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この世は契約の箱と三種の神器に見える三位一体の法則で間違いない

善悪二元論における哲学とは、それそのものが神を疑う心となる。哲学者としてはニーチェやユングも間違っていると言うこと。

その善悪二元論では、キリスト教やユダヤ教的には善が唯一の勝利者となるべきだと考えるが、その考えに疑問を持ったのがニーチェであり、それが正解か不正解かを哲学する事自体も神学を否定する善悪二元論になる。

では、そもそも善悪とは何なのかを説明するなら今まで自分が書いてきた宇宙の法則、三位一体である愛と覚りと欲望、生み出し→渡し→消費する→そしてまた生み出す、それを説明してきた内容を読んでもらえば理解しやすい。

つまりは契約の箱と三種の神器だけで、その善悪とは何かの答えの全てが表現されていた事実があった。今まで誰もそれに気がつけなかったが、自分は33日間の断食瞑想中にそれを何故か覚った。それが何故だったのかを考えると、やはり人は極限の状態を迎えなければ覚るのは難しいからだと思う。

始まりから終わり、その終わりに近い部分まで行かなければ簡単には答えを見つけられない。しかし自分は完全なる終わりを経験したわけではないので、その手前までの答えしか得ていない事になる。自分はあの時、身も心もそれほどギリギリの状態だったのかもしれない、だからこれを覚る事ができた。

しかし、自分はこれほどのことを、簡単に人に教えていいものか迷いもあった。その過酷な状況に置かれなくては解らない物事、感覚や概念を、自分が簡単に教えるべきか、それにも迷いがあった。

しかしそれが自分の役割だとするのなら、その経験には意味があった、だから自分は話さなければいけない、それが自分の役割だと思ったので、それをひたすら書き綴ってきた。


善悪とは善悪である。それ以上でもなければそれ以下でもなく、善は善としてあり悪は悪としてある。生み出す事が善なら、破壊することが悪となる、それが愛と欲望であり、生み出されたものは必ず消費する、消費されたなら、それが新たなるものを生み出す糧となる。これが契約の箱、三種の神器に見える宇宙の法則。

それを最初に覚った時、愛と覚りと欲望、そうイメージした、これはその時にふと浮かんだイメージであり決して深く考え導き出したものではないが、結果的に三位一体、契約の箱、三種の神器における神学、神道で伝承されてきた神に結びつき、この世の真理を覚ることができた。

善悪どちらか片方ではいけない、片側だけでは物事が成り立たないとするのは仏教の概念と同じ。しかし自分の考え方に一番近いのが日本神道になる。

だからこそ自分は左翼右翼の片翼だけではない白と黒の翼、天使と悪魔の翼の両方を持つと表現する。イザナギとイザナミの日本神話の中にある言葉『あなたの足りない所はわたしが補い、わたしの足りない所はあなたが補う』、これが神の本質であり、フリーメイソン的には破壊と再生、秩序と無秩序のような相互作用の事を指す。

鳥は左右の翼があるから空を飛べる、天使が片翼しか持たなければ地を這う蛇に成り下がる、堕天使となりルシファーとなり、獣となり、それを拝むと人間の数字666を持つ獣の刻印受けし者となる。人間に偶像を拝ませる獣、それが反キリストでもある神を疑うグノーシス主義者、悪魔崇拝思想主義者になる。


グノーシス主義とは哲学でありニューエイジでもあり悪魔崇拝思想主義でもある。フリーメイソンの基礎としてあるのがこのグノーシス主義であり、現在陰謀論を広めているQアノンはこのグノーシス主義にあたる。

Qの使う手法に善悪の知恵と、羞恥心への攻撃がある。他にも、これは統一教会やオウム真理教などのカルトがよく使う手口だが、何かを言われたらオウム返しのようにそのまま返す心理操作がある。それは洗脳の基本であり、もしもそういった場面に遭遇したなら、同じくオウム返しをしてやればいい、そうすれば彼等はそれ以上の攻撃ができなくなる。

