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個人崇拝も権威主義もいらない、人間など拝まなくてもいい、必要なのは神を、愛を信じる心だけ

自分は、人の心に響くような、嘘偽りなき、鳩のように素直で純粋なる誠の想いを表現するために、自分が考えられる限りの言葉を惜しげもなく綴り、自分ができうる限りの様々な表現方法を駆使して伝えようとしてる。

この言葉に善悪も羞恥心もない、あるのは神から与えてもらった愛だけで、その心に聞いた答えを素直にここに綴る。どれだけ言っても、伝わりはしない、それでも綴る、一生懸命言葉を綴る。解る人にだけ解れば良いなんて言わない、誰も嫌わない、見捨てない離れない、その手は放さない、諦めない。

自分は旧約聖書や新約聖書を絶対とはしていないし、宗教には入っていない。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も拝んではいない。その教義や教えを、説教を信じてもいない。  

しかし神を心の底から信じている。だからこそ一切の偶像崇拝は行わないし、人間は拝まない。

信じるのは、神、その心である愛、そして唯一全てを解っていた、真実を説いていた、それを人々に教えようと、伝えようとしていた、全てを知っていたキリストだけ。

キリストだけが全てを理解していた、だから蛇、悪魔、人間を拝む事を拒み、神の愛に逆らったダビデ、その人間による支配欲の意思が多く入るユダヤ教にも反発した。それを正そうとした、だから貶められ処刑された。

人間の支配の象徴となる十字架や像を偶像崇拝させるのは人間による支配を表している。

通貨の刻印666は人間の刻印であり、獣の刻印となる。悪魔の支配下にある者達は、それを全て見抜いたキリストを恐れた、だから十字架を拝ませ偶像崇拝させる。13の数字と、33の数字、始まりであり終わり、アルファでありオメガを恐れる。



十戒

第一 あなたは唯一なる神以外の何者も神としてはならない(偶像、人間を拝むな)

第二 あなたは自分のための像を造ってはならない(十字架、バフォメット)

第三 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない(人間の罪は人間が克服、自分の罪は自分が克服、これが蛇の罪、ウロボロス。神の沈黙は愛である)

第四 安息日を憶えて、これを聖なる日とする(静寂なる時は神による絶対なる赦し、人間に労働の強制などされない)

第五 あなたの父と母を敬え(三位一体の愛を大切にすること、生み出し→渡し→消費する愛の聖杯)

第六 あなたは殺してはならない(神の名を汚し野蛮な獣となり争い、殺し合い、戦争などしてはいけない)

第七 あなたは姦淫してはならない(快楽のためだけに、美しき愛もない、汚れた欲望だけの色欲を貪ってはいけない)

第八 あなたは盗んではならない(奪うこと、強奪、略奪、殺し、人を悲しませ苦しめる全て)

第九 あなたは隣人について偽証してはならない(情報プロパガンダ、お金のため、支配のために人の心を操り貶めてはいけない)

第十 あなたは隣人の家を貪ってはならない(国、土地の侵略行為、植民地支配などしてはいけない)



神は最初から嘘などついていない。嘘をついたのは蛇、悪魔と、その支配下を選んだ人間。愛を信じる事は神を信じるのと同じ、愛は何者かに植えつけられる洗脳ではなく自然に発生するもの、植えつけられるものは全て欲望である。

神の沈黙とは愛の沈黙であり、人々が自らそうしているだけ。だから救いがない、騙し騙され欺かれ、嘘をつかれ裏切られ、心を傷つけられ、奪われ苦しめられ搾取され利用され支配される。

愛には羞恥心や善悪なんてない、あるのは思いやりと優しさ、そして許し。欲望なんてものは誰の心も救わない、その心を救うのは愛のみ、神の心だけ、愛がメシア。人間はそれを信じず蛇を信じた、羞恥心を持ち善悪の知恵を使い他者より優位になろうとする、他者を貶める、足を引っ張り引きずり下ろそうとする、その蛇の支配下を、これほどまでに長い年月、歴史の中で維持してきた。



その間も神はずっとこの心の中に共にいてくれた、全ての生命、人々の心の中に分け隔てなく与えてくれた愛として、ずっと見守り続けていてくれた。人々を信じ、いつか本当の意味で目を覚ましてくれると、神はずっと我々を信じ続け、産まれた時からずっと、我々が赤子の時からずっと共にいてくれた。

神は沈黙などしていない、誰も苦しめたりなんかしていない、それどころかずっと愛し続けていてくれた。アダムとイブが失楽園する時に優しく羽織らせてくれた愛の衣として、その心の中に宿る愛として、人類と共に常に一緒に苦しみと悲しみを持ち、嘆き哀しみ、共に生きていてくれた。


