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М先生


   М先生

 М先生は、職員棟の七階の一番奥の部屋にいる。白髪のきれいなおじいさん先生だが、その実は好々爺であるから、やはり教授らしくない、もっと言うなら先生らしくない先生である。


 終戦とともに中国で生まれた先生は、それでも日本名を名乗っている。

  学生時代は左翼の闘争に生き、ヨーロッパの哲学をやり、アジアの思想や文学をやり、いくつか本も出している。わたしは「南島イデオロギーの発生」を買って、ぱらぱらやりはしたが、もう忘れてしまった。

  先生の文章は短い批評や、最近書かれた「田中正造論」などのほうが、まだよく覚えている。
 先生はよく、柳田国男と折口信夫に人生を狂わされたとおっしゃっていた。先生にとって青春は常に暗いものであり、日本の土着的信仰は忌むべきものであり、大いなる破壊が救いであり、しかしやはり日常の些細なことにボンヤリし、また憂鬱になっておられる。


 先生は、心臓の半分が機能しておらず、生きているのが不思議なくらいである。この間など、肺がんの疑いを医者にかけられ、大いに憂鬱そうだった。だからなのかどうかは定かでないが、漱石を読んでは「鬱になった」と表情を暗くして(鬱になるなら読まなきゃ良いのに、昔はそれで治っていたと言う)、そしてよく死について語っておられた。


 冗談で「それなら、ジャガーにでも乗ってマロニエの木につっこんだら良いじゃないですか」と言うと、先生ピースをすぱすぱしながら、にやにや笑う。「なに、僕ならジャガーでセコイアの木に、つっこまなくちゃならない」と言うので、こりゃジ―サンなかなかくたばるまい、と苦笑した。
 時には「妻に黙って、愛人でも連れてどこぞの宿で首でもくくるさ」と、つぶやかれる。「そんなら、わたしとKを連れて行ってください。先生がボケたのをつつきながら、金を奪いますから」と、言うと「そうだ。君のような悪党につつかれながら殺されるのが怖いから、僕はなかなかボケられない」と、ボケたことを言ってにやにやしていた。


 先生とは概ね、このようなオプチミズムの乱舞する、くだらない会話しかした覚えがない。それでも、時折先生はこちらがハッとするほどご立派なことをおっしゃるので、油断のならない人である。


 「いいかい、君は文学があるものだと思っているから、現実に弱いのだ」
 「弱いですか」
 「うん。繊細なんじゃなくて、神経質なのだ」
 「そうですか」
   「ともかく。良いかい、文学は書くからあるのであって、こうしてボンヤリしていたって文学がある訳じゃない。現実を自らつくりだしていくから、現実は在るのだ。だから、面白いだろう。人間は宇宙なのだから、わからないものなんだから。僕はあらゆる可能性を信じているのだ」


 そんなことを、悪魔のような笑みを浮かべておっしゃる先生などは、まあ、たしかに宇宙に違いない。そうして「はあ、まあ、それならもう少し生きてみましょう」と、適当な相槌を打ったのはもうずいぶん前の春のことである。


  了

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