【小説】ロックバンドが止まらない(35)
一年生三人組のバンドの演奏を、神原たちは観客席で聴いていた。ブルーシーツのコピーを中心とした選曲で演奏自体にミスは多少あったものの、それでも目を覆いたくなるほど下手というわけではなく、何より一生懸命演奏しようとしている姿が、神原の目には好ましく映る。だから、神原もリズムに合わせて身体を揺らすことができた。
観客席も神原たちのときよりは静かだが、まるっきり無反応というわけでもない。身体を揺らしたり、前列の観客は手を振り上げたりもしていて、これならステージに上がっている三人にも、いくらか良い思い出として今日のことが記憶されそうだと、神原は感じた。
それからもバンドのライブや有志によるグループダンスや漫才、短めの演劇などを神原は観客席に座って見続けた。
神原たちの出番は終わったから、本当はもう帰ってもいいのだが、それでも神原たちは全員で体育館に留まり続けた。
最後の文化祭が、着実に終わっていく。だから、せめて神原はもう二度と味わえない雰囲気を、感じられるだけ感じていたかった。
最後のステージ発表が終わると、文化祭はそのまま閉幕式に移る。体育館にも神原たちがライブをしていたときよりも人が増えてきた。
司会の二人の進行で文化祭実行委員長と校長先生が軽く挨拶をして、閉幕式はそのまま最優秀ステージの表彰に移る。去年は三年生のダンスチームが獲得した賞だ。
司会の二人が、何かが書かれた紙を実行委員から受け取る。そして、二人はそれを声を合わせて読み上げた。
「最優秀ステージ発表は、Chip Chop Camelの皆さんです! おめでとうございます!」
そう発表されたとき、神原は体育館が湧き立つことを感じた。多くの観客が手を叩いて、受賞した神原たちを祝福している。
神原も当然、嬉しいことには違いない。それでも、さほど意外なことだとも神原は思っていなかった。
贔屓目を抜きにしても、トップバッターである自分たちのライブが、ステージ発表の中で一番盛り上がっていた。だから、最優秀ステージ発表を受賞する可能性も決して低くはない。おそらく口にしなくても四人ともがそう感じていたことだろう。
でも、去年は受賞できなかったから、神原は素直に喜ぶことができる。別にこの賞の受賞だけを目標に取り組んできたわけではないが、それでも自分たちのライブが今これ以上ない形で評価されたことに、神原は充足感さえ抱いていた。
「受賞されたChip Chop Camelの皆さんは、どうぞ壇上へお上がりください!」
司会の二人に促されて、神原たちは観客の間を潜り抜け、舞台袖からステージに再び上がった。
神原たちが登場すると、観客席には再び拍手が巻き起こる。まるで全員が称賛を送っているようで、その中にはライブを見てくれたクラスメイトや友人、達雄や祥子などといった自分たちの両親の姿も、神原たちはしっかりとその目に捉えられる。
満ち足りた光景に、神原はこの良い気分のまま高校生活が終わってほしいと感じていた。
校長先生から「おめでとう」と、四人を代表して神原が最優秀ステージ発表の賞状を受け取ると、三度観客席から拍手が飛ぶ。
司会の二人に今の感想を尋ねられて、「ありがとうございます! 三高祭最高です!」とテンション高く答えられたのも、きっと神原が舞い上がっていたからだろう。
でも、その言葉は観客席をより盛り上げる役割を果たし、ステージを降りる瞬間まで、神原たちは引き続き大きな拍手に包まれた。
高校生活でここまでの達成感を得られる人間は、そう多くないだろう。
自分たちが元いた場所に戻っても、神原の表情はしばらく緩んだままだった。
最優秀ステージ発表も受賞して、その後のファミリーレストランでの軽い打ち上げも、話が弾んで心から楽しいと思える時間だったけれど、いつまでも神原たちは文化祭でのライブの成功に浸ってはいられない。
練習で二の次にしていた受験勉強も、いい加減本格化させなければならないし、それ以前に翌々週にはもう次のライブが控えている。だから、神原たちに気を抜いていられる時間はさほどなかった。
文化祭の翌週末には再び貸しスタジオに入って、演奏を合わせる。セットリストは文化祭でのライブからは大まかには変わらないものの、それでも途中に一曲文化祭では演奏しなかった新曲が入る。
一曲増えるだけで、ライブの雰囲気や流れは別物になるから、神原たちは新曲を中心に、より入念に自分たちの演奏について確認し合う。それでも文化祭で得た手ごたえはしっかりと血肉となって、神原たちを支えてくれていた。
前日に本番同様全曲を通して練習して、神原たちは一一月二七日を迎える。
ライブ本番のこの日は、朝から厚い雲が空に広がる肌寒い日だった。降水確率は二〇パーセントと予報されているが、空模様を見ているとそれ以上に雨が降る確率は高く神原には感じられてしまい、もしかしたら集客に影響が出るかもしれないと危ぶんでいた。
一一時に吉祥寺駅に集合した神原たちは、そのまま井の頭線に乗り、ライブハウスの最寄り駅である下北沢駅を目指す。そのまま四人が会場であるCLUB ANSWERに到着したのは、正午を回る少し前のことだった。
自分たちの前に出演するバンドはリハーサルの準備をしているのか不在で、フロアには黒島をはじめとした数人のスタッフしかいなかった。それでも人がほとんどいないフロアにも、二回目だから神原たちは多少慣れてきていた。
