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作業日誌 人生というゲームのやり込み

 ゲームのやり込みということがある。これはゲームそれぞれにやり込み要素があるもんで、たとえばレベルを上げまくるとか、アイテムを全種類とるとか、隠しキャラを捕まえるとか、ほんといろいろある。そこでだ、人生をやり込むことはできないか。あなたはいうか、人生はゲームではないと。私は答える。ゲーミフィケーションというものがあるではないかと。ゲームにしちゃえばいいのだ頭の中で。考え方次第でそれはできる。

 ではどんなやり込みがあるだろう。仕事する。これはタスクというザコキャラを延々と倒しまくっていく日常だ。資格をとる。これなどはスキルや魔法の習得である。買いものをする。装備や所持品が整うだろう。なんらかの薬や栄養剤、いうまでもなくアイテムによる回復だ。ジムに通う。フィジカル面でのパラメータが上がることだろう。本を読む。メンタル面のパラメータが上がる。映画を観る。これもなにかのパラメータが上がる。友達をつくる。それはパーティーメンバーが増えることだ。メシ食って寝る。戦いで削れた部分の全回復。

 こうして人生はゲームになる。仕事でも趣味でも道楽でも、お好みのものをやり込めばいい。生存上、最低限やらなきゃいけないことはやりつつ、食事と睡眠などですね、でも他のことは犯罪以外ではなんでもいいんじゃないの。自由だってば人間の人生。「正しい」の幅が、世にいわれるよりももっと広いはずなんだわ。「良し」の幅が。

 また作業の話をしていない。最後にふれておこう。金井は小説をやり込んでおります。原稿の最終章を書いてます。もうすぐ完成。パラメータ振り込みまくりで小説ばっかり。そういう人生でいいと満足している。いけませんか。

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