて、晴明は思うように口を開けなかった。

「部活よりも勉強が大事なことは分かりきってるのにな。大人になっても勉強はしなきゃいけないんだから、今のうちに勉強する習慣をつけておかないと、後々苦労するのは晴明本人なのに。そんな当たり前のことすら分かってないとは思わなかった」

 冬樹の言うことは完全に否定できない。なにより晴明のためという体裁を取っているのが性質が悪い。

 進まない車の中にいると、晴明には牢屋に閉じ込められているようにすら感じられてしまう。息が詰まりそうな空気に、窓を開けたいくらいだ。

「とにかく今のお前にとって、一番大事なのは勉強なんだからな。期末テストも近いんだろ? しっかり復習して、いい点取れるようにしないとな」

 そう言って、青になった信号を見て冬樹は車を発進させた。二人を載せた車は順調に帰り道を走っていく。家々が車窓に浮かんでは消えていく。

 西側の空は暮れなずんでいたが、晴明の視界には入ってはいなかった。

「ねぇ、お父さん」

「なんだ?」

「部活ってそんなに悪いことなのかな」

「別に部活が悪いとは一言も言ってないだろ。ただ、部活よりも大切なことがあるってだけだ」

 話しかけても、冬樹は晴明の方をちらりとも向かなかった。運転中だから当然だけれど、それでも晴明は寂しさを覚えてしまう。

 自分たちの間には、明確な壁があると感じた。

「お父さんはさ、もし僕が今以上に勉強をがんばったら、部活してるところを見に来てくれるの?」

「なんだ? 晴明は自分が着ぐるみに入ってるところを、お父さんに見に来てほしいのか?」

 ただ頷くだけでは伝わりそうになかったから、晴明ははっきりと「そうだよ」と言葉にした。

 顔を上げる。冬樹の横顔が、少し険しくなっているように見えた。

「何度も言わせるなよ。お父さんは着ぐるみに興味がないんだ。たとえ誰が入っていたとしても、それが実の息子だったとしても、見に行きたいとは思わない」

 冬樹の態度は頑なで、取り付く島もなかった。何を言えば心を動かせるのか、晴明には皆目見当もつかない。

 それでも、晴明はめげずに言葉を重ねた。

「あのさ、今度の日曜日に蘇我の方にあるフカツ電器スタジアムで、僕たちの出番があるんだ。ハニファンド千葉っていうサッカークラブが新潟で試合をすることになっていて、それをビジョンに映して生中継すんの。そこにアクター部も着ぐるみに入って参加するんだけど、よかったら来て、くれないかな……」

 真っ当な主張をしているはずなのに、冬樹の反応があまりにもなかったから、自信をなくした晴明は語尾を弱めてしまう。望みが薄いのは分かっていたけれど、それでも奇跡に期待する。

 だけれど、冬樹は「あのな、お父さんだって仕事で疲れてるんだ。休日ぐらいゆっくりさせてくれ」とにべもなく断った。氷のような冬樹の態度に、晴明はそれ以上何かを言う気をなくす。

 結局それから家に着くまで、二人は会話を交わさなかった。恐れていた沈黙は、想像以上に心地が悪くて、晴明は窓の外を見ながら、思わず泣きそうになってしまう。

 少しずつ点き始める街明かり。歩いて帰った方がマシだとさえ、晴明は感じていた。



 木曜日はアクター部の活動はなかった。桜子と渡、それに成の三者面談が重なったためだ。晴明と芽吹だけでは活動にならず、以前から分かってはいたけれど、晴明は寄る辺ない思いを味わっていた。桜子と一緒に図書館等で勉強することもできず、まっすぐ帰るしかない。

 一人で校舎を後にすると、どっと寂しさが押し寄せてくる。桜子や成たちアクター部の部員と一緒にいることが、心の支えになっていたのだと、晴明は改めて感じた。

 翌日の金曜日は、誰の三者面談もなく、部室には部員全員が揃った。最後に集まってからまだ一週間も経っていないのに、全員の顔を見られるのが本当に久しぶりなように晴明は感じられた。