四人は一組目のリハーサルが始まる前に、黒島に挨拶に行く。「今日は呼んでいただきありがとうございます。よろしくお願いします」といった挨拶と同時に、自分たちに課されたチケット一二枚を全て販売できたことを報告すると、黒島はまるで自分のことのように喜んでくれた。神原としても自腹で買い取りという事態を免れたことに、改めて安堵する。
「天気持ってくれるといいね」と言った黒島に、神原たちは全員が「本当ですね」と頷いていた。
神原たちが自分たちの前にリハーサルで見たバンドは、四人全員が初めて見るバンドだった。もとより今日出演する他の三組は、全組が神原たちには名前を聞いたこともないバンドだったし、そもそも高校生でインディーズシーンを網羅するのはかなり難しい。
ギターボーカルが女性でベースとドラムが男性という編成のバンドが演奏する曲に、神原はポップさと親しみやすさを覚える。
前は聴くどころじゃなかった他のバンドのリハーサルも、多少なりとも余裕が出てきたおかげで、神原の耳にはちゃんと届くようになっていた。
一組目のバンドがステージから降りると、すぐに神原たちのリハーサルの順番になる。
ステージに上がった神原たちはテキパキと準備を進め、限られたリハーサルの時間を、一秒でも長く曲を合わせることに割いた。やはり四人とも緊張はしていたから、神原はここで「大丈夫だ」という安心を得たかった。
PAの人間に音のバランスを最適な状態に調整してもらってから、神原たちは曲の試奏に入る。プレッシャーが比較的少ない状態だからか、四人の演奏はうまく噛み合い、神原の心は少しずつ落ち着いていく。
与木たちも、文化祭でうまくいったイメージを保てているらしい。リハーサルの時点では演奏に固くなっているところは見られなくて、神原は必要以上に気負わずにいられた。
リハーサルを終えると、神原たちは全員でどこかに昼食を食べに行こうと、ライブハウスから外に出る。
でも、ドアを開けた瞬間、神原の目はぽつりぽつりと小さな雨粒が降っていることを捉えた。路面がまださほど濡れていないことを見るに、ついさっき降り出したらしい。
それでもまだ傘を差すような雨ではなかったので、神原たちは多少急いで近くの中華料理チェーンに向かった。このまま雨は酷くならないうちに上がってくれるだろうと、神原は根拠のない期待をした。
食事を終えて神原たちがライブハウスに戻る間も、雨は小雨だけれど降り続いていた。
当然神原たちは四人とも傘を持参してきているものの、それでも雨が強くなってしまうのではないかと神原は気が気ではない。
そしてそれは誰かと誰かの会話の中で漏れ聞こえてきた、「雨、本降りになってるらしいよ」との言葉に現実化してしまう。神原は確認には行かなかったものの、それでもまた別の誰かが外を覗いて帰ってきて、「マジじゃん」と言っているのをみると、本当のこととして受け入れざるを得ない。
自分たちの親は来てくれる可能性はあるが、それ以外の人間はこんな雨の日にわざわざ来てくれる可能性は、ぐっと下がってしまうだろう。
今日の出演者全員が三枚ずつチケットを販売したとしたら、来てくれる観客の見込み数は五〇人を超えるが、それだけの人が入ってくれるとは、神原にはあまり思えなかった。
開演時間の三〇分前になると、神原たち出演者はやはり全員で、広いとは言えない楽屋に押し込められる。
いくつも年が離れているように見える初対面の人間に、自分から話にいける性格を神原はしていなかったから、この日も楽屋の奥で与木と一緒にじっとしているしかない。何の気兼ねもなく話せている園田や久倉が、羨ましく見える。
それでも、向こうから話しかけられれば、少なくとも神原は粗相のないように応えることができた。年齢差や高校生が物珍しいことを差し引いても、ちゃんと会話を成立させられる。
それは神原が、人が大勢入った楽屋の雰囲気に少しずつ慣れてきたからに他ならなかった。
開演時間をきっちりと守るように、神原の腕時計が一七時を指した瞬間、客入れで鳴っていた音楽は止み、一組目のバンドの登場SEと思しき、オルタナティブロックがライブハウスに流れ出す。
歓声こそ起きなかったものの、壁を伝うように流れてくる空気から、神原は一組目の三人がステージに上がったことを感じた。
三人が演奏したのは英語詞の曲だった。心地よく感じられる穏やかなリズムに合わせて、伸びやかな女性ボーカルの歌声がフロアに響く。ゆったりとした落ち着いた入り方は、神原の耳にもよく馴染む。
前回はやってくる自分たちの出番のことしか考えられなかったけれど、一度経験を積んだことで神原には少しだけれど、余裕のようなものが生まれつつあった。
一組目のバンドはそのまま悠然と浸れる雰囲気を保ったまま、三〇分間の持ち時間を終えた。観客のボルテージを引き上げるようなライブとは少し違ったものの、いい具合に観客の緊張を軽減し、音楽を受け入れやすい態勢を作ってくれたことは、神原たちにはありがたいことこの上ない。
実際に演奏している本人たちにも手ごたえがあったのか、他のバンドのメンバーとリラックスした様子で話をしている。
楽屋に気負った空気はほとんどなくて、ステージに向かう神原たちの背中を優しく押してくれていた。
(続く)
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