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【小説】ロックバンドが止まらない(85)


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 観客の話し声が、かすかなざわめきとなって神原たちの耳に届く。目の前のステージには、既に自分たちの楽器が準備され、演奏されるときを今か今かと待っている。深く息を吸おうとしても、なおやまない緊張。

 六月も折り返しを迎えた土曜日。神原たちはメジャーデビューしてから初めてのライブを迎えていた。

 とはいってもワンマンライブではなく、三組が出演するライブイベントのトップバッターだ。

 ライブハウスに流れている緊張は、きっとライブが始まろうとしている今がピークだろう。このライブハウスにはインディーズのときに一度だけ出演したことがあるものの、それは神原の速まる鼓動を静めることには寄与しない。

 それでも、与木たちがただ側にいてくれるだけで、神原にはいくらか心強く思える。この四人でステージに立つ。そのこと自体は、インディーズのときと何も変わらない。

 だから、神原は必要以上に緊張する必要はないと思えた。それを実現することは難しくても。

 ライブ開始の定刻通りにフロアの照明は落とされ、ライブハウスには神原たちの登場SEが鳴り渡る。インディーズのときと変わらない、神原たちにとってはもう何十回も聴いてきた曲だ。

 だから、半ばルーティンに乗せられるようにして、神原たちは適当なタイミングでステージへと歩き出した。最初に久倉がステージに登場したときには、フロアから小さくても確かな拍手が鳴る。それは園田や与木、神原が姿を現すときにも続いていた。

 ギターを構えながら、神原はざっとフロアを見渡す。具体的な人数は分からないが、二〇〇人のキャパシティのフロアは半分以上が観客で埋まっているように見える。

 凪いだ表情をしている者もいれば、期待するような眼差しを向けている者もいる。その光景に神原は、自分たちを楽しみに来た観客も少なからずいるのだろうと察する。『FIRST FRIEND』が発売後一週間で五〇〇枚を売り上げたことは、紛れもない現実だと改めて知った。

 登場SEが鳴り止むと、ライブハウスには息を呑むかのような空気が漂った。それは人数が多い分、より重大なものとなって神原たちに迫る。

 そんななかで神原たちは束の間観客に背を向けて、アイコンタクトを交わして一斉に最初の一音を鳴らした。振り返って観客に向き合って、神原たちは適当なコード、適当な音を鳴らし続ける。

 ギターを鳴らしながら神原が「Chip Chop Camelです! 今日はよろしくお願いします!」と呼びかけると、観客も小さな拍手で応えてくれる。まるっきり無視をされなかったことに、神原は今日ここに来ている観客は音楽を聴きに来ているのだと、当たり前のことを再認識した。

 フォーカウントを口で言った久倉に合わせて、神原たちは一曲目の演奏になだれ込む。『FIRST FRIEND』に収録されている「SIXTY DICE」だ。与木が作ったこの曲は二分半に凝縮された演奏時間を、疾走感のあるリズムで駆け抜ける、『FIRST FRIEND』の中でもガレージ色が強い曲だ。

 出だしから神原たちの演奏はぴたりと合って、一体となった音の波をフロアに届ける。神原としてももう何十回も練習してきた曲だから、演奏も歌も身体に染みついている。

 それはきっと四人ともがそうなのだろう。足並みが揃った演奏ができていることに、神原はバンド練習の成果を思い、気分が引き上げられていく。

 観客の反応も良好だ。全員ではなかったが、何人もの人が身体を揺らしてリズムに乗ってくれていて、『FIRST FRIEND』を聴いてきてくれていることを、神原は感じる。

 今日のトップバッター、しかもその一曲目ということでフロアにはまだ若干硬さが見られたものの、それでもライブハウスに響き渡る自分たちの音楽は決して悪くも劣ってもいないと、神原には思えていた。

「SIXTY DICE」に続いて、二曲目も神原たちは『FIRST FRIEND』の収録曲である「WHITE SEA」を演奏した。少しテンポは落ちるものの、それでもノリのいいシンプルなエイトビートが観客の鼓膜を揺らす。

「SIXTY DICE」で、神原たちに好感を持ってくれた観客もいたのだろう。フロアの雰囲気はわずかでも良い方向に変化していて、神原たちを鼓舞する。サビでは腕を振り上げてくれる観客さえ現れて、演奏しながら神原は高揚感を覚えつつあった。

 だけれど、まだまだ足りないという思いもある。インディーズ最後のライブはもっと盛り上がっていた。せめてそのレベルまではフロアの雰囲気を持っていきたくて、神原は自分たちの演奏により意識を向ける。

 全員が当然のように集中しているからか、観客にも分かってしまうほどの大きなミスは、ここまで誰も犯していなかった。

 三曲目に演奏したインディーズ時代の曲も、観客には自然に受け入れられていた。それは曲自体の良さもあるけれど、インディーズ時代の曲も押さえてくれている観客がいたことも大きいだろう。

