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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(144)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(143)






 晴明が家に帰って仮眠を取り、夕食を食べていると、時刻はあっという間に夜の九時を回っていた。

 意を決して、ラインからその相手の連絡先を探し、通話ボタンをタップする。呼び出し音が鳴っている間、緊張で晴明はわずかに鳥肌が立った。

 電話がつながる。相手は不思議そうに声を発した。

「もしもし、似鳥。どうした? 電話してくるなんて珍しいじゃんか」

 樺沢の声が聞けたことに、ひとまず晴明は安堵したが、すぐに本番はここからだと思い直す。切られないように、なるべく慎重に答えた。

「すいません、樺沢さん。ちょっと訊きたいことというか、話したいことがありまして。今ってお時間大丈夫ですか?」

 急な晴明の電話も、樺沢は快く受け入れてくれた。おかげで晴明は変に気張ることなく、話を始められる。内容はもちろん勝呂のことで、一回先輩たちに話した分、晴明は要点を整理して樺沢に伝えられた。樺沢は話の腰を折ることなく、適度に相槌を打ちながら聞いてくれたから、晴明としても話しやすい。

「そっか。勝呂さんはゴロープロダクションの経営を継ごうとしてんのか。全然知らなかった」

 咀嚼するように、樺沢は晴明が言ったことを繰り返した。素直な口調に嘘はなさそうで、経営の話は勝呂と五郎の間でだけなされていたのだろうと、晴明は察した。

「まあ、勝呂さんが経営を継ぎたいって言うなら、俺は別に反対しないけど、似鳥やその先輩たちは、それじゃ嫌なんだよな?」

「はい。無責任な言い方かもしれませんけど、まだ勝呂さんにはアクター部の指導をしていただきたいです」

 晴明は声に力を込める。電話越しではそれくらいしか、樺沢に思いの丈を伝える方法はなかった。

 樺沢は悩むような声を出して考えこんでいる。晴明は事態がいい方向に向かってくれるようにと、願うことしかできない。

「うーん、似鳥たちの気持ちも分かるんだけど、肝心なのは勝呂さんがどう考えてるかだからなあ。まだ明確な返事はもらえてないんだろ?」

「はい。直接訊いてみたんですけど、はぐらかされてしまいました」

「だったらさ、俺たちがどうこうすんのは、おせっかいになるんじゃねえのかな。もしかしたら、勝呂さんは一人で考える時間がほしいのかも知れねえし」

 相手の立場に立って考えろという、樺沢の主張はもっともだった。だけれど、そんな当たり前は今の晴明たちを少しも助けない。たとえ勝呂がどう思っていようと、自分たちの考えを伝えたい。

 それが単なるエゴに過ぎないのは晴明も承知していたが、このままなし崩し的に別れてしまうことは想像したくなかった。

「樺沢さん。おせっかいかもしれないのは僕たちも分かっています。僕が今してるのも、いい行動ではないかもしれません。でも、たとえそうだとしても、僕たちはまだ勝呂さんの指導を受けていたいんです。勝呂さんは、もうアクター部の一員になっているんです。こんなに早くさよならをしたくありません。どうか、樺沢さんの力を貸していただけないでしょうか。お願いします」

 電話の向こうの樺沢には見えないのに、晴明は思わず頭を下げた。

 束の間の沈黙が生まれる。断れるかもしれないと考えてしまって、晴明は俄然不安になった。

「……分かったよ。何とかならないか、五郎さんや他のアクターさんにも話してみる」

「本当ですか!?」

「ああ。俺だって似鳥や文月たちが悲しんでるところは、想像したくないしな。うまくいく保証はできないけど、できるだけ動いてみるよ」

 不安になっていた分喜びも大きくて、晴明はスマートフォンを落としそうになるほど興奮した。まだ何かが変わったわけではない。だけれど、かすかでも事態がよくなりそうな兆しが見えて、晴明は喜びに駆られる。「はい!よろしくお願いします!」と、声でしか伝えられないのがもどかしいほどだ。

「うん。何かあったらまた連絡するわ」と樺沢が電話を切った後も、晴明の喜びは続いた。小さくガッツポーズを作る。

 心強い味方を得て晴明は、きっと勝呂は残ってくれると楽観さえ抱けるようになっていた。



 しかし、それから三日間、樺沢から連絡はなかった。すぐに決まるような事柄ではないのは分かっていたが、それでも何の音沙汰もないと、たとえ短い時間でも晴明は不安になってしまう。今週でいきなりやめることはないとは思うが、それでも勝呂が自分たちを見てくれる期限が刻々と迫っているようで、気が気でなかった。

 練習にもどこか身が入らない。動きが小さくまとまっていて、勝呂が見ていたら注意されそうだ。けれど、それは渡や成も同じで、練習に打ちこもうとしても懸念が邪魔をしているようだ。

