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活躍したい、納得したい、役に立ちたいの微妙な違い

働きたくない人間でも楽しく働くための研究をしている29歳女です。

自分の中に「活躍したい(今は活躍できていない)」みたいな気持ちがあったのだけど、活躍したい以外にも「納得したい」「役に立ちたい」という近い言葉があるなと思ったので考えてみる。

まず「活躍したい」について。自分のやりたい分野で明らかな成果を上げている状態がイメージされる。

「華々しく活躍する」という言葉があるように、客観的に見た時に少し目立つレベルの印象がある。

つぎの「納得したい」については少し毛色が違う。「まぁわたしはこんなものだろう」「これくらいがお似合いだろう」的な足るを知る系の気持ちも含まれる。

「天職はこれだったんだ!」系のひらめき方向の納得もあるだろうけど、基本的には地に足付いた雰囲気。

また納得には、自己満足のような感情も含まれるかも。自分として納得のいく作品を作れた、みたいな。

最後の「役に立ちたい」については、客観的にはどうか分からないけど、目の前の人が喜んだり、目の前の業務が明らかにいい方向に片付いたりする雰囲気がある。

目の前の何かに対してプラスをもたらしたときに「役に立った」と感じやすいのではないか。

もちろん時間を経たり、間接的に働きかけて成果が出た場合も役に立てるとは思うけど、感じやすいのは目の前の人との交流。

少し前まで「わたしは活躍したい」と思い込んでいたけれど、実際に望んでいるのは活躍というイメージじゃないかもしれない。

時間を経ずに、直接的に誰かの役に立ってると思えること。そして自分らしいことをしていると納得して自己満足できること。

活躍よりも「役に立つ」と「納得」の方がわたしの求めてることだなと、占いの仕事をしていて思った。

分かりやすく活躍してもしなくても、とにかく目の前の人の気持ちを軽くできて、そのことに自分が納得できるのが幸せだ。

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