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将来に不安を抱えつつも環境を変えて挑戦し続ける人生(20代・男性)

1. 学生時代

1) 充実した学生生活

学生時代は、部活動と勉強、アルバイトの予定を入れて隙間時間で友人と遊ぶような生活でした。部活終わりに部活の仲間と学校の近くの飲食店で長い時間、他愛もない話をするのが好きでした。現在もそうですが、予定に空きがあることが嫌いで、なるべく予定を入れていました。

部活動では地区大会を勝ち進み、勉強ではテストの成績は常に上位で、学生生活は非常に充実していたと思います。入学時は、一人も知人がいませんでしたが、卒業時には多くの友人が周りにいてくれました。

2) 就職活動

充実な生活でしたが、今でも印象的な出来事が一つあります。それは、就職活動の時の残念な思い出です。自分は実家が事業を行っており、家業を継承することも一つの選択肢に入っていました。しかし、いきなり実家に戻ることよりも、まずは他の会社で働いて経験を積むことが重要だと思って、仕組みがしっかりしている大企業への就職を最優先にしていました。

いくつかの選択肢がありました。どの会社も大きな会社で、学校からの推薦枠が決まっていました。第一希望から第五希望まで決めて、当時の学校の進路の担当者と何度も意見交換をしました。自分は、同学年の中で成績上位だったので、自分の第一希望は基本的に通るものだと思っていました。

就職希望を提出して、数日後に進路の担当者から呼び出されました。自分は第二希望になったと通達されました。理由は、成績以外の特殊な要素で、他の希望者に優先をしたいという学校側の考えでした。当時の自分は、納得がいきませんでした。納得がいっていない様子の自分をみて、担当者から次のような言葉をかけてもらいました。

「自分を採用できない会社が、採用できなかったことを後悔するような人間になるしかないだろ?」

後ろ向きな考え方だった自分にはとても有益な助言で今でも心に残っています。過去の出来事は、出来事としては変えることは出来ないが、捉え方次第で自分の気持ちを高めることが出来ると感じました。

2. 新卒時代

1) 教育訓練に携わる

学校卒業後は、事業内訓練校というところに配属されました。人材育成に注力をしている製造業の上場会社です。事業内訓練校では、1年間かけて教育訓練を受け、その間も通常通りに給料をもらえるという特殊な環境でした。今思えば、中長期的な人材教育への投資の重要性を潜在的に実感していたと思います。教育訓練の内容は、会社の理念や製造に対する思想などの抽象度の高い内容や、原価計算やマネジメント方法などの管理職になったときのための知識、技術者として実際の技術を身につけることがありました。

2) 技能五輪の指定選手に抜擢

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