若者の草食化とは何だったのか
前に私のコラムで日本が少子高齢化による人口減少の一途をたどる要因を戦後からのデータを出発点とする分析である程度つまびらかにできたかと思う。
結論は人口には経済状況(景気)が大きく関わっており、高度成長期とバブル景気に日本の人口はうなぎのぼりになっている。
しかし、興味深いのが人口を考えるうえで最も重要なデータである出生率(女性一人あたりに産む子供の人数)を見てみると景気が上向きだった時期でも戦後から総じて減少傾向にあるのだ。
つまり長期的な目で人口を見る場合に重要な出生率は経済状況との関係性が薄いということだ。この出生率の低下という社会問題を歴史や、制度という大枠から考察したのが以前書いたコラムだ。
今回は数年前に流行語にもなった若者の「草
食化」について考察したい。
この現象により若者の男女の交流が減ることで未婚化、晩婚化が起こると考えられており、この枝葉からさかのぼっていくと少子高齢化という根源的な問題にたどり着くので、草食化を考えることに多少の意義があるのではないかと思い立ち、書くことにした次第だ。
草食化って何だ?
皆さんは「草食化」という言葉の有する意味を自分に問いただして、上手く答えることができるだろうか。
私の答えは非常にあいまいなものとなった。案外「この言葉の意味は何だ?」と突然聞かれて時間を要せず応答するのは難しいものだ。
理由は言葉というものが対象を端的に表現するために生まれるものだからだ。
例えば「お米って何?」と子供に聞かれたとする。お米は稲という作物の種子から採られ、集めて釜で炊くことででんぷん質が白くなり、食べることで炭水化物を摂取できる食べ物というように長い言葉と言葉を羅列する必要がある。
稲、種子、白い、炭水化物、食べ物という要素を端的な一つの言葉にあてがうことでコミュニケーションを円滑に行えるようにするため「お米」という記号が生まれたのだ。
言語が生まれる工程に反して逆にお米を説明する場合「お米」を構成する要素を一つ一つ抽出しなければならないため容易ではないのだ。
まず現象を考えるうえで最初に取り掛かるべきことは、その現象を指す言葉(記号)がどのような要素を内包しているかという定義を明らかにするのがセオリーだ。
草食化の定義はウィキペディアを参考にさせてもらうが2006年の日経ビジネスの記事に草食男子という言葉が初めて登場した。
草食化は若い男性の傾向を表した言葉であり主に恋愛面、女性に対して積極的な関心や態度を示さない男性というのが狭義の意味であるが、初めて用いた人物は肯定的な意味を含ませていたと語っている。
おそらく肉欲を外面に押し出さない(草食的)というのは態度だけを指摘したものであり、心理的な内面が変化したことまでは述べていないのではないか。
そのような態度は紳士的な振る舞いと認められ、男性の倫理観が向上したことを伝えたかったのではないかと私は考えている。しかし、のちにこの言葉に関する多くの著作が出版され、メディアの積極的な流布によって人々に知れ渡ることで大きな変化をもたらした。
草食化の歪曲
草食化という言葉は時が経つにつれ徐々に歪んでいったと考えることができる。
まず男性だけにあてはめていた言葉を女性にも適用したことや、草食の対概念として肉食という言葉が生まれたこと。(意味合いとして)
何より重要なのが下心を見せなくなったという元来の意味から性欲がなくなった、薄くなったへと変化し最後には物を買わないといった購買意欲にまで派生したことで無欲になったとまで論じられるようになったのである。
それにより草食化現象を批判する人々が現れ始め、この現象は社会問題として扱われるようになり議論を呼んだ。
性欲が薄くなったという部分から少子高齢化の一因となっていることや、購買意欲が薄れている一面から経済の冷え込みに拍車をかけているといった論理で主に若者に対して風当たりの強い上の世代が批判していた。
草食化は忘れ去られた?それとも定着した?
