私の「風の谷のナウシカ」論

最早言うまでもない、ジブリ(正確にはその前の集団)と、宮崎駿監督が産み出した、稀大の一大ファンタジー作品である。繰り返し放送され、私も子どもの自分から好んで拝見していた。漫画から、映画化されたのは有名だが、漫画も、少しリアルタイムで読んでいた。そんな私が、思い入れ多大なる、誰もが知ったこの作品について、ツラツラと語ってみたい。
①ナウシカと腐海
映画では、ナウシカが腐海に居るところから始まっている。私は、腐海とは、深い毒を吐きながら、それでも生きている親のような存在だと考える。必要無いとか必要悪だとか、罵るのは、父ヴ王を憎むクシャナであるが、ナウシカはそっと共生する道をいつも選んでいる。ナウシカの父は病床のまま、クシャナ軍によって息絶えるが、母親は影だけで、すでに亡くなった設定である。クシャナの母は、生きているが、クシャナの代わりにヴ王に毒を飲まされ、気が触れている。
ナウシカはいつも腐海に触れては、感動し、虫を助けては涙まで浮かべるが、彼女の慟哭は、そのまま両親へと繋がっているように聞こえてならない。それが裏のキャッチーなテーマとなって、この物語に流れていることは間違いないと思われる。勿論、クシャナはナウシカの分身として、ある種のメタファーが込められているのだ。
②ナウシカ、ヤングケアラー論
ナウシカの母は、恐らくはナウシカが子どもの頃に亡くなっている。父王は、病床の身で、長く居るところをみると、両親の世話や、両親の代わりを一手に引き受けていたのが、一人娘の姫、ナウシカなのではなかろうか?そう言った意味でも、彼女は人や虫の死に、とても敏感だ。漫画の最後で、実は母に愛されなかった身の上を告白するのだが、彼女にとって、それは腐海の虫たちを思う心に繋がったのではないか?どうしようもなく通じ合えない、しかし、とてもいとおしい、自分だけがそれを知っている存在。腐海と親に片思いするヤングケアラー少女、ナウシカとも言えるかもしれない。
③母ナウシカ
漫画のラスト、冒険のはてに巨人兵の息子と共に、世界の秘密を突き止めたナウシカは、腐海も、火の七日間も、過去の人々に仕組まれた事だと知る。そして、自分達も、浄化後に息耐えて滅亡し、やがて新たな未来人が、卵から孵化する仕掛けなんだと知らされる。否!と、ナウシカは拒否する。いずれ腐海と共に消える運命にあるとしても、虫の愛や人々が仕組まれていたこととは思わない、命は光ではない、闇のなかの輝く光だ!と。そして、新しい人々が産まれる卵を握りつぶす。彼女にとって、大切なのは、そんな命の選別、選択なんかではない。全て自分の触れた生命たち、今ある生命を、生かすこと。人々や、虫や、腐海。全ての生命を祝福して、選択を断っている。それが、ついに母になったナウシカの答えなのだ。
④共生論としてのナウシカ
ナウシカは壮大なる環境問題を、取り上げた傑作だが、と、同時に、子ども向け作品という体で、親との関わりかたをトラウマ的に描いた、宮崎駿監督のリビドーほとばしる、名作だ。宮崎監督の母君も、長く病床に居られたらしい。述べてきた私も、長く親にもとに居ながら、介護に当たったので、更にコロナが来て、全世界マスクのナウシカ的世界になったことに、ただただ、驚いている。アスベルやクシャナが、殺せ!と叫ぶとき、必ず鳥の人は現れる。日本にいる宮崎監督だからこそ、描けた、共生論的大作。私はジブリのテーマは共生だと思って見てきた。ナウシカが、それを私に教えてくれた。


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