 西校舎裏に漂うぎこちない雰囲気に、晴明は黙っていた方がよかったかもしれないとさえ感じていた。

「なあ南風原、それに似鳥。ここ最近あまり集中できてないだろ。まあ俺もあまり人のこと言えた義理じゃねぇけどさ。もっと気引き締めてこうぜ」

 学校を出て最初に口を開いたのは、渡だった。部長という立場上、自分から話を切り出さなければならないと思ったのだろうか。

 空は五時でももう暗い。気温も急激に下がって、冬がすぐそばまで近づいている。

「うん。私もそうしたいんだけどさ、意識しないようにって思うと、逆に意識しちゃって。何も考えないなんてできっこないよ。ねぇ、どうなの似鳥? その樺沢さんからは何か連絡あった?」

「いえ、まだです。動いてはくれてると思うんですけど……」

 まるで自分のせいみたいで、晴明はバツが悪く感じてしまう。周囲には自分たち以外に歩いている人はない。桜子と芽吹には、アクター組で話したいからと先に帰ってもらった。

 先輩たちと三人きりで、頼れるものは何もない。足を動かすだけで、不安に身体を絡めとられそうだ。

「とにかく明日こそは集中しねぇと。せっかく勝呂さんが来てくれるんだから、無様な姿は見せらんねぇよ」

「そうだね。余計な心配はかけないようにしたいよね。ただでさえ勝呂さん、悩んでるんだから」

 渡や成は相手よりも、自分に言い聞かせるように言っていた。だけれどここ二日の練習を見て、すぐに切り替えられるとは晴明には思えなかった。きっと明日も集中力を欠いて、勝呂に何かあったのかと勘づかれてしまうだろう。

 考え方を変えなければいけないと、晴明は直感した。

「渡先輩、南風原先輩、少し思ったんですけど」

「何?」

「僕たちの気持ちを明日、直接勝呂さんに伝えてみるのはどうでしょうか?」

 三人の足は、赤信号でいったん止まる。それと同時に、絶え間なく流れていた空気も、一瞬止まったように晴明には感じられる。渡も成も目を見開いていた。

「それって、勝呂さんに『やめないでください』って直談判するってこと?」

「まあ、端的に言えば」

「でも、俺たちが気持ちを伝えたところで、現実は何も変わんなくないか? ゴロープロダクションの経営を誰がやるのかは、まだ話し合ってる最中なんだし」

 冷静な渡の見解が妥当だということは、晴明も分かっていた。争点が感情論ではどうにもならない、ビジネスの領域にあることも。

 それでも晴明は黙らなかった。顔を上げて、思いのままに言葉を吐き出す。

「それは百も承知です。僕たちが何を言ったところで、無駄かもしれないことも。だけれど、渡先輩や南風原先輩はこのままでいいんですか? もしこのまま勝呂さんとお別れすることになったら、悔いが残りませんか?」

「似鳥の言うことも分かるけど、勝呂さんは経営を引き継ぐことに前向きかもしれないしな……。俺たちが気持ちを伝えることで、余計な迷いを生じさせる可能性だってあるし……」

「渡先輩。あくまでも決めるのは勝呂さんです。僕たちじゃありません。なら結果がどうであろうと、僕たちがどう思ってるかを、伝えてみてもいいんじゃないでしょうか?」

 勝呂の身になって考えている渡の方が正しいことは、晴明も知っていた。自分たちがやろうとしていることは、子供のわがままにすぎないのではないかとも思う。

 それでも、晴明は渡を説得することを諦めなかった。このままで終わりたくないという思いが、晴明を突き動かしていた。

「そうだよ、マト。『まだ来てほしい』って、言うだけ言ってみようよ。私はここで何も言わず、勝呂さんと別れることになったら、卒業までずっと後悔すると思う。マトだって、勝呂さんにはいつも感謝してるでしょ?」

 加勢するように成も晴明に同調する。二人に迫られて、渡は小さく頷いた。

「だったらさ、明日フミや芽吹とも一緒になって、勝呂さんを引き止めようよ。もし、勝呂さんがアクター部を離れることを選んでも、私たちの気持ちを知ったうえでの決断だったら、私は納得できると思う」