ここで考えてみてほしいのが、今草食やら肉食という言葉や概念は皆さんの生活に表れてくるだろうか。答えは否かと思う。
これらの言葉はもはや日常用語となり私たちの文化に溶け込み、メディアもこの問題に対して取り上げることはなくなった。
ではなぜ表舞台に立たなくなったのか。
それは先ほどの議論にあっさりと決着がついたからである。結果としては批判していた側の敗北という形で落ち着いている。
少子高齢化の一因になっているという指摘は責任を回避しようとしたための問題の矮小化と非難された。確かに男女の交わりが減っているのは事実かもしれないが少子高齢化問題に深く関わっているかといったら疑問が残る。
少子高齢化の大きな原因は結婚した人間の間で子供が作られないということであり、それには経済的な理由が非常に大きい。子供を育てるにはある程度の費用がかかるので、人々にお金が回らなければ子供を産むことに二の足を踏ませてしまうことになる。
この問題を解決するうえで効果的な考え方はいかに交わった男女の間に子供を作らせるかということなのだ。
購買意欲の減少も的外れだ、意欲が減った、無くなったのではなくて経済的な理由で意欲を満たすことが難しくなった。そしてそれは若者だけではなく、消費者全体にいえることだ。
このように草食化を批判していた論者は停滞した経済、経済政策の失敗(10月の消費増税もそうである)という重大な問題の責任の所在を若者の草食化という相対的に小さな問題にすり替え利用していることを指摘され敗北したのだ。
議論が終結したことによりメディアも取り上げなくなり、草食化の悪いイメージが完全に払拭され定着したと考えられる。
草食化の真実
では一体若者の草食化とは何だったのか。
初めからそのようなものはなかったと論じる人はいるが、男女間の交わりは確かに減っているということは確かではないかと思う。
2006年当時の草食化は男性が女性に対して積極的な関心や態度を示さないことだったが、これは女性にも当てはまることでなおかつ態度を示さないのではなく、示せないのではないか。
そしてこの現象は一見関わりがいま薄いと思われる経済状況から引き起こされた現象ではないかと考えられる。
草食化がささやかれたのが2006年、若者をとりあえず20歳と考える。2006年から20を引くと生まれた年は1986年となる。この間の日本の経済状況を簡単に見てみよう。
1986年に丁度バブルが起こり日本は未曽有の好景気になる。しかし、それも90年代初頭に崩壊、そこから日本は失われた10年ましてや20年と呼ばれる経済低迷期となる。加えて2006年は就職氷河期と呼ばれるほどの就職難の年であった。
つまりこの間と2006年から民主党政権期の2012年の間は社会的な不安が増長された時代といえよう。
草食化の世代は日本経済の絶頂期に生まれたばかりなので、この恩恵を受けることなく停滞した経済の中で学生時代を過ごしている。このような時代のなかで中、高、大での過ごし方はどうなるのか。少しでも良い大学、良い就職先を勝ち取る意識が強くなることで受験や就職の競争が激しさを増すことで勉強を重要視し勉強に費やす時間を多く割く傾向にあるのではないか。
異性と交友を深めている人間は勉強を怠っている、真面目ではないという社会的な価値観が生まれ恋愛をするのは就職し、安定してからでよいと考えるようになった。
学生時代を多く勉強に割くことで異性と交友する機会を逃し男女両者とも互いに恋愛に不慣れなまま社会人へと成長したことが表面化したのが草食化という現象ではないかと考えている。
しかしこれらはあくまで社会のささやかな傾向に過ぎない。私の周りにも付き合っている男女は多く存在し容姿、家庭環境や学校の毛色など様々な媒介変数も存在する。だが誰が言い出したことでもないこのような社会通念が像を結んだと考えることを否定することは難しいと思われる。
失われた30年
若者の草食化は今ではどうだろうか。私が思うに昔(1991~2012年)ほど顕著ではないと考えている。
自民党に政権交代した2012年からはリーマンショックほどの経済危機に瀕していないゆるやかな低下、完全な停滞期に陥っている。
安倍首相が始めたアベノミクスは景気を良くしたと報道され、人々の経済に対するイメージはある程度上昇した。
若者の減少により就職競争が緩和され失業率も下がっていおり、最近は学歴が高くても収入が高いと一概に言えなくなってきている社会に変わってきたので学歴至上主義は少し息をひそめたといえよう。
しかし、失われた20年はまだ続いている。10月に消費増税が施行され二か月が経ち、ついに景気動向指数が報道された。
増税前と比べて5.1%も落ち込み、SNS上でも現政権に対する落胆や、こうなることは自明の理だったと語る意見であふれた。このタイミングで増税することに反対した有識者の危惧していたこと通りの結果に至った。
今ここで具体的な経済政策を語るのは控えるが重要なのは今より少しでも景気を良くし、社会的な不安を緩和させることである。
人々が今よりも多くお金が手元に残ったことを実感すれば消費が促進し、子供も産みやすくなり少子高齢化も改善される。保育園を増設しても大した効果は期待できない。景気を良くするためには目先の税収に囚われるのではなく、減税をして人々にお金を残させるべきなのだ。
経済に対する政府の担う役割の比重はとても大きくなった。その政府がこの体たらくでは失われた20年という蛇は30年、40年と脱皮を繰り返すことだろう。
Polimos管理人 テル