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『逆転のトライアングル』

☆外見的美しさという通貨
  モデルとして落ち目になっている男性カールと、インフルエンサーとしても人気のある女性ヤヤ。互いの社会的利益のためにビジネスカップルを演じている。その状況(本質的な愛がない・通念的ジェンダー観)に異議を唱えるカールと、対称的に自身のルックスによる利益を欲しいまま享受しているヤヤ。若く美しく、眉間に皺(Triangle of Sadness)なんて寄っていない。水着で酒飲んでりゃ「ロレックス買ってあげるよ」とおっさんに言ってもらえるし、そもそも豪華客船に乗れたのも知名度とルックスによるものだ。ヤヤが仕事で貰ってきたというシャツをカールが着てしまっているという皮肉がまた何とも言えない。
 
  物語が無人島に舞台を移したところで、ヒエラルキーの三角形が逆転し、清掃婦だったアビゲイルが力関係の頂点に立つ。ヤヤの顔が虫刺されで荒れていくのは、先述の"外見の美しさという通貨"が、機能しなくなっていることの比喩だ。アビゲイルという、働きづめで子どもを授かることもなかった年増の女性が、自分の恋人を食べ物で釣り、代わりにセックスを求める。ここでもカールの外見的美しさが通貨としての価値を果たしてしまっているのが非常にシニカルで……その状況にヤヤが嫉妬するのは、恋愛感情としての作用と、漂流してもなお自分が持たざる者であることを受け容れられない葛藤の表れだ。「私の付き人になってよ」ってそりゃねぇだろ!!


☆『オデュッセイア』越しの三角関係
  カールが豪華客船のデッキで読んでいる本はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』だ。ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』を基に対応関係を持たせ、時代設定を変えた作品となっている。

(以下Wikipediaより)
物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日を多種多様な文体を使って詳細に記録している。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。

  カールは、『ユリシーズ』で言えばレオナルドに見立てられるだろう。中年という程の年齢ではないが、冴えないという点に置いては完全に合致する。また、『オデュッセイア』におけるペネロペイアは、夫に操を立てた貞淑な妻とされているが、対応関係とされるモリーは、夫レオナルドの不在中に浮気をしてしまっている。カールが甲板にいた男性ホルモン盛り盛りの乗組員に嫉妬するのはそういう心配と、関係性への憧れを携えている裏付けになる。
  無人島パートで、最初こそビジネスライクなセックスをアビゲイルと交わしていたかもしれないが、物語が進むにつれて恋人のように朝を迎え、行ってらっしゃいのチューをするカールとアビゲイル。ヤヤとは築けなかった関係性が、極限下において意外な相手と出来上がってしまう。パンフレットのカール役ハリス・ディキンソンのインタビューに記述がある。

「(カールは)ヤヤのことが本当に好きであっても、アビゲイルのほうが強さと現代性の象徴として映るんだ。古臭い男女の価値観に支配されたヤヤとの関係に不満を持っていたところ、カールは力強く生きるアビゲイルに出会い、真の魅力を感じる。僕はカールとアビゲイルの関係を「ああ、彼はおまけをもらおうとして彼女と寝ているんだ」という表現に留まらない繊細なものにしたかった」

  これは恐らくアビゲイルの観点からも同様に言えることで、女として男に愛される喜びを失くしていたところに、ヒエラルキーの転機とカールという若い男が同時に舞い込んでくる。「複雑に考えすぎている」と、カールに指摘する彼女は、もっとシンプルにこの状況下の幸福について考えていたかもしれない。ヤヤを殺そうとするのは、無人島にリゾート施設を発見したことでもう一度ヒエラルキーの逆転が起こる可能性(ヤヤの付き人になってよ発言が示唆している)を抹消するためでもあり、そこにカールとの関係性から来る愛憎も入り混じる。金と愛で出来た三角形は、何度も頂点を変えながら転がり続ける。


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