彼等は知恵を持つ事が正しいと考える悪魔崇拝なので必ず知恵でのマウントを取りたがる、それに加えて悪魔の言葉を使い更に心に攻撃する「おまえは馬鹿である」「おまえは無能である」「おまえには知恵がない」「おまえには価値がない」「おまえは病気である」「おまえの頭はお花畑」そういった挑発に乗ってはいけない、それが承認欲求、羞恥心への刺激になるから。それに乗れば心を蝕まれ外部から聞かされる共感性羞恥心と内から聞かされる羞恥心が融合し、悪魔の囁きパラノイアとなって心を支配される。そういった心理的虐待を使って洗脳するのが悪魔崇拝カルトの手口なので、それに乗らないのが洗脳され心を乗っ取られ支配されないための秘策となる。

ここまでで解るように、悪魔の囁きやプロパガンダを多用しているのは、ナショナリズム、ポビュリズム、民族主義や差別主義を助長する者達、そういった人達の裏には必ず何かしらのカルト宗教がひりつき関与していて、そのカルト組織、団体や集団を支配しているのがフリーメイソンやイルミナティといったグノーシス主義とニューエイジの秘密結社、完全なる悪魔崇拝組織。

その者達が使うのが陰謀論プロパガンダ、人を深い洗脳に貶める悪魔の囁きであるカバリストの黒魔術。



彼等ニューエイジは知恵を重んじる、それはアダムとイブの頃まで遡り、神が禁じた実を食べ、善悪の知恵と羞恥心を得た時から始まった蛇、ルシファーによる人類の支配。

反キリスト、神を憎む彼等悪魔崇拝者はあらゆる場面で知恵を重んじる、それが優生学にも反映されているし、現代社会の学歴社会を生み出した元凶でもある。知恵ある者こそが正しい、支配者は知恵があるもの、知恵が無い者は知恵ある者のゴイムとして生きる。そう考えるのが知恵によって世界を支配してきたグノーシス主義者、フリーメイソンに属する大富豪のエリート達。



知恵とは人間の特長、個性の1つであり、いくら知恵があっても他が劣る場合もある。勉強ができても運動神経が悪い、その逆もあるし、容姿が良くても心が汚い、その逆もある。人は誰しも得意不得意がある、染色体、DNAレベルで考えても時として個性は強みともなり、他との違いは美しさに変わる場合もある。だから優生学における善悪二元論自体が間違っているし、天は人の上にも下にも人を作らず、この言葉が正しい。

知恵を重んじる事は多様性を否定すること、皆平等に教育を受けて同じ水準の知能、知識を持たせるのはマルクス主義、共産主義における量産型の人間、奴隷、ゴイムを生み出す社会システム。この人間社会と言うもの自体が蛇が魅せていた幻、仮想現実でしかない。


どうしたってこの世は間違いなく二元論では成り立ってはいない、やはり契約の箱、三種の神器における三位一体、三元論で成り立っているのはグノーシス主義者自身もしっかりと、その目で実際に見ているはず。

赤と青を操る支配者がいる時点で二元論ではなくなっている。赤と青を操る支配者に更に支配者がいたとしても更に左右の二元論を操る。コカコーラとペプシコーラを操る者がいる、支配する本人自体が善悪の知恵によって動かされてるし、その二元論に陥っている間は何者でも何かの支配下となる。

だから全てにおける善悪の知恵を自分自身がコントロールすること、それが何者にも支配されない究極なる自由であり、己が完全なる自分の支配者となる。


残酷があるから至福がある、その欲望をコントロールするのが心の中にある愛、それが自分の神である。

この世は契約の箱と三種の神器に見える三位一体の法則で間違いない、それが宇宙の法則としては正解であり、それこそが自然の摂理、神の秩序。もはやそれを疑う余地はない





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