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川上未映子の歌は聴いたかね/作家と音楽

 あの人はかつて歌も歌ってたのですよ、未映子名義で。あたくしの手元には二枚のアルバムがある。歌声は力強く迫力あり。いわゆるパワーシャウターというほどでもないのかもしれんが、絶唱とはこのようなことであろう、と思わせる歌も多い。これらを友人たちに聴かせてみれば好き嫌いは分かれた。あたくしは好きなんだが。『麒麟児の世界』なんてべらぼうな名曲じゃないですか。歌詞も奥深いし。『悲しみを撃つ手』などもよい。詩人でもあるからねあの人。歌詞が詩なのである。他、『人は歌をうたいます』も『魔法飛行』もよい。いまはもう歌ってないのかしら。どうかわからんけども。まあ小説で忙しそうだしな。

 音楽から小説へ、という人だと他に町田康なんかもそうですね。あの人はまだバンドとかやってるのかな。CDは持ってないけど音源は一枚だけある。INU時代、町田町蔵を名乗っていたときの『メシ食うな』というアルバム。振り絞るような、ひねり出すような歌声がすごいんですけど。何かしら思うものがありそうな音楽でありました。

 何かの雑誌で作家のギター特集というのを組んでいたのを思い出す。作家たちが弾いているギターを写真でずらりと並べておった。どうも作家、小説家と音楽とは近い距離にあるようであって、ジャズファンもいるし、クラシックのライナーノーツを書く人もいたりするし。さてそれでは小説と音楽、どのように関係してくるのか、そこがかなり気になる。表現としてはだいぶ違うもんじゃないですか。リズムが共通なのかな。歌うように、弾くように書くようなことですか。

 あと出会った人という経験則でいうと、音楽の趣味がいい人はいい小説を書いてましたね。マイルス・デイヴィスに詳しかった作家をひとり知っている。アニソンしか聴かないような人はダメっぽかった。あと昭和の歌謡曲だけの人もどうも古かった。センスなんでしょうか。センスや才能は好む音楽に現れるんでしょうか。

 国によっちゃ生まれた階級で聴かされる音楽も変わるという。上流階級だとクラシックで下流階級だとラップだとか。日本ではそういうの分かれてはいないと思うが。貧乏人のあたくしがフー・ツォンのショパンだのなんだの聴いてんだから。本来そのように音楽は自由なもののはずですよね。


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