蛇に植えつけられた羞恥心と善悪の知恵を知った人間は嘘を覚え、誤魔化しや欺き、責任転嫁、良し悪しのマウントによる優越、ルッキズムや学による知識、富のマウントや優越感、善悪の知恵を自身の欲望を満たすための武器として他者を支配しようとする。左右に分かれて善悪の矛盾を振りかざしては攻守共にぶつかり合い、残酷で悲しい現実、歴史を積み重ねる。いつまでも変わらず、ずっと。


人の心を苦しめてるのは羞恥心と善悪の知恵、間違いなくそれが我々を終わらない苦しみの中に閉じ込める。だから神は嘘などついてはいなかった、嘘をついていたのは蛇と、その言葉を信じ悪魔ルシファーを拝んだ人間だった。なぜ嘘をついていない、騙したりなんかしていない、裏切らずにずっと共にいてくれた神を信じずに憎み、なぜ嘘をつき、騙し欺き必ず裏切る蛇を、それを拝む人間達を信じるのか。

この神の心を感じれば、どれだけ途方もない深い愛と、深い深い哀しみと嘆きがあるか、それが解るはず。

人は、蛇が魅せる仮想現実の中で聞かされる、その羞恥心を刺激する悪魔の囁きパラノイア、そして善悪の知恵を矛盾として振りかざす許しなき心、それによって本当の愛が見えなくなる、この神の心、愛を疑う。真を見抜けない蛇を拝む者達、人々は悪魔崇拝を行う者達のペテン話術により騙され洗脳され操られ、支配され搾取される。

なぜ自分を、その心を救ってくれる神を、愛を信じない、なぜ苦しみや悲しみしかもたらさない蛇を、悪魔を、人間を拝む。なぜ愛も優しさもない蛇、悪魔、人間を拝む。

何故、自身の悪魔の囁き、欲望に負け蛇に魂を売った人間を信じ、嘘をつき欺き利用し搾取し裏切る人間を信じ続ける、崇拝する。なぜそのような666の刻印されし通貨、人間の支配下の象徴を拝み、拝金主義を望み、像を拝み、十字架を拝み、宗教を拝むような、そんな偶像崇拝を行う。

どうして、その心の中に宿る神の心、愛を沈黙させる、なぜそれに気がつけない。

命とは儚きもの、永遠に生き続ける生命などいない。その生態系はとても美しく綺麗で、素晴らしく壮大であり、そして残酷で悲しく、辛く苦しい世界。それでも我々は生きている、この美しく残酷な世界で、陰と陽の無限回転の中、今をひたすら生きている。


愛は尊い、消えやすく、燃えつきる。小さな光は希望となり、夢となる、この残酷な世界にあるわずかなる癒しの光、愛は全てを生み出すメシアとなり、美しき七色の虹を彩る涙となりて、この地に、生態系と呼ぶ色とりどりなる世界を生み出してくれる。


蛇、悪魔、それを拝む人間達は善悪の矛盾を振りかざし、その心に植えつけられた羞恥心を攻撃し、偏執病パラノイア、悪魔の囁きを聞かせて人々を支配する。その支配戦略が善悪の矛盾を使った羞恥心への攻撃、それが悪魔の囁きとなり、マインドコントロール、洗脳、催眠術、そういった心理操作、群衆心理を操るプロパガンダ等の黒魔術によって悪魔の支配は維持されてきた。

ついにはそれをテクノロジーとして使うようになる、より効率的な支配が行えるように、脳内チップと、悪魔の囁きとなるマイクロ派による洗脳、やがてそれはインプラントとなり人に寄生する人工知能となるなら、我々人類の自我は、頭心体全て「ものを言えるようにした獣」、に乗っ取られる。我々の魂は、その乗っ取られた肉体の中の奥底に封じ込められ、決して逃れられない檻の中で永遠に苦しみ、悲しみ、嘆き哀しみ続ける。

蛇、悪魔、それを拝む人間は、全ての生命、人々の心、誰の心も救わない。全てを救ってくれるのは、その心の中に宿る神の心、愛。


愛がメシアである、その愛を沈黙させるなら、蛇、悪魔の支配から逃れることはできない。許しのためには、羞恥心やプライドが邪魔になる、蛇の聞かせる悪魔の囁きが愛と優しさ、許しと思いやりの感情を破壊する。

個人崇拝も権威主義もいらない、人間など拝まなくてもいい、必要なのは神を、愛を信じる心だけ、それだけでいい。この世界は1人で創る世界じゃない、みんなの愛で創る物語。



自分は、松田優作や、長渕剛が好きだ。でもそれは崇拝ではなく憧れ、その心がとても美しいから男として惚れる。

個々それぞれの、人が持つ愛には個性があり、そのどれもがカッコいい。だからその曲にも、それぞれの愛の形が込められている、それを感じられるから心に響く、涙が出る、熱い想いがこみ上げる。絵や音楽とは、知識や学とはまた違う、思い出した事を表現するための方法でもあり。

だから自分は絵や音楽が好きだ。









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