 実際、フロアには何人か神原にも見覚えのある人物がいる。それは、インディーズ時代から複数回神原たちのライブに足を運んでくれている人で、メジャーに行っても相変わらずライブに来てくれていることに、神原は感謝の念を抱かずにはいられない。

 チューニングとごく短いライブMCを挟んでから、神原たちは四曲目の演奏を始めた。

 夏にリリースするファーストシングルのリード曲に決まっているこの曲は、ライブでは今日が初披露だ。だから、イントロが始まった瞬間に「この曲は何?」とでも言うような、声にならないかすかなどよめきを神原たちは体感する。

 でも、その反応は四人ともが織り込み済みだったから、演奏に乱れが生じることはない。

 それに記念すべきファーストシングルだから、神原たちは自分たちの曲の中でも、とりわけ明るい曲調のキャッチーな曲を選んでいる。演奏もできる限りシンプルにし、こみいったことはしていないつもりだ。

 そのことが観客にも伝わったのだろう。曲が進むにつれて少しずつリズムに乗る観客は出始め、目立った反応は示されなかったものの、それでも少なくない観客がこの曲を受け入れてくれていることを神原は肌で感じる。

 正直な話、今日のライブでの演奏は試行の意味も含められている。ここで反応が芳しくなければ、アレンジを変更することも神原たちは視野に入れていた。

 それでも、自然な表情をしている観客たちを見るとこの曲で、このアレンジで間違いないのだと神原には思える。このままの演奏で来月の初めに控えているレコーディングにも臨めそうだと感じられた。

 五曲目に『FIRST FRIEND』の収録曲、六曲目にインディーズ時代の人気曲を、神原たちは立て続けに演奏する。少しテンポを落としたミドルテンポの曲やバラード調の曲でも、多くの観客がじっと自分たちを見上げてきてくれていて、神原たちの演奏はまだ観客の心を留められていた。

 ゆったりとした曲調だからこそ細部にまで気を配った演奏は、ライブハウス全体を大らかに包んでいるように、神原には感じられる。

 六曲目を演奏し終えると、神原たちはメンバー紹介も兼ねたライブMCに入った。インディーズのときと変わらず、園田からメジャーデビューを果たした今の心境や、軽く最近の出来事について一人ずつ喋っていく。

 園田が「今日を迎えられて本当に嬉しい」と言うと、久倉も「メジャーデビューができて、周囲にとても感謝している」という旨を簡潔に話す。与木は相変わらず「今日は来てくれてありがとうございます。最後まで楽しんでいってください」というくらいのことしか言えなかったが、性格を知っている神原たちには一向に構わなかった。

 神原も今日を迎えられた喜びやライブが楽しいと言うことを喋る。一つか二つ冗談を挟むことさえできて、フロアもかすかに笑ってくれていた。そのことに神原は、自分たちは硬さのあったフロアを音楽を楽しめる雰囲気に少しでも変えられるようなライブができていると自覚する。

 まだレコーディングはしていないから、ファーストシングルが発売になることは言えない。それでも、神原たちは弾んだ心地のまま、次の曲へと入ることができていた。

 ファーストミニアルバムの表題曲でリード曲でもある「FIRST FRIEND」だ。

 四人が久倉のカウントを基に揃って演奏を始めたとき、神原はフロアがほんのわずかにでもどよめいたことを感じた。もう何年も前からある曲で、ほとんどのライブでも演奏しているからそれだけ浸透度が高いのだろう。リズムに乗ってくれる観客も目に見えて増えてきている。

 それは神原たちにも大きなエネルギーを与え、演奏に一段と熱を持たせる。神原も力の限りギターを弾いて歌う。何度演奏してもその度に返ってくる反応に、神原はこの曲を大事にしてきてよかったと改めて感じていた。

 神原たちのメジャーデビュー後初めてのライブは、四人ともに確かな手ごたえを感じられるほどの内容を見せて終わっていた。

 きっとフロアには神原たちの後に出演するバンドのファンや、メジャーデビューを機に神原たちを初めて知った人も多かっただろう。

 それでも、ステージに立って演奏するという神原たちがなすべきことは、インディーズのときと何も変わらない。

 練習でできていた通りの演奏を発揮していた神原たちに、観客もしっかりと目と耳を向けることで応えてくれていた。特に『FIRST FRIEND』からのラスト二曲は、サビで手を振り上げてくれる観客も現れて、自分たちの演奏が少なくともその人たちの心を掴んでいることに、神原は胸が熱くなる思いがした。

 ライブ後に物販に立ったときにも、直接自分たちからCDを購入してくれた人もいて、それは今日の自分たちのライブがうまくいった、何よりの証だと思える。これからの活動も高いモチベーションで臨めると、神原は強く感じていた。


(続く)


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