 上総台高校では、顧問もしくはそれに準ずる人間がいなければ、部活を行ってはいけない。今日その役割を負ってくれるのは勝呂だった。一人で全員の様子を見るために、桜子と芽吹の裏方組も今日は屋外で晴明たちの練習を見学し、補助することになっている。

 一二月になって、季節は完全に冬に移り変わっている。動いていないと、さぞ寒いだろう。

 人の少ない校庭を、晴明たちは走る。いつも聞こえるかけ声がないことは、晴明に想像以上の違和をもたらした。自分たちが大勢の人間から見られているみたいだ。

 それに冬樹や植田との三者面談を経て、今年度限りでアクター部をやめなければならないという思いが、晴明には余計にのしかかっている。

 勝呂や部員たちの前だから、何事もなかったかのように振る舞いたかったけれど、晴明は自分の動きが固いのをはっきりと自覚していた。ダンスをしていても、トータルくんを着ていてもスムーズに動けない。早く切り替えないと、週末の出番に支障が出てしまいそうだった。

「どうしたんですか、似鳥さん? 私に話したいことがあるなんて」

 保護者の車も多く、混雑している駐車場。その片隅で、晴明は勝呂と向かい合っていた。

 練習が終わって、校庭から部室に戻るまでの間、晴明は勝呂に心配されていた。成や渡たちもいる前で打ち明けるのは気が引けたから、晴明は「後でまた話せますか?」と答えて、今に至っている。

 練習を始めた時間が早かったから、まだ空は明るい。でも、冷たい風が剥き出しの頬をぶってくる。

 晴明はおもむろに口を開いた。

「勝呂さん、今日の僕の動き、どうでしたか? 正直に言ってください」

「そうですね……。今までにないくらい動きがぎこちなくて、心配になるくらいでした。正直、今のままでは週末の出番も取りやめることを考えた方がいいようにさえ思えました」

「そうですか……。そうですよね。動きが固いのは自分でも分かってましたし、勝呂さんのおっしゃる通りです。切り替えよう、切り替えようとは思ってたんですけど……」

「どうしたんですか、似鳥さん? 何かあったんですか?」

 勝呂の目からは本気で晴明のことが気がかりな様子が見て取れた。この人なら信用できると、晴明は感じる。

「これは他の部員には言わないでほしいんですけど」と前置きをして、晴明は正直に打ち明けた。

「僕、来年の三月でアクター部をやめるかもしれないんです」

 寝耳に水といったような顔をしている勝呂に、晴明は三者面談で話題に上ったことをあらかた説明した。冬樹がアクター部の活動を快く思っていないことや、二年生になったら勉強に集中するよう迫っていることなど、現時点で話せることを洗いざらい話した。