 確かめるように言った成に、晴明も首を縦に振った。全ては渡の気持ちを動かすためだった。

 ふと見ると、歩行者信号の目盛りはあと一つまで減っている。そして、信号が青になったのと時を同じくして、渡はかすかに表情を緩めた。

「そうだな。言うだけ言ってみるか。もしダメでも、やれることをやった後なら、諦めもつくしな」

 そう言って渡は二人の反応を待たずに、横断歩道を歩き始めた。晴明と成も一歩遅れて、渡の後を歩き出す。隣で会話を交わしている先輩たちに、晴明は目を細めた。

 西から吹く風は、身を縮こまらせるほど寒い。それでも、明日への期待が晴明の身体をゆっくりと温めていた。



 翌日。五十鈴や植田よりも先に部室にやってきた勝呂を、晴明たちは何事もないかのようにさりげなく迎えた。勝呂も事情を悟らせないように、素知らぬ顔をしている。

 顧問の二人がやってくるまでの雑談が、晴明にはお互いの腹を探り合っているように感じられた。双方ともどこか雰囲気が違うのは分かっていながら、どちらも深入りすることはない。何気ない会話が緊張感を帯びていて、晴明は少し胃が痛くなりそうだった。

 練習も、少し張りつめた空気のなか行われた。渡や成は平然を装うとするあまり、いつもよりかけ声が大きくなっていて、普段通りではないのは勝呂だけではなく、誰の目にも明らかだった。

 それでも、晴明も普段より大きめに声を出す。勝呂も植田も、気負っている様子の三人に何も言ってこなかったけれど、不審に思われているのは視線で何となく晴明には分かってしまう。これほどまでに気まずく感じる練習は、入部してから初めてだった。

 それでも何とか練習は終わり、ミーティングで連絡事項を確認しあって、アクター部はこの日の活動を終える。五十鈴や植田は三者面談の準備があるから、足早に職員室に戻っていき、部室には晴明たち部員と勝呂だけが残された。

 だけれど、晴明たちはどう切り出したらいいのか迷ってしまい、すぐに話を始められなかった。おそらく今日の様子から、勝呂も晴明たちに何かあると感じていたのだろう。おもむろに口を開いていた。

「皆さん、帰らなくていいんですか? そろそろ下校時間ではないですか?」

 心配そうに勝呂は言っていて、気を遣わせてしまったと晴明は情けなくなった。本当は自分たちから話し出すべきなのに。

「……いいんです。まだ少し時間ありますし。勝呂さんもまだお時間大丈夫ですか?」

 部長という立場上、自分から切り出すべきだと思ったのだろう。決意を固めたように口を開いた渡に、勝呂は声を出さずに頷く。

 何を言われるかはもう分かっている。そんな目を勝呂はしていた。

「勝呂さん、僕たちへの指導や着ぐるみに入ることをやめて、ゴロープロダクションの経営を継ぐというのは、本当ですか?」

 直接的な渡の質問に、勝呂は大きな反応をしなかった。予期していたことをそのまま言われたように、晴明には見えた。

「確かに事務所の経営を継ぐというのも、選択肢の一つとして考えてはいます。ただ、まだ何も決まってはいません。もとよりそんなに簡単に決められることではないですしね」

 それはまるで「今すぐアクター部の指導をやめることはないから、安心していい」と言っているようだった。おそらく勝呂は、晴明たちが納得するような答えを用意していたのだろう。

 だけれど、声には出していなくても部員たちは誰一人納得していないのが、晴明には雰囲気で分かる。勝呂もかすかに緩めた表情を、引き締めていた。

「勝呂さん、似鳥からも聞いているとは思いますが、私たちはまだ勝呂さんの指導を受けていたいです。勝呂さんがいてくれれば、私たちはもっともっと伸びると思います。だからどうにかなりませんか?」

「どうにかとは、どういう意味ですか?」

「ゴロープロダクションの経営を継ぐのをいったん待っていただいて、これからもアクター部に来てはもらえないでしょうか?」

 成の懇願にも、勝呂は表情を崩さない。先週、晴明にも同じことを言われたから、免疫のようなものが身についてしまったのかと思うほどだ。

 晴明たちは、視線で思いを伝えようとする。だけれど、勝呂は眉一つ動かさなかった。

「南風原さん、そんなに心配なさらないでください。とりあえず私は、来週も再来週もアクター部には来ますから」

「でも、その先はまだ分からないんですよね?」

 成に瞬時に返されて、勝呂はどういうわけか小さく笑った。困っているのか事実を認めているのか、晴明にはその表情の意図が読めない。

 既に校庭から聞こえるかけ声は止んでいて、誰も喋らないと部室は水を打ったように静かだ。

「南風原さん、それにアクター部の皆さん。皆さんは私がいなくても、もう十分スーツアクターとしてやっていけますよ。もっと自分たちに自信を持ってください。あと皆さんに必要なのは、その自信だけです」

 まだ何も決まっていないと言っておきながら、微笑みながら放たれた勝呂の言葉は、まるで別れの挨拶そのものだった。もう勝呂は、自分たちから気持ちが離れてしまったのだろうか。

 晴明の胸はささくれ立つ。でも、何か言葉にしようとする前に、隣から声が発せられた。


(続く)


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