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去り行く者  残される者


乗っていた船が浸水し、まもなく沈没するであろうと察した夫から、妻の元に電話がかかってきた。
夫は言った。
「今まで、ありがとう」

これは、先日の新聞に乗っていた記事です。


知床半島沖で起きた遭難事故で沈みかかった観光船から、74歳の男性が妻に電話をかけた。その胸中を想像すると、胸が押しつぶされそうになる。
電話をかけた男性は、沈み行く船に恐怖を感じながら、もしかしたら今まさに、自分の人生が幕を閉じようとしているのかもしれない、と覚悟を決めて
妻に電話したのだろう。
そして妻は、夫の声をどんな思いで聞いていたのだろう。
旅行を終えたら、夫は普通に帰宅すると思っていただろう。命を落とすような事故に合うとは考えていなかったのではないか。
電話を終えた妻の心境を考えると、胸が痛い。

私の身に置き換えて、想像してみる。
例え、船が沈没しても、夫はすぐ救助されたら助かるのではないか。イヤ、でも、そうとは限らない。
救助まで時間がかかるかもしれない。
今日中に発見されればいいが、そうでなければ最悪の結果を覚悟しなければならない。
少しの期待と絶望と不安が入り混じり、一睡もできずに朝を迎えるだろう。
そして、日にちが経つにつれ、いよいよ絶望は深くなり、死という文字が頭の中を支配する。
1日ごとに、1人、2人と遭難者は発見されるが
皆、心肺停止状態だ。

もう、ダメだ、何も手につかない。何も食べたくない。寝ることすらできない。
1人取り残された私は、これからどうやって生きていったらいいのだろう?

こう考えると、愕然としてしまう。

電話をかけた男性、「今まで、ありがとう」と
言われた妻、どちらも突然の事故を現実のものとして受け入れたくないだろうし、深い悲しみに包まれていると思う。

新聞には遭難事故の件で、もう1つ記事が乗っていた。
遊覧船で、彼女にプロポーズする予定だった男性と
その彼女についての記事だ。
彼女へ渡すはずだった手紙が、男性の車から発見された。手紙も男性の父親の承諾を得て、紙面に公開されていた。
手紙には、彼女と巡り逢えた喜びと感謝の念、これからたくさん幸せになろうね、お嫁さんになってくれますか? というようなことが書かれていた。
若者らしい元気なイメージと、喜びと幸福感に満ち溢れた文面だった。今日、遭難事故に合う可能性など、微塵も考えはしなかっただろう。
手紙を読んだ父親は、ただ無念だったに違いない。
溢れる可能性を秘めた若者が、なぜ理不尽な事故に合わなければいけないのか、と。
彼女は、まだ発見されていないらしい。
1日も早く発見されるよう、祈りたい。

遭難事故の記事は、他にもあった。
両親と兄を失った男性にインタビューした記事だ。
一度に三人の家族を失った男性の苦しみ、悲しみは
どれほどのものなのか、私には想像しきれない。

今回の事故で、この世を去って行く人、残された家族、どちらももう大切な人に会えない寂しさ、悲しみに打ちひしがれているだろう。

まだ発見されていない方は、早く見つかるよう
祈りたい。

そして、犠牲者の魂に祈りを捧げたい。





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