 勝呂は驚きはしていたものの、話の腰を折らずに最後まで聞いてくれた。

 駐車場から車が出ていく音がする。一昨日のことを思い出して、晴明の胸は締めつけられるようだった。

「そんな大変な状況に似鳥さんは置かれていたんですね。気づくこともできず、すみませんでした」

「いえ、僕が言っていないのがいけないんです。胸に抱いてる思いは、言葉にしないと伝わりませんから」

 晴明がそう言っても、勝呂は小さく頭を下げてきた。少しだけ伏せられた目から、自分事として一緒に悩んでくれているのが分かる。

 だから、そこからしばし会話が止まっても、晴明はさほど嫌な思いはしなかった。簡単に結論が出るようだったら、こんなに深刻に考えてはいない。

「確認ですけど、似鳥さんは二年生になってからも、アクター部を続けたいんですよね?」

 慎重に聞いてきた勝呂に、晴明は首を縦に振った。明確な言葉にするだけの余裕は、今の晴明にはなかった。

「私から見ても、似鳥さんはアクター部に必要不可欠な存在ですし、困りましたね……。そこまで頑なだと、ちょっとやそっとのことでは動きそうにないですし……」

 冬樹が梃子でも動きそうにないことは、晴明にだって分かっている。それでも何とかしてほしいからこうして相談しているのだ。

 晴明は縋るような目を勝呂に向ける。何でもいいから状況を改善させる提案がほしかった。

「似鳥さん、何だったら私が直接似鳥さんのお宅にまで伺って、お父さんに直談判しましょうか? 似鳥さんなしでは、アクター部は成り立たないと」

 真剣な目で言われて、晴明は勝呂が家に来たときのことを想像した。だけれど、アクター部の関係者と名乗ったら、冬樹に門前払いされてもおかしくない。

 それに、仮に冬樹が話を聞いてくれたとしても、勝呂が帰った後で、自分が責められるだけだろう。

 小さな期待さえ持てなくなる程度には、晴明はもう冬樹のことを信頼できなかった。

「あの、お気持ちはありがたいんですけど、それは勝呂さんにも負担がかかりますし、いいかなと……」

「そうですよね。教師でもない人間に家まで来てほしくないと、似鳥さんが考えるのもおかしくないですよね。でも、だったら電話で話すのはどうですか? お父さんかご家庭の電話番号を教えていただければ、都合のいい時間帯に話せますけど」

「あの、たぶんそういう問題じゃないと思うんです。別に勝呂さんを信用していないわけじゃないんですけど、父は勝呂さんの言葉には耳を貸さないと思うんです。僕たちだけじゃなくて、スーツアクターという職業そのものを少し軽んじている節があるので」

 失礼なことを言っているという自覚はあったから、晴明は勝呂から軽く視線を外した。周辺視野で見る勝呂の表情はどこかやるせなさが漂っていて、こんな顔をさせてしまって申し訳ないと思う。

 全部冬樹のせいだと簡単に決めつけることもできなくて、晴明は再び言葉に詰まってしまう。

 結局、勝呂は「やはり一番は、似鳥さんが着ぐるみに入っているところを見てもらうことじゃないでしょうか」と、当たり前の結論に回帰していた。そんなことは分かっていると言いたくなる気持ちを抑えて、晴明はおそるおそる尋ねる。

「どうやったら父は、僕のことを見に来てくれるでしょうか……?」

「そうですね……。お母さんには、アクター部をやめたくないことは話してるんですよね」

「はい。母の方からも、一回は見に来てよと言ってくれています。でも、それでも父はなかなか首を縦に振ってくれなくて……」

 状況を確認すればするほど、晴明は絶望的な気分になってくる。このままバッドエンドを待つしかないのかと、泣きたくさえなった。

「すみません、似鳥さん。今の私にはこうすればいいという解決策は思いつかないです。似鳥さんが苦しんでいるのに力になれず、本当に申し訳ありません」

 勝呂は今度は深々と頭を下げた。誰にも見られてはいなかったが、バツが悪かったので、晴明はすぐに頭を上げるように促す。

「いえ、大丈夫です。僕も勝呂さんに話せたことで、少しだけですけど、気が楽になりましたから」

 思ってもいないことを口にする。少しだけでも光が見えた。そう思わなければ、晴明はやっていられなかった。

「本当にすみません。でも、これからは私も一緒に考えますから。幸いお父さんに定められた期限まで、あと四ヶ月あるんです。それまで何とか一緒に、解決策を捻りだしましょう」

 何も思い浮かばなかったらと、最悪の想定が脳裏をかすめたが、晴明は何とかそれを表情に出さないように努めた。

 親身になって考えてくれる大人が、ここにもう一人いるのだ。そう考えると、かすかに希望が見えてくる。

 その場しのぎのまやかしだと分かっていても、今の晴明はそれに縋りつくしかなかった。

 車がまた一台、駐車場から出ていく。密度の下がった駐車場は、信じがたいほど冷たい風を晴明たちに運んできていた。


